中原悟
「この前は田村のこと、ありがとうございました」
犬塚と会ったその日の夜、仕事終わりの真知子先生を捕まえて家に呼んだ。
真知子先生の連絡先は、前に田村の家の住所を調べてもらった時に聞いていた。
「ううん。私も、少しでも力になりたかったし」
家の中に上がった真知子先生は立ったまま、部屋の中をキョロキョロと見回している。
「それで、今日はどうしたの? いくら元教え子と言っても、軽率に女性を家に呼ぶのはどうかと思うんだけど」
「すいません、なるべく人目につかない方がいいかと思って」
「まあ、全然私としてはいいんだけど。やっぱり、一応元生徒と教え子なわけだし……」
「今日は一つ、訊きたいことがあるんです」
なにやらぶつぶつ言っている真知子先生に、本題を切り出した。
「訊きたいこと?」
「中原悟っていう名前に聞き覚えはありませんか?」
旧校舎に出没する猫背の幽霊の生前の名前、真知子先生はそれに聞き覚えがあるはずだった。
真知子先生はしばらく考えるそぶりを見せた後、ハッとした顔になった。
「知ってる、けど……。なんで永井くんが?」
犬塚が見せたアルバムにあった中原悟の写真の隣には、まだ学生の真知子先生がいた。真知子先生はこの学校の卒業生で、中原とは当時のクラスメイトだった。
「偶然、彼を知るきっかけがあったんです。当時のことが知りたくて、真知子先生に訊けば分かるかと思って」
「興味本位とか野次馬精神とか、そういうことなら話さないよ」
真知子先生は厳しい声で言った。
「そんなつもりじゃ――」
「うん、知ってる。永井くんがそんな人じゃないって知ってるから、話してあげる」
すぐに優しい声に戻ると、真知子先生はやっと床に腰を下ろした。
「永井くんがどこまで知ってるか分からないけど、私の知ってる限りを話すね」
俺も近くの椅子に座って聴く体勢を取った。
「中原くんとは、一応、三年間同じクラスだったんだよね。でも覚えてるのは、ほとんどが高校一年とか最初の頃のことだけ。どうしてかっていうと、途中からあんまり学校に来なくなっちゃったから」
半透明な姿をした彼が、賑わう教室の中でぽつんと自分の席に座っている。そんな光景が頭の中に浮かんだ。
「一年生の頃は、教室の隅でよく友達とゲームの話をしてたかな。直接話をしたことはないけど、その頃はまだ楽しそうにしてるように見えたよ」
旧校舎の中で見たあの笑みが浮かぶ。彼が俺や犬塚を狙うのは、ゲームで遊んでいる感覚だったんだろうか。
「学校に友達はいたんですね」
「うん。目立つタイプじゃなかったけど、趣味が合う友達と少人数で固まってる感じだったよ」
そこまで話すと、真知子先生は軽く目を伏せた。
「けど、二年生の途中くらいからかな。少しずつ学校を休むことが増えてきて、学校にいる間はいつも眠たそうにしてた」
少し話が見えてきた。
「眠そうにしてた理由って……」
ゲームのしすぎで夜更かしをしていた。
安直だけど、そんな理由が真っ先に浮かんだ。
「残念だけど、私もそこまでは知らない。ただ、オンラインゲームのやりすぎじゃないかって噂はあったよね」
「やっぱり……」
「そのままどんどん学校で見かけることが減っていって、三年生に上がった頃には、学校に来ない方が多くなってた。心配する声もあったけど、正直、いないのが当たり前みたいな空気になっていって……」
真知子先生は大きく息を吐いて、どこか遠くを見るように目を細めた。
「そんなある日、中原くんが久しぶりに来るらしいって話題になったの。だけど、時間になっても教室には来なくて、やっぱりな、って空気になってね……」
真知子先生はそこで一度言葉を切った。重たい荷物を持ち上げるみたいに覚悟を決めて、ゆっくりとその先を口にした。
「次の日、登校中に事故に遭ったって知らされたんだ」
真知子先生がまだ学生だったのだから、今から十年近く前のことのはずだ。それでも、まるで当時の教室の空気が伝わってくるようだった。
話を終えると、真知子先生はすっくと立ち上がった。
「私が知ってるのはそこまでだよ」
「ありがとうございます。少し見えてきた気がします」
真知子先生の話ですべてがつながった。
彼がどんな未練を抱えて旧校舎の幽霊になったのか。そして、旧校舎で塵霊と戦う俺たちに、どうして揶揄うような態度を取っていたのか。
彼は旧校舎という狭い場所に閉じこもって、今もずっとゲームを続けているんだ。
久しぶりに学校へ行く。それがどれだけ勇気のいることだったのか、俺には想像することしかできない。
それだけの覚悟を決めて家を出た結末が悲劇だなんて、そんなのはあまりにも報われない。
「聞きたいことは聞けた?」
「はい。たぶん大丈夫だと思います」
きっと俺と彼は似ている。その予感は確信になった。
もしも、もう一度だけ旧校舎に入ることができたなら、今の彼にしてあげられることがなにかあるだろうか。
「それより、引っ越ししちゃうの?」
真知子先生は、部屋の脇に積んだ段ボールを寂しそうに見つめながら言った。
「もう、この街にいる理由もないですから」
「そっか。寂しくなるね」
言葉通り、本当に寂しそうな真知子先生が嬉しかった。こんな自分でも、そんな風に思ってくれる人がまだいるなんて。
「引っ越しはすぐなの?」
「まだ細かい時期は未定です」
頭にリオの顔がチラつく。リオの許しを待っていたら、きっといつまでも前に進めない。
この部屋の段ボールが、いつまでも積んだままになる。
「じゃあ、日にちが決まったら教えてね。見送りくらいしてあげるから」
真知子先生は床に置いたカバンを肩にかけると、玄関の方に歩いていく。俺もその後に続いて見送りに向かう。
ふと、玄関で靴を履いている真知子先生を見て、なんだか現実感がないような気分になった。あの真知子先生が、俺の家の玄関でパンプスを履いている。
「どうかした?」
思わずじっと見てしまっていた自分に気づく。
「あ、すいません。なんだかちょっと可笑しくて」
「おかしい?」
「先生がうちに来てるのに、家庭訪問じゃないんだな。なんて」
そう言うと、真知子先生は「確かに」と笑った。
真知子先生は靴を履き終えて支度が整う。話はそこで仕切り直しになった。
「今日はありがとうございました」
「ううん。私も、中原くんのことはずっとモヤモヤしてたから」
真知子先生は玄関のドアを開ける。そのまま外に向かって歩き出そうとして、一度振り向いた。
「またいつか、永井くんと一緒に先生ができたら嬉しいな」
真知子先生はそんなことを言い残し、「じゃあね」と一方的に去っていった。小走りでマンションの廊下を抜けて、その姿はすぐに見えなくなる。
俺が不法な方法で教師をやっていたことなんて、真知子先生はもうとっくに分かっているはずなのに。
「そんなこと期待されたって……」
つぶやくと、不意に学校の光景がフラッシュバックした。
真剣に授業を聞いてノートを取る田村。からかってくるうるさい四人組。新しい道が見つかるまでは勉強を頑張ると宣言をした河野。
学校特有の活気や騒々しいくらいの生徒たちの声とともに、鮮明によみがえってきた。
どこか昔を懐かしむような感覚と似ていて、もう一度あの場所を求める自分がいることに気づいた。
「まさかね」
頭に浮かんだおかしな考えを自分で否定して、玄関の鍵をそっと閉めた。




