30* 落花
遮光布が掛けられた一室は、薄暗く沈んでいた。
世界各国から取り寄せられた芸術的な家具の数々すら部屋を明るく引き立てることは叶わないようだ。
空気すら灰色に染まりきったような鬱々とした雰囲気だけが唯一の彩りだ。
そんな中にあって、部屋の主は過去の華やかさからは考えられない質素な衣服に身を包んで、その人の訪れを待っていた。
質素とは言っても色味を抑えているだけで、使われている布地は最流行の高級品だ。
薄く施された化粧も、計算し尽くされた憐憫を作り出す。
しとやかに椅子に座って待つマリーニエの足元に、扉から一筋の光が伸びた。
「お兄様、お待ちしておりました」
部屋に入って来たのは、堂々たる体躯の青年。
まだ若輩と言っても良い年齢ながら、明敏な頭脳と如才ない外交術を有したこの国の公爵である。
そして、マリーニエの腹違いの兄でもあった。
兄妹なだけに向かい合うと、思いの外、似通った部分がある事に驚かされる。
だが、与える印象はまるで違う。
生真面目で、硬い印象に人当たりの良さを滲ませたデイル。
くっきりとした目鼻立ちに華々しい輝きを乗せるマリーニエ。
本来であれば、何がしかの家族の情が交わされる筈の間柄であったが、それはつい先日に潰えていた。
床に膝を付き頭を垂れた異母妹を見下ろして、苦い感情を飲み下す。
簡素な略装に身を包んだマリーニエに椅子に戻るよう言う。
だが、デイル自身は勧められた椅子に見向きもしない。
長く時間をかけるつもりはなかった。
「お前の処遇が決定した」
ごく事務的に切り出した兄をマリーニエは悲しげな顔で見上げる。
潤む瞳の光も、震える指先を握り締める所作も、見る者の同情を誘う。
「お兄様。あたくしがした事は許されることではありません。ですが、あれは本当に、愚かな事だったと反省しております」
泣き濡れる声にデイルの肩が揺れる。
それに反応したかのようにマリーニエは立ち上がり、乞うように膝をついた。
「どうか、嫉妬に狂った愚かな女だと軽蔑しないでくださいませ。ただ、お兄様のことを愛していたのです」
気位の高い普段の彼女からは考えられない動作だった。
だが、デイルはわずかの感情も揺るがせはしなかった。
「……それが家族の情であれば、こんな事にはならなかったのだろうな」
苦々しい声に、ハッと顔を上げる。
「椅子に座るんだ。今さら、何が変わることもない」
厳しい兄の様子に、マリーニエは愕然とした表情をあらわした。
今までの兄とは、まるで違っていた。
「今回の事は、公にはしない。公爵家の恥を吹聴は出来ないからだ。お前を庇ったわけではない」
よろよろと席に着きなおしたところに向けられた言葉に、色づいた唇を噛み締める。
「お前には閑扇の神殿へ行って貰う。俗世から離れ、己の所業についてもう一度考え直す時間を与えよう」
「嫌ですわ!」
神殿など、社交場からは最も離れた世界だ。
厳しい規律の元で、ささやかな贅沢品すら手に取れない場所。
己を飾れないなんて、マリーニエは想像もできなかった。
「お願いです、お兄様。そんな酷いところにあたくしをおやりになるのですか」
必死で掻き口説く妹をデイルは黙ってみつめた。
その常にない様子にマリーニエは情に訴えることも忘れて息を飲む。
「神殿は、学識と規範を学ぶ最適の場だ。お前に欠けている物を学び直すには最適だと判断した。それに……」
事務的に説く言葉を跳ね除ける。
「そんなの、そんなの我慢できません。お兄様と離れるなんて、あたくしには耐えられませんもの!ねえ、お兄様。あの事ならあたくしも反省しているのです。もう、二度とお兄様の大切な方を傷つけたりはしませんわ。だから、だから……」
「それほど、神殿が嫌か?」
「えぇ、もちろんです!他の事ならば何でもお聞きしますから、どうか」
パッと顔を輝かせたマリーニエだったが、次の瞬間に凍りついた。
自分を見下ろすデイルの瞳が恐ろしく冷たい事に気がついたのだ。
「ならば、今後の生涯を幽閉塔で過ごすが良い。神殿が嫌と言うならば仕方がない」
「え……?」
「人を貶め、罪を被せた。罪人には相応しい処遇だろう。どうする?」
マリーニエは甘く見ていた。
ずっと自分の言う事ならば何でも聞いてくれた兄なら反省して見せれば良いと思いこんでいたのだ。
だが、そんな思惑は完全に外れていた。
デイルは、名だたる貴族の頂点に立つ筆頭公爵としてマリーニエを断罪していた。
家族の情など、欠片も存在してはいない。
絶望に染め上がった妹を無感動に見定め、再度選択を迫った。
苦しげに息を吐きながらマリーニエは選んだ。
「…神殿へ、学識を深めに参りたいと、存じ、ます……」
震える声は、言い終わると同時に嗚咽へと変わっていた。
暗澹たる思いでデイルは、廊下を歩いていた。
公爵家を統べる者として今回の妹が犯した事は隠さねばならなかった。
それが義に反する事は重々承知している。
だが、家の恥を易々と表沙汰にすることは出来ない。
政治的判断だ。
喉元を締め付ける襟飾りを毟り取って、大きく息を吐いた。
情けないが、マリーニエを公に罰する事は出来ないと判断したのだ。
他の貴族に付け入る隙を与えるわけには行かないと。
自己保身の考えに反吐が出そうだった。
「あの女の処罰は決したのか」
流麗な声が大股に歩くデイルを呼び止めた。
「旋様」
何時の間に来たのか、廊下の壁に寄りかかるようにして黄金の青年が立っていた。
艶めいた雰囲気を持つ旋は、目も覚めるような美しさだ。
「僻地にでも飛ばしたか?」
剣呑な言葉も旋から出れば歌の一節のようだ。
「僻地とまでは行きませんが、規律の厳しいと評判の神殿へ」
「お優しいことだ」
クスクスと笑う旋に、デイルは苦い顔を浮かべるしかない。
優しさなどではない事は旋も知っているだろうに。
「……あの人間の娘は凪を傷つけた。お前如きのために」
笑いを治めた旋の眼差しは、暗く厳しい。
正当な怒りをデイルは逃げずに受け止めた。
「二度はない。そもそも私は、凪を連れ帰ることを諦めてなどいないからな」
「……な!」
さすがのデイルも、聞き逃せない言葉に声を上げかけた。
「だが、無理強いして凪に嫌われるのもご免こうむる」
「それでは」
「もう少しすれば凪もお前に飽きるだろう。それを待つとしよう」
何ともな台詞にデイルは、僅かに気圧されながらも言い返した。
「ミルレイアから飽きられる事はないと自負しておりますが」
この際、少々のはったりも必要だろう。
実際には、言葉の半分も自信などないが。
デイルの言葉に今度は旋の眉が寄る。
一色触発の空気が流れた時、優しい声がピリピリした雰囲気を破った。
「デイルさま、おとうさん」
にこやかな笑みで駆け寄って来たミルレイアをデイルが両手を広げて迎える。
一歩出遅れた旋は、思い切り苦い顔だ。
デイルの腕の中で、ミルレイアは恥ずかしそうにしながらも幸せそうだ。
「デイルさま、お仕事は終わったんですか?」
「大きな物は一段落つきました」
マリーニエの事については気取らせない。
知らなくても良いことだ。
「それなら、お庭を見に行きませんか?おとうさんも」
晴れやかな微笑みは、デイルのささくれ立った心を癒してくれる。
思わず、ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。
「デイルさま?」
「あぁ、いや。一度、仕事に戻るので。それから、お邪魔します」
「はい、お待ちしてます」
「私は一緒に行こう」
デイルが腕を解くと、すぐに旋がミルレイアの隣りを奪う。
もう日常と化しつつある光景に、デイルはそっと笑みを浮かべた。
窓の外から、甘やかな花の香りが辺りを満たしていた。
このお話は、サイトでは「花の行方」として短編として載せていたものになります。
今回、ちょっと流れ的に無理やりですが、本編に組み込みました。




