岐路
「今週まで、ですか」
とある空き教室で、たった今教頭から言われた言葉を反復する。
莉菜と再会を果たした日の午後、夕方の授業のために出勤した俺を待っていたのは、教頭からの呼び出しだった。
そして、そこで告げられたのは、今週末までで俺の契約を打ち切る、というものだった。
木曜日の今日、つまり明日で最後ということだ。事前に真知子先生から話を聞いていなかったら、大きく取り乱していたかもしれない。
「そうです。休職してた先生が一人、来週から戻ってくることになりましてね。その穴を埋めてもらっていたあなたは、お役御免というわけです」
「そうですか」
自分でも驚くほど淡々とした声が出た。
覚悟ができていたからなのか、教師という立場に固執する理由がなくなったからなのか。これからどうしようか、なんて冷静に考えている自分がいる。
「こんな状況でも冷静だなんて、とことん熱意のない人ですね。どうして教師になったのか、逆に興味が湧いてきますよ」
「もっともな疑問だと思います」
教頭は「ふん」と鼻を鳴らしていらだちを隠さない。
「とりあえず残り今日と明日、しっかりと頼みますよ。くれぐれも学校に悪評が立つような行動は慎んでくださいね」
それだけ言い残すと、教頭は空き教室を出て行った。
殺風景の狭い教室に、一人取り残される。なんとなく、すぐに教室を出る気分にはならなかった。
来週からどうしようか。教師の立場に変わる潜入の方法を探すか、いっそ匙でも投しまおうか。考えたって正解は分からない。
「少し疲れたな」
最近、いろいろなことがあり過ぎた。戦うことも考えることも、もうしばらく遠慮したい。
「リオに報告して……、一応犬塚にも言っておかないとか」
一人つぶやきながら狭い教室をぐるぐる回る。ふと、そんなことをしている自分に気づいて自嘲した。
まったく、なさけないくらいに余裕がなくなっている。
いつまでもこの教室にいても仕方ない。廊下に出て職員室を目指す。それほど私物を置いていないとはいえ、明日までに荷物の整理も進めないと。
ちょうど授業間の休みに入ったのか、廊下は生徒たちで賑わっていた。その間をすり抜けて進む。
と、見知った顔に遭遇した。
「またふらふら歩いてどうしたんですか?」
そんな生意気な言葉で話しかけてきたのは河野だった。俺は思わず足を止めてしまった。
「いつも暇そうにしてるみたいに言わないでよ」
「すいません。あんまり授業終わりの雰囲気に見えなかったので」
「それは合ってるけど、教師には授業以外にもいろいろあるんだよ」
言っていて、少しむなしくなる。クビを告げられるのが"いろいろ"なのか。
そこで話を終わらせて、また歩こうとした時だった。「あの」と、河野に呼び止められてまた足を止めた。
「もしかしてなにかあったんですか?」
河野は突然そんなことを言った。
「なんで……?」
「いや、なんとなく。ちょっと様子が変な気がしたので」
まさか見透かされるとは思わなかった。
だから少し動揺をした。
「河野はさ、あの日の夜、アレを消した俺のこと恨んでる?」
そんなこと、本当は訊くつもりじゃなかったのに。
河野の顔を見たら、訊かずにはいられなかった。
「どうしてですか?」
「だって、アレは河野にとって大事な存在だったんでしょ? それを目の前で無理やり消したんだから、恨まれて当然かなって」
廊下の真ん中で話す内容じゃないのは分かってる。通りかかる生徒たちが、不思議そうに視線を向けてくるのは気づいていた。
それでも今、確認をしておきたかった。
「確かに、なにしてくれてるんだとは思いましたよ」
河野はいらだちの混じった声でそう答えた。
「やっぱり――」
と、俺のその言葉は、すぐに河野の真剣な声で遮られた。
「それでも、俺は救われたんです。別にアレから守ってくれたからじゃなくて、先生がくれた言葉に救われたんです」
「俺の言葉?」
「楽な方に逃げるなって。しがみつかなきゃダメだって。あの時、先生がそう言って引き止めてくれたから、俺は新しい道で頑張れてるんです」
目から鱗が落ちたような、ハッとした気持ちだった。
俺はあの時、ちゃんと河野を引き止めることができていたのか。
忘れ物をしたと言って廊下を引き返す莉菜のように、全部を投げ出そうとする河野へ、俺はちゃんと手を伸ばせていたのか。
「そうか、それでよかったんだ」
「それ?」
自然とこぼれた声に、河野は怪訝な顔をした。
「やっと、答えが見つかった気がして……」
さっきまで空き教室で一人悩んでいたのが嘘みたいだ。
結局、塵霊なんてなにも関係ない。ただ手を伸ばして、引き止めればいいだけのことだったのか。
「よく分かんないですけど、なにか解決したならよかったです」
そう言って河野は笑った。
「ありがとう。おかげで、やることが分かった気がするよ」
河野に感謝を告げてから、急いで校舎の外へと出た。
まずやるべきことは一つだ。




