デート@新宿
年甲斐もないというのは、まさしくこういうことを言うんだろう。
田村から誘われた「デート」の待ち合わせ。恥ずかしいくらいに緊張をしていた。
デートだなんて、田村が俺を揶揄うために言っただけで、実際はただ用事に付き合わされただけに決まってる。
久しぶりにちゃんとした私服で出かけて落ち着かなくなる。普段は毎日がスーツで、たまに私服を着たって、近所のコンビニ行ける程度の緩い格好だ。
ずっとタンスの中に押し込まれていたジャケットなんて引っ張り出して、なんだか気合いが入っているみたいで恥ずかしい。
待ち合わせの時間は十二時半。田村が指定した場所は、新宿駅の東口だった。
視界のすべてが人、ひと、ヒト。見渡す限りがビルと人で埋め尽くされていて、もうそれだけでくたびれてしまいそうだ。
そもそも、こんな人混みの中に来ること自体が久しぶりだった。休日の昼間ということもあって、人混みを構成しているのは若者たちが中心だ。なんだか、自分がとても場違いなところにいる気分になってくる。
やがて、時間になっても田村は来ない。それから五分ほど待ってみても、それでも田村は来なかった。
やっぱりあの約束自体、俺を揶揄うための嘘だったんだろうか。
不安になり始めた時、駅の出口から小走りで来る田村が見えた。
思わず、息を呑んだ。
普段学校で見る制服姿とは違う。レースのついた白いブラウスに、膝丈の黒いスカートを合わせている。ふわりとした可愛らしい印象のそのデザインが、田村にとても似合っていた。
髪もアレンジがしてあるのか、片側を編み込んであるのは変わらないけど、いつも以上にふわりと広がっている。
さらに、メイクも休日用になっているのか、顔の雰囲気まで違っている。ただでさえパッチリとした瞳も、今はもう吸い込まれそうなほどだ。
今の田村は、このまま雑誌の撮影でもできそうなくらいだった。
「ごめんなさい、待たせちゃいました?」
「あ、いや……」
大きな瞳が目の前まで近づいてうまく返せない。
そんな俺に、田村は腹を立てるふりをした。
「ダメですよ。女の子が後から来たら、『今来たところ』 って返すのがマナーです」
「やだよ、そんなベタな会話」
思わず、ぶっきらぼうな声になった自覚はあった。
「ケチな先生」
「で、結局今日はなんの用なの? 荷物持ちとか?」
今日、なんのために呼び出されたのか俺はまだ知らない。いい加減に、それを確認しておきたかった。
「保乃科、そんなことするキャラに見えます?」
「分かんないけど、しないとは言い切れないかな」
保乃科はわざとらしく頬を膨らませて、不満気なそぶりを見せた。その頬にあった痣は、もうすっかり引いている。
この瞬間だけ切り取れば、表情が豊かな普通の女の子にしか見えない。
「言いましたよね、デートだって。保乃科は、ただ先生と歩きたかったんです」
「それで新宿?」
その質問に、田村は微笑むだけだった。
「お昼まだですよね? オススメのお店があるんです」
そう言って、田村は繁華街の方へ歩き出す。慣れた様子で、迷いのない足取りだ。
俺は一歩その後ろをついて歩いた。田村の隣を歩くには少し勇気が足りていない。教師失格と言われたらそれまでだけど、恥ずかしい話、意識をしてしまっていた。
「先生は新宿とかよく来ますか?」
「めったに来ないかな。用事もないし」
「買い物に来たりとかは?」
新宿を歩く田村の足取りは軽やかだ。
「いや、そもそも家からあんまり出ないし」
「えー! じゃあ、なにか趣味とかないんですか?」
田村は本気で驚いたような心配したような声を出した。
「ないよ、そんなの。毎日仕事とそのための準備だけだし」
田村は足を止めて振り向く。
「じゃあ、もし保乃科がデートに誘わなかったら、今日はどうしてたんですか?」
その質問の答えは考えるまでもない。確実に家から出なかったのは間違いない。日中はトレーニングと最低限の授業の準備をして、夜からはまた旧校舎に向かっていたはずだ。
「たぶん、何もしてないかな。大人なんてそんなものだよ」
田村は悲しげに眉を下げた。
「つまらないね、大人って」
言葉の通り、田村は本当につまらなそうにつぶやいて、また歩き出した。
やがて、新宿三丁目のエリアまで進んだ頃、繁華街から外れた細道へと入る。そこで案内されたのは、看板も何もない西洋風の建物だった。
不思議に思いながら中に入ると、どうやらスペイン料理を扱った店らしい。狭い店内は薄暗く、余計な飾りのない内装は落ち着いた雰囲気を醸し出している。カウンター席も用意されていて、夜にはバーになるんだろうと分かる。
どこかカジュアルな雰囲気の店員に案内をされて、店内の奥の席へ向かい合って座った。
店内を眺めていると、田村はにやにやと笑い出した。
「もしかして、ちょっと緊張してます?」
慣れない店に落ち着かないのが見抜かれていた。
「緊張はしてないけど、普段あまり来ない雰囲気の店だから」
「よするに緊張してるんじゃないですか」
言い返せないのが悔しい。無理やり話題を変えた。
「それより、よくこんなお店知ってたね。いかにも穴場って感じのお店だけど」
休日の昼の新宿なんて、飲食店はどこも飽和しているはずだ。いくら駅から少し離れているとはいえ、それだけでは説明がつかない。味はまだ分からないけど、普通ならもっと繁盛していてもいいはずだ。
田村は得意げに笑って答えた。
「このお店、実はネットで探しても出てこない、隠れた名店なんです。基本的にはオーナーさんの紹介しか来ないので、パーティとかがない限りは満席にはならないんです」
「そんな店を、なんで田村が?」
「保乃科、実はちょっと新宿には詳しいんです。知り合いも、この辺りには結構いるんですよ?」
そう言って、田村はじっと俺の顔を見た。なにかを訴えるような、期待するような目に見えた。
なんで新宿に詳しいの? その人たちとはどこやって知り合ったの? 訊きたいことはあったけど、それを確かめるだけの勇気はなかった。
「交友関係が広いんだね」
自分でも呆れるくらい、中身のない言葉が口を出た。
田村はこおり水の入ったグラスを右手で回して、からからと音を立てた。
「別に、全然そういうんじゃないんですよ。ここにはいろんな人がいるから、保乃科はただのその中のひとり……」
なにか言わなければいけないのは分かっていて、ふさわしい言葉が出てこない。その空気を壊すように、最初の店員とは違う若い男がやって来た。
「いらっしゃい。今日はどうする?」
「あ、リュージさん。いつものランチを二つお願い」
「オッケー。もしかして、そっちのは彼氏さん?」
リュージと呼ばれた男は、俺の方を一瞥しながら、「いらっしゃい」と言った。いかにも軽そうな身なりの男だ。
「そう見えますか?」
田村はそう言ってリュージの問いをかわした。リュージは「今度お教えてね」なんて言いながら厨房の方へと歩いて行った。
「あの人がオーナーさん?」
「ううん、オーナーはいつも店にはいないから。お店のことは、今のリュージさんが切り盛りしてるんです」
「ふうん、仲良いんだね」
紹介で来ているくらいなんだから、きっともう常連なんだろう。それなのに、田村は鼻で笑いながら言った。
「先生にはそう見えましたか?」
「それは……」
「リュージさんは、一度だって保乃科の名前を呼んでくれたことがないんです。みんなにああやって笑いかけて、同じ言葉をかけてるんですよ」
どうして田村は今日の待ち合わせに新宿に選んで、この店を俺を呼んだのか。その理由が、少しだけど分かった気がした。
きっと、伝えようとしているんだ。
「田村」
少し真剣な声で名前を呼んだ。
「教えてくれてありがとう」
突然の言葉に、田村は目を丸くした。
「なんですか、急に。本当に変な先生ですね」
おかしなものでも見るような視線が突き刺さる。
だけど、それには構わないで言葉を続けた。
「相手がなにを考えてるかとか、たぶん、俺は察するのが下手くそなんだと思う。でも、知りたいとは思うから。ちゃんと伝えようとしてくれて、嬉しかった」
田村が視線を逸らす。それから小さい声が返ってきた。
「ダメですよ先生。女の子は察して欲しい生き物なんですから」
「ご、ごめん」
「でも」と、再び前を向いた田村は笑っていた。「ちゃんと言葉にしてくれたので、今回は及第点です」
その笑顔に、トン、と胸が跳ねた気がした。
私服の田村を見た時に覚えたものとは、また違う種類の感覚だった。
ほどなくして、最初に席まで案内をした店員が二人分の料理を運んでくる。それからは真面目な話も控えめに、出された食事をゆっくりと味わった。
一般のお客さんのいないお店でも、その味は本物だった。タパスもメインのリゾットも、本場のような風味がありつつ、きちんと日本人の舌に合う味わいになっている。なんでも、あのリュージという男は、本場に住んでいた経験もあるという。
田村のおしゃべりに付き合って小一時間ほど滞在し、やっと食後のコーヒーを飲み終わったところで店を出た。
最後に見送りに来たリュージは、たしかに田村の名前を呼ばなかった。
そこからは、いわゆる普通のデートコースだったと思う。
田村のやりたいことに付き合わされて、いろいろなお店を巡った。女性向けのアパレル店に無理やり連れ込まれた時は、どっちの柄がいいかなんて意見を求められたり。その後は、今度はデザートが食べたいと言われて、行列のできる店に並ばされたりもした。
そんなふうに過ごしていると、いろいろなことを忘れそうになった。俺の仕事のことも、田村の背景に暗い影のことも。
それくらいに、この時間が自然なものに感じていた。
重たいパンケーキを食べさせられて、若干の胃もたれを感じながら店を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。これから飲みに行こうとする集団の姿も多くあって、昼間までとはまた違う表情を見せている。
ああ、そうだ――。
その光景を見て、どうして自分が新宿に近づかないようにしていたのか、その理由を思い出した。
雑居ビルに囲まれた細い路地に視線を向ける。夕陽が届かずに薄暗くなったその場所に、いくつかの淡い光の球が浮かんでいるのが見えた。その光の球は、俺の視線に気づいたのか、設置された室外機の陰にサッと隠れた。
塵霊が潜んでいるのは、なにも建物の中だけじゃない。たくさんの感情が渦巻く場所なら、どこでだってヤツらは発生する。いつも若者で溢れているこの新宿という街は、ヤツらが生まれる絶好の場所だった。
「そうだ、最後に一つだけ寄って行っていい?」
もともと馴れ馴れしかった田村は、もうすっかり砕けた態度が身に付いている。こうなったらもう、満足するまで振り回されるだけだ。
「次はどこに行きたいの?」
「こっちにね、保乃科のイチオシの雑貨屋さんがあるんだ」
言って、田村は小走りになる。「こっち!」と向かったのは、何体もの塵霊が潜む細い路地の方だった。
多くの人にとって、塵霊は特に危害のあるものではない。だけど田村の場合は違う。この中のどれかの塵霊と共鳴をしてしまう危険もあった。
田村が路地に入った瞬間、一体の塵霊が物陰から飛び出す。その姿が見えたのか、田村はハッとした様子で顔を上げた。嫌な予感が的中をした。
俺も遅れて路地へと入り、塵霊が田村を襲うより早く、とっさに腕を引いた。
田村の身体を自分の胸の方に引き寄せてから、ポケットに忍ばせていた札でそれを消した。
「大丈夫?」
すぐ目の前に田村の顔があった。
至近距離で目が合って、次の瞬間、俺は強い力で突き飛ばされていた。
「いやっ!」
間違いなく、本気の拒絶だった。少し後ろによろけたあと、田村の顔を見ると、恐怖に怯える表情があった。
突然のことでお互いに呆然としていると、田村の悲鳴を聞いた通行人がこっちを見ていた。
田村はそれに気づくと、ハッとした表情をしたあと、必死に否定をし始めた。
「ち、ち、違うんです。ごめんなさい違うんです」
通行人はすぐに興味をなくして去っていく。それを確認してから、田村は俺の方を向いて、また必死に謝り始める。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。つい反射的にっていうか、全然、そんなつもりじゃなくて」
「そんな謝らなくていいから。俺もちょっと強引だったし」
少しでも田村を安心させようとして、できる限りの優しい声を作った。それでも、田村は過剰なくらいに首を横に振った。
「ちゃんと分かってるんです。先生が、あの変な光から守ろうとしてくれたんだって。それなのに、保乃科、先生の方を怖いって思っちゃった……」
「しょうがないよ。あれはその怖さが分かりにくいようにできてるんだから」
田村は鼻をすすりながら、力なく首を振り続ける。かけるべき言葉が見当たらなくて、それが悔しかった。
すすり泣く田村の横にただ立って、落ち着くようになるまで待ち続ける。最初は不規則だった呼吸も少しずつ落ち着いてくると、今度はさっきよりも少し落ち着いた声で語り始めた。
「先生は、ちょっとだけパパに似てるんです」
「俺が?」
こくりとうなずく。
「パパは身体も大きいし、見た目は全然違うけど、なんていうか雰囲気が。二人とも目に温度がないっていうか、すごく、空っぽなんです」
俺には、その「パパ」のことは分からない。だけど、俺のことを空っぽだと表現したのは、これ以上ない喩えだと思う。
莉菜を失ってからずっと。いや、莉菜と出会うまでの間もずっと、俺は空っぽだったんだ。
「だから、俺がお父さんに見えたの?」
それにもまた、こくりとうなずいた。
「怖かったんです。また殴られるような気がして」
その言葉に、俺は何も言えなくなる。あの時の、頬についていた痣がハッキリと思い出された。
「すいません、失礼ですよね。先生は、ちょっと不真面目だけどちゃんと先生をやってるような立派な人で、あのクズとは似ても似つかないのに」
田村はその最後に、「なんでなんだろ」と加えた。
「俺は、田村が思ってるような立派な人間じゃないよ」
田村にはまだ、本当のことは話せない。それでも、これだけは伝えておきたかった。
「今日はもう帰ろう」
そう提案すると、田村は小さくうなずいた。
新宿の駅まで向かうその間、俺たちはお互いにひとことも言葉を交わさなかった。どんな言葉を伝えればいいのか、まるで分からなかった。
俺たちのデートは、こうして終わりになった。




