見えない心
田村は俺への忠告を終えると、駅の方角へと去っていった。
お互いに落ち着いたら、田村とはまた話をしよう。
莉菜と過ごした楽しい気分もどこへやら、すっかり重たい気分で家に帰る。もはや、莉菜と食事をしたのが、もう昨日のことと言われても信じられるくらいだ。
仮住まいのマンションの一室の前まで来たところで、ふと、玄関の前に誰かが立っていることに気づく。
宅配という感じではなさそうだけど。そんな疑問が浮かんだ瞬間、すぐにそれが見知った顔だと気づいた。
俺の家のドアの前に立っていたのは真知子先生だった。
「あの、なにしてるんですか? ひとの家の前で」
近寄って声をかけると、真知子先生は思い切り飛び跳ねた。
「あ、すみませ――って、永井くん!? なんで!?」
「なんでって、ここが僕の家ですから」
「うそ。出かけてたし、一人だし……」
真知子先生は、なにやらがっくりと肩を落としている。よく分からないけど、いろいろと聞くべきことがありそうだった。
「とりあえず、部屋入りますか?」
「う、うん……」
真知子先生を連れて家に入る。
なんだか今日は不思議な一日だ。
莉菜と食事をして思い出話に花を咲かせたと思ったら、それを田村に見られていて、帰ってきたと思ったら、今度は真知子先生だなんて。
真知子先生は座布団の上に座ってもらって、田村のために買っておいたパックジュースを渡す。
「あの、本当にお構いなく……」
「別に、たまたま余ってたものなので」
俺も机の前の椅子に座って、真知子先生と向かい合った。
「たぶんあんまり時間もないと思うので、家の前にいた理由を教えてもらってもいいですか?」
少しの逡巡の後、真知子先生は観念したように語り出す。
「実は今日、田村保乃科さんが早退をしたんです。最近理由の分からない早退が増えてたし、その……、田村さんと永井くんの間に、あらぬ関係があるんじゃないかって噂もあって……」
「それで、僕の家に来たらなにか分かるんじゃないかと?」
「まあ、こんなところです……。もちろん、私はやましい関係なんてないと思ってますからね!?」
真知子先生は慌てて弁解をする。だけど、二人で父親殺害の計画を語り合うことは、とても健全な関係ではないだろう。
「真知子先生」
ふと、思い立って名前を呼んだ。
「な、なに……? ていうか、今名前で?」
「もう同僚じゃないし、こっちの方がしっくりくるので。で、一つお願いがあるんですけど」
「お願い……?」
真知子先生はなにやら身構える。
「生徒の考えてることが、分からないんです」
これからも俺は田村のそばに立って、計画の手伝いを続けるべきなのか。その答えが知りたかった。
「もしかして、田村さん?」
俺はうなずいて答える。
「田村は家庭に問題を抱えてて、たまたまそれを知って以来、ずっと相談に乗ってたんです。それで、少しずつ信頼をしてもらえるようになってたんですけど……。最近また、逆に信頼してもらえてない気がするんです」
自分でも要領を得ない話になった自覚はあった。旧校舎でのことも、田村と二人で考えている"計画"のことも話せない。
それでも、生徒に対して親身な真知子先生らしく、真剣に俺の話に耳を傾けてくれていた。
「そうだったんだね。私、全然気づいてなかった。田村さんの家のことも、永井くんが悩んでたことも……」
「そんなの、普通は分かりようがないです」
真知子先生は首を横に振る。まるで自分のことのように責任を感じているのが伝わってきた。
「信頼されなくなったっていうのは、なにかそう思うきっかけがあったの?」
昨日からの田村の変化を思い出す。
「たとえば、急に名前で呼んでほしいって言われたり、俺の行動を監視することが多くなったり……。信じてっていう言葉も届かなくて」
「もうそこまで頼られてたんだ」
真知子先生はくすりと笑った。
「私は田村さんのご家庭を知らないから全部憶測になっちゃうけど、きっと不安なんじゃないかな。ご両親から受けた愛情が少ないと、大人になった時、愛情に対して疑心暗鬼になっちゃうことが多いから」
「そういうものなんですか?」
「私の経験上はね。でも、大きく外れてることはないと思うよ」
疑心暗鬼という言葉は、たしかに今の田村を言い当てていると思った。信じたくても信じられないような、そんなジレンマを感じる。
どうしたら心から信じてもらえるのか、それがいまだに分からない。
「言える範囲でいいけど、田村さんはどんなお家で育ったの?」
「父親は酒と暴力に溺れて、母親はもう全部を諦めてるだけで。愛情なんて欠片もない家だって聞いてます」
「そっか……」
真知子先生は深いため息とともにつぶやいた。
「正直、高校生にもなると、自分のクラスの生徒でさえ、その子の抱えてる問題が見えないことも多いんだ」
真知子先生は悔しそうに目を伏せて、「そんなの、未熟な教師の言い訳だけどね」と自虐の言葉を続けた。
「真知子先生は、ちゃんと生徒に向き合ってると思います」
それは自分が教え子だった頃からの感想だった。そうでなければ、あれほど真剣に悩むことだってないはずだ。
「ありがとう」
真知子先生は優しく笑った。
「田村さんは今、きっと過渡期なんだよ。これまではご両親がすべての指針だったけど、そこから変わろうともがいてるんじゃないかな。だから不安になって、永井くんに当たっちゃったりするんだと思う」
少しだけ莉菜に似ていると思った。
両親の後を追うことだけに盲目になっていた莉菜は、自我が生まれ始めた時、そこに軋轢が生まれて塵霊を求めるようになったらしい。両親に向ける感情の種類は田村と莉菜で違うけど、ある意味で田村も両親に依存をしていたのかもしれない。
「そんなこと、考えたこともなかった」
「大きかったり小さかったりバラつきはあるけど、そういう時期はみんなあるから。そんな時だからこそ、永井くんはそばにいてあげたらいいんじゃないかな」
すうっ、と、真知子先生の言葉が腑に落ちていく感覚があった。
ただそばにいればいい。そんな簡単な話だなんて、まるで思いもしていなかった。今、自分が何をするべきか、やっと見えた気がした。
「全然、二人のことを知らない人間のアドバイスだけどね。それでも、こんな私でも一応、永井くんの先輩教師だから」
真知子先生は少しおどけるように言った。
「やっぱり、真知子先生は立派な先生です」
そんな言葉が素直に出た。真知子先生は少し恥ずかしそうに笑った。
一瞬、会話が途切れたそのタイミングだった。携帯が着信を告げる音を鳴らした。
それは、俺の携帯からだった。通常の電話ではなく、メッセージアプリの機能を使っての着信音だ。
俺の連絡先を知っている人間なんて、数えるほどしかいない。
取って、画面を見ると田村だった。真知子先生に視線で断ってから応答をする。
「もしもし?」
しばらくの間、電話の向こうは無音だった。
「田村?」
不思議に思って呼びかけると、「先生」という声が返ってきた。
「家に、パパが来てる」
田村は感情の読めない声でそう言った。一瞬、頭が真っ白になった。
「田村も、いま家に……?」
「今は、お酒を飲んでお母さんに当たってます」
電話口の奥の方からは、ガシャン!という激しい物音が聞こえてきた。
「田村は大丈夫なの!?」
田村は俺の質問には答えず、淡々とした口調のまま続けた。
「きっともう少ししたら、お酒が回って隙が大きくなります。だから……」
息を吸って吐く、その音が聞こえた。
「その時は共犯です」
ブツリ。
そこで通話は途切れた。
慌てて電話をかけ直しても、まったく繋がる様子がない。電源が切られているんだと思った。
「永井くん、今のって……」
真知子先生が心配そうに訊いた。
「真知子先生、田村の住所って調べられますか?」
「え?」
「緊急です。このままだと、取り返しのつかないことになる」
田村が行動を起こす、その前に止めないと。田村から家の住所が聞けない以上、頼みの綱は真知子先生だけだった。
「任せて」
細かい事情なんて分からないはずなのに、真知子先生は真剣な顔で言った。
「その程度の情報漏洩、大事な生徒のためなら余裕でやってあげる」




