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一章




 教室の一番後ろで次の講義のレジュメを捲っていたら、入ってきた男が私に向けて「あ、師匠」と言った。あ? 顔をあげたら長谷川だった。「えっと、ちわ」緊張気味に隣の椅子を引いて、座る。「おう」まあ隣で講義受けるぐらい許してやるかとおざなりに挨拶を返す。いや、おまえの師匠になった覚えはねーがな?

「今日はあの高そうなの着てないん?」

「いっつもあんなのきねーよ」

 あれはマウント取る用。

 今日の私はゆるふわカーディガンに黒のスカート。安物だがわりとお気に入り。

長谷川はなにか話すことを探すように視線を動かす。私は「師匠って何?」と訊く。

「七股ってすげーなって」

 褒められてるのかバカにされてるのかわからなかったが、たぶん褒められてる。

「師匠みたいにモテる人間になりたいんよ」

「まずそのだっさい服なんとかすれば」

 長谷川は雷に打たれたみたいな顔をした。

 顔だけ見たらそんなに悪くないのにチェック柄のださい上着がなにもかもをぶち壊しにしてる。

教授が来て講義がはじまったが、必修で人数多いやつで周りが小声で話してるから長谷川も遠慮せずに「ねえねえ、師匠。このあと時間ある?」まだ若干声のトーンを落としながら話しかけてくる。私としてもべつに出席だけしてりゃいいやってタイプの授業だから「ない。次の次まで講義で、そのあとバイト」返す。

「へえ、どこ?」

「なんでおまえにバイト先教えにゃならんのだ」

「弟子のためを思ってどうか」

「ヤだ」

「そんな殺生な」

 眉をハの字にして困っている長谷川がちょっとかわいく思えてくる。

 あまり親しくなって嘘バレのリスクを増やすべきじゃない。でもまあそうなったらそうなったで開き直るだけで、楽しく生活するために嘘ついてマウントとって立場をよく見せているのであって嘘のせいで楽しく生活できないならばそれはそれで本末転倒だなとも思い始める。

 適当に相手をしてたら私からの返事が芳しくないのに気付いた長谷川がスマホでゲームアプリを開いてなんか物悲しい音楽が流れ始める。「やべ」急いで音量をゼロにして教授に睨まれていた。草。スマホでシャドウなんとかってカードゲーム?をやりはじめた長谷川の隣で私も中岡に「ひまー」と送るが、今日は返事がこない。こないだ返信をぶっちしたことを根に持って拗ねているのかもしれない。

「彼氏?」

 長谷川が私のスマホ画面を指さして訊いてくる。

 相手ターン中が暇だったらしい。

「他人のスマホ覗き込む奴はモテないよ」

 長谷川のスマホを覗き見してる私はどーなんだと自分でツッコんでおく。長谷川の方は「ハハァー」畏まって私を仰いでいる。うむ。くるしゅうない。ふざけ半分で相手がおバカとはいえ他人に崇め奉られるのは気分がいい。



 講義が終わって長谷川が席を立つ。入れ替わりに御園が入ってきて私の隣に座る。「よっす」言う。「やっほ」私も気楽に答える。「こないだの映画のときに、あいつ、あーえー……」モブAの名前を思い出そうとしたけど、出てこなかった。まあいいや。わかるだろ。「なんかいい雰囲気だったけど、その後どんな感じ?」御園は口端を釣り上げて、でも目は笑ってない笑みで「朱里に連絡先訊いてた」言う。あ、これたぶん御園は聞かれなかったやつだ。ぐお。なんか地雷踏んだっぽい。

「うちさ、兄貴がニートなんだよね」

 唐突に話題が変わって「へえ」としか言えない。

「アニメと漫画の話しかしねーの、あいつ。それで話をあわさせるために親が私にも見ろって言い出してさ。それでやたら詳しくなっちゃったんだけど。なんだかなぁって」

 愚痴みたいだが、なんだか趣旨がわからない。ほんとはアニメとかべつに好きじゃないんだ、みたいなことが言いたいんだろうか? そうなんだ。しか言えないんだが。

「アニメーターの彼氏っていいね」

 いや、めんどくさいだけだよ。反射的にそう言いかけたが御園が求めてる答えはこれじゃなさそうだ。何言おうか迷って「御園ならそういう人捕まえれんじゃない?」がやっとだった。「そうかなぁ」御園は遠い目をしてる。なんか切羽詰まってそうな目だった。なにか言おうと思ったが丁度そのときに教授が入ってきて喋りだした。前のと違って人数がさほど多くないやつだから喋ってると目立つ。御園も長谷川と違ってぴたりと喋るのをやめて、教授の言う事を聴きながらちゃんとノートをとっている。根が真面目でいい子なのだ。長谷川と違って。

 御園をどっかに誘ってなんか美味いものでも食べながらフォローいれようかなとちらっと思ったが私は次まで講義が入っててそのあとはバイトで今日は隙間がない。結局そういうことが起こらないまま講義が終わって御園が「またね」と言ってどっかに消えていく。



 五時からのバイトに四時五十八分に滑り込んでコンビニの事務所に入ってパソコンとにらめっこしてる店長の後ろ姿に「ばんわー」おざなりに挨拶する。上着をハンガーにかけて代わりに青色の制服を取る。着る。

「ああ、七宮さんか。びっくりした。もうそんな時間か」

 五十代前半でそろそろ髪の毛がさみしくなってきた店長がくたびれた顔して振り返って、パソコンに戻る。

名札の裏のタイムカードを通して五秒後に表示が五時一分になる。ぎりセーフ。

「レジからでいいすか」

「はい、お願いしまーす」

 間延びした声だけが帰ってくる。

 金髪ギャルメイクの西川ちゃんに挨拶してから1レジの過不足金の確認作業をやる。マイナス四百円でていてプラマイ五百円以内ならまあOKと言われてたのでそのまま通す。2レジについてた西川ちゃんにOKのハンドサインを送る。西川ちゃんが微笑んで私の後ろを通って事務所に引っ込んでいった。

 着替えて出てきた西川ちゃんが新発売のポテチのニンニクコンソメのりバター醤油とかいうもうやけくそとしか思えない味のついたのを持って表からレジにやってくる。「どもっす」「よぉ」ポテチをレジに通しながら「学校どう?」と訊く。「だるいっす」「よなぁ」小銭受け取ってお釣りを返してから適当にだべってたら後ろに客が来て西川ちゃんが「お疲れっしたー」つって帰っていく。なんか動作の一つ一つがきゃぴきゃぴしてる。一個下なだけなんだけど、わけーなぁ。と思う。

 後ろに並んでたおっさんに煙草を売りつける。

 だらだらと四時間のシフトをこなして九時からの引き継ぎの亮介くんにレジに並んだ客をぶん投げてタイムカード通して帰った。足が棒。LINEを確認したら長谷川が「師匠、修行つけてください。服買いに行きましょう」って送られてきていた。あとは美香子とかからどうでもいい連絡とかクラスの連中がくだらないことぼやいている。

 あー……どうしよっかな。べつに行ってやってもいいけど。

 迷ったけど「明日ならいいよ」と言ってみる。土曜でなんも用事なし。「おっしゃ!」とのこと。長谷川はシンプルでいいな。いや、私の場合ややこしくしてるのは自分なのだが。じゃあ十二時からで! 待ち合わせはモールの前でいいすか。とか細かいことを決める。

 けっこう、楽しみにしてる自分がいる。



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