旧校舎の怪
夜の旧校舎を見上げるのも、これで三回目になる。もっとも、自分がここの学生だった頃は、毎日目にした景色だけど。
旧校舎の前で犬塚と合流をする。先に来ていた犬塚は気合十分という顔で、後から来た俺を待っていた。
「鴨居さん、今日も人型は出てきますか?」
開口一番がそれだった。
「さあ、あいつらは結構気まぐれだし」
「なら、絶対に見つけ出します」
やけに真剣な顔でそんなことを宣言する。人型を倒せたら大手柄だとでも思っているんだろうか。
「探して出てくるような相手ではないけどね」
立ち入り禁止のロープをまたぎながら言った。
「それでもです! ちゃんと役に立てるってところ、見せてあげますから」
ひょっとしたら、前回の調査を参加できなかったことを気に病んでいるんだろうか。いかにも軽そうな見た目に不釣り合いなほど、やる気で目をたぎらせている。
そんな犬塚の姿に、なんだかむなしい気分になる。
やることなんてどうせ、ただ塵霊を消していくだけなんだ。どんなにこの仕事を頑張ったって、莉菜を取り戻せるわけじゃない。
犬塚はまだ、なにか期待を持ってこの仕事へ向き合っているみたいに見えた。
「やる気なのはいいけど、変な期待や希望は捨てた方がいいよ」
塵霊に食べられてしまった莉菜が、そのままの姿で今もこの旧校舎にいるなんて、そんなことはありえないんだから。
「別に期待なんてしてません」
立てつけの悪い旧校舎のドアを開けるのに苦戦する。ギシギシ、と、なるべく大きな音が立たないように慎重に開けた。
「そう? なんだかずっと張り切ってるみたいに見えるけど」
「私は張り切ってなんか……」
と、犬塚はそこで言葉を止めたと思うと、急に押し黙った。
「どうかした?」
「あの、なにか聞こえませんか?」
言われて耳をすませる。確かに、パスッ、という小さな音が定期的に聞こえてくる。音は旧校舎の隣、部活棟の裏から聞こえていた。
「確認してくる。隠れて待ってて」
本来、この時間に生徒が学校にいるのは校則違反だ。生徒のふりをした犬塚が見つかれば問題になる。犬塚が隠れたのを確認して、音の聞こえる部活棟の裏に回った。顔だけを出して覗き込むと、そこには一人の男子生徒の姿があった。彼は、奥のネットに向けて淡々と野球ボールを投げ込み続ける。
しばらく眺めて気づく。今ボールを投げているのは、前に新校舎の廊下で見かけた、ピッチングの動画を真剣に見つめる端正な顔立ちの男子生徒だった。
「なにしてるの、こんな時間に」
思わず声をかけてしまった。男子生徒は投球をやめて振り向いた。
「とっくに下校時間は過ぎてると思うけど」
「ただの自主練ですよ。投げ込みができる場所って、学校くらいしかないので」
まるでやましいことなんてなさそうに、彼は淡々と答えた。あまりにも自然な態度で、思わず違反を見逃しそうになるほどだ。
「そう言われても、今は生徒がいていい時間じゃないから。練習がしたいなら、どこか公園でも使ってやりなよ」
その忠告にもすぐに反応しないで、じっと黙ったまま見つめてくる。あまりにも真っ直ぐに見つめられて、まるで睨まれているのかと思う。
不意に、彼は手に持った野球ボールを近くのカゴの中に投げ入れた。
「分かりました」
それだけ言うとそのまま正門の方へと歩いて行って、やがて見えなくなった。なんだか、不思議な空気の生徒だった。
男子生徒を見送った後、予定通り犬塚と合流して旧校舎の中に入った。
何度入っても変わらない真っ暗な校舎。玄関を上がったところで、ライトをつける。
目の前が光で照らされた瞬間、思わず目を疑った。
見えてきたのは、正面を塞ぐ壁だった。右にも壁があって、左手側に唯一廊下が続いている。左右と前方に伸びていたはずの廊下が、今はその一本しかなくなっていた。
「なんだ、これ……」
「どうかしたんですか?」
犬塚は異変に気づかず、そんなことを訊く。
「道が変わってるんだよ。前はもっといろんな場所につながってたのに」
そこまで話すと、犬塚はアッという顔をした。
「でもなんで……。そんなのありえないです」
「そうだね。普通はありえない」
左手に見える一本道の廊下には、すでに数多くの塵霊の姿が見える。まるで人が来るのを待ち構えているかのようだ。ここを通ることが分かっている、とでも言いたげだ。
「じゃあ、どうするんですか?」
「どうもなにも。とりあえず進むしかないよ」
たとえ異変があったとしても、道がある限りは進むしかない。倒すべき塵霊の姿が、そこに見えているんだ。
「わ、分かりました。私はもう、今までの私じゃないんです」
そう言って犬塚が取り出したのは、一丁のエアガンだった。ピストル型のそれは、小ぶりな犬塚の手にも収まるサイズだ。以前リオから、犬塚へと渡すように託されたお土産の中身がこのエアガンだった。
俺の小刀と同じで、精神力を通わせることで塵霊を消すことができる武器だ。銃身にはリオによって力が込められていて、そこに使用者が力を合わせてリボルバーを弾くことで、はじめて塵霊にダメージを与える弾丸が放てる。
このエアガンを最初に渡した時、犬塚はあらぬ方向に空砲を放ち続けていた。
「それ、ちゃんと使えるようになったの?」
「バカにしないでください。こんな鉄砲、百発百中です」
相変わらず自信満々に答えられて、これ以上なにも言えなくなる。練習できる時間なんて、ほとんどなかったと思うんだけど。
「まあ、ちゃんと撃てるならいいんだけどさ……」
犬塚が本当にそれを使えるようになったのか、確かめている暇はない。俺が廊下を進みを始めると、待ち構える塵霊たちはざわざわと空中を動き回り始めた。
「待ってくださいよ!」
慌てて犬塚がついてくる。と、同時、いっせいに塵霊が飛来した。
「って、きゃあああ!!」
どれも小さな電球サイズで数は十体以上。ライトは床に置いて、小刀を鞘から抜く。そして、迫ってくる敵を切っていった。が、消しきれなかった数体の塵霊が後ろの犬塚のもとに迫った。
犬塚がライトを落としたのか、あらぬところが照らされる。次に、パンッ、という発砲音がした。
振り向くと、数体の塵霊がいっせいに飛び掛かるところだった。エアガンからの一撃が当たった様子はない。避けようとした犬塚は廊下に倒れる。不恰好だが、それが一瞬の時間稼ぎにはなった。
とっさに、刀を捨てて札を取り出す。倒れた犬塚へ狙いを変えようとする塵霊たちへ、まとめて札を叩き込む。小さな個体は、その一瞬ではじけ飛んだ。
待ち構えていた塵霊たちは、これで一旦すべてが片付いたみたいだ。
「立てる?」
犬塚は廊下に倒れてうつむいたままでいる。なかなかに多難な滑り出しだ。
不意に、勢いよく立ち上がった。
「大丈夫です、次はちゃんと上手くやれます!」
その言葉が自分に言い聞かせているだけなんて、俺でさえ分かった。
「やっぱり、その武器はまだ早いんじゃない? 柔軟に札と使い分けられるなら便利だけど、まずは基本を抑えないと」
「今のはちょっと驚いただけですから」
犬塚は少し意地になったように言うと、廊下の奥に向かって一人早足で歩き出す。俺もすぐそのあとを追った。
廊下はしばらく一本道が続いた。左右には小さな教室がいくつか並んで、なにの変哲もない景色だ。それなのに違和感を覚えるのは、いつまでも一本道が続いているから。この前までは、曲がり角も突き当たりもあったのに。
こんなおかしな事態、ただの塵霊の巣窟で起きるなんてありえない。なにかもっと、強い霊的な力を持った存在がここにいる。
と、廊下の奥になにかが見えてくる。
犬塚もそれに気づいたのか、急に走り出した。
「鴨居さん、階段です! 二階に上がれます!」
確かに、暗がりの中に浮かぶそれは階段のように見えた。
犬塚は階段の下に立つと、こっちに向かって大きく手を振る。その階段の裏から、数体の塵霊が迫るのが見えた。
「犬塚、後ろ!」
叫びながら走る。それでも、この距離では間に合わない。
少し遅れて犬塚が振り向く。その時にはもう、塵霊が目の前まで迫っていた。犬塚はとっさに手で顔を守ろうとした。
塵霊が犬塚にぶつかる。バチッ!という音がして、犬塚は小さな悲鳴をあげた。そのままよろけて地面に倒れる。
「くそっ」
犬塚を襲った三体の塵霊は一度その場で止まったと思うと、床に倒れた犬塚へと進路を変える。次の一撃が入る寸前、小刀を抜いて三体まとめて薙いだ。
「大丈夫?」
小さい個体だったし、大きなダメージにはなっていないはずだけど。
「なんか電気が走ったみたいな。まだビリビリしてます……」
犬塚は手のひらをじっと見つめている。
塵霊が身体に触れると、電流が走ったような衝撃に襲われる。小さな個体に軽く触れるだけなら静電気程度で済むけれど、場合によっては意識が飛びそうになるほどの衝撃になる。
「それくらいで済んだなら良かった。気絶でもされたら抱えて運ぶしかなかったし」
まだ犬塚は自分の手のひらを見つめ続けている。それほど痺れているのか、表情までは見えなかった。
「二階は俺が見てくるから。先に玄関まで送るよ」
それを切り出すと、犬塚は思い切り首を振って、慌てて立ち上がった。
「私も行きます! 今のはちょっと油断しただけっていうか……。次は絶対大丈夫だから!」
そんなのは明らかな強がりだった。まだ痛みが残っているのも、恐怖を感じているのも分かる。
少しだけ次の言葉に迷って、だけどやっぱり言うべきだと思った。
「油断とか、たぶんそういう問題じゃないよ」
「ホントにただの油断だから! 次は、絶対ちゃんと――」
「無理だよ。初めての任務だからって言うかもしれないけど、たぶん、普通は初めてでももっと動ける」
新人の除霊師なんて、犬塚を見るので初めてだった。それでも、比較するまでもなく分かる。
「この仕事が、向いてないんだよ」
犬塚は口を開きかけて、言葉にする前にそれを閉じた。悔しさを噛み締めているのは、この暗がりでも痛いほど伝わってくる。
こんな仕事、向いていない方がいいんだ。心を空っぽにしてただ淡々と異形を消していくだけなんて、死んでいるのと変わらない。
高校生のフリができるような歳なんだから、まだいくらだってやり直せる。こんな仕事、しがみつく理由なんてないんだ。
「向いてないかどうかなんて、まだ分かんないです。私は人よりも少し遅咲きなんです」
犬塚は今にも泣き出しそうな赤い目で、じっと訴え続けてくる。
「だから、お願いします」
犬塚は弱々しい声でそう続けた。
どうして犬塚はこの仕事にこれほど固執するんだろう。分からないけど、こんな姿を見せられて、それでも断ることなんてできなかった。
ため息を一度、大げさに吐いてみる。
「無理だと思ったら、いつでも言ってくれていいから」
俺は二階へと続く階段を登る。それからすぐに、「はい!」という明るい返事とともに犬塚が後ろをついてきた。




