突然の報せ
その翌日、俺は授業を休んだ。
この日の授業は一コマだけだったけど、ひどく怒られたのは覚悟していた通りだった。
一晩眠っても全身の痛みは引いてくれなくて、それどころか場所によっては痛みが増している。
怪我を隠せる自信もなければ、誰かと話す気力もなかった。
ベッドの上で痛みと闘うだけの、無為な時間が過ぎていく。気づけば、学校では放課後を迎える時間になっていた。
不意に、枕元に置いた携帯が鳴る。画面に表示されていたのは、犬塚の名前だった。電話に出ると、犬塚の心配そうな声から始まった。
「どうですか? 怪我の具合は」
「まあまあかな。少なくとも、そこまでひどくはないよ」
犬塚は昨日の新しい怪我のことを知らない。どうしても返事は歯切れが悪くなる。
「それならいいんですけど……。今夜はどうしますか?」
昨夜のショートカットの女子生徒の泣き顔が頭によみがえる。
あの猿を消したことに、間違いはなかったはずだ。あの女子生徒だって、しばらく時間が経てば、少しは気持ちも落ち着いてくるかもしれない。
それでも、塵霊と戦うことへの躊躇いは、消し切ることができなかった。
「やっぱり、まだ厳しいですよね。すみません」
答えに迷っていると、この沈黙を怪我の具合のせいだと受け取ったみたいだ。
犬塚には迷いを悟られるわけにはいかない。 怪我がひどいのは事実だし、あえて訂正はしない。
「ごめん。明日にはきっと良くなるから」
「いえ! 全然、無理しないでください」
犬塚はそれから「お大事にしてください」と言って電話を切った。
少しの罪悪感。最近では犬塚もそれなりに仕事に慣れてきて、その中で俺が足枷になっている。
大きくため息を吐き出した時、また携帯が着信音を鳴らし始めた。
また犬塚からかと思って画面を見ると、そこには知らない携帯番号が表示されている。
出ると、聞き覚えのある女性の声だった。
「あ、もしもし。眞鍋ですけど、鴨居先生の携帯であってますか?」
「あってますけど。どうかしたんですか?」
わざわざ電話をかけてくるなんて、いったいなんの用事だろう。分からないけど、良い話でないのは想像がつく。
「あの、すぐにお伝えしたいことがあったので……。すいません、名簿で番号を調べてしまいました」
真知子先生のその声は、明らかに硬くなっている。嫌な予感は、ますます膨らんでいく。
「いいですよ、別に。秘密にしてる番号でもないので」
「あ、ありがとうございます……」
「それで、どうしたんですか?」
テンポの悪い会話に焦れて、ついトゲのある言い方になってしまった。真知子先生は慌てて謝って本題に入った。
「二つ、お知らせしなくちゃいけないことがあります」
その言葉が重い。
目を閉じて続きを待った。
「鴨居先生が夜の学校を徘徊してるって、教員の間で噂になってました。しかも、うちの女子生徒と一緒だったとか……」
覚悟はしていた内容だ。ショックはない。本当なら、もっと早くこうなっていてもおかしくなかったんだ。
「あ、もちろん私がしゃべったんじゃないですからね!? 以前、警備員さんがパトロール中に鴨居先生を見かけて、教頭までその話がいってたらしいんです。それで、教頭から警備員さんに監視するように指示がいってたみたいで……」
真知子先生のその話は、ほとんど頭に入ってこなかった。
事情なんてどうでもい。大事なのは、教員として潜入することができなくなったという事実。
教員という立場を失って、どうやって旧校舎に入ろか。いっそこんな仕事、もう放棄してしまおうか。
「あの、まだクビになると決まったわけじゃないと思います! もし上がそんなことを言い出したら、私が抗議します」
真知子先生の真剣な声に思わず苦笑が出た。
「いいですよ。ヘタに揉めることになったら、絶対に勝ち目がないですから」
「けど、ちょっと怪しいから解雇なんて、許されるはずないです」
「本当にいいんです。もともと、俺なんかが教師をやってていいはずがないんです」
下手に話が大きくなって、経歴の嘘までバレたら面倒だ。それに、真知子先生を巻き込むわけにもいかない。
「けど……」
真知子先生の言葉はそこで詰まる。
電話越しに少しの沈黙が流れた。
「教えてくれてありがとうございました。処遇がどうなるかは、自分の耳で確かめてみます」
まだ正式にクビを切られると決まったわけじゃない。色々と考えるのは、それからでも遅くはないはずだ。今さら、この偽物の教師という立場にみっともなくしがみつく気持ちもない。
礼だけ告げて電話を切ろうとしたら、真知子先生は「待ってください」と慌てて引き留めた。
「まだなにか?」
「すみません、もう一つの伝えたいことの話です」
そういえば、と思い出す。はじめに真知子先生は、二つ伝えたいことがあると言っていた。
「はい」
あいづちを打つと、また真知子先生は沈黙で返した。今の話以上に、言いにくい話題なんてあるんだろうか。
しばらく待っていると、押し殺したような低い声が聞こえてきた。
「吉田先生って、ご存知ですよね? 昨年に定年で退職されてますが、今日、顔を見せに来てくださったんです」
その名前は知っている。俺が三年生の時に担任だった、初老の先生だ。
「吉田先生がなにか?」
まだ話は見えてこない。いくら担任だったとはいえ、特段親しくしていたわけじゃない。
「先生がお話しされてたんです」
真知子先生はそこで一度つばを飲んだ。
それから、一瞬の間があってから続けた。
「今日学校に来る前、上原さんに似た女性を見たって」
一瞬、本当に心臓が止まったんじゃないかと思った。
「上原って、まさか上原莉菜ですか?」
「はい。三年の途中で学校をやめてしまって、すごく心残りのある生徒だったと言ってました」
どうしよう、次の言葉が出てこない。
吉田先生が莉菜を見た。
見間違いや人違いという可能性だってゼロじゃない。だけど、強く記憶に残っているはずの莉菜を間違うことは、あまり想像がつかなかった。
「鴨居先生は――。ううん。永井くんは、上原さんに会いたいと思う?」
そんな問い、答えは決まりきっていると思ってた。
なのに、意外にも俺は言葉につまってしまった。




