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黒百合の仮面  作者: 翡翠


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第三十一話「整理の夜」

屋敷に戻ってすぐ、ヴィオレットはリュカへの連絡を書いた。


今夜会いたい、という内容だった。


カインに渡した。


カインが受け取りながら言った。


「今夜、話せますか」


「明日にしてください」


「わかりました」


「ミアにも伝えてください」


「はい」


カインが下がった。


自室に入った。


扉を閉めた。


一人になった。


机の前に座った。


手帳を開いた。


今日聞いたことを、全部書いた。


三十年前の依頼。七歳の子供の護衛。子供は生きていた。その血脈がセリア王女につながる。《枷》の核心がその血脈を狙っている理由。ヴェステルの謝罪。


全部書いてから、手帳を閉じた。


書くことで、頭の中が整理された。


前世の記憶が全部見えた今、今世の状況と重ね合わせた。


前世で守った子供の血脈が、今世でセリア王女につながる。


セリア王女は、《枷》から価値なしと評価されながら、放置すると危険と評価されていた。


その評価の理由が、今日わかった。


セリア王女が持つ血脈が、正当な王位継承の証明を持っている。それが表に出れば、《枷》の構造が根から崩れる。


だから《枷》は王女を排除したい。しかし排除すれば、その血脈の存在が明るみに出るリスクがある。だから今は放置している。


しかし放置し続けることにも限界がある。


王女が成長し、知恵をつけ、自分の立場を理解し始めれば、《枷》は動かざるを得なくなる。


今がその境界線に近い時期だ。


リュカへの連絡が来たのは、一時間後だった。


今夜茶館で待つ、という内容だった。


夜の茶館に向かった。


リュカがいつもの席にいた。


今夜のリュカの顔は、連絡を受けた時点で何かを察していた顔だった。


「今日の面会で、大きな話が出ましたか」


「はい」


ヴィオレットは今日聞いたことを全部話した。


リュカは黙って聞いた。


途中で一度だけ、目が動いた。


セリア王女の名前が出た時だった。


全部話し終えた。


リュカが少し間を置いた。


「セリア王女が、三十年前に令嬢の前世が守った子供の血脈につながる」


「はい」


「その血脈が正当な王位継承の証明を持っている」


「ヴェステルはそう言いました」


「証明の内容は」


「今日は聞けませんでした。次の話し合いで確認します」


リュカが窓の外を見た。


夜の路地が静かだった。


「影廷として、王女を保護対象にマークしていたのは、このためだったのかもしれません」


「三十年前の統括者が理由を書かずに監視リストに入れた人物がヴェステルでした。そして同じ統括者が、王女の血脈について何かを知っていた可能性があります」


「統括者は若くして亡くなりました」


「ヴェステルが関係していますか」


リュカが少し考えた。


「わかりません。ただ、三十年前から続く話だとすれば、その統括者の死も偶然ではないかもしれない」


「《枷》の核心が動かした可能性がある」


「あります」


二人で少し黙った。


暖炉が燃えていた。


「ヴェステルを信用しますか」


リュカが聞いた。


「完全には信用しません。ただ、今日の話の内容に嘘はなかったと思います」


「根拠は」


「謝りました。前世で情報を隠したことを。間違っていたと言いました。それは計算から出た言葉ではありませんでした」


「謝れる人間だから信用する、ということですか」


「謝れることと、間違いを認められることは、別のことです。ヴェステルは両方をしました。それが今日の判断の根拠です」


リュカが頷いた。


「セリア王女への接触を、どう進めるつもりですか」


「自然な形で進めます。学術会館で再会することが、一番不自然ではない」


「王女は令嬢のことを聞いていたとのことでしたね」


「アメリのお母様から聞きました」


「王女自身は、自分の血脈について知っていると思いますか」


ヴィオレットは少し考えた。


「知らないと思います。ただ、何かを感じている可能性はあります。あの王女は、見えすぎる目を持っています」


「父王と同じ目」


「はい」


リュカが少し間を置いた。


「《枷》の核心にいる人物を排除することと、王女の血脈を守ることが、今の目標になりますか」


「フォルタン子爵の件と子供たちの件も、同じ根から来ています。根を断つことで、全部が動きます」


「順番は」


「フォルタン子爵の件を先に動かします。外縁から締めていけば、核心が動きにくくなる。動きにくくなったところで、核心に届く」


「セダンは」


「フォルタン子爵の件が動く前に、動けなくしてください。そのタイミングをお任せします」


「わかりました」


「一つお願いがあります」


「なんですか」


「ヴェステルに、影廷との協力関係を作ることを検討してください。ヴェステルは三十年分の情報を持っています。影廷が持っていない情報が含まれているはずです」


「ヴェステルを信用しないと言いながら、協力関係を作る」


「信用と協力は別です。協力しながら確認していきます」


リュカが少し考えた。


「条件をつけます」


「どんな条件ですか」


「ヴェステルとの接触は、令嬢を経由して行います。直接の接触は今の段階ではしない」


「了解しました。ヴェステルに伝えます」


席を立った。


「令嬢」


リュカが言った。


「なんでしょう」


「前世の記憶が全部見えた今、気持ちはどうですか」


ヴィオレットは少し考えた。


「軽くなりました」


「軽く」


「霧がなくなったので。重さの種類が変わりました」


「重さがなくなったのではなく、種類が変わった」


「はい。前世の霧は、わからないことの重さでした。今はわかった上での重さです。わかった上での重さは、動けます」


リュカが少し間を置いた。


「そうですか」


「はい」


扉に向かった。


外の空気が冷たかった。


歩きながら、今夜整理できたことを確認した。


前世の記憶が全部見えた。


セリア王女との接触を自然な形で進める。


フォルタン子爵の件を先に動かす。


セダンをリュカが動けなくする。


ヴェステルと影廷の協力関係を作る。


全部が繋がった。


線が全部引けた。


絵が見えた。


絵が見えれば、何をすべきかがわかる。


公爵家の灯りが見えてきた。


今夜も全部ついていた。


門をくぐった。


玄関でカインが待っていた。


「整理できましたか」


「できました」


「明日、話してくださいますか」


「朝食の後に、三人で話しましょう」


カインが頷いた。


「お嬢様」


「なんですか」


「今日の顔が、これまでで一番、近い顔をしています」


ヴィオレットは少し考えた。


父も同じことを言った。近い顔、と。


「そうですか」


「はい」


「なぜだと思いますか」


「霧がなくなったからではないですか」


ヴィオレットはカインを見た。


「そうかもしれません」


「良かったです」


カインが静かに言った。


その一言の中に、この従者らしい全てが入っていた。


自室に戻った。


引き出しを開けた。


スノードロップの押し花を見た。


白いままだった。


前世で守った子供の手を思い出した。


七歳の小さな手だった。


泣いていない目だった。


その目の色が、セリア王女の目の色と同じだった。


今度は、失敗したと思わずに終える。


引き出しを閉じた。


眠った。


今夜の意識は、二割だった。


八割が眠っていた。


前世では、考えられない数字だった。


今世では、当然の数字になっていた。


それが今の自分だ、と思いながら眠った。

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