31* 実りの果実
「リ、じゃないミルレイア様、お茶が入りましたよ」
レジーナは香ばしいお茶を淹れた磁器を円卓に置いて、花の手入れをしている主人に声をかけた。
花が好きで、それが高じて最近では庭弄りも始めている。
いつも楽しそうに外に出ていくのを咎める者はいない。
「レジーナ、蕾が一つ付きました」
「ミルレイア様が丁寧にお世話をなさっているからです。これからもっともっと蕾を増やさなくては」
「頑張ります」
茶目っ気を含ませた言葉に、ミルレイアがくすくすと笑う。
お茶とお菓子を楽しんでいると部屋の扉が叩かれてライドールが顔を覗かせる。
「お茶のお時間でしたか」
「はい、ライドールも一緒にどうぞ」
にっこりと椅子を勧める主人に、眩しげに目を細めてライドールも相伴した。
幼い少女だったはずの人が、数日の内に成長を見せたことで当初はライドールもレジーナも混乱した。
だが、それよりも優しい主人が声を取り戻した事の方が大事だった。
少したどたどしい声で初めて名を呼ばれた時、レジーナなどは涙ぐんでいた。
もちろん、ライドールもほとんど同じ気持ちだった。
「あと少ししたら公爵様もいらっしゃるそうです」
茶器を傾けて、ライドールがそう告げるとミルレイアはパッと顔を明るくした。
だが、輝くような明るい表情と真反対の声がその場に響いた。
「来なくて良いものを」
「旋様、いらっしゃったんですか」
露台の手摺に腰掛けるように現れた神族をレジーナは、慣れた動作で迎え入れた。
「あぁ、茶を飲みたくなってな」
「今日のお茶は、氷蓮の霞茶ですよ。胸がスッとするお茶です」
「ふうん。面白いな。不思議な味がする」
レジーナが嬉々として説明するのを旋は興味深げに聞いている。
最近ではすっかり馴染みとなった光景だ。
「またいらしたんですか……」
和んでいる円卓に新たに訪れた声は、ひどく疲れているようだった。
「デイルさま」
にっこりと迎えたミルレイアに、同じように優しく微笑み返してライドールが設えた席につく。
「我が子に父が会いに来て何の不服がある」
「神界に帰ると言うのはいつの話なんですか」
頭が痛いデイルだ。
何せ、旋はあれから半年近く人間界に滞在している。
あの時は今すぐにでも帰るような口振りだったのに。
「期限内ならいつ帰っても良いからな」
「そうなんですか?期限っていつくらいなんですか?」
レジーナが首を傾げて質問する。
厨房自慢の焼き菓子を摘み上げて旋は気のないように答えた。
「人間の暦ならば一年くらいだな」
「一年!」
叫んだのはデイルだ。
無理もない。
「ははぁ、それで納得しました」
遅れてやって来たベルリードがしたり顔で頷く。
席を勧めるミルレイアに、感謝を返しながらもデイルの背後に控えている。
すぐに出て行く予定だからだ。
「何が、納得なんだ」
疲れたように呟く主人にベルリードは指を一本立てて説明した。
「聡明と評判だったご令嬢がそんな会って直ぐの人を愛するわけないじゃないですか」
明瞭な答えだ。
思わずデイルも納得した。
言われて見ればその通りだ。
「あ、それとお仕事です。領地の方で何か揉め事が起こったらしくて使いの者が飛んできました」
「……わかった。すまない、また後で」
慌しく去っていったデイルとベルリードを見送って、ミルレイアはお茶を飲む。
そうして、自分の周りにいる人たちを見て微笑んだ。
旋が取り除いた記憶は、ミルレイアに返された。
最初は、旋もデイルも難色を示していたがミルレイアが強くそれを望んだ。
自分の事を何も知らないで良いわけがない。
取り戻した記憶は、少なからずミルレイアを傷つけたけれどデイルがいてくれた。
旋も、レジーナも、ライドールも。
だから、今はこうして笑っていられる。
「ミルレイア様、お茶菓子も一緒にどうぞ。甘い物は疲れに良いんですよ」
「そうだな。それに、そなたはもう少し肉をつけた方が良い」
狐色に焼きあがった菓子を進めるレジーナに旋も同意して、いくつかを取り分けてくれる。
「美味しい」
さくっとした歯ごたえに、中に潜んだ胡桃がほのかに甘い。
「そう言えば、お庭の方はいかがですか?」
「あ、蕾が一つ付きました」
他愛無い話をして、一緒にお茶を飲んで。
大好きな人がたくさんいる。
ひっそりと幸せを噛み締めて、ミルレイアは微笑んだ。
日が落ちて、夜になるとデイルが訪れてくる。
昼間はあまり会えないけれど、代わりに夜にはゆっくりと話すことが出来る。
高価な薄い麻布の夜着を来て、ミルレイアは寝台に座っていた。
こうしているといろいろな事を思い出す。
一度は失った過去の思い出は、皆が思っているほど辛いものではない。
ちゃんと楽しい事も幸せな事もあったのだ。
「何を考えているのですか?」
かっちりと整えられた昼とは違う、髪を下ろしゆったりとした寝着をまとってデイルが寝台へと近づく。
仕事をしている時の厳しい顔も好きだが、こうして全てを取り払った姿の方がミルレイアは好きだった。
「いろんなことを思い出してました」
そう言うと、デイルはわずかに痛い顔をする。
きっと今も後悔は消えないのだろう。
何度ミルレイアが言葉を重ねても、デイルは己を許せないようだ。
それを痛ましく思う影で、実は少しだけ嬉しく思っている自分をミルレイアは知っている。
いけないことだと判っているけれど、そうまで想っていてくれることが嬉しかった。
「後悔、してはいませんか?」
「しません。一緒にいたいと思ってます」
あれから、幾らかの時が過ぎてミルレイアも幼さを脱ぎつつあった。
あの時の言葉を否定する気はないが、それでもあの言葉はまだまだ他愛無いものだったのだと今ならわかる。
今なら、きっとデイルと同じだけの想いを返せる。
手燭の明かりの中で、ミルレイアのきめ細かな膚がとろりとした輝きを帯びる。
伸ばされた手は隣りに座るデイルの頬をなぞる。
「デイルさまが好きです」
囁く言葉に、デイルは目に見えて動揺する。
ここはミルレイアに誂えられた部屋だ。
デイルの寝室はまた別にある。
夫婦と言う形を世間では取っていても、実際はまだ初々しい恋人同士のようなもの。
手が触れ合う事すら滅多にない。
大事に、大事にしてもらっている。
ミルレイアにだってそれくらいは判る。
けれど、少しそれが寂しいと感じている。
身体はそんな想いに反応してか少しずつ変じてきている。
半神のせいか、あまり目立った変化ではないけれど。
「ミルレイア……」
絡まったような声が褥に落ちる。
「貴方を愛しています」
淡く燃え立つ炎のような声。
言われるたびにミルレイアの心の中で沢山のものが花開き、芽吹いていく。
だから、同じだけ返したくて花唇を開いた。
「私も、愛しています」
相手を傍らに縛り付ける言葉。
デイルはそう言った。
でも、今ならわかる。
それは同じだけ相手を思いやる言葉なのだ。
与えるだけではなく、与えたいと言う事。
二人分の重みを微かな音と共に受け止めた寝台に月光が伸びる。
窓の外では、爛熟した花が風に舞っていた。
地中深くに埋められた名もなき花があった。
誰に知られることもなく、その花は暗い世界で芽吹いた。
花は輝く世界で咲き綻び、襲う風雨に儚く散り行き、やがて一つの実をなした。
その実の名を“愛”と呼ぶ。
fin
ここまで、お付き合いありがとうございます。
初回で100ちょっとだったPV数も最高で20倍以上になったりと驚かされたりしましたが、少しでも楽しんで頂けたなら幸いです♪
本編は、ここで完結しますが、まだ番外編などもあるので、あともう少しお付き合い頂けたら嬉しいです。