一章 6
御園がべそべそと長谷川に甘えだしてそれ以上のことを聞ける雰囲気ではなくなったのでもうすこししてお開きになった。「はぁ」疲れた。とりあえず朱里とはどっかで話をつけなければならない。
無限に悪評を撒き散らされたらいくら私でもふつうに困る。
帰り道をとぼとぼ歩いてマンションの前に辿り着いたころには暗くなりはじめていた。から、マンション前の自動ドアの脇に壁に背をつけて突っ立ってるコートの女が誰か最初わからなかった。
美香子だった。私を見てはっきり顔を歪めた。
「なんでいうのよ」
あ? なにを?
「なんでいうのよぉ」
私の襟を掴んで壁に押し付けた。お? 殺られる? と、一瞬思ったが美香子は私の胸に顔を埋めるみたいにしてすんすん泣き始めた。
「あたしがあんたのこと好きって気づいてても、あんなふうに言わなくていいじゃん。気持ち悪くてごめんだけどさぁ」
ちょっと待って。何。好きって? あれだよね、友達同士のふつうの好きならこんな風に言わないから、たぶんそういうことだよね?
私、今日もうキャパオーバーで限界なんだけど。
ダメだ。無理だ。処理できん。
私は中岡に電話をかけた。
「しんたろ、助けて」
「あん? どうした? いまどこだ?」
「家」
すんすん泣いてる美香子の声が電話越しに聞こえたらしい。「ああね」中岡が呟く。「ニ十分で行く。ちょっと待ってろ」と言って通話を切った。
しょーがなく私は美香子の頭撫でながら中岡を待っていた。スウェット着た「あとは寝るだけです!」って格好の中岡がチャリに乗って十五分で来た。んでずたぼろの美香子を二人がかりでなんとか引っ張ってエレベーターに放り込んで私の部屋まで移動した。
靴脱いで(脱がせて)部屋に放り込む。
「とりあえず木村がレズでおまえのこと好きだっておまえが友達中にぶちまけたって話でいいんだよな?」
中岡がさも当然のように言った。
「あ? なにそれ?」
寝耳に水である。
美香子が私のこと好き。からしてそもそも知らないんだが。
「へ?」
「ふ?」
中岡と美香子が同時に首を傾げる。
薄々そうじゃないかと思ってたが、どうやらこれも朱里案件らしい。
あー、もう。頭痛い。ねむい。
「言ってないし、やってないよ。てかいまさっきはじめて知った。そうだったんだ……」
「え。あたし、じゃあ、自爆したの? しかもいま?」
「うん」
頷いたら、美香子が崩れ落ちた。
中岡がぽんぽんとその背中を叩く。
「よーするにどういうことなん?」
「たぶんなんだけど……」
私は昼間にあった出来事を(刃傷沙汰と御園の個人的な事情だけ伏せて)ざっくり話した。私に悪印象を持っている友達がいること。その友達がいま私のことであることないこと言いふらしてること。美香子はその一環に巻き込まれたのではないか。
「美香子はそれ朱里から聞いたであってる?」
美香子は床によつんばいになって頭を伏せたままこくこく顎をさげる。
なんかここまで憐れな美香子をはじめて見た。美香子と言えばあたしの千倍の武力を持って圧政を敷いてくる輩だったから。「ころ、して……ころ、して……」しか言えなくなっている、RPGとかに出てくるそういうバケモノみたいな美香子はこれはこれでおもろい。笑ってる場合じゃないのだが。
「あー、あのー、なんつーか、そのー……」
美香子がてのひらをこっちに向けた。
「言わなくていい……あんたは男の子が好き……知ってる……」
あ、はい。そうです。
「えっと、こ、これからも友達でいようね?」
「俺が口出すことじゃねーけど、おまえいいのか」
と、中岡。
「どゆこと」
「いや、こいつ結構さ、なんつーか、ボディタッチ多いじゃん? 同性だったからあんまり気にしてなかったんだろうが、あれふつうにセクハラ目当てだぜ」
「え」
私は美香子を振り返った。
あからさまに美香子が顔を背けた。
「つかなんで中岡は美香子の、その、何、性癖?のこと知ってるの?」
性癖? 性的指向? 嗜好?
この場合は性的指向が正確か? まあ伝わるならいいや。
「高校のとき隠れてわりと有名だったから。鈴木が転校したの、あれおまえだけが原因じゃなくてさ、木村がコクったんだよ。で、鈴木が拒否ったの。俺は鈴木に聞いたんだけど」
うおぅ。美香子が手を伸ばして中岡をべちべち叩く。が、美香子の動きはあきらかにいつもの精彩を欠いていて中岡は美香子のゴリラハンドを適当にいなしている。
「いやぁ。このこと言うの、なんだっけ、アウティングってやつだから言いにくかったんだが、おまえに全責任おっかぶせてほっかむり決めてんの気に入らなかったから今日言えてすっきりしたわ」
美香子がうごくぐががごげと呻いた。
「つか中岡って鈴木と仲良かったんだ」
「まあまあ」
なんかさらっと言った。他にもそれぐらいの女友達いたけど。みたいな言い方だった。そういやしれっと美香子とも結構仲いいよな。
あれ。こいつもしかしてあたしが思ってたよりモテたのか?
なんかクラスの女子からめっちゃ嫌われてるイメージあったけど。
「そういやなんで美香子は朱里の言うこと信じたの? べつに朱里と仲良くないよね」
「アホだったわ……」
美香子はぽつりと呟いただけで具体的なことは何も言わない。
まあわからなくはないけど。恋愛感情が絡んだら正常な判断ってできなくなるんだよね? 私も経験はある。あきらかに間違っているウェイで陽キャな男の子の肩を全力で持ってクラスに大混乱を引き起こしました。はい。黒歴史です。
普段はクールで一歩引いた立ち位置から全体を俯瞰して戦略を立てれる。それでいて瞬間的に判断してちゃんと体が動く。テニスってメジャースポーツで県体会三位の木村美香子って女でも恋愛面だと判断を誤って戦略をミスることがある、たぶんそういうことなんでしょ。
「んじゃ俺、帰るけど。どうする? 木村、連れてこーか?」
私は瀕死のロバみたいになってる美香子を見る。
「動かせそうにないから今日は泊めとく」
「大丈夫か?」
「え」
「だってそいつもうバレちまったから隠す必要ないんだぜ」
………………、?
………………、!
あ、そーか。
そういうことの範囲から美香子を完全に外してたからどういう意味かなかなかわかんなかった。
いや、でもまあさすがに大丈夫でしょ。
「一応だけど、一般的な男だったら女が部屋に招いて“お泊まりしていーよ”ってのはそういう合図だと判断するってのは覚えとけよ」
「あー……、はい」
「じゃ、また」
中岡が出てった。
布団敷いてやって美香子は適当にその上に転がしといて毛布かけといた。
どっと疲れた。
私はベットにダイブした。
深夜。美香子が私を見下ろしている。美香子はたぶん私が寝ていると思っている。私自身、意識がおぼろげで寝てると寝てないの中間ぐらいにいるからあとでこれが夢だと言われたら夢だったんだと納得するだろう。美香子の手が髪に向かって伸びて、でもさわったら起こすからとその手は宙を彷徨って、私の頭を跨いでベッドの向こうがわに落ち着く。床ドンする形で真上から私を見下ろす美香子の目は、これから私を性的に襲って今一時的な欲求を満たして明日からの関係を破壊することと、現在のままの友達関係を続けることを天秤に掛けて揺れ動いている。欲求と理性の間で揺蕩っている。
どうなるんだろ? と思う。私は美香子に性的にめちゃくちゃにされるのだろうか。そしてそれが嫌なのだろうか。一線を越えたときにどんな変化があるのか、わからなかった。ただ、いまだけは、いいよ、おいでよ、って気持ちが四割ぐらいあった。そのことに自分でわりと驚いていた。でも私は嘘つきだからやってみて同性とのセックスが気持ち悪かったら、おいでよ? って気持ちになってたことを全部忘れてあとになって美香子を糾弾するんだろう。身勝手だと罵ってぶちギレるんだろう。そもそもこれはどっちが嘘なんだ? いまのこの気持ちの方が嘘なのか、それとも美香子を糾弾する気持ちの方が嘘なのか。判断がつかない。自分の気持ちがわからない。わかってるのはとりあえず私はいわゆるレズビアンではないからこの「おいでよ?」は美香子を恋愛的に好きだということではない別の部分から派生した気持ちだということ。そしてこの気持ちは美香子が真摯に求めているものではないものだということ。……ヤれたらいいとか思ってるならわからんけどね?
美香子はしばらく私を見つめていたけれど、しばらくして手を離して床ドン姿勢を解除して布団に戻ってった。私の貞操は守られた。
私より早起きな美香子は、私が起きたときには勝手にシャワー浴びてて近所のコンビニで歯ブラシ買ってきて歯を磨いてた。私を見て「おふぁよ」と言った。
なにごともなかったかのように私たちは友達に戻った。




