EX.1 貴方に花を
広大な敷地を誇る王都は、王城を中心に上流貴族の館から中流、下流、そして商人の館へと裾を広げている。
筆頭公爵でもあるベラール公爵家は、その中でも王城に最も近く、そして貴族の中でもっとも広い館を下賜されていた。
館はもちろん、風華の古典的様式を色濃く残した庭園も館と比例するようにゆったりとした空間がとられている。
直線で区切られた区画によって様々な花たちが妍を競う庭園は、代々の公爵の目を楽しませて来た。
当代の公爵は、なかなか庭を楽しむ時間を取れない多忙ぶりだが、代わりにその公爵夫人は毎日のように庭での散策を楽しんでいる。
最近では、散策だけでなく自らの手で花を育ててすらいる。
社交界のご婦人方であれば、聞いただけで眉を顰めるもしれないが、ベラール公爵夫人は少しだけ他とは違っていた。
ミルレイアは、しっとりと濡れた葉にそっと指を寄せた。
王都では、ここ数日ずっと雨続きだった。
今日は久方ぶりの晴れ間となり、室内にこもる日々が続いていた。
部屋にいても、出来る事はあるし、それも楽しかったのだが、やはりこうして外に出られると心が弾む。
「ミルレイア様、あまり急ぐと滑りますよ」
後ろから籠を持ったレジーナが声をかけてくれる。
雨上がりで、まだ濡れた煉瓦道はレジーナの言う通りいつもの小道とは少しだけ違っている。
立ち止まった途端、片足が滑った。
「ミルレイア様!」
小さく声を上げたレジーナに、どうにか転ばずに体勢を立て直す。
「ごめんなさい、大丈夫だから」
「あぁ、良かった」
小走りに駆けよって来てくれたレジーナに礼を言う。
「ゆっくり行きましょうね」
「はい」
そうして、二人並んで庭への煉瓦道を辿る。
「雨上がりですから、空気が澄んでますね」
「みんなも、気持ち良さそう」
「そうですか。久しぶりのお日様ですからね」
他の者であれば、戸惑うであろうミルレイアの受け答えもレジーナには慣れたものだ。
ミルレイアの蒼空色の瞳は、レジーナたちが見る事が出来ないものが見える。
「今日は、どんな種を植えましょうね」
両手の籠を抱え直してレジーナが問えば、ミルレイアは首を傾げながらゆっくりと答えた。
「この前、もらった、白い小さな花の種を」
「あぁ、これですね!私の好きな花なんですよ」
籠から取り出したのは、麻の小袋に入れられた種だ。
数日前に公爵家の庭師が、良ければミルレイアにと持って来たものだ。
レジーナの言葉に、ミルレイアはパッと顔を明るくする。
言葉よりも雄弁なその表情に、レジーナもくすくすと笑う。
「楽しみですね?」
「はい!」
弾むような足取りでミルレイアが生垣の角を曲がる。
その時、角からちょうどやって来た大きな人影にミルレイアはまともにぶつかってしまった。
「すみません、大丈夫ですか!?」
慌てた言葉と同時に傾いだ身体を支えられる。
背中に感じるしっかりとした腕の感触は、既に馴染んだ物だ。
「デイル様」
「あぁ、怪我はないですか?」
心配を顔中に貼り付けてミルレイアを立たせたのは、この館の主でもあるベラール公爵その人だ。
城内では辣腕と切れ者の名を欲しいままにしている公爵だが、我が妻の事になると人が変わったように落ち着かなくなる。
「大丈夫、です」
「良かった……」
心底、安堵してデイルはようやく笑みを浮かべる。
「デイル様も、お散歩ですか?」
まだ昼食にも早い時間だ。
常であれば、王城に出向いているか、執務室にこもっている時間だ。
不思議そうなミルレイアに、デイルは笑みを苦笑に変えた。
「陛下に呼ばれていたのですが、来客が入られたので戻って来ました」
ちょうど急ぎの仕事もなく、ぽっかり時間が空いた形になったらしい。
「ミルレイア殿が庭に行かれたと聞いたので、ご一緒しようかと」
だが、どの庭に行ったのかまでが分からず探していたらしい。
「デイル様も一緒にですか!」
輝くような笑顔にデイルの相好も緩む。
「お邪魔じゃなければ。今日は、どんな事をするんですか?」
自然と隣立って歩く。
レジーナは、そっと三歩後をついて行く形だ。
こうして見ると、夫婦と言うよりも初々しい恋人同士のようだ。
それでも、似合いの二人に違いはない。
嬉しそうに話すミルレイアに、相槌を打ちながらゆっくりと歩くデイル。
後ろから仲睦まじい二人の姿を眺めてレジーナは一人で笑みを深めた。
他国からの客人も目をみはる公爵家の庭は、今は夏咲きの薔薇が見頃だ。
芸術的なアーチを描く蔓薔薇の下を潜り抜けて、少し奥まった場所にミルレイアの為の小さな花壇がある。
赤煉瓦で区切られた花壇には、まだ目を出したばかりの双葉が顔をのぞかせている。
「もう芽を出しているんですね」
「はい。いちばんに植えた子たちです」
「何の花ですか?」
「ええと、夕映菊と風知花です」
たどたどしく伝えられたのは、どちらも晩夏から初秋にかけて咲く華やかでこそないが良く知られた花たちだ。
夕映菊は、縁起の良い花として定番意匠の一つともなっている。
ミルレイアはもう慣れた手つきで如雨露で水をあげている。
貴婦人であれば土いじりなど嫌悪するものだが、そう言った悪感情はないらしい。
そもそもミルレイアは、そう言った世間の常識や貴族的な習慣と言うものを知らない。
そう言ったところもデイルは、微笑ましく思っているが、これからはそうも言っていられないだろう。
何より、すでに少し問題にはなっている。
「……あっ!駄目ですよ!ミルレイア様、それは触ってはいけない虫です!!」
「え?」
大きな声を上げたレジーナに、ミルレイアはきょとんと目を丸くした。
デイルが見下ろしてみれば、伸ばされた細い指の先で見るからに毒々しい色をした虫が土をはっていた。
双葉についていたのを、指でつまみ上げようとしたらしい。
慌ててデイルがその手を掴んで虫から離した。
「レジーナ、何か手袋は用意出来ないか」
「はい。今回は用意してまいりました」
前回も同じ事があったらしい。
有能な侍女は、籠から薄い布を裁って作った手袋をテキパキとミルレイアにつけさせた。
違和感があるらしくミルレイアは手を握ったり、開いたりしている。
「手を傷つけてはいけませんから。今度からつけて下さいね」
「はい」
素直に肯いたミルレイアの横で、レジーナはスコップで虫を遠くへ投げ捨てている。
小さく聞こえた悲鳴は愛嬌だろう。
「デイル様。デイル様はお花が好きですか?」
成り行きで後ろから抱きかかえる形になったデイルを下から見上げてミルレイアが尋ねる。
自然と上目遣いになった角度は、凶悪なまでに可愛らしい。
思わず赤くなった顔を片手で覆って、こちらは不自然に視線をそらした。
「え、えぇ。好きですよ」
それ以外になんと答えれば良いのか。
今なら、例え尋ねられた対象が何であれ肯いてしまいそうだ。
「良かった。お花が咲いたらデイル様に一番にあげますね」
「……はい。楽しみにしてます」
どうにか表情を取り繕って返事をすれば、にっこりと輝くような笑顔が返る。
「この前、教えてもらいました」
「うん?」
きゅっとミルレイアの指がデイルの袖を掴んで振り返る。
「お花をあげるのは、好きってことですって。だから、デイル様にお花をあげますね」
恐らく、侍女から何か聞いたのだろう。
確かに求愛の贈り物と言えば花束が一般的だ。
だが、その事実の正否よりもミルレイアの言葉の方が嬉しかった。
言葉もなく抱きしめたデイルに、ミルレイアも同じく背中に手を回す。
「………私も」
「?何ですか?」
震える声は聞き取りにくかったようだ。
顔を上げてもう一度、伝える。
「私からも、花を捧げます」
「はい……、うれしいです」
貴方に花を贈りましょう。
尽きぬ言葉を、花にこめて。
ありったけの、愛をこめて。
fin
結婚してすぐ位の二人です。
とりあえず、甘いのだけを目指してみました。
まだ、初々しい二人です。
※この短編は、再掲ではありません。久しぶりに二人を書きました…。




