遭遇
「なんていうか、この旧校舎もだいぶ開拓してきた感じがしますね」
いつものように犬塚と二人で旧校舎を探索する。
今は異質な気配も薄くて、校舎の構造もおかしいところは見当たらない。当たり前に不気味な、ただの夜の校舎だ。
「そうだね。全然塵霊もいないし、一階はもうクリアしたのかも」
「クリア?」
犬塚はきょとんとして訊いた。
「校舎の構造もいじられなくなったし、あの幽霊にとってはそういう認識なのかなって」
「あの幽霊にとって、俺たちはゲームみたいなものなのかなって」
「確かに、見事に遊ばれてますしね」
夜の旧校舎の不気味さにもすっかり慣れて、緊張感のない空気のまま練り歩く。そこから少しすると、二階へと続く階段が見えてくる。
犬塚は階段に向かって小走りになった。
「鴨居さん! 早く二階を調べましょう!」
階段を途中まで上ると、振り返って大きな声を出した。
何度も危ない目に遭っているのに、一人で突っ走るクセは相変わらずだ。
張り切っている犬塚のペースには合わせないで、ゆっくりと階段を目指す。犬塚はまた前を向いて、階段を上り始めた。
ふと、視界の端で何かが動いたような気がして足を止めた。左手の先にある廊下を、長い髪が抜けていくのが見えた気がした。
「今のは……」
自然と足がそれを追いかけていた。
「あれ、鴨居さん?」
そうだ。一階にはアレがいた。
初めて田村とこの旧校舎で会った時に見かけた、長い髪の人型の塵霊。それを見かけたのは、この一階を歩いている時だった。
廊下の角を曲がる。
その先に、髪の長い女性のシルエットがあった。
ストレートの長い髪は肩甲骨の先あたりまで伸びて、体格は華奢だった。彼女はこっちに背中を向けて、ゆっくりと歩いている。
どうしてか、懐かしい気持ちが湧き上がるのを感じていた。
刀の柄に手をかけつつ距離を詰める。今なら他の塵霊の邪魔もない。やれるはずだと思った。
長い髪の塵霊は、ピタリと足を止めこっちを振り向いた。その瞬間、俺の中の時間が止まった。
長い髪と少しふっくらした輪郭。振り向いた塵霊のその姿が、あまりにも莉菜に似ていたから。
人の形を模した塵霊も、人体の細かいパーツがあるわけではない。だから、なにが莉菜に似ているのかなんて、はっきりとは分からない。
だけどたしかに、目の前のこの塵霊から莉菜の面影を感じていた。
「お前か。莉菜を食べたのは」
それはゆっくりと、こちらへ近づいてくる。
もしも本当にこの個体が莉菜を食べたのなら、まさに仇の相手になる。ずっと探し続けてきた、他のどの個体よりも憎むべき相手。
だけど、とも思う。
もしこの塵霊が莉菜の魂を食べたのなら、食べられた魂は今もコレの中にあるはずだ。それがただの突拍子もない願望でないことは、このあまりにも似たシルエットが証明をしている。
どうする。
どうしたらいい。
掴んだ武器を抜くことができない。戦えばいいのか、保護をすればいいのか、一切の判断がつかない。
向かって行くことも、引くこともできなかった。
瞬間、カノジョは咆哮した。
『アアアアアアァァァッ!!』
甲高い声が頭の中に直接鳴り響く。
思わず両手で耳をふさいだ。頭の中がノイズでいっぱいになって思考が飛んだ。平衡感覚さえ怪しくなって、ぐらぐらと目眩がする。
「鴨居さん!」
犬塚の声が耳に届いた。
頭のノイズが消えて意識が鮮明になる。視界がクリアになると、すぐ目の前まで巨大な白い何かが飛来しているのが見えた。
それが教室のドアだと脳が認識するのと同時、その勢いのまま、ドアは俺の身体を強打していた。
ガン!という、硬い物同士がぶつかる鈍い音。それから、ガラスが割れて飛び散る音がした。
気づけば、床を転がっていた。
身体が痛い。どこが痛いのかなんて分からないくらいに、全身が痛かった。
腕に力が入らず立ち上がれない。顔を上げると、莉菜に似たその塵霊がすぐそこまで迫っていた。
逃げられない――。
そう覚悟をした。
「やめて!」
犬塚の声がすぐ隣から聞こえた。
その直後、パンッ、という破裂音。犬塚がエアガンを構えているのが見えた。
莉菜に似た塵霊は、力の込められた弾に怯んで後退をした。
「逃げましょう!」
必死なその声に身体が突き動かされた。
全身の痛みを無視して、無理やり立ち上がる。両足に体重がかかると、また痛みが激しくなる。それでも、この塵霊から逃げようとして必死に走った。
しばらく走ったところで後ろを振り返る。カノジョが追いかけてきている様子はない。それでも気を緩めずに走り続けて、玄関口を出たところで糸が切れた。
乱れた息を整えるために荒く呼吸をしながら、痛みに耐えるために地面にうずくまる。
痛みと戸惑いだけが頭を埋め尽くす。
頭の中はぐちゃぐちゃで、なにも考えられない。身体が痛くてうずくまっているのか、心が痛くてうずくまっているのか。
「鴨居さん、大丈夫ですか?」
顔の近くから犬塚が呼びかける声がする。その声で、なんとか意識が繋ぎ止められていた。
「ごめん、迷惑かけた」
「そんなこと。ドアごと吹き飛ばすなんて、デタラメ過ぎます」
それくらいの芸当、人の形になるまで成長した塵霊ならあり得ない攻撃じゃない。それが分かっているのに食らってしまったのは、失態以外のなにものでもない。
「先、帰ってていいよ。俺も落ち着いたら帰るから」
「こんな怪我してるのに、私だけ帰れません! だって、こんなに血も出てるのに……」
犬塚に言われて始めて、自分のスラックスの一部が赤黒く染まっているのに気づいた。たぶんガラス片が刺さったんだろう。他にも、ドアの角が直撃した左腕がジンジンと痛んで、ほとんど動かせない。
思わず笑ってしまうくらいにボロボロだった。
「ごめん、ちょっとひとりになりたいんだ」
犬塚の顔を見られず、うずくまる体勢のままで言った。
困らせているのも分かっているし、情けない姿を見せている自覚もある。それ以上に、今この状況が耐えられなかった。
「分かりました。けど、もし一人で帰れなさそうなら、すぐに呼んでください」
その言葉の後、犬塚が離れていく気配があった。
せめて教師や警備員に見つからないように、植え込みの影まで移動をした。
たったその程度の移動でも全身が痛くて、当分は家まで帰れそうになさそうだ。




