第十八章 望んだ者
時は朝。
昇る陽光は低く、その姿を見ることはできない。
それでも、しっとりと冷えた空気が徐々に温まっていく。
未だ薄暗い部屋の中、悠兎は目を覚ます。
そこは鞠から与えられた離れの客室の一つ。
高級旅館を思わせる和室は落ち着くのに時間が掛かった。
身を起こし、布団の上で伸びをする。
「この屋敷に来て4日か……合計すると生後一週間しか経っていないのに濃い日々だなぁ」
手首に着いた腕輪を擦りながら思い返す。
「さて、朝の運動でもしようかね」
着替えを手に取り、身支度を5分と掛からず済ませた彼は居室を後にする。
淡い明かりが照らす廊下を歩いていると玄関に人影が見えた。
「あ、悠兎も朝錬?」
それは鴉弥だった。
彼女も運動用の袴に着替えていた。
羽が無い事以外は人化してから何度も見た姿だ。
ただ、日本刀と短槍を携えた武装姿は未だに慣れないが。
「ああ、ちょっと狡いけどさ。出来るようになると楽しいからな」
腰の脇差を示すようにコツンと叩く。
「わかるよその気持ち。昨日出来なかったことが出来るようになる瞬間って感動も一入だもんね」
用意してもらった靴に履き替え外に出る。
玄関から外にでると濃い草の香りが辺りに漂う。
朝露に濡れる芝を踏みしめ2人は庭に着く。
「それじゃ、ボクはこっちでやるから」
「なら、俺はこっちだな」
広い庭でお互い距離を取る。
「――ふっ」
お互いに十分距離を取った事を確認し、鴉弥は短槍を振るう。
突きを中心とした淀みない動きは前世からの鍛錬の賜物といえよう。
「凄いな……」
思わず感嘆の声が出る。
その動きが、技量が、彼女自身の研鑽によるものだと解るからだ。
確かに、世界の隙間にて何かを望み、糧とした。
だが、それは悠兎自身が望んだような手っ取り早い力ではなく、自身を高めるための望みだ。
得たものは自身の血の滲むような鍛錬の上に成り立つものだ。
前はともかく、今は解ってしまうからこそ、感嘆せずにはいられない。
「せーのっ」
掛け声と共に短槍が伸びる。
全長一メートル程の槍は瞬時に彼女の背丈を越える長さと成った。
「……くっ」
長さが変わった事による重心の変化に戸惑うも、その槍捌きに衰えはない。
風切り音を響かせながら、彼女は槍を振るう。
「――っと、見ている場合じゃなかったな。俺も始めるか」
視線を遮るように、鴉弥に背を向ける。
このままでは見惚れて集中ができない。
「――ふぅ」
息を整え、意識を集中する。
向けるのは両の手首に着いた腕輪。
それは帯の様に包みこんでいた。
お洒落というには装飾の少ない、やや肉厚な身には青白い玉石が填めこまれていた。
確かめるように一瞥した後、一言発する。
「――陰ろ“叢雲”」
玉石が淡く光ったと同時、両の手が重くなる。
気付けば腕輪は無く、変わりに手の甲から二の腕までに無骨な手甲が装着されていた。
下を向けば、爪先から脛までが防具に覆われているだろう。
「……やっぱり、恥ずかしいぞこれ。慣れれば無言で展開出来るって言うけど、先は長いなぁ」
アクセサリーに変化する事で携帯性を向上させた、魔術式の防具とは聞いていた。
が、呪文を唱える度に、14歳前後の頃の黒歴史が脳裏を掠めるのは呪いか何かか。
自業自得とはいえ、慣れるまでには時間が掛かりそうだった。
「さて、始めるとするか」
気を取り直し、前日から考えていたトレーニングを始めた。
●
「――フッ」
拳を打ち出し、足を振り回す。
型に嵌まった拳打は風切り音を奏でながら空を切る。
同じ動きを何度か繰り返すうちに、体が熱を持つ。
「セイッ!」
熱を振り払うように蹴りを放つ。
天に伸ばすように伸ばすそれは、ハイキックや上段回し蹴りと言われる。
見た目にも派手であり、アクション映画などでよく見られる技だ。
「ハッ! よっ! もういっちょ!」
ただ、本来のそれは独楽の様に連続して行うものではないだろう。
草を巻き上げ地面を抉る軸足は、鋼鉄の芯が通っているかのように揺れる事はない。
……思い通りに体が動かせるっていうのはこういう事なんだろうな。
重力など無いかのように宙返りなど、飛び跳ねる動きを加えてまじまじと思う。
記憶にあるプロの新体操選手や格闘家の動きを思い描けば、体は忠実に再現できる。
それどころか自身の体格に合わせた動作の最適化すら可能だ。
……これが、俺が望んだもの、か。
自身も曖昧だった望み、その答えは鞠から教えられた。
それは正しく望み通りの情報だった。
●
この屋敷に着いた翌日の事だ。
熱い湯で汗を流し、美味い飯を食べ、雨風の心配の無い寝床で就寝する。
久々の人間らしい生活に感動しながら朝食を終えた後だった。
誰が言う事も無く、お茶菓子を用意する。
授業の始まりだ。
「昨日はこの世界について軽く説明しましたし、今回はお二人について話すとしましょう」
一息ついてからそう切り出した。
「まず、薄々気付いては居るでしょうが、生まれ変わった際の貴方達の姿……というより種族は偶然などではありません。それは世界の隙間でお二人が得た“情報”。それが強く作用しているためです」
「やっぱりそうなんだ」
思い当たる節があるのか鴉弥は頷く。
「はい、鴉弥さんの気付いている通りです。鴉弥さんが望み、それによって得られた“情報”は“飛翔”。その結果として、羽を得る事となりました」
「……確かに“もっと武の高みを目指したかった”って思ったけれどさー。物理的に高みに行ってどうするって話しなんだけれど?」
いつの間にか純白の羽を伸ばす鴉弥。
舞い散る羽は床に落ちると幻の如く掻き消える。
「それについては、相性というものもありますが、鴉弥さん本人も意識していない深層心理もあったのでしょう。鴉弥さんは鍛錬の合間に、鳥が翔ける様を目で追いかけていましたから。無意識な空への関心があったのではないでしょうか。その点で鳥の特徴を得たのでしょう……狐でしたらお揃いでしたのに」
長年、傍に居たプライドかどこか悔しげだった。
そんな鞠を曖昧な笑みで鴉弥はスルーしていた。
「……はぁ、まぁ済んだ事ですし諦めます。次に悠兎さんですが、望み得た“情報”は“武技”です」
「ぶぎ?」
「武術の技で“武技”。地球に限らず異世界含めた古今東西のあらゆる武技です。調べた限り、無手の格闘術と一部の武器術が貴方の中に入っているようです」
「はぁ……?」
武術の世界なんて漫画の中にしかない悠兎にとっては、言われてもピンと来ない。
格闘術といわれても、連想するのは格闘ゲームに出てくる流派ぐらいだ。
「では、一つ質問します。――フィール流格闘術の三式“白咲き”は足刀を用いた技である。合っていますか?」
そんな彼女の問いに。
「いや“白咲き”は拳打を用いた技であって、足刀は二式の“伸び成り”……って、え?」
知っていた。
たった今、初めて聞いたにも関わらず、知っていた。
それどころか他の技までも。
「フィール流格闘術、これはある亡国で盛んだった武芸です。現在は大半の技が失伝しており、その流れを汲む流派が点々と存在する程度です。そして、その国の住民は獣人のみで構成されていました」
「ねぇ、それって――」
鴉弥も彼女が言いたい事がわかったようだ。
「その国が滅んだのは、地球の西暦で2135年。悠兎さんが亡くなってから百年以上先の異世界で、です」
「…………」
言葉が出ない。
一度認識してしまったためか理解してしまった。
自身の頭の中に知らない知識が詰め込まれている事に。
それが、自身の知識として違和感無く知っている事にぞっとした。
「情報の範囲から、少なくとも転生した時点での武技が頭の中に有る筈です。流派や国に秘匿されている技もあるでしょうが、その知識は悠兎さんの力となるでしょう。貴方がそう望んだのですから」
「俺の、望み……」
手を握り締めて思い出す。
鴉弥の兄弟子である通り魔に殺された事。
世界の隙間での無力であった事の憤り。
その時に願った事。
「そう、か」
武器を持った通り魔へ一発だけでも殴りたい。
それは裏を返せば強さへの渇望にも近いものではないか。
「弱いのは嫌だからなぁ」
少なくとも前世の様に抗う事も出来ずに殺されるのはお断りだ。
こうして転生する事なんて次は無いだろう。
「うん、理解した。だけど、俺は何で兎に転生したんだ?」
「それはボクも気になるね。偶然とは思えないんだよね」
「その事については断定は出来ませんが、鴉弥さんは“飛翔”という関係上、羽がある大鴉に。悠兎さんは、あの森で特殊能力を除く純粋に身体能力が高い種族が、角兎だったからだと思われます。子鬼は妖精種で少し特殊ですから除きます。故に近似の存在に転生した、と。――あとは、名前ですか。名は体を現すと言うとおり、兎という字が影響したのでしょう」
「あ、確かにボクの名前に鴉が入っているし、ありえそうだね」
「そんな理由で良いのか?」
中秋の名月に産まれたという理由で付けられた名前が、こんな出来事を引き起こすとは両親は露程にも思わなかっただろう。
普通は思わないか。
「まるで言葉遊びの様ですが、名とはその存在を証明するもの。故に名前を利用した呪いや魔術は古くから存在しているのですよ」
「そういうものなのか?」
「はい」
納得しきれないが、目の前の存在は魔法の様な技を行使するある種の専門家だ。
大きく間違っている事はない筈だ。
「そして、お二人の身体能力についても説明しましょう」
「ああ、それも気になっていたんだ。前世では少なくとも高速で飛んでくる火球を視認するなんて出来なかったからね」
少なくとも火球の雨を潜り抜けられるのは異常だ。
「まず、お二人の体は獣人に近いものです。獣人という種は主に身体能力に優れた体を持ちます。魔術や気などの強化無しの身体能力で渡り合える種族は少ないです。それだけでなく、無意識な身体強化も行っているために、あの高い身体能力を発揮しているというわけです」
「身体強化?」
「はい、自身の生命力。いわゆる“気”という力でのパワーアップです。お二人はまだ自由に使えませんが、熟練者にもなると素手で鉄板を打ち抜けるそうですよ」
「そんな漫画みたいな……って魔術がある世界だっけか」
今まで何度か見た魔法めいた現象を考えるに否定するのは難しい。
自身が体験するとなると余計に。
「と、これでご自身の現状を理解して頂けたでしょうか。お二人にはこの世界を行き抜く上での下地が出来ています。今日はそんなお二人のために、我々から贈り物を渡そうと思います」
「贈り物?」
突然の提案に二人揃って首を傾げる。
「ふふ、悪いものではありませんから楽しみにしていてください。今、キュロが整理していますのでもう少しお待ちくださいね」
意味深に笑う鞠に、二人は目を合わせるのだった。




