表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/39

EX.4 ひなげし


知っているのよ。

実は小さな猫とか犬とかが苦手なこと。

実は甘いものに目がないこと。

実は不器用で、人の何倍も努力していること。

それに。

本当は、女の子が苦手なこと。


ちゃんと知っているの。




レジーナの一日は、大きなお屋敷の掃除から始まる。

館中の侍女、従僕が総出で床も壁も、飾られた花瓶までも手抜かり無くピカピカに磨き上げる。

まるで鏡のように廊下に自分の顔が映るくらいまでになって、ようやく掃除が終わる。

侍女同士のお喋りを楽しみながらの掃除の後は、レジーナだけの特別な仕事へと向かう。

皆から羨ましがられるレジーナの仕事は、この館のご主人様の奥様のお世話をすることだ。

ベラール公爵の奥方は、類稀な出自と美しさで誉れ高い。

だが、レジーナにとって大切なことはその美貌でも稀なる血を引くことでもない。

容貌と比例するがごとく優しく、健気な性格。

レジーナのような侍女にも感謝の気持ちを忘れない謙虚な態度。

本当に自分は幸せものだ。

じんわりと己の境遇を振り返って居ると、同じく公爵夫人付きのライドールが不審な顔で近付いてきた。

「レジーナ?何をやってるんだ?」

「日頃の幸せを噛み締めているの」

思い返せば、四人姉妹の三女と言う中途半端な生まれのせいで着る物と言えば姉のお下がりばかり。

いつも忘れ去られた流行の服ばかり着ていたあの頃。

年頃の女の子としては看過出来ない、由々しき事態だった。

それでも実家の卸売り業を助けながら頑張ってきていたのだ。

だが、それも父が勝手に決めてきた婚約者の登場で全てが灰燼に帰した。

「やっぱり今思い返してもあり得ないわ。だって、まだ年端も行かない女の子の旦那に、三十過ぎの子持ちの親爺を選んでくるのよ。非常識ったらないわ!」

「…それはあの頃にも、散々聞いたが」

ため息交じりの宥めの言葉など、レジーナの耳を左から右へと通過していくだけだ。

そう。父親の選んだ相手と結婚なんてとんでもなかった。

このままでは人生が台無しになると危機感を募らせていた所に、天からの助けの如くもたらされたのが、この公爵家への侍女奉公の話だった。

一番上の姉は既に嫁いでいたし、二番目の姉は侍女仕事などとんでもない、と断った。

末っ子などようやく一人で着替えが出来るようになったばかりだ。

難色を示す父をほとんど泣き落とす勢いで納得させて勝ち取った仕事だった。

お陰で、ちょっとした装飾品なら自分のお金で買える様になったし、何より婚約話がうやむやの内に流れてしまったのが何より素晴らしい。

「しかも、お仕えするミルレイア様は可愛らしいし、お優しいし。私って幸せ者よね」

「そうだな…」

諸々の言葉を飲み込んだ同意に、レジーナは彼女の魅力の一つでもある明るい笑顔を見せた。

「それじゃ、はやくお部屋の仕度に行きましょう。何やってるの、ライドール。ほら、早く!」

もはや何も言う気力をなくしたライドールは、引き摺られるがままにレジーナの後を追い駆けた。




「レジーナ、来て貰っても良いですか」

「はい、何ですか?」

大事な大事なご主人様は、今日もとっても輝いている。

毎日目にしても飽きない金色の髪のせいもあるけれど、やっぱり何よりキラキラしているのはその屈託の無い笑顔。

あぁ、これでご主人様でなかったら心のままに存分に抱きしめてしまえるのに。

心で拳を握るレジーナは、必死で外面を取り繕って精一杯の落ち着いた態度で返答する。

それでも、顔は心のままに緩んでいる。

「えと、凛が寝ちゃって…」

申し訳なさそうに言うミルレイアの膝の上には、三月ほど前に生まれたばかりの赤子が寝そべっていた。

誰もが待ち望んだ愛らしい嬰児は、たくさんの愛情を一身に受けてスクスクとご成長中だ。

最近ではきゃあきゃあと可愛らしい笑い声を聞かせてくれるようになった。

さっきまで、母親のミルレイアの膝の上で機嫌よく遊んでいたのだが、そのままコテッと眠ってしまったらしい。

まだ動き回るには早い頃だが、見たものを全部口に入れるようになったから中々目が離せない。

「今日は朝から早起きでしたからね。寝かせて来ましょうか」

ふわりと波状に広がった繻子の衣装では、赤ん坊を抱いたまま立つことは難しい。

緩やかに巻いた金髪をそっと撫でてミルレイアは赤子をレジーナへと渡した。

飴色の籐の揺り籠は、真っ白な綿打ちの布が敷き詰められて、所々に淡い蒼で刺繍がされてある。

起こさないようにそうっと寝かせる。

こうして見ると、本当に物語の一幕か有名な画家の作品の様だ。

自然と浮かんだ微笑みは幸せそのものだ。

隣に立って同じように揺り籠を見つめるミルレイアと一緒に微笑みあう。

うん、幸せだわ。

ごく自然にそう思える自分が、かなり幸せなのだとレジーナは知っている。

「あ…」

ほっこり幸せ気分を満喫しているとミルレイアが何かに気付いたように声を上げた。

ちょっと驚いた伺ってみると、恥ずかしそうに胸の前で手を振って何でもない、と返ってきた。

「大したことじゃないです。ライドールが遅いな、と思って」

「あぁ、そう言えばそうですね。マイラさんに呼ばれてたみたいですから、何か言付かって外に出ているのかもしれませんね」

公爵家の侍女を統率する立場の彼女は、恰幅もよろしく気風もよろしい女傑だ。

さすがのレジーナも侍女頭のマイラの前では、神妙に態度を改めてしまう。

それはともかく。

確かにちょっと遅すぎる。

何か用件を言付かったにしても、それを伝えてくる者の一人や二人はいるのに。

「ちょっと見てきますね。代わりの者も呼んでますから大丈夫だと思いますけど、何かあったら呼んでください」

「はい。大丈夫です」

大好きな笑顔で見送られてレジーナは、浮き立つ心と傍を離れることの残念さとをせめぎ合わせながら部屋を出たのだった。




同じ時期に奉公に上がるようになったライドールは、ちょっととっつき難い、堅物だと思われていた。

思われていた、ってことは過去形なわけで。

ミルレイア様が公爵家に来られてから、ライドールにも少なからず変化があったのだ。

そんな事を今更の様に考えていた。

日頃はあまり使われない小さな客室に通じる廊下。

ちょっとした気まぐれで、覗いてみたそこで目当ての人物を見つけてしまった。

しかも、一人ではなくレジーナも良く知っている少女と一緒に居た。

最近、この屋敷に上がるようになったばかりのレジーナの妹とそう変わらない年の侍女。

取り立てて可愛らしいと言うわけではなかったが、愛嬌のある表情と朗らかな性格で皆から好かれているような子だった。

レジーナが思わず足を止めてしまったように、部屋の前の廊下にいる二人には不思議な空気が流れている。

切迫したような悲壮な雰囲気を出して居るのは少女の方だ。

ライドールは普段と大して変わらない様子だ。

「あのっ、あた、じゃない。私、ずっと好きなんです」

言った、と思ったのはレジーナだ。

「…掃除がですか?」

ドキドキがこちら側にも聞こえてきそうなのに、素っ頓狂な返答をしたライドールにレジーナは地団駄を踏みたくなった。

この、鈍感!

「いえ、あの…。すみません、何でもないです…」

不思議そうなライドールに少女は、二度言葉を繰り返すことが出来なかったようだ。

消え入りそうな声で謝罪するとパッと駆け去って行ってしまった。

慌てて飾られた花瓶に身を隠したレジーナだったが、少女の目に光るものに気付いてしまう。

女の子から告白することがどれだけ大変な事か。

特に、社交界では男性から女性へ言葉をかける事が礼儀だとされている中で、それに関係のない家柄だとしてもやはり女性からの告白はかなりの勇気が必要な事だ。

「仕事中って言うのは、感心しないけど」

ひとり呟いてレジーナは一歩踏み出した。

ライドールはと言えば、突然走り去った少女にも関心を示さずに廊下を磨いていた。

「レジーナ?何をしてるんだ?」

「それはこっちの台詞です。ミルレイア様がご心配なさっていたから探しに来たの。何だって、こんな所で掃除なんか」

「あぁ、さっき侍女の一人が此処にお茶をこぼしてしまったんだ」

通りかかったライドールとしては見過ごせなかったのだろう。

さり気なく手を貸す優しさに、先程の少女が思い余ってしまったのも良く判る。

何となく片づけをするライドールの姿をしげしげと観察してしまう。

整った鼻梁は高からず低からず。

一重の瞳は少々剣があるが、近寄りがたいほどではない。

どちらかと言えば、硬い表情のライドールがわずかに微笑んだりする所に魅力を感じる女性が多く居るのだろう。

「さっきの女の子泣いてたわよ」

「…見ていたのか」

バツが悪そうな、非礼を咎めるような声音にレジーナは先程の事をライドールが全て承知していたのだと知った。

「はぐらかすにももっとやりようがあると思うわ」

ツンッと横を向くレジーナにライドールは手にした箒を床に立てて、ため息を吐き出した。

「応えられないんだ、仕方がないだろう」

「そう言って、どれだけ女の子を泣かせば気が済むの。いい加減、誰か決めれば良いのに」

「簡単に決まるものじゃないだろう」

そんなの詭弁だわ。

レジーナは知っている。

何のかんのと尤もらしいことを言って、その実ただ逃げ居ているだけなのだ。

「…好きな人がいるんでしょう」

「何を馬鹿な」

一笑に付すライドールに、ほんの少し意地の悪い思いが湧く。

「女の子が苦手なの、知ってるのよ。それも小柄で線の細い、女の子」

「レジーナ?」

いつも堅苦しい表情を崩さないライドールが、わずかに戸惑った声を出す。

「私に隠し事なんて甘いわ。見てればわかるもの」

苦手、と言うのも違うのかもしれない。

でも、気付いていた。

一番それが顕著に出ていたのがミルレイアが、まだリゼイラと名乗っていた頃だ。

まるで腫れ物に触るかのように、ひどく心を割いて接していた。

それより前のライドールからは想像もつかないくらい、大切に大切に扱っていた。

傷口に触れたかのように寄せられた眉をレジーナは差し出した指で押さえた。

「初恋って後を引くのよ」

知ってた?、と尋ねれば負けたと言うように肩から力が抜ける。

「本当に、お前には敵わない」

「あら、今更だこと」

冗談めかして笑えば、目の前に真剣な眼差しの同僚の姿があった。

見たことのない男の顔をするライドールに、レジーナはぎこちなく笑みを引っ込めた。

何だか、変な雰囲気だわ。

ぎくしゃくと突き出していた指を引っ込めて、胸元で押さえる。

一歩、ライドールが足を踏み出すと鼓動が一拍大きく跳ねた。

「昔、家族みたいに思っていた少女がいた」

スッと何事もなく横を通り過ぎた身体に、ホッとしながらも何故か物足りなさを感じた自分を慌てて振り払う。

「…どんな子だったの?」

慌てた自分を知られたくなくて、思わず平静を装って尋ね返す。

背を向けたライドールはかすかに俯いて笑ったようだ。

肩越しの覗いた口元が薄っすらと笑みを刷いているのが見えた。

「明るくて、少し我が侭で、それでも優しい子だったよ」

「そう…。今も好きなの?」

過去形で語られている事に気付いていたけれど、想いは時間ではないと思う。

昇華出来る想いもあるし、ずっと残り続けていく想いもあるだろう。

良い、悪いではなく。

どちらもあって当然の物だから。

「そうかも知れない。どちらかと言えば罪悪感だろうな」

「罪悪感」

あまり良い響きの言葉ではないとレジーナは眉を寄せる。

そこで、ふと顔を上げた。

「って、違うのよ!ミルレイア様が心配なさっているから呼びに来たのに。私たちがお喋りしててどうするの!」

これでは本末転倒だ。

「あぁ、そうだったな。先に戻っていてくれ。こっちを片付けたら行くから」

「わかったわ。それと」

向き直ったライドールの顔を思いきりよく両手で挟んだ。

パチンッと軽く音がした。

「…何だかわかんないけど、そんな顔してたらその子が嫌な思いするわよ。良い子だったんなら、そこだけ覚えておきなさい」

叱り飛ばすような言葉に、ライドールは目を丸くして次に吹き出した。

硬質な印象が一気に柔らかなくだけた物へと変化する。

「ちょっと笑いすぎだと思うんだけど」

ムッとしたレジーナにライドールは笑いの余韻を残しつつ謝った。

「すまない。まさか叩かれるとは思わなかった…、だが」

憑き物が落ちたような表情にレジーナは、表情を緩めた。

「ありがとう」

感謝されるのは気持ちが良い。

優しい気分でどういたしまして、と返して早くミルレイアの待つ部屋へと戻ろうとした。

だが、足を踏み出すと同時に後ろから阻まれた。

「ちょっ、何!」

がっちりと囲うように回されているのはどう考えてもライドールの腕だ。

首筋に感じる腕の温もりにレジーナは訳もわからずに顔が赤くなる。

今まで浮いた噂の一つもない彼女には、少々刺激が強かった。

慌てるレジーナの頭の上で、かすかな笑声が漏れた。

「か、からかってるでしょう!もう、もうっ、離してってばー!」

力任せに腕から逃れようと足を踏ん張ってみるが、さすがにライドールの力には敵わない。

「一つだけ、訂正をしておく」

「何よっ」

顔が赤くて、息が苦しくて、心臓なんかもう滅茶苦茶に鳴っている。

このままだと殺されちゃうわ。

レジーナは本気で思った。

だから、ライドールの言葉などほとんど聞こえていない。

そりゃ、一時はもう冗談じゃないくらい歳の離れた婚約者もいたけど。それだって、親の決めた縁談であって、私は結局一回もあってないし。だって、嫌じゃないそこで気に入られちゃったりしたら。そもそも、うら若き乙女の縁談ならもっと良いものがあったはずじゃない。

「レジーナ、聞いてるか?」

「何でも良いから、早く言って!」

そして、この腕を退けて!心の叫びが通じたのかどうか。

少しの間の後で、ライドールは唇を開いた。

「女の子が苦手と言うのは、少し違っている。確かに、昔の事もあって構えるところがないとは言わないが」

そりゃ、こんなにがっちり掴んでおいて苦手も何もないかもね!

半泣き状態で内心叫んだレジーナである。

「まぁ、何の抵抗もなく触れられる相手も限られているか…」

「それって私を女扱いしてないだけじゃない」

どう考えてもこの扱いはそうだろう。

何だか腹立たしくて、少し哀しい。

俯くとライドールは、面白いことを聞いたような、逆に困ったような、複雑な表情を浮かべた。

背後から抱きしめられているレジーナには見ることが出来なかったが。

「…今までの男運のなさはそのせいか」

「何か言った?」

一人呟いたライドールの声が切れ切れに聞こえて、それも何か失礼な事を言われたような気がして、振り仰ぐように顔を上に向けた。

いっそ無防備なレジーナに、苦笑が漏れた。

雛罌粟のような大人しやかで可憐な容貌と朗らかな人柄がどれほど魅力的か。

本人だけが気付いていない。

「あまり男を甘く見ないように」

「え?」

この状況で、顔を赤くして見上げられたら、勘違いされても文句は言えない。

前に回した手をそっと小さな頤に添えて、逃れられないように固定する。

「ちょ…っ!」

慌てるレジーナの声を無視して落とされた唇は、わずかにそれて口の端を掠めた。

大きな瞳をさらに大きく見開いたレジーナは凍りついたように立ちすくんだ後、力の限りライドールを突き飛ばして駆け出した。

林檎よりもさらに顔を赤く染めた侍女を己の腕から解放したライドールは、珍しくクスクスと笑いながら掃除の最後の仕上げにかかったのだった。

そうして、部屋に飛び込むようにして駆け戻ったレジーナは驚くミルレイアの前でへなへなと座り込んでしまった。

慌てるミルレイアに、レジーナは真っ赤に染まった顔を両手で押さえて何とか取り繕う。

「本当に大丈夫?」

「へ、平気です。それよりミルレイア様」

「はい?」

「男の人なんて信用しちゃ駄目ですからね!」

力いっぱい忠告する侍女に、ミルレイアは呆気に取られながら迫力に押されて頷いていた。

「もうっ、信じらんない…!」



そりゃ、いろいろな事に気付いていたわ。

でも、あんな顔するなんて知らなかった!



fin



本編では、後半からちょっとお預けくらってしまっていた彼女たちのお話です。

レジーナの方が年下ですが、なんだかんだとお互いを補い合っている二人だと思います。


ひなげしの花言葉 「慰め・思いやり」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ