EX.6 もりのみどり
濃く鮮やかな緑色。
お母様からもらった指輪についている緑柱石のような。
雨上がりの森の木々のような。
私の一番、好きな色。
あれは、まだ十にも満たない子どもの頃だった。
社交界に出るには幼すぎたけれど、家では月に一度程度は知り合いを呼んでのお茶会や園遊会が開かれていた。
父はあまりそう言った事が好きではなかったようだが、公爵家の、それも筆頭公爵であれば仕方のない事でもあったのだろう。
長姉であったアリスティーナはもちろん、そう言った会には出来る限り参加していた。
黄金の美しい髪を持った公爵家の令嬢は、どこででも可愛がられた。
アリスティーナ自身も、持て囃される事を気持ち良く感じていた。
親しい大人たちは、いつもアリスティーナの言動を厳しく注意するがお茶会に来る客人たちは、にこにこと笑ってアリスティーナを褒めちぎってくれる。
美しい顔立ちを褒めてくれるし、学んだ知識を披露すれば聡明だと讃えてくれる。
そうやった言葉たちは、気持ちが良かったし、一人前に扱われているようで嬉しかった。
だから、その日もアリスティーナは朝から念入りに仕度をしていた。
柔らかな若葉色の絹に濃い緑の刺繍糸で薔薇を縫い取った衣装を下ろした。
華美な装飾品は父親が良い顔をしないから、胸元を飾るのは小鳥を象った銅金の胸飾りだ。
口元にそえられた木の実を模した小さな黄玉がささやかに輝きを添えている。
褒めそやされる黄金の髪は、きつめに巻いて衣装と共布の綾紐で二つに結った。
鏡に映った少女は、我ながら可愛らしい出来栄えだった。
仕度を手伝った侍女も納得の仕上がりだったようだ。
「お庭に、もう皆さまお集まりですから、行かれますか?」
「そうね。お母様は、まだお部屋なの?」
「いえ、先ほど旦那様がいらっしゃいましたから。先に、ご挨拶にいかれている筈ですよ」
今日のお茶会は、ベラール公爵夫人が主催のお茶会だ。
とは言え、それは名目上に過ぎない。
おっとりしたと言えば聞こえが良いが、母にそう言った実務能力はほとんどない。
それでも、公爵家のお茶会が盛況なのは両親の人徳だろうか。
それとも。
日の光に輝く己の髪に手を伸ばす。
半神である母は、月金色の髪と蒼空の瞳を持った美しい人だ。
見た目だけでなく、その心も綺麗で澱みがない事は知っている。
母の事は、好きだが何となくモヤモヤとするものを感じる事もある。
「友人も来ているから、挨拶に行って来るわ!」
「あ、アリスティーナ様!」
止める侍女たちの声をすり抜けるようにして庭に出た。
どうせ世話役が呼ぶまで待っていろとかそう言う話だろう。
もう子どもではないのだから、自分の屋敷くらい一人で出歩いたって良い筈だ。
庭に出てすぐ、子どもたちが集う一角を見つけた。
そこには、アリスティーナが親しくしている子どもたちが集まっている。
生垣の影になっている為、あちらは全く気付いていない。
少し驚かせてあげようと思いついて、笑いをこらえながらそっと忍び足で近づいた。
「……ねぇ、そう言えばこの前、新しい髪飾りを買って貰ったって言っていなかった?」
「え、あぁ、そうなの。お父様に強請ってやっと買って貰ったの。紅玉がついたお花の髪飾り!」
「でも、今日のとは違うわよね」
「だって、今日はアリスティーナ様がいらっしゃるから」
他愛ないお喋り。
少女たちの、幼いながら女らしい会話の中に自分の名前が出てきて足を止めた。
言いにくそうに名前を出した少女に、他の子たちも同意する様に肯く。
「そうね。私も、お気に入りの胸飾りはして来なかったわ」
「やっぱり。アリスティーナ様に言われたら、差し上げなくちゃいけなくなるものね」
「この前のお誕生日会の時にしていった指輪も!お父様が勝手に差し上げちゃったのよ。私、本当に悲しくて帰ってから泣いてしまったわ」
しばらく少女たちは、その話題で盛り上がったようだった。
けれど、アリスティーナには、もうその声の半分も聞こえない。
全身から汗が噴き出して、身体が燃えるように熱かった。
なのに、身体の芯がひんやりと冷えて来るのがわかった。
ぎゅっと唇を噛みしめて、気付かれない内に生垣を後にする。
庭の奥。
お茶会が開かれているのとは別の庭まで、早足で歩き抜けた。
恥ずかしさや、怒りや、悔しさ。
色んな物がないまぜになって、小さな胸が弾けそうだった。
何を言えば良いのか、分からない。
言葉にならない想いは、瞳から涙となって零れ落ちた。
今まで、友人だと思っていた少女たち。
あんなふうに思われているだなんて思わなかった。
彼女たちの装飾品を褒めたことは何度もあった。
綺麗な宝石や飾りを、ただ良いなと思ったから褒めた、それだけなのに。
確かに、アリスティーナが何かを褒めると貴方の方が似合うでしょうからと差し出して来る者は多かった。
けれど、そう言った物を受け取った事はなかった。
アリスティーナからもそんなつもりはないと伝えたし、それでもと言う者には目付役から丁重に断って貰っていた。
欲しいだなんて思った事はない。
そんなみっともない真似をしていたように見られていたなんて。
恥ずかしい、恥ずかしい、悔しい。
人気のない東屋にたどりつくと設えられた椅子ではなく、その柱の陰に座りこんで膝を抱えた。
こぼれ落ちる涙が鬱陶しくて、拳でぐいぐいと力任せに拭う。
「そんな風にしちゃ、目を傷めてしまうよ」
すっとそよ風の様な声が割り込んだのは、そんな時だった。
驚いて顔を上げると、思いの外近くに綺麗な緑の瞳があった。
「どうしたの?どこか痛い?」
ふわりと微笑んでいたのは、アリスティーナよりも一つ、二つ上だろう少年だった。
目立つ容貌ではないが、どこか目を引き付けて離さない品格と落ち着きのある少年だ。
見覚えのない人物に、それでもアリスティーナがその場から逃げだそうとは思わなかったのは、少年のまとう雰囲気がとても高貴な物だったからだ。
「何でもありません。ただ、ちょっと……」
強気に言いきる前に、新たな涙がこぼれ落ちてしまう。
乱暴に目元を拭おうとした手を、一回り大きな手が押し止める。
代わりに柔らかな手巾を差し出された。
ありがたく受け取って目元を隠せば、またぼろぼろと涙がこぼれてしまう。
「わ、わたし、そんなつもりじゃ、なかったのに……」
少年にとっては意味不明な言葉だろう。
分かっていても涙と同じように言葉は止まらなかった。
「きれいな、ものを、褒めて、何がいけないの。勝手に、そんな、思われてたなんて、知らないわ」
細切れに、嗚咽が挟まれる聞き取り辛いだろうアリスティーナの主張を少年は辛抱強く聞いてくれた。
そうして、ようやく呼吸が乱れなくなった頃、隣に座っていた少年は優しくアリスティーナの頭を撫でた。
「うん、辛かったね」
最初の一言は、アリスティーナの胸にすとんと落ちた。
色んな感情がごっちゃになって苦しかったが、そうだったのかと思った。
辛かったのだ。
言われてようやく気付いた。
ぽろりと頬を転がった涙は、今までのものとは違う気がした。
「君の態度は立派だったと思うよ。でも、その子たちの言った事も間違ってはいないよ」
「どうして!?」
てっきり慰めての言葉が続くのだと思っていたから、不満の声を上げてしまった。
「うーん。君は、ちゃんと考えたら自分の言葉がどれだけの影響力があるか分かった筈だよ。それをきちんと理解しようとしなかった所もあるでしょう?」
そう言われてしまうとアリスティーナも心当たりがない訳ではないから言い返せなくなる。
「お父上には、注意されていたと思うけど」
「それは……!そうだけれど」
物品のやり取りの会話がある度に、父からはきつく言われていた。
安易な言葉を交わす物ではない。
自分の発言が石つぶてとなって波紋を広げて行くのか、考えて発しなければならない。
そんな難しい事言われても無理だと、真面目に受け取ってはいなかった。
だが、今になって父の言葉の意味が染みて来る。
すっかりしょげてしまったアリスティーナに、少年の方が慌てる。
「これから気を付ければ大丈夫だよ。それに、本当に君を嫌う人なんていないよ」
「え?」
赤くなった目を瞬けば、ほんのり頬を赤らめた少年が立ち上がる。
「あ、待って!」
そのまま立ち去ろうとする少年に慌てて声をかける。
ふわりと広がった裾が邪魔で立ち上がるのに手間取った。
「またね。アリスティーナ殿」
「え?!」
小さく手を振って少年は駈け出して、生垣の奥に消えて行った。
誰だったんだろう。
こちらの名前まで知っていた。
驚きのあまり折角立ち上がれたのに、追い駆ける事も出来ずに見送ってしまった。
「凛?」
ぼーっとしていると甘く優しい声に名を呼ばれた。
ハッとして振り返れば、菜の花色の絹を身にまとった母が立っていた。
傍らには、母の侍従が立っている。
「凛、こんな所でどうしたの?なかなか来ないからお友だちも心配していたよ」
走り寄るとぎゅうっと抱きしめてくれる。
甘い花の香りに包まれて、また涙がこぼれそうになったけれど我慢した。
「ううん。何でもないの。ちょっと……お友だちがいたから」
「そうなの」
不思議そうに首を傾げた母の細い指先が、目元をかすめる。
気付いているのかもしれない。
でも、母は何も言わない。
ただ、もう一度抱きしめてくれると今度は手をつないで歩きだした。
最後に、振り返った東屋にはただそよ風が吹きこんだだけだった。
「ずっと聞きたいと思っていたのよね」
「何がだい?」
おっとりと相槌を打つのは、先月晴れて婚約者となった幼馴染だ。
幼馴染とは言うが、相手はこの国の王子だ。
しかも、次代の国王さま。
綺麗な透き通る濃い緑色の瞳は、緑蓮から嫁いだという彼の母親譲りなのだそうだ。
いつみても吸い込まれそうになる程、綺麗な色だ。
「凛?」
家族以外では、唯一その名を呼ぶ人。
でも、もうすぐ彼は私の家族になる。
それは少し不思議で、くすぐったい事実だ。
「どうしてあの時、あの東屋にいたの?」
一瞬、きょとんとしていたがすぐに思い当たったらしい。
二人の初めての出会い。
いや、アリスティーナにとっては初めてだったが彼は違うのだろう。
「あぁ、公爵に話があったから。公務ついでに」
「そうじゃなくて!」
誤魔化されたくないと強く言えば、フランは読んでいた本を膝に置いて気まずそうに頬を掻いた。
「時間がなくて本当に顔だけ出したんだ。それで戻る途中で凛を見かけたんだ」
真っ赤な顔をして歩き出した姿が気になって追い駆けたらしい。
「名前を知っていたのは?」
フランの座る椅子に近づいて腰に手を当てて顔を覗きこむ。
落ち着いた緑の瞳が、細くなって指が肩からこぼれ落ちた一房を巻き取る。
窓辺から差し込む日差しを受けて輝く金色の一房。
「公爵家の金の花は有名だったよ?」
フランの笑顔を直視して、真っ赤になった。
大人しくて聡明で、穏やかなこの国の王子。
だけれど、私の前ではそれだけではない顔をする。
今のように、とってもずるい大人の顔を。
「そう言う所は嫌いよ」
「そう?私は、凛の全てが好きだよ」
余裕の表情で笑う。
緑の瞳が近づいて、やがて見えなくなる。
「ずるいわ」
「いつも頑張っているご褒美だよ」
「誰の?」
「もちろん、私の」
しれっと言い切る王子さまだ。
「それで、凛は私のどこなら好きなの?」
先ほどの言葉を覚えていたらしい。
細かな言い回しを忘れない所も憎らしい。
「内緒!」
素直に言ってあげる気にはならない。
「どうしても?」
「どうしても!」
「残念」
くすくす笑いながらフランは、また読書を再開する。
すぐに本に没頭する横顔を眺めて息を吐く。
真っ直ぐな瞳は、やはり綺麗だ。
初めて出会った頃と変わらない。
心惹かれた、あの頃のまま。
公爵家の長女、アリスティーナのお話です。
EX.3で生まれた女の子ですね。
気付いたらブックマークが1200件を越えていたので、
記念に上げてみました~。




