変化
「ど、どうしたの!?」
翌日、様子が気になって河野のクラスの前まで行くと、驚いた声が廊下から聞こえてきた。
この慌てた騒がしい声には、よく聞き覚えがあった。
「怪我は辛いと思うけど、別に野球自体を諦める必要なんてないんだよ?」
「真知子先生。心配してくれてるのは分かりますけど、これは自分で決めたことなので」
廊下で話をしているのは、真知子先生と河野だ。
河野の姿が見えた瞬間 、真知子先生がやけに慌てている理由が分かった。河野は分厚い眼鏡をかけて、「合格」と書かれた鉢巻を額に巻いていた。昨日までは着崩していた制服も、今ではカチッとワイシャツの第一ボタンまで止めている。
確かに、驚くのも無理はない変貌ぶりだ。
ふと、河野がこっちに気づいて「鴨居先生!」と声を上げた。その声で、背中を向いていた真知子先生も振り向いた。
河野は小走りで駆け寄ってくる。
「昨日はありがとうございました。あれから考えたんですけど、やっぱりやりたいこととか分からなくて……。だから、いつか困らないように、まずはちゃんと勉強をすることにしたんです」
「そ、そっか」
休み時間の廊下でそんな話をされると、他の生徒にも聞かれていそうで恥ずかしい。何よりも、すぐ目の前で真知子先生が聞いているのは問題だ。
真知子先生は、何事かとますます困惑した表情になっている。
「野球の推薦でこの学校に入ったくせに、ちゃんと恩返しもできてないですから。せめて勉強くらい頑張らないと」
そう話す河野の顔は、もう昨日までとは違っていた。まるで退路を塞ぐみたいに投げ込みをしていた頃の河野は、もうどこにもいない。表情にも、少し余裕が出てきたように見えた。
「それは立派だけど、その鉢巻と眼鏡はちょっとやりすぎじゃない……?」
そう言うと、河野は少し拗ねた顔をした。
「勉強は分からないので、まずは形から入ろうかと思ったんですけど」
その反応がなんだか可笑しかった。
「うん、まあいいと思うよ。なんとなく河野らしい気もするし」
河野は軽くはにかんだあと、小さく一礼をして自分の教室に戻っていった。どこか雰囲気も少しだけ柔らかくなったような気がした。
なんだかすごく、不思議な気分だった。
むず痒いような落ち着かない気持ちの他に、何か心の奥にじんわりと広がるものがある。
その感情の名前はわからない。だけど、少なくとも嫌な気分ではなかった。
「あ、あの。河野くんとは、なにが……」
真知子先生は戸惑いを通り越して、おろおろとしてしまっている。
野球一筋だった男が急に勉強に目覚めたり、やる気のない教師が生徒から感謝を受けているんだから、それはもう驚くのも無理はないと思う。
俺は聞こえなかったふりをして、軽い会釈だけをして来た道を引き返した。河野のことを話せば、どこかで必ずボロが出そうだ。




