夕暮れのファミレス
犬塚に電話をかけた結果、怪我の具合を心配しているというのは、とても真っ赤な嘘だと分かった。
なんでもっと早く連絡をくれなかったのかと電話越しに散々怒鳴られて、俺は平謝りをすることに終始した。
電話で謝罪を続けた結果、その日の夕方に改めて犬塚と会うことになった。
どうせまた怒られるのは覚悟していたが、犬塚とはしっかり話をしておかなければいけない。
もう学校の中に入れない俺は、駅前のファミリーレストランで犬塚と落ち合った。
店内に入って席に着くなり、犬塚は不機嫌を隠そうともしなかった。
「なにしてたんですか? 一週間以上もほったらかして」
「ごめん。いろんなことがあったんだ」
「先生、クビになったんですよね。みんな噂してます」
“辞めた”ではなく、“クビになった”と噂になるあたり、俺の生徒からの信用の低さが垣間見える。実際、事実なわけだけど。
「その噂は本当だよ。俺はもう、あの学校に入らない」
「だったらどうするんですか。学校に入れなくて、どうやって旧校舎に……」
焦った様子で犬塚は言う。
俺は少し言葉に迷って、答えの代わりに犬塚の顔を見つめた。やがて、犬塚はハッとした顔になる。
「まさか――」
「とりあえず、料理でも頼もうか」
時間ならある。すぐに話の結論に入る必要もないはずだ。
犬塚はしぶしぶとうなずいて、メニュー表から料理を選ぶ。注文を終えて料理が運ばれてくるまでの間、今の学校の様子について犬塚から話を聞いた。
やがて料理が運ばれて、お互いに少し食事を進めた頃、犬塚はしびれを切らしたように切り出した。
「いい加減話してもらえますか? 鴨居さんは、もう辞めるつもりなんですか?」
俺の考えていることは、すでに犬塚に見抜かれているみたいだ。
「もう、俺の中の戦う理由がなくなったんだ。だから終わりにしようと思って」
「まだ旧校舎には塵霊が残ってます。私は鴨居さんがいないと戦えないのに、無責任です」
犬塚は悔しそうに声を震わせる。
俺が次の言葉に窮していると、犬塚は「そうだ」と言って、通学カバンから何かを取り出した。
テーブルの上に置かれたのは分厚い冊子で、それは学校のアルバムだった。ペラペラとめくって、その中の一ページを俺に見せた。
「これ、見てください。分かりますよね?」
そう言って犬塚が見せたのは、生徒個人の顔写真が並ぶページだった。三十人近い生徒の顔と名前が、五十音順に並んでいる。
犬塚は、一人のおとなしそうな男子生徒の写真を指差す。写真の下に載っている名前は、「中原悟」とあった。
その顔も名前も見覚えがある。
旧校舎に現れる、あの猫背の幽霊に違いなかった。
「鴨居さんがいない間に突き止めたんです。この幽霊さえどうにかできれば、もっと安全に塵霊と戦えるようになるんじゃないかって思って」
ふと、その中原悟の隣の女子生徒の写真が目に入る。その生徒の顔も名前も、俺は知っていたから。
けれど今は、目の前の犬塚だ。
「ここまで調べてたんだ」
「これでも、一応できることはしてるんです」
犬塚はずっと、誰かに必要とされることを考えて生きてきた。きっと今回も、自分が役に立てるということを証明したかったんだと思う。それを思うと、余計に心苦しくなる。
「調べてくれたのは助かるよ。けど、犬塚は犬塚のために時間を使った方がいい」
「どういうこと、ですか」
犬塚の顔から表情が消える。このアルバムを見せれば俺の態度も変わると、そんな期待をしていたのだろうと思った。
「犬塚はこんな仕事で大事な時間を使ってる場合じゃないよ」
「なんでダメなんですか……!」
突然の大きな声に、周囲の客の視線が向いた。犬塚は決まりが悪そうに、小さな声で続けた。
「私には、もうこの仕事しか残ってないんです」
「そんなの絶対に嘘だよ。それに、自分にはこれしかないなんていう考えはやめた方がいい」
この街に戻ってきてから、そんな考えに苦しめられてきた人をもう何人も見てきた。もちろん、自分だってその中の一人だ。
犬塚はしばらくくちびるを噛んだ後、ふと語り出した。
「前に、妹がいるって話したの覚えてますか? 私より、ずっと良くできた妹のことです」
「覚えてるよ」
「この前、その妹から久しぶりに連絡が来たんです。今度東京に行くから会えないかって。家族みんな心配してるから、元気にしてる姿が見たいって」
「心配してもらってるんだ」
犬塚は首を横に振る。
「そんなの、口だけに決まってます。全然、私のことなんて興味もない人たちだったのに」
「それじゃあ、会わないつもりなの?」
犬塚はしばらくの沈黙のあと、今度はゆっくりと首を降った。
「まだ決めてません。妹には会いたいけど、やっぱり怖くて……」
そう言って小さくなる犬塚の気持ちが、手に取るように分かった。俺にきょうだいはいないけど、久しく家族に会っていないのは同じだった。
「怖いのは、よく分かるよ。俺ももう五年近く親と会ってないから」
「鴨居さんも……?」
「正直、今から会えるって言われても、たぶん俺は逃げると思う。全然、親に会うには恥ずかしい人間のままだから」
もし今、両親に会うことになったら、いったいなんて言われるだろう。きっと無事を喜んでくれるとは思うけど、今までなにをしていたのかと訊かれたら、途端にいたたまれなくなってしまう。
「じゃあ、私はますます会えませんね」
「犬塚はまだ大丈夫だよ。時間が経てば経つだけ余計に会いにくくなるから、こういうチャンスはきっと逃しちゃダメなんだ」
怖がって逃げていたら、このまま一生タイミングを逃し続けることだってあり得ない話じゃない。
犬塚には、俺のようにこのままずるずるといってほしくない。
「全然連絡くれなかったくせに、偉そうです」
犬塚はそう言って口をとがらせる。まったく、自分でもそう思う。
「ごめん」
俺が謝ると、犬塚はしばらく迷うような態度を見せたあと、やがておずおずと切り出した。
「鴨居さん、一つお願いをしてもいいですか……?」
そう言って犬塚が口にした頼みは、東京に来る妹のことだった。
俺はその頼みに、二つ返事でうなずいた。




