計画
家に着いた頃には、さすがに心身の疲労が限界だった。
気を失ったままの田村をベッドに寝かせてから、どうにか軽く汗だけ流して、フローリングの床へと倒れた。
そして、次に目が覚めた時、時計を見ると朝の九時を過ぎていた。
今日は一時間目の授業がなかっただろうか。一瞬だけ焦って、すぐに自分がもう教師の立場をなくしたことを思い出した。
それから、次に思い出すのは昨日の夜のこと。上体を起こして隣を見ると、田村がベッドの上で座っていた。
ぼうっと、うつろな表情で何もない壁を見つめている。
「起きてたんだ」
声をかけても、田村は一切の反応を示さない。まるで、なにも聞こえていないのかと思うほどだ。
不安で心臓が早くなった。
かつて出会った塵霊に魂を食べられた少女が、今の田村と似た表情をしていたことを思い出す。田村の魂も、すでに食べられてしまった後なんだろうか。
「ここ、どこか分かる?」
質問をする。それでも反応は返ってこない。
莉菜の時の繰り返しにしたくなくて、あの塵霊を消すことを選んだのに。この結末なら、五年前と変わらないじゃないか。
「昨日のことは覚えてない?」
質問を変えてみても、田村は変わらない。
もっと早く決断ができていればよかった。そんな後悔が頭を巡り始めた時だった。
不意に田村が口を開いた。
「パパを――、あの人を殺したいです」
突然の強い言葉に驚いた。
田村はベッドの上に座ったまま、俺の方を向き直った。
「先生、保乃科のこと、手伝ってくれませんか?」
虚ろだった目に、今は強い意志が込められていた。
塵霊に身体を取り込まれたことが、どこまで影響を与えたのかは分からない。それでも、莉菜が家から出る決断をしたように、これは田村の心からの願いだと思った。
返答に迷いはなかった。
「分かった」
田村が前に進めるなら、それで構わないと思った。
「本当にいいの?」
「断られると思ってたの?」
「だってこんな頼み、普通は断ります」
少し言葉を交わすと、いつも通りの田村だと分かる。この頼みも、一時の気の迷いや、塵霊に取り込まれたことによるパニックなんかじゃない。
「俺だって、事情を知らなかったら断ったよ。けど、田村がここまで憎む理由も今なら分かるから」
俺の言葉に、田村はかすかに微笑んだ。
「ありがとう、ございます」
まさか本当に殺人に手を貸すわけじゃない。憎しみの感情を出し切ることで、胸の中に溜まった膿のようなものを減らせればいいと思った。
そうすれば、田村の中にある絶望も少しは解消できるはずだから。
「じゃあ、保乃科と先生は共犯ですね」
にっこりと、田村は天使のようなほほ笑みを浮かべて、そんな物騒なことを言った。
……
教師の仕事を失くした俺は、田村の父親殺害計画に付き合う日々が続いた。
忙しくしているのかリオからの連絡はなくて、犬塚には待機の指示だけ伝えておいた。
田村は学校終わりに俺の家に立ち寄って、そこで計画について話し合った。まさか、誰かに聞かれる場所で話すわけにはいかない内容だ。
「死因はなにがいいと思います?」
お昼は何にしようみたいなノリで、そんなことを訊いてくる。
田村はベッドの上にふちに腰をかけて、足をぶらぶらと遊ばせている。
「田村はどうしたいの? たとえば、外傷を残したくないとか、じっくり恐怖を与えてからがいいとか」
「んー。今までの恨みは晴らしたいし、なるべく惨いのがいいけど、やっぱりバレにくいのがいいかなぁ」
「じゃあまずは、いかにバレずにやるかを考えようか。一番は事故死を装うのが王道だろうけど」
と、突然田村はベッドから立ち上がる。
「それより、先生の家ってお菓子とかないの? どこにも寄らずに来たから、お腹すいちゃいました」
「そんなの、一人暮らしの男の家にあると思ってる?」
田村は「えっ」と目を丸くすると、そのまま俺の顔をじっと見つめ続ける。
「なに?」
問い返しても、田村は驚いた顔を続けるだけだ。お互いに口を開かない沈黙の時間が続いて、やがて根負けをしたのは俺の方だった。
「買ってくるよ。なにかご希望は?」
「プリンがいいです! ちょっと硬めの、レトロなやつ」
田村は満面の笑みでそう言った。
コンビニを二軒ほど巡って家に帰ると、そのあとはプリンに夢中になって、ゆるい空気で雑談をするだけになった。
……
「じゃあ、どうしたら警察にバレないと思いますか?」
次の日はそんな議題からはじまった。
田村は今日もベッドの上を占拠して、家主の俺が机の椅子に座っている。この六畳一間の主人は、いったいどっちなんだか分からない。
「昨日も言ったけど、やっぱり事故死に見せかけるのが自然じゃないかな。例えば、高いところから転落させるとか、動けなくした上で火事を起こすとか」
「先生って、もしかしてそういうのに手慣れてる人ですか……?」
田村はジトッと疑いの目を向けてきた。
「人聞きの悪いこと言わないでよ。よくある手法を言ってるだけだから」
「それがスラスラ出てくるんだから、大概物騒です」
屈託のない笑顔を浮かべて、そんな悪口を言う。それで悪い気がしないところが、田村の恐ろしいところだ。
「ちなみに、お父さんって今なにをしている人なの?」
「さあ、あの人がまともに働いているところなんて見たことないです」
父親の話になると、田村の声の温度が一気に下がった。
「じゃあ、してたとしても日雇いとかかな?」
「どうですかね。特に最近は週一くらいで現れるし、この前なんて保乃科の学校の近くまで来てたんですよ? そんな嫌がらせをする暇があるんだから、絶対まともに働いてるわけないです」
田村は、胸に溜まったものを一気に吐き出すようにしゃべった。
前は父親のことを話すのも嫌がっていた印象だったけど、吐き出せるようになったのはいい傾向だろうか。
「けど、あの人の仕事がなにか関係あるんですか?」
「いや。もしも社会的に孤立している人なら、いなくなったことにさえ気づかせないって手もあるかと思っただけ」
もしも人がひとりいなくなったことに誰も気づかなければ、警察の目を誤魔化す必要もない。誰も気づかない場所に遺体を隠すだけなら、少しはハードルも下がるだろう。
「先生、天才すぎてちょっと怖いんですけど……」
田村は身震いするふりをして見せる。俺が「おい」とツッコミを入れると、田村は声を上げて笑った。
我ながら、物騒なことを話している自覚はある。だけど、こうして想像の中だけでも父親のことを殺していけば、少しは田村の溜飲も下がるだろうと思った。
せめて、田村にとって嫌なことを忘れられる時間になれば、それでいい。
この時間に変化が起きたのは、この生活を続けて三日目のことだった。




