EX.5 光降る庭
赤い小鳥が薄黄色の空へ飛び立とうとしたところで静止していた。
器用に動いていた針が朱色の糸を突き通した状態でいささか乱暴に布につき立てられる。
飴色のゆり椅子に座っていたアリスティーナはそわそわと落ち着きがない。
「お姉さま?」
深窓のご令嬢には相応しくない、高々と組まれた足の上に肘をたてる姉に床で本を広げていたレナリースが首を傾げる。
放り投げられた刺繍枠を取り上げて、危なくないように円卓の上に置く。
せっかくの綺麗な刺繍が解けてしまってはもったいない。
「まだなのかしら。もう呼びに来ても良いわよね」
張り出し窓から曇った空を見つめてアリスティーナは、くっきりとした眉に力をいれる。
編みこまれた黄金の髪を振り回す姉の言葉にレナリースも落ち着かなげに扉を見やる。
今日は館中が騒いでいる。
九年前と十二年前も同じだったのだろうけど。
カタンと音を立てた扉に二人の子どもたちは同時に息を止めた。
「失礼します」
開いた扉から入って来たのは浅い緑色の上着を着た少年だ。
褐色の髪を一つにまとめた少年は、手に茶器を一式持っていた。
「なーんだ。メイラードか」
がっかりとため息を吐いたアリスティーナの落胆の表情を従僕であるメイラードは困ったような笑顔で受け止めた。
「メイ、お茶?」
「はい。皆さん忙しいみたいです」
少しぎこちない手つきでお茶を汲みながらメイラードは、近寄ってきたレナリースに笑いかける。
「私にもお茶!」
ふんぞり返った姿勢だが、アリスティーナがやると妙に可愛らしく感じてしまう。
「お嬢様、もっとお淑やかにした方がお似合いですよ」
「良いの!だって元気が良い方が可愛いよってお母様も言ってくれたわ」
「…お行儀悪くは問題だと思いますけど」
悪びれない答えにメイラードは押され気味に小さく呟いた。
ささやかな抗議をお茶と共にぐいっと飲み干して、一瞬妙な顔をした公爵家のご令嬢は敢然と顔を上げた。
「それにしても遅い!」
「時間がかかってるみたいです。子どもを産むって大変って言いますよね」
メイラードも少し不安そうに目を伏せた。
「…お母さま、大丈夫かな」
一番年下のレナリースが、二人の不安を感じ取ったのか心細そうに茶器を回した。
「や、やあね!心配しなくてもお母様にはお父様がいるんだもの。死神が来ても追い払っちゃうわよ」
力いっぱいな励ましは少々強引だったが、レナリースはホッとしたようだ。
青灰色の目が柔らかくなる。
「お父さま、強いものね」
「そうそう。それに何だかかんだ言いながら独占欲強いんだから、あの親父は」
「お嬢様」
ボソッと付け加えられたご令嬢には似つかわしくない単語を注意する。
ぺろっと舌を出したアリスティーナは明るく屈託がない。
「一度様子を見てきますね」
腰を上げたメイラードが扉に近寄った時、扉の方が先に開いた。
「…あぁ、メイ。ここにいたのね」
「び、びっくりした」
胸を撫で下ろした少年の前に立っていたのは、館で働いている侍女だった。
部屋で待っていた二人の子どもは、その姿を見て反射的に立ち上がる。
食い入るように見つめてくるアリスティーナたちに、侍女は明るい笑顔で膝を折った。
「若君がご誕生になりました。どうぞ、お部屋へ」
彼女が言い終えると同時にご息女とご令息は走り出していた。
普段なら諌めるべきだったが、今日ばかりは仕方あるまい。微笑ましく見送って、一つだけ注意しなければとお子様方の遊び相手である少年を見た。
「ところで、メイ」
「なんですか?」
「これ、お砂糖じゃなくてお塩よ」
「あ゛…」
しっかりしているようで何処か抜けているメイラードであった。
「お母様!」
まず、部屋に飛び込んでいったのはアリスティーナだった。
「お静かに、アリスティーナ様」
寝室の前の居室にいたライドールが物柔らかに諌める。
奔放なアリスティーナもこの侍従には、逆らった事はない。
「はぁい。それより、お母様は?」
「お姉さま…、速い」
歩くのすら大変であるドレスで、レナリースを置いて行く勢いで走ってきたらしい。
何とも豪快なお嬢様にライドールは、お小言を言いかけて諦めた。
それよりも全身で呼吸をしているレナリースに水を注いだ。
余り体力のないレナリースはお礼を言いながら水を一気に飲む。
「あ、それで。お母さまと赤ちゃんは?」
深く息を吐いてレナリースは背の高い従僕を見上げた。
「お隣にいますよ。静かに入って行ってくださ…」
いつでも滑らかに喋っているライドールの言葉が不自然に途切れた。
不思議に思った二人も振り返って、目を丸くした。
薄く空を覆っていた雲が割れていた。
柔らかな日の光が梯子のように地上に降りて来る。
「間に合ったか」
光のきらめきの名残を纏いながら窓辺に立っていたのは、黄金と蒼青の一族。
性別を感じさせない繊細な美貌にはわずかに焦りが見える。
「旋様」
ライドールのため息のような声に子どもたちが瞬いた。
「…お祖父さま?」
話に聞くだけの存在を前にしてレナリースが心もとなげに尋ねる。
旋は初めて会う孫を見つめて深い青の瞳を甘く溶かす。
「長く会えなかったが、良い子に育っているようだな」
優しく頭を撫でられてレナリースはくすぐったそうに笑った。
「初めまして、お祖父様。…凛です」
少し考えてアリスティーナは、家族にだけ許した名を名乗った。
堂々とした少女の態度に旋は好ましげに目を細めた。
「立派な淑女だ」
「光栄です」
「…僕はレナリースです」
慌てて名乗った少年に旋もアリスティーナも、そして後ろではライドールまでが微笑ましさに笑みをたたえていた。
「良い名だ」
孫との対面を楽しんでいると、隣室からレジーナが顔を覗かせた。
「賑やかだと思ったら。いらっしゃいませ、旋様」
にこやかに出迎えたレジーナは今では侍女たちをまとめる立場に立っていた。
立場が変わっても彼女の本質は変わっていない。
「皆様、ミルレイア様がお待ちですよ?」
かすかにふくらみを持ったお腹の前で手を組んで、誘い入れる。
動いたのは旋とアリスティーナだ。
競い合うようにして入って行く二人に、レナリースだけが遅れている。
慌てて追いかけていった少年を見送ってライドールは新たな滞在客を知らせるために部屋を出て行った。
その顔は、知らずに微笑みを浮かべていた。
「ちっちゃーい」
「何か猿みたいだわ」
レナリースが歓声を上げている横でアリスティーナはひどく冷静な感想を述べた。
「お前たちも生まれた時はこんな風だったぞ」
寝室の窓辺に設えられた揺り籠を囲んでデイルは子どもたちに穏やかに話しかける。
信じられないのはアリスティーナらしい。
「もっと可愛いと思ったのに」
「もう少し成長すればお前の想像通りの赤ん坊になるよ」
苦笑交じりで不服そうな娘の頭を撫でる。
そして、寝台の方に目をやって少々複雑な顔をした。
「凪、大丈夫か?」
「おとうさん?」
疲労で蒼褪めた顔に張り付いた髪を撫で付けて、旋は大変な仕事を終えた子どもを労わった。
「来てくれたの?」
ほのかに笑みを乗せたミルレイアに旋は大真面目に頷いた。
「お前のためなら、暦を早めるくらい何でもない」
さらりと大変な事をのたまう神族に、離れていたデイルはギョッとした。
どんなに大仰なことでも否定出来ないところが恐ろしい。
「名前は与えられていたようだな」
「はい。元気な子になりそうです」
「…休むと良い。生まれてきた子の為にも早く元気にならねば」
汗で冷えた額に口付けを落として旋は寝台から離れる。
ミルレイアもその言葉に引きずられるようにして眠りについた。
「さて、相変わらずお前が傍にいるのだな」
デイルの前に立った旋は不本意だと隠さずに言う。
「ですから、離れることはないと申し上げましたよ」
「何だってこんな人間が良いのだか」
ブツブツ言う旋をレナリースが不安そうに見上げる。
「お祖父さまはお父さまと仲がお悪いのですか?」
悲しい顔をした孫の姿にさすがの旋も慌てた。
「そ、そんなことはない。これは、挨拶代わりというものだ」
取り繕う旋にレナリースは泣きそうだった顔を安堵に変えた。
「それじゃ仲良しですね。良かったです」
「そ、そう。なるか」
無邪気な言葉に旋が言い返せずにいるのを見て、デイルは感心したように我が子を見つめた。
大人しい子だと思っていたが、意外に一番の大物になるかもしれない。
「さて、新たな命を授かった者への祝福を贈ろう」
気を取り直した旋が、生まれたばかりの嬰児を見つめた。
「輝く者、誠実なる者、他者の行く末を指し示す者」
流麗な声は、現実感をそぎ落としてただ幻想的に部屋を包んだ。
「“炯”(けい)」
額に落とされた口付けに誘われるように、赤子の手が動く。
「炯。貴方に幸いがありますように。家族として歓迎するわ」
「早くいっしょに遊ぼうね」
何もかもが未熟な弟を見守って二人も、旋と同じように口付けを贈る。
最後にデイルが、指の腹で柔らかな頬を撫でて口付ける。
「健やかな成長を祈っているよ」
温かな家族の歓迎がわかったのか、赤ん坊はくしゃくしゃの顔で笑みらしきものを浮かべた。
空から光が差し伸べられた日の出来事だった。
やがて、公爵家の三姉弟たちはそれぞれが注目されるようになる。
華やかな噂の中心にあっても、彼らは両親を愛し姉弟を愛した。
光差す庭はどれ程時が経とうともいつまでも笑い声が絶えることはなかった。
fin
ここまでお付き合いありがとうございました。
「名もなき花」としてはここで終了です。
少しでも、ほんわか幸せな気持ちをお届け出来ていたら嬉しいです♪




