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Dependence Ghost  作者: 琴羽
最後の旧校舎
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犬塚の決心

 駅近くのオープンカフェのテラス席で、少し値の張るブレンドコーヒーをすする。

 オレンジ色の太陽が沈みかけるこの時間、ちょうど日陰になったこのテラス席は、風が吹き抜けて心地いい。そんな場所で一人コーヒーを飲む俺は、別に優雅な夕方の時間を堪能するために来たわけじゃない。

 俺の隣には別のテーブル席があって、そこには今、犬塚とその妹が座っている。


『妹と一人で会うのは不安だから、近くで付き添っていてほしいんです』


 東京に来る妹と会うことを勧めたことに対して、犬塚から出た頼みがこれだった。その頼みのために、俺はこうして二人が座った隣のテーブルを陣取っている。

 向かい合って座る二人の間には、とても姉妹とは思えないほどにぎこちない空気が漂っていた。


「これ、美味しいね」


 たっぷりミルクが入ったカフェラテをひと口飲んで、妹が言った。

 妹は、犬塚とは対照的におとなしそうな女の子だった。中学三年生の十五歳という話だが、もっと大人びた印象を受ける。肩甲骨の辺りまで伸びる真っ直ぐな黒髪が特徴的で、呉服屋の娘というイメージにぴったりだ。


「お父さんと、お母さんは……?」


 おずおずと犬塚が訊いた。


「二人で舞台を観に行ってる。お姉ちゃんに会うことは言ってないよ」

「そっか……。ありがと」


 しばらく沈黙が流れる。

 隣で見ていることしかできないのが歯痒い。もちろん、俺が口を挟んだところで、状況がなにか好転するはずがないことはわかっている。


「志織は、最近どう?」


 そう訊いたのは犬塚の方だ。

 志織と呼ばれた妹は、またカフェラテをひと口飲んでから答えた。


「今は受験勉強が大変。ほら、二人とも勉強やれやれってうるさいから」

「志織でも言われるんだ。そんなこと」

「やっぱり受験が近いからね。そういうお姉ちゃんはどうなの?」


 俺は携帯をいじるふりをしながら、横目で犬塚の顔を覗き見た。

 決まりが悪そうに視線を逸らすのが見えた。


「別になんにもないよ。志織が知ってる私から、なにも変わってないし」

「けど、今は東京に住んでるんでしょ? なにか変化とかないの?」

「まったくないわけじゃないけど、全然、私のままだよ。どこに行っても、なにをやっても失敗ばっかりで、迷惑しかかけてない」


 自虐的な笑みを浮かべる犬塚を、志織は寂しそうな目で見つめた。


「お姉ちゃんは考えすぎなんだよ。お姉ちゃんのこと、誰もそんな風に思ってないよ」

「嘘だよ。だって何度も直接言われたし。『役立たず』とか『迷惑だ』とか」

「そういうことを言う人の言葉なんて聞いちゃダメ」

「お父さんとお母さんだって、『この程度もできないのか』とか『親として恥ずかしい』とか、私に何度も何度も言ってきたんだよ?」


 それは一際大きな声で、他のテーブルの客たちの視線が向いた。それに気づいた犬塚は、ますます小さくなってしまう。


「確かにそうだったね。でもね、お父さんもお母さんも、口うるさいのは相変わらずだけど、お姉ちゃんのことすごく心配してるんだよ? 本当は今日だって、二人もお姉ちゃんに会いたいって言って聞かないくらいだったんだから」

「私と会うこと、二人に話してたの?」

「ごめん……。だけど、この場所は教えてないよ」


 犬塚は呆然と手元のカップを見つめている。


「ねえ、一緒に帰ろう? お父さんもお母さんも、もうお姉ちゃんを否定したりしないから。万が一でもそんなことがあったら、私が許さないし」


 犬塚の中にある何かが、今、溶けようとしている。

 その時、ふと気配を感じて前を見る。テーブルの向かいの席に、男が一人おもむろに座ろうとしていた。

 突然の相席に驚いて、その男の顔を見て、さらに驚いた。


「テラス席で優雅にお茶だなんて、鴨ちゃんも案外オシャレなところがあるんだねぇ」

「リオさん……!」


 とっさに隣のテーブルを見る。犬塚もリオに気づいて、驚きを隠せずにいる。


「どうかしたの?」


 一人状況が分からない志織が、キョトンとした顔をしている。

 犬塚は慌てて、「なんでもない」と首を横に振った。


「ねえ、お姉ちゃん。本当にこのままずっと家出を続けるつもりなの?」


 志織は話を仕切り直す。犬塚は、チラとリオの方をうかがった。


「それは……」


 リオは俺に向けて話しかける。


「オレはさ、自分では戦わないで、部下を送り出しているわけじゃない? そういう仕事をしていると、一番心配なのは、ミイラ取りがミイラになっちゃうことなんだよね」


 リオのそんな言葉に、志織の声が重なる。


「別にすぐ四人で暮らさなくたっていい。一度家に帰って、お父さんとお母さんと話をしよう?」


 隣り合う二つのテーブルで沈黙が漂う。

 俺も、リオも、志織も、全員が犬塚の返事を待った。

 どれほどの沈黙の時間が経ったのか。犬塚は一度息を吐いて、なにか覚悟を固めたのが見えた。


「ごめん。やっぱりまだ帰れない」


 志織は「えっ」とショックを表して、リオは不敵に笑った。


「今はまだ、二人に会える自分じゃないから」


 犬塚はそう続けた。


「そんなこと気にしなくたって――」


 不意に、犬塚は勢いよく椅子から立ち上がり、志織の言葉を遮った。


「私も、やっぱり足を洗います。そうしたらきっと会いに行くから……。だから、今日はごめん!」


 犬塚はそう言って思い切り頭を下げると、早足で店の出口に向かって歩いていく。

 と、すぐに戻ってきて、椅子の下に置いたカバンを掴み、またすぐに出口へ急いだ。

 志織はわけも分からずキョトンとして、リオは声を押し殺して笑った。


「いやいや、こうなっちゃったかぁ。ねえ、鴨ちゃん?」

「失礼します」


 コーヒーを飲み干して、俺も立ち上がる。


「オレ、まだひと口しか飲んでないのになぁ」


 リオも続いて立ち上がり、二人で犬塚の後を追う。志織一人だけが取り残される形になった。

 一度店内を通ってから外に出ると、すぐ近くに犬塚は見つかった。きっと俺たちが来るのを待っていたんだろう。

 犬塚は、かしこまった姿勢でリオと向き合った。


「リオさん、すみません。私も今日で辞めさせてください」

「もしかして、飼い犬に手を噛まれたってやつ?」


 リオはヘラヘラと笑ってそんなことを言う。

 犬塚は意志のこもった目で、じっとリオを見つめ続ける。リオは肩をすくめた。


「別に、ご両親に会うだけだったら、わざわざこの仕事を辞める必要はないでしょ。仕事に貴賎はないよ?」

「それでも、今のままだと会えないって思うんです。だから、お願いします」


 犬塚は深々と頭を下げる。

 テラスで志織と話している時、犬塚は自分のことを何も変わっていないと言っていたけど、初めて会った時からずいぶんと変わったと思う。

 今はその顔に少しだけ自信が見える。


「鴨ちゃんにしろ犬塚ちゃんにしろ、人手が足りてないの分かってる? それに二人とも、この仕事を辞めたところで、他に仕事なんて見つからないんじゃない?」

「そんなのはこれから考えます」

「私も、頑張ってなんとかします」


 俺たちはキッパリと答えた。

 リオの言うことは、もっともだと思う。それでも、先のことを不安に思って一歩を踏み出さなければ、この先ますます動けなくなってしまう。

 リオは長く深いため息をついた。


「分かったよ。危険な仕事だし、無理強いはできないからね」

「本当ですか!?」


 犬塚の顔がパッと輝く。

 リオはすぐに、「ただし」と続けた。


「オレだってそこまで聖人じゃないの。だから、あと一回だけ旧校舎に行ってきてよ。そこで減らせるだけ塵霊を減らしてくれたら、二人とも辞めさせてあげる」


 それがリオの出した条件だった。

 リオのことだ。どんな無茶な条件が出てくるのかと身構えたが、覚悟したよりはまともな条件で安心した。

 俺は犬塚と顔を見合わせてから、二人同時にうなずいて答えた。

 塵霊と戦うことに気乗りはしないが、それで許されるなら悪くない。それに、中原悟の幽霊にも、もう一度会っておきたい気持ちがあった。


「その条件は構わないですけど、俺、もう学校に入る資格がありませんよ?」


 教師をクビになった今、あの警備が厳しい学校に侵入するのは至難の業だ。下手な騒ぎになれば、犬塚まで巻き込まれる可能性だってある。


「それはこっちでなんとかするから安心してよ」


 リオは力強く言い切った。

 リオがそう言うなら、本当になんとかなるんだろう。


「と言っても、準備もあるからね。明日の二十二時に旧校舎前で集合にしようか。その時間だけ、警備とか見張りはどうにかしておくから」


 なんだか、とんとん拍子に事が運んでいく。リオは、是が非でも辞めることを認めないだろうと思っていたのに。


「ありがとうございます!」


 犬塚は弾む声でお礼を言って頭を下げる。


「ありがとう、ございます」


 俺はまだ、この事態の進行の速さについていけていなかった。


「それじゃあ、また明日ね」


 そう言ってリオは去っていく。

 その背中をどこか現実感がないような感覚で見送った。


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