一章 3
大学の食堂で机に頭つけてぼーっとしてたら前の席に誰かが座る。顔をあげると木村美香子がハンバーグ定食の大盛りの乗ったトレイを置いている。
「お。自己愛性人格障害」
美香子が言う。
「ほんとのことを言うな。私を殺す気か? あ?」
私はメンチを切るがスポーツウーマンの美香子相手に「やんのか?」とすごんだところで顎を掴まれてぐにぐにされて片手で持ち上げかけられたのがオチだった。「参りました……」秒で降参したら手を離してくれた。ゴリラ女め。
「なんか失礼な小言が聞こえた気がするなぁ?」
「滅相もございません」
美香子がジト目で私を睨んだあと「ま、いっか」私の無礼な態度を流してくれる。よくよく考えたら美香子から絡んできたんだからひどくねーか? テニスで高校の県体会で三位を勝ち取ったフィジカルに物を言わせて横暴な態度を取る木村美香子にはいつか制裁が加えられなければならないと私は常々思っているのだが、その機会はなかなか訪れない。なんか未来永劫に訪れない気がするがまあそのへんからは目を逸らしていく。
「今日元気なさげ?」
「まあ」
正気の方の私は御園のあれを見てしまったことを引きずっている。
美香子は唇に指をあててちょっと上を見て「よくよく考えたらあんたが元気なくてもべつにどーでもよかったわ」と言って、ハンバーグ定食をもりもり食い始めた。このやろ。
とはいえ訊かれたら答えにくかったから、訊かないでくれるのはわりとありがたかった。
美香子は私の髪を撫でながらテニスサークルのこととか講義で一緒の男子が話しかけてきてうざいこととか適当に話しだす。私も適当に頷いて相槌を打つ。そういやこいつ彼氏作ったことねーなとなんとなく思う。高校時代の昼休みに屋上でハンドグリッパーをにきゅにきゅしてた握力四十一キロのゴリラ女をやっぱり男子は敬遠するものなんだろうか。女子から見れば鍛え上げられたパーフェクトボディって感じだが。うっすら腹筋割れてるのはかわいくはないけど。
美香子とじゃれてたら、朱里がモブAを連れて入ってきた。私に気づく。
げ。朱里はコンビニか学外の飯屋派だったから食堂は安全地帯だったのに。
「やっほ」
声かけてくる。
「おっす」
私も片手をあげて応じる。
「何? 友達? 紹介してよ」
朱里は美香子を見て興味津々な顔つき。美香子はめんどくさそうに首を捻った。
「あー、こちらは木村美香子。ゴリラの親戚。かっこ握力が強い」
べし。美香子が私の頭を叩いた。
「えー。こちらは塩沢朱里。うさぎの親戚。かっこ性欲が強い」
ぺし。朱里が私の頭を叩いた。
自分も紹介してもらえると思ってたらしいモブAが自分を指さして、俺、俺とアピールしてる。「あと、えーと……、ごめん。名前なんだっけ」素直に忘れてることを伝えるとモブAはがっくりと肩を落とした。
「五十嵐です。よろしく」
美香子に向けて言ってから「七宮さんも、あらためて」若干恨めしそうに私を見る。私は苦笑いを返しておく。べつに気にとめてなかったのだが五十嵐は長谷川よりはまあまあ顔がよくて「自分が女子に覚えられてないなんて信じられないけどまあこれを機に惚れさせてやるか」みたいな顔つきをしてた。長谷川のが扱いやすそうでこの顔のやつとつるむなら長谷川といる方が楽だなとなんとなく思う。
「どういう知り合い?」
朱里が訊いてくる。
「高校の同級生」
私が答える。美香子はあんまり会話に乗り気じゃ無さげでハンバーグを箸で一口大に切って食っている。ついで白飯。うまそー。つーか美香子がなんでもうまそうに食うからこいつといると腹減ってくるんだよなぁ……。
「へえ。こいつって高校のときどんなだったの?」
朱里の指が私のつむじを弄ぶ。いや、座れよ。頭がたけーよ。と思ったが美香子が乗り気じゃないのに座ってゆっくり話すのもめんどくさかった。
「どんなだったって言われても」
美香子は妙に歯切れが悪い。
「ふつうだよ」
「これが、ふつう……?」
朱里が怪訝な目で私を見る。なんだよ? 結局まあいいや。っていうふうに曖昧に頷いて、五十嵐を促して購買のコーナーの方へ歩いていく。
「美香子さ、朱里のこと嫌い?」
小声で聞く。あっちまで聞こえないように。
「高校の時のあんたと同じ匂いがする」
美香子も小声で答える。なんとなくだけど、と付け足す。
ほーん。嫌いそうだな。そして同感である。あいつはたぶん私の同族だ。嘘つきで見栄っ張り。マウントを取るの大好き。一見して親切で愛想がいいからみんな騙されている。そんな感じがする。かっこ偏見である。
朱里がたぬき蕎麦を持って帰ってくる。五十嵐くんは焼肉定食。
美香子が定食の味噌汁を啜り終えて箸を置いて「ごちそうさまでした」両手をあわせる。トレイを片付ける。「んじゃ、またね」バッグを取って食堂から出て行った。
「ありゃ。行っちゃったか。もうちょっと話したかったのに」
あんた避けられたんだよ。
よっぽど言ってやろうかと思ったが朱里からは避けられたことに自覚的なくせにわざと近寄ろうとしてる感がそこはかとなくにじみ出てていて、私が嫌味を言ったところでダメージがなさそうだった。言われた側にダメージのないお小言は私の印象を悪くするだけだ。
朱里がトレイを置いて私の隣に座った。五十嵐は向かい側のさっきまで美香子がいたとこの隣に座る。
朱里と五十嵐がにっこにこで話しだして私にも適当に話題を振ってきたのだがそのメインの話題が「御園が五十嵐に連絡先聞かれなかったことにショック受けてたのが笑える」だったので私は相槌も打てずに愛想笑いしながらぼんやり座っているだけだった。
イケメンと美女こえー。
二人はさわやかな笑顔でここにいない人間の悪口をつらつらと並べていく。
それからところどころに有名人の知り合いの自慢が見え隠れする。
メジャーデビューしてるなんとかってラッパーが友達らしい。こないだアニソン出してたんだとか。
ああ、高校の頃の私ってこんなだったんだなぁというのをなにげなく思い返す。
自己評価が高くてカースト上位仲間の中心にいるべき存在だと思っていて他人の気持ちを考えなかった。私に何か注意する人間がいればそれは私が悪いことをしたからではなく私を妬んでいるからだと考えていた。んで注意してきた人間の悪口をクラスの中でぶちまけた。いじめを引き起こした。私には悪意がなかった。自分が悪いと思っていないから改めることができなかったし、やらなかった。自覚的な悪意がなくそういうことができるくらいに私は「わるいやつ」だった。私を注意した鈴木はしばらくの間、保健室に登校してそのうち転校していった。私は特に何も考えずにそれを見ていた。なにか思ってたことがあったかと聞かれたら、強いていえばおもしろがっていた。私の一言でみんなが右往左往するのを。
んで最終的に美香子にぼこぼこに殴られた。物理で。いま思い出してもひどい。
私の右頬は腫れあがりあばら骨のあたりに紫色の痣が浮かんだ。美香子はそのせいで一か月半の停学になっている。退学になるような話まで出たそうだ。おまけに手の甲を骨折した。高校最後のテニスの大会に出られなくなっている。
親に引きずられてうちに謝りにきた美香子は「ぜったいにあやまらない。わたしはただしい」と主張した。美香子の親は激怒したが、美香子は自分がなぜ私を殴ったかを私のパパに向けて滔々と語った。うちの親は私と違って理性的な人間で「担任の先生や他の生徒さんからもきちんとお話を窺った上で、もう一度話し合いましょう」と言って、その日は美香子を帰らせた。
んで複数人からの事情聴取の末に、私の悪行は明るみに出たのだった。おわた。
パパと美香子の両親は私達を差し置いて和解し、私達は互いに「ごめんなさい」と頭を下げさせられた。
そしてそのあと、私はすべての女子から徹底的に無視された。現金なものである。私の嘘と悪口にのっかって鈴木をいじめてたのはクラスメイトの女子達も同じだったのに。
嘘をついて自分をよく見せようとしてもそもそも話を聞いてもらえないのならばどうしようもなかった。でも孤立はしなかった。
ただ一人、私を無視しなかったのが美香子だった。美香子は「ばーかばーか」と私を罵りにやってきた。「どうしようもない嘘つきだ」って糾弾し続けた。私はゴリラ女め。と言い返した。ちゃんと糾弾されて逃げられなくなったことで「嘘つきの私」とはべつに「正気の私」が誕生した。そのうちぐだぐだになってお互い疲れてなんだかんだあって私たちは友達になった。
美香子に一つだけ誓わされたことがある。
「悪口を言うなら本人の前で言え」
なので私は朱里の言う御園とか他の人の悪口にうまく乗れない。
昔の私ならここで朱里に同調して御園の悪口をマシンガンみたいにぶちまけてたところだったんだろーな。
予鈴が鳴った。
「んじゃ、次の講義いってくる」
私はバッグを取った。
「あいよ、いってらっしゃい」
朱里には講義が入ってないらしくてそのまま五十嵐くんと喋ってた。
「つまんねーやつ」
朱里が呟いたのが私のことを言ってるように聞こえた。
聞こえるように言ったな、あいつ。




