追想・上原莉菜
今日は一日授業がない。
非常勤講師は担当する授業のコマで仕事が決まっていて、授業がない日は完全なオフになる。せっかく貴重な休みでも、なんの予定もない一日は暇を持て余す。昼過ぎまで眠って疲れを取ったところで、最低限の家具しかない部屋で残りの半日を過ごすのは無理があった。
収納の中に押し込んだままの洋服を適当に引っ張り出して、財布だけを持って家の外に出た。
今住んでいるこの家は、最寄りの駅から離れていて、周辺は郊外の住宅地のような空気が漂っている。マンションや戸建が規則正しく林立して、退屈な風景がずっと続いている。都内とはいえ、二十三区を外れればつまらない景色の連続だ。
それでも、少し歩けば見える景色も変わってくる。変わるのは、実際にそこにある街並みじゃなくて、自分の見え方の違いだ。
学校の周りには、莉菜と二人で過ごした場所がいくも残っていた。莉菜は学校まで自転車で通える場所に住んでいて、それもあって、余計にこの街が二人にとっての居場所になっていた。
帰り道の途中によく立ち寄ったコンビニ。全国チェーンのその店は、五年が経ってもまだ変わらずに残っていた。そこから少し歩くと、小さな公園が見えてくる。その公園のベンチに座って、コンビニで買った食べ物を食べながら、莉菜の家の門限が近づくまでずっと語り合っていた。
毎日顔を合わせていても話題は尽きなくて、いつも門限までの時間はあっという間に過ぎていった。そんな風に、いつまででも話ができると思えた相手なんて、後にも先にも莉菜一人だ。
このベンチから見える景色も、設置された遊具も何も変わらない。俺一人だけが、こんなにも変わってしまった。
この街には、莉菜との記憶があまりにも色濃く染み付いている。何を見ても、思い出すのは幸せな記憶ばかり。
学校のことや進路のことを語り合って、くだらないことで笑い合った。記憶の中の莉菜は、いつも優しい笑顔を浮かべている。
ストレートの長い黒髪に、ナチュラルな眉と優しい垂れ目が今でも思い浮かぶ。休日に会っても化粧気がなくて、飾らない可愛らしさがあった。勉強の最中に眉間に浮かぶ皺も、両親と同じ大学に行くんだと語る弾む声も、全部が鮮明に思い出せるのに。
だからこそ分からない。どうして莉菜が塵霊に導かれてしまったのか。田村と莉菜では似ても似つかないのに。塵霊に呼ばれているのだと言って取り乱していた田村の姿は、とても莉菜には重ならないのに……。
分かってる。
結局、俺は莉菜のことをなにも分かっていなかったんだ。
駅のほうに近づくと、一軒の喫茶店が見えてくる。
『大学に入ったら、喫茶店でアルバイトとかしてみたいよね。ちょっとベタだけど』
ふと、そう言ってはにかむ莉菜の顔を思い出した。
今、どこでなにをしているんだろうか。
塵霊に魂を食べられてしまった人の末路を俺は知らない。うつろになって、もぬけの殻のような目になって、そこからいったいどうなってしまうんだろう。その先を見届けたことはないけれど、いい話じゃないことくらい想像がつく。
きっと、あの頃の莉菜はもうどこにもいないんだろう。
ふと時計を見ると、もうだんだんと放課後になる時間だった。
結局、俺は何がしたかったんだろう。懐かしい街並みを歩いただけで、なんの収穫があったわけでもない。
一度家に戻ったあと支度を整えて、犬塚と合流をするために学校へと向かった。




