七宮櫻子と七人の彼氏
いつのまにか彼氏が分裂していた。その場しのぎで適当についた嘘の整合性が取れなくなって架空の彼氏が増殖しまくっていた。社長やってるのとアイドルやってるのとユーチューバーやってるやつのことを言ったのは覚えているのだが残りのやつがなにやってる設定だったのかすら覚えてない。バンドマンはいた気がする。
アイドルくんか社長くんに一回会わせてと興味津々にいう朱里 (友達)を誤魔化すのもそろそろ限界に近い。どうしよう。私は一体どうしたらいいんだろうか。とりあえず嘘が嘘だとバレて大学内での私の地位が暴落することだけは避けなければならない。
食堂の机に突っ伏して鬱になってたらぐんと背中になんか乗っかった。「なにやってんの」メガ盛り唐揚げマヨネーズ丼を私の隣に置いた美香子が私の背中に乗っけてた右手を離して向かい側の椅子を引く。「ありがとー」と言ってどんぶりを引き寄せて箸を横取りしようとした私の手に、ガチめの拳骨を落とす。ごん。痛い。冗談じゃん。ひどい。
「半分でいいから。そんなの全部食べたら太るよ」
「野菜スティック齧るだけで済ましてる櫻子ほどあたしはストイックじゃないんよ。うさぎじゃないんだから」
美香子が唐揚げマヨ丼にがっつく。メガ盛りされている米と肉があっというまに半分くらいが美香子の大口に吸い込まれて胃の中に消えていく。ナンパ目的じゃないちゃんとしたテニスサークルに所属してる美香子はモリモリ食うくせにそれが筋肉にちゃんと変換されてて、ずるい。そしてそういうことを言うと「あんたも運動しな」というド正論パンチを繰り出してくる。言っていいことと悪いことがあると思う。
「つーか櫻子、ダイエッターのくせにこんなの食おうとしていいん?」
「隣で食われるとさぁ……」
うまそうに見えちゃうんだよ。
ああね。と美香子は頷いたけど「じゃあ食堂出てきなよ。目に毒でしょ」右手で唐揚げをむさぼりながら左手で外を指さす。だって外出て朱里に見つかったらまーた彼氏のことを訊かれまくって私の嘘が雪だるま式に膨らんでいってしまう。膨らみ続けた嘘は最初は小石程度だったはずなのにあっというまにサッカーボールくらいになって近所の小学生の子供くらいにまで成長していまや小さい自動車ぐらいのサイズにまで膨張している。その成長速度は加速度的で私の嘘が日本列島を追い越す日はそんなに遠くないのかもしれない。バカかよ。ああ、バカさ。
終わってるのは、いまは正気だから自分が嘘をついていてその嘘が取り返しのつかない結果を招きつつあるということが朧気にわかっているが、嘘をついている最中は本当に自分には社長やアイドルの彼氏がいてそいつらがみんな私に夢中で自分には薔薇色の将来が約束されていてそんのそこらの凡人(朱里)とは違う人生を歩んでいると思いこんでいるところだ。本当だと思っているから嘘をつくことを止めようがない。完全な虚言癖。救いようがない。
「まーたなんかつまんないことで悩んでんの? どーせ自業自得なんでしょ」
「失せろ、正論パンチャー。その攻撃は私に効く」
「時々あんたの言ってることわかんないわ」
ごちそうさまー。両手をあわせた美香子がメガ盛り丼の器を返しにいく。食うのはや……。戻ってくる。
「あたしはサークル行くけど、あんたは? 次、講義?」
「おいてかないでー……むしろ一緒にきてー……」
「どこへ?」
「映画。朱里達と」
美香子は人の悪い笑みを浮かべて「じゃあねーがんばれー」と言って、食堂から出て行ってしまう。おい、親友見捨てるのかよ。鬼! 悪魔! 木村美香子!
鬼で悪魔で木村美香子な美香子は食堂の外から私にひらひらと手を振ってテニスサークルのコートの方へ歩いていく。この四月で入ってきた新入生の男の子がかわいいらしくて二回生として先輩面できることにうっきうきらしい。はぁ。かなり鬱になりながら私も食堂の硬い椅子からなんとか立ち上がる。
宮崎駿が10年ぶりに撮った映画を見にいくために集まったのは塩沢朱里と篠田御園とモブ男三人で、現地集合で上映が始まるニ十分前にショッピングモールの最上階にある映画館に着いた。とりあえず映画の間は喋んなくていいことに私は安堵する。
女子トイレで鏡の前に立って社長に買ってもらった、という設定の、自分でバイトして買った、ハイブランドのスプリングコートの見栄えをチェックする。おっけー。二十二万円した濃い藍色のコートは光り輝いている(比喩である、そんなピカピカはしてない)。これ着てる限り私は容易にマウントを取られることのない完璧な女だ。
券売機の横には御園だけ来ていた。「よっす」私が片手をふる。スマホ見てた御園が顔を上げた。コーディネート考えるのがめんどくせえとかわいさを捨て去ってネタに極振りした「退く! 媚びる! 省みる!」って書かれてるサウザーの顔がアップになった絵柄のTシャツが上着の間から覗いた。下はショーパン。小柄で雰囲気が中学生に近い御園が太ももを丸出しにしてるのはなんか犯罪臭がする。
「おう、櫻子。おまえが一人目か」
染めてないボブカットのつやつやの黒髪を揺らして御園が首を傾げる。
「ったく。駿の新作を見るってのにみんな意識低すぎんかね? 駿だぞ」
スマホケースの裏面にアニメのキャラが描かれててじゃらじゃらとキーホルダーやシールで装飾してる御園は、今回の映画に対してなんかすごい期待値が高いらしい。飲み会のときに行きたいって言い出したのも確か御園だった。私は付き合いでみとくかー、って感じで他の連中も似たようなテンションだが。
「あ、でも櫻子はあれ。例のアニメーターの彼氏と見に行くはずだったんじゃないか。誘って良かったのか」
御園が彼氏の件を持ち出したのがきっかけでピタッとスイッチが入って「や、あいつは仕事場関連のやつととっくに見たってさ」流れるように嘘が出てきた。前に話したことのある架空の彼氏についてのディティールが浮かんでくる。二十八歳。アニメーター。性格は雑で、アニメ・ゲーム・ライトノベル等の各種オタク文化以外には興味なし。最近はVtubarとやらにハマっている。胃カメラ呑み込んだ子がお気に入り。見た目はさえないタイプだが仕事上は才能あって職場で一目置かれてる。ビタッとスイッチの入った私の脳内に架空のはずのその彼氏がデートの終わりに冴えない顔でキスを迫ってくるきわめて実在感の強い記憶が捏造される。
「なんだ。薄情なやつだなー、その彼氏」
「まあそういうとこ嫌いじゃないから」
「おおう」
ぱちぱちぱちぱち。御園が手を叩く。
私はまんざらでもない顔をする。
しばらく御園とジブリの話でダベって(私は「耳をすませば」派で上昇気流を掴むシーンが好き、御園は「風立ちぬ」が好きでクライマックスが最高と言っていた)たら、上映の十分前になって開場する。そこからもう五分経ってから朱里が男三人連れてやってきた。
「おせーぞ!」
御園が怒るが、ちびなせいで迫力はない。
朱里は「ごめんごめん」笑って手刀を切る。だぼっとした黒のトップスに下は灰色のロングスカートで、腰に巻いた細いベルトがおしゃれ。底の厚い黒い靴の先まで気を抜いていない。二十二万の女の私には及ばないがこいつもまあまあつよい。むしろ一点豪華主義の私よりもバランスが取れているかもしれない。
朱里と男共が券売機で事前にネットで買ってたのを発券して、もう時間ギリギリだってのにモブ男B、前に聞いたはずだが全員名前忘れた、がポップコーンを買いにいく。イラっときたので私と御園はさっさと受付のあんちゃんに券を見せて二番の上映場に入った。もう人がいっぱい座ってるのを「ごめんなさい」を連発してやや後部の中央の席まで通してもらう。ちょっと遅れてぞろぞろとついてきた朱里とモブ男ABCに、通路側の人が若干嫌な顔をする。朱里達はべつに謝らない。
席順はモブ男A、モブ男B、朱里、モブ男C、私、御園の順でそれが今回のグループにおけるヒエラルキー的なものを端的に表しているような気がする。映画がはじまってから小声でこそこそモブBCと話してくすくす笑ってる朱里がちょっとうざかった。御園が「うるせーよ。殺すぞ」とぼやいてモブCは黙った。
集中できなかったのはあったがそもそものところ映画自体もピンとこなかった。なにが言いたいのかよくわからない。横を見ると御園は結構楽しそうに観ている。ふーん。途中からトイレに行きたいなと思っててその感想のまま映画が終わった。終わり方もめちゃくちゃあっさりだった。ぞろぞろと出てってまずトイレに。膀胱がぎりぎり。危なかった。人間としての尊厳を失うところだった。
洗面台で化粧乱れてないか確かめてたら横にならんだ御園が「おもしろかったね」と言った。「や、私はよくわかんなかった」正直に答えると御園はちょっと目の端を下げて残念そうにする。
まあ野郎三人と朱里もいれば御園と似た感想を持ったやつも一人くらいいるんじゃねーの?
男共もトイレに行ってたのだが私達よりは先に出てきていた。「下のフードコートで飯食うかカラオケいくかどっちがいい?」モブ男Bが言い、女三人がちょっと話しあった末にまずフードコートで腹ごなしにすることになった。
最上階の映画館からぞろぞろとエレベーターに乗って(奥に詰めてくれたOL風のお姉さんがうざそうな顔をした)一階に降りてフードコートに行く。席はガラガラだったから一旦御園とモブAを置いて、飯を頼みにいく。
「御園なにがいいとかある?」
御園がぐるっとフードコートに並ぶお店を見回して「肉」ステーキ出しているとこを指さした。「あ、じゃ、俺も肉食いたいから一緒に頼んでくるわ」同じくステーキを食うつもりだったらしいモブBが請け負った。
「サーロインの150gでいい?」
「くるしゅうない。任せた!」
私もなんか食うつもりでフードコートをぐるっと一周したけれど、ラーメンとか鉄板のステーキとかコートが汚れないように食うのが難しいものばっかりが並んでいて結局なにも頼まなかった。一番ましなのがマクドナルドのハンバーガーだったのだがわざわざフードコートまで来てハンバーガー頼むのが癪な気がして、アイスカフェラテのMサイズだけを頼んだ。
「食わないの?」
タンタンメンの乗ったトレイを持ったモブCが言う。
「なんか食欲なくて」
「ふうん。あ、映画どう思った?」
あ? 席ついてから話せばいいだろ。と思ったがわざわざ朱里とモブBと離れたところで話しかけてるくるってことは、そういうことか? 私は改めてモブCを見る。髪の毛を茶色に染めててワックスで固めて左目側に流している。半月型の目。鼻筋はまあ通ってる。雰囲気は山下智久を三段くらい落としたぐらいの感じ。でも着てるものは水色のワイシャツとジーンズの色が被ってて平気なのがどっかおっさん臭くてださい。そんなに高いものでもないだろう。
てめーみてーな金の匂いのしねー男願い下げだわー。私は嘲笑を作る。「つまんなかった」答える。「あ、やっぱ? 俺も。正直なに言ってるのかよくわかんなかったわ」
カフェラテ持って席に戻る。モブCが話しかけながらついてくるのを適当に相手をする。なんか知らないけどモブAと結構盛り上がってる御園の隣の椅子を引いて座る。モブCが私の向かいにくる。朱里とモブBはまだ戻ってこない。モブCの名前を思い出そうとしたがどうしても出てこなかった。誰だっけ、こいつ。
隣の会話を聞いてたらどうやらモブAは映画が結構おもしろかったらしい。モブAがくっそ長文で語ってるのを御園がふんふん頷いている。モブBと朱里が戻ってきたあたりで御園が私に「そういやさ、例のアニメーターの彼氏さんは、映画どうだったって言ってた?」水を向けてくる。モブCが「え? 彼氏いんの?」と小さく溢した。
「んー? ちょい待ち。聞いてみる」
私は啜ってたカフェラテを置いてLINEを開いて高校時代の同級生の中岡慎太郎に「ジブリの新しいやつどうだった?」と送る。しばらくして返事がくる。
「びみょ。すげーいいなと思う部分もあったけど、メタファーを読み解くことを観客に強いてるのはなんか変。ついてこれない人多数だろうなと思った。だってさ」
送られてきた文章をそのまま読み上げると、御園が「ほえー」と感心した声をあげる。モブAが“それは痛いところを突かれたな”みたいな顔をする。私はぞくぞくとした快感を覚える。中岡はただのそのへんのオタクで私より二個ランクが下の三流大学通いで言ってることの信憑性なんざゼロに等しいのだがアニメーターって肩書きを与えてやれば、それで金稼いでるやつの発言は素人の間では神の言葉に等しくなる。彼氏の職業はすなわち女のステータスに直結していてこの場で最強なのは長文で語れるだけの感想を持ったモブAや御園ではなく私なのだった。優越感。肩書きに騙されるバカどもの前に私は女王として君臨する。
この瞬間のために、虚言癖やってます!
事情を特に知らない中岡から「何? 見たん? 見に行くん? おまえどうだった?」と送られてきてるのを見ないふりをしてLINEを閉じた。
「櫻子、それ、前に言ってた社長やってるのとおなじカレ?」
朱里が訊いてきた。
「や、違うよ」
「うっへえ。あんた何股してんの?」
私は指折り数える。
「七股、かな?」
朱里とモブCが恐れおののいてた。
「日本を股に掛ける女だ……!」
おい、その言われ方はなんかヤだぞ?
モブCのことを朱里がハッセと呼んでて、ああ、そういえば長谷川かなんかって苗字だったような気がするなと記憶を掘り起こした。そのあとカラオケいってBUMPを熱唱するモブBがうざかったからドリンクバーに飲み物注ぎにいくていで部屋から出てったら長谷川がちょっと遅れてついてきた。メロンソーダを注ぐ長谷川に「LINE教えてよ」って言われてなんとなく断りにくかったしまあべつにいいかと思ったから教えてやった。んで二時間ぐらい歌って解散になって、親が借りてくれたマンションの部屋に帰ってきた。
「たーだいまー」
誰もいないのはわかってるけど、なかに向けて言う。部屋の明かりのスイッチが入るのと同時に私のスイッチが切れる。ばちんと私は正気に戻る。
二十二万のスプリングコートを吊るす。膝曲げてしか入れないユニットバスに湯を貯める。ママからきてたメールに返信せずにスマホをベッドに落とす。残りのそんなに値段のしないうぜえ服を全部脱ぎ捨てる。湯の中に体を沈める。疲労と同時に嘘が溶けていく。どんどん正気になるにつれて私はおそろしくなる。こんなクソカスみたいな嘘ばっかりついてどうしようって言うんだ。バレたら?
ときどき思うことがある。
それはいまこうして風呂に浸かってる私は「正気」だが「本物」ではないということだ。本物の私はどうしようもない嘘つきで見栄っ張りで人を見下して優越感を覚える人間なのだ。
まったくやってらんねーぜ。




