二章 6
結局相沢に「行くわ」と伝えて当日に、セミナーの予定よりも3時間も前に大学前に集合するように言われる。なんだ? と思ったが一応行ってやったら「ほな、いこか」とそのまま近所の美容院に連れて行かれた。
「あん? なに?」
「まあまあ」
相沢は美容院のお姉さんと知り合いらしくて「んじゃあよろしくたのんます」と言って、私はよくわかんないまま鏡の前に座らされる。「こんな感じにしょーと思ってんねんけど、かめへん?」写真を見せられる。……まあおまえが金払うんならいいけどまじでなんなんだ。
一時期の綾瀬はるかが秘書役かなんかでやってたみたいなおでこを出して妙につやつやさせた髪をおしゃれな七三分けみたいな感じにされる。メイクも弄られる。「いっちゃんええ服着てきてくれへん? できたらスーツとかの堅い系で」と頼まれてたので三十二万したスーツを着てきたのでもののずばりの格好になる。
「これ履き替えて」と、革靴を差し出される。高そうだった。「これどうしたの?」「塩沢に借りた」あいつの靴を履くの癪なんだけど。それからビジネスバッグを持たされる。元のバッグと靴は美容院に預ける。
おい、私は一体なにをさせられてるんだ?
相沢に抗議の視線を送る。
「有能! 美人弁護士! みたいな顔してどかっと座っとってほしいねん」
「ああね」
いや、こういうことやるなら事前に相談しろよ。
相談されたら断ったけど。
……さては断られると思ったから言わなかったな?
美容院を出て、五十嵐と合流する。五十嵐の方はいかつめの黒のジャケットと首に金色のネックレスで腕にシルバーのブレスレットをはめた上品なチンピラみたいな恰好をさせられていた。私の格好を見て噴き出した。「馬子にも衣装www」って言いやがったので、絶対に許さないリストの上位に名前を書きこんどいた。
相沢が美容院からちょっといったところのパーキングにレンタカーを停めていた。
初心者マークを後ろにはっつける。料金を払って、私と五十嵐を乗っけた車が運転席の相沢のハンドルに従ってのろのろ動き出す。
「あんた運転歴どれくらい?」
「教習所出て運転するのは今日がはじめてやなぁ」
おあふ。
「なるべく安全運転を心がけます」
ついでに「事故ったら成仏してクレメンス」って付け足しやがった。
「ざけんな」
「降ろせ! 俺は帰る!」
五十嵐が喚いたが、一応何事もなくカーナビに従ってセミナー会場の近くのパーキングまでたどり着く。相沢はちゃんと道交法を守っていたのだが周りのおじさんが40キロ制限のところを60キロ以上でかっ飛ばす人ばっかりだったので隣をびゅんびゅん車が抜けて行って若干怖かった。相沢は既に「一仕事終えた」みたいな顔をしている。
「七宮さん、なんか飲む?」
五十嵐が自販機に小銭を入れる。「オレンジお願い……」缶を指さす。ファンタオレンジのしゅしゅわと甘さで人心地を取り戻す。もう疲れたんだけど帰っていい?
相沢が手で「行こう」ってジェスチャーを出して、歩き出す。私はファンタの缶をゴミ箱に捨てる。五十嵐はスポーツドリンクのボトルをバッグに直す。
慣れない革靴で歩いてる途中で、ぴっちりした格好してそこそこ顔のいい男を二人はべらせてるとあれみたいだなとなんとなく思いつく。
ぼそっと言ってみる。
「……三十五億」
相沢が五十嵐と顔を見合わせた。相沢が私を後ろから包み込むように抱く真似をして、私はそれをさっと跳ねのける。次に五十嵐が私の口元に架空のティッシュを差し出す。私はそれにちょっとだけ触れてから五十嵐の腕も跳ねのける。そして三人で同じ方向に向けて三歩。んで私の「三十五億」の掛け声に同時に、ざっ。と振り返って私は少し前かがみに、二人は両脇で思い思いのキメポーズをとる。
後ろ歩いてた通行人がなにやってんだこいつら。って目で私達を見て通りすぎていった。
※お笑い芸人のぶるぞんちえみさんの持ちネタ。「三十五憶」は失恋した女性に対して、地球上に男は人類の半分の三十五億人もいるんだから、きっとまたステキな出会いがあるわよ! というのを端的にあらわした言葉。実際はいい男はだいたい既婚者だし、なんならいい女もだいたい既婚者である。世知辛いね!
しばらくポーズを取ったままでいたのだが、私が堪え切れなくなって「ぶへっ」と変な声を出してしまって、それを皮切りに相沢も腹抱えて笑い始める。五十嵐が「二度とやらせんな」と言う。ごめん。いや、だって、乗ってくれたから……。
セミナー会場になってる六回建てのビルに着いてエレベーターで四階に降りる。受付のお姉さんにで相沢が「三島さんの紹介できましたアイザワです。こっちは友達二人」お姉さんが頷いてお名前と住所を書くように言って紙とペンを差し出してくる。相沢は「愛澤」と書いていた。私も事前に取り決めてた偽名と偽住所(警察の住所)を書き込む。五十嵐も同じようにする。(こっちは裁判所の住所)
部屋に案内される。大学の狭めの教室と似た雰囲気の白いっ部屋だった。檀とスクリーンを正面にして長方形の机が幾つか並んでいる。ざっと目算で椅子の数は三十個くらい。いま埋まってる席は十一個。前の方から順番に座ってる。(正確には机が十一に椅子は三十三だった)
きれいな部屋だし、きれいな廊下だし、きれいなビルだったが、ここ一時間千円のただの貸し会議室で、べつに会社のオフィスとかじゃねーんだよな。まあただのセミナーだしそういうものかもしれないが。なんかこういうとこからすでにハリボテ感はある。
「元カノいるの」
小声で聞いたら相沢がちいさく顎を引く。一番前の席で左のテーブルで男の隣に座ってる、小柄な女を指さす。「いこか」その女の右斜め後ろの席に相沢が座る。五十嵐と目が合って、くいっと相沢の隣に先に座るように促される。
えぇ……? おまえらに挟まれんの? と思ったがなんかあったときに私を直接対峙させないみたいな五十嵐なりの優しさなのかもしんない。仕方なしに私は相沢と五十嵐に挟まれる。こいつら両方身長180超えてっから両脇に挟まれると妙な威圧感がある。
相沢は左隣の男に「こんにちは。初参加でやってみようか迷てて。ここってどんな感じなんですか?」って話しかけてる。こいつ、コミュ力たけーなと思う。相沢の元カノが振り返る。こっちを見る。相沢を認識する。元カノちゃんの印象は「小動物」って感じだった。肉食獣の動向にびくびくおどおどしてる。自分の意見を持ってなくて仲間があっちに美味しいものあるから行こうって言ったら、いまの場所もそんなに悪くないのにほいほいついていく。で、着いた先がやっぱり元の場所より悪いことに気づいても「帰ろう」って言い出せない。そんな感じがした。ぱっと見の、ただの偏見だけどな。でもそんなに外れてないと思う。そしてああいう女は結構いる。
隣の男に話しかけられて元カノちゃんが「なんでもないの」てふうに首を振る。
他の会員もなんとなしに眺めてたが意外と若いやつより四~五十代に見える人のが多い。
新しい人が入ってきて五十嵐の隣に座った。三島さん夫婦だった。「どもっす」五十嵐が言い、三島さんがにんまり笑って頷いた。
席が三分の二埋まったあたりで開始時間になる。
見栄えだけはギラギラしたスーツ着た男が入ってくる。アルマーニっぽく見えるけど毎日のようにブランド品のカタログを見通してデパートの高級品コートを眺め続けた私にはわかる。あれ。偽ブランドの安物だ。生地の厚さが全然違う。
私は腕時計に詳しくないけどスーツがニセモノなんだからロレックス風の左手の時計も疑わしい。
スーツと時計に気を取られて顔見るのが遅れたが、たぶんあれが岡橋秀樹。三十代くらいで醤油顔で目がぱっちりしてて人によってはイケメンといわなくもないぐらいの容姿。ネットに写真が出てたのと同じうさんくさい笑みが顔に張り付いている。
「みなさん、夢見てますか? 夢を叶えるために行動してますか?」
私達以外が元気いっぱいに「してまーす!」と答える。
きもちわりい空間だなぁ。
「ライフオブメタバースはみなさんの夢を叶える手助けができます。わずらわしい労働からの脱却、自由を獲得するためにみんなでがんばっていきましょう!」
「おー!」
つーかもうこの時点で私はマルチビジネスとしての致命的な欠点に気づいてしまってる気がしてるんだけど、あってんのかな。
マルチってあれでしょ? 親会員が子会員を増やしていってそれに応じてディベートが入っていく、子会員が今度は親会員になって子会員を増やしていく、みたいな構造なんだよね? だったらなんで私ら含めてここに十六人しかいないわけ? こいつらが子会員をちゃんと増やせてるならもっといるはずだよね?
主催者らしい偽アルマーニ男の「私はポルシェに乗っている」だの「インフルエンサーのミカキンさんと交流がある」、「このスーツは六十四万して腕時計は二百五十万した」だのの自慢話が続く。
私は元カノちゃんの顔を見る。「彼氏がすごいと思ってるものを自分もすごいと思おうとしている女」の横顔をしている。横の男は「ポルシェに乗っててミカキンさんと交流があって六十四万のスーツと二百五十万の腕時計してる岡橋さんすっげー!」みたいな顔をしてる。あれは完全に頭に脳が入ってないタイプだ。ああいうやつはとにかくガワのすごさに騙される。バカ騙すんなら最低でもホンモノのアルマーニ着て出て来いよ。そしたら私も騙されてやったのに。
なんかもう何もかもが薄っぺらい。何よりもまず私はそのスーツの生地の薄さが許せない。
それから話はライフオブメタバースの売る商品のすごさ。今月の新規会員勧誘と売り上げの成績がよかった人の表彰に流れていく。三島さんが壇上に出て表彰を受けている。ほーん。
そのあとに三島さんが連れてきたという態になっている私達に水が向く。
「愛澤さんはどんな夢をお持ちですか?」
岡橋が聞く。
「その前にちょっとええですか。聞きたいことあるんですけど。加入するかどうかの参考にしよおもて」
相沢がなめらかに言う。
「はい! なんですか! なんでも聞いてください」
「御社で売ってる化粧品9900円やないですか。あれ作ってる会社に聞いたら2480円言うてたんですけど、なんでおたくら通したら2480円のもんが9900円になるんですか」
空気が凍った。
岡橋の張り付いていた笑みが消えて一瞬、無表情になる。それから今度はものすごい嘲笑に変わる。でもその嘲笑はたぶん動揺を抑え込むためのものでセミナー会場の他の参加者に動揺を伝えないためのものだ。岡橋がデカい声を出す。「メーカーを間違えておられたんじゃないですかね? 私共の商品は」「へえ。ほな。どこのメーカーですか。教えてください」相沢が似たような強い口調で遮る。
アホらしい話だけどバカは討論の際に口調が強い方が優勢だと思うから、こういう周りに聞かせるための討論だと相手を抑え込むような言い方をしないといけない。
大学でやったら教授にキレられるだろうな。
「まだ会員でない方にはお教えできません」
「会員やったらええんですか。なりますわ。三島さんよろしくお願いします」
相沢が私と五十嵐を挟んで右隣に座ってる三島さんに向けてぺこりと頭を下げる。
「うん。ようこそ、ライフオブメタバースへ」
三島さんが言う。え? 三島さんこっち側でグルなんだ。へえ。
「じゃあ、教えてください。これどこのメーカーが作ってるんです?」
岡橋がこいつわかってねーなみたいな顔をして溜め息を吐く。相沢から視線を外して室内をぐるりと見渡す。
「こういう我々の理念を理解できないバカな学生がいるわけですけど、みなさんは賢いのでちゃんと理解されていると思います」
実際に周りのやつらはだいたいがにやにやして「バカなこと言ってるやつがいる」みたいな感じで相沢を見てる。私はサクラなんだなと思うけどたぶんふつうに洗脳されてるふつうの参加者もいるんだろう。私はなんかの小説の一文を思い出す。「議会に置いて嘲笑は最大の武器です」……モームの短編だとか言ってたかな。(元カレの趣味だ。サマセット・モーム『マウントドレイゴ卿の死』より)
「よーするに説明でけへんのですね」
相沢が言う。
「説明でけへんからそういう精神論にすり替えて周りには“文句言うてるこいつがアホで間違ってるんや”みたいに言うだけ言うて、具体的な説明は避けるんですね。詐欺師の常套手段やないか」
吐き捨てる。
「おまえらみたいなアホ以外の誰が2480円のもんを9900円で買うねん。花、もっぺん言うけど、おまえ騙されとんで」
小動物の仕草で周囲を見渡してた元カノちゃん(花って名前らしい)が名指しされてビクっと震える。おそるおそる相沢を見上げる。
「彼氏になんて言われたんかしらんけど、おまえ騙して金儲けよおもてるアホがそんな大事か。いくぞ。こんなアホ共の集まりおってもしゃーないやろ」
「さっきから好き放題言いやがっておまえ何様だよ」
隣に座ってた彼氏が立ち上がる。でも相沢がちらっと私を見てから「おまえ、あとで弁護士通じて連絡行くから覚えとけよ」言い放って、彼氏さんはそれに怯む。こういう輩のこういうときの反応って弁護士や警察に対して「おう! やれや!」と強気にでるかこいつみたいに怯むのと二種類なんだけど彼氏さんは後者だった。まあダサい。
そしてそのダサさを花ちゃんも感じ取ったらしい。
実際は「概ね合法だから」弁護士さんが出来ることは少なくて本人に解約したいって意思がないとあんまり役に立たないんだけどね。
岡橋が理屈にならないことをごにょごにょ言ってるが、相沢は無視した。無理矢理花ちゃんの手を取って、引っ張って立たせる。花ちゃんは彼氏に視線で助けを求めるけど、彼氏くんはすさまじい形相で睨んできた相沢に怯んで中途半端に固まる。花ちゃんはこいつのどこを好きになったんだ……? 私には相沢のがかなりましに見える。
「ほな、アホのみなさん、さいなら! 次会う時は法廷で!」
相沢が最後に大声で言って花ちゃんを連れだして笑顔で手を振って部屋から出て行く。私は(私がそのときに法廷に立つことになる美人弁護士です。)みたいな顔をして伊達メガネをくいっとしてから、相沢についていく。五十嵐が私を守るように側を歩く。
花ちゃんはセミナーに戻りたそうにしてるが相沢を振りほどいて私と五十嵐を突破してどうこうする勇気や気力はないらしい。消極的に相沢に手を引かれるだけ。
私、こういう女、きらい。
岡橋は相沢がどんなに間違ってて愚かなのをセミナーの連中に説くのに必死で私達を追いかけてはこなかった。
エレベーターに乗って、降りて、建物から出て、ほっと一息。
「なんなの」
ようやっと花ちゃんが言う。
「会員、ならないならほっといてよ。なんの権利があって、こんなことするの」
「一生それでいく気か?」
相沢が片頬を歪める。
「同級生片っ端から勧誘して人間関係ぐだぐだになってるて、篠崎に聞いたわ。おまえそれ取り返しつかへんぞ。おまえのことほんまに心配しとるやつらと関係切って、おまえの金だけ目当てのやつらと生きてくんか」
「岡橋さんたちに失礼なこと言わないで!」
花ちゃんが悲鳴みたいな声を出す。
相沢が言い返しかけたので「相沢、それ、よくない」口を挟んでみる。
相沢が殺気立った目で私を見てから、私をその目で見ることのおかしさに気づいて目を閉じて額のあたりを揉み解す。ふつうの顔になる。
「人間のノーミソって否定形の言葉を受け入れらんないの。ほんとに助けになりたいなら、ゆっくり、気長にいけ?」
わかったのかわからないけど相沢は頷いた。
「あのさ、花ちゃん。実際のところ選択するのはあなただから私達はお話しするくらいしかできないんだけど、こいつは」相沢をくいっと指す。「ほんとにあなたのことを心配して。ほんとにあなたのためを思って。私と五十嵐を巻き込んであのセミナーに乗り込んだよ。それはわかってあげて」
それからあの彼氏が花ちゃんを追いかけてこなかったことに、ちゃんと気づいて。
あそこで引いちゃうやつはなにやってもダメだよ。あなたを守れないよ。
「迷惑……」
花ちゃんが呟く。
「だろうねぇ」
ほんと。こんな大立ち回り繰り広げちゃってどーすんだろうな。
そもそも好きじゃない男の好意って女にとっては気持ちわりぃんだよなぁ。
「場所変えよーぜ。往来のど真ん中でする話じゃねーよ」
五十嵐が言う。そうだな。あいつらがビルから出てきたら気まずいし。
車を停めてあるパーキングに向けて歩き出す。花ちゃんは何度もセミナー会場を振り返るが、やっぱり相沢の手を振りほどけずについてくる。
相沢が花ちゃんに後部座席に入るように促す。
「家まで送るわ」
ぶっちゃけ男に車に押し込まれたら私だったら股間を蹴り上げて逃げるのだが花ちゃんには花ちゃんなりの相沢への信用みたいなものがちゃんとあるみたいで、おとなしく後部座席に収まる。
思い付きで私は「ちょっと二人にしてくんない?」と言ってみる。
「話してみる」
べつに説得できるなにかを思いついたわけではないのだがこのまま帰すとまずいのはなんとなくわかった。
相沢が五十嵐と顔を見合わせる。んで言う。
「頼むわ」
「ん」




