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13* 虫食い

公爵家の一人娘の誕生会は見るものを圧倒する華やかさで執り行われた。

「本当に、マリーニエ様のお美しい事。あの品の良さは私の娘にも見習わせたいですわ」

「あら。お嬢様は明るい方だと伺ってますわよ。それより、あの布地はどちらから手に入れられたのかしら」

「あれは水華で最近織り出されたばかりの物ですわ。わたくしも早速手を回しましたのよ」

絢爛な装いの中で、見栄と虚飾が入り乱れる。

朗らかな笑みの下で交わされるのは、相手を蹴落とすための揚げ足取りだ。

灯火にほのかに照らし出される生花や綾紐は、揺らめく影も添えられて美しく幻想的な空間に仕上げている。

狐狸の化かしあいにも似た談笑は、年かさの夫人たちだけではない。

その娘や息子たちも社交に余念がない。

「あちらの男性はどなたかしら。立派な風采だわ」

「ふふ、嫌だわ。公爵様のお屋敷に来て他の男性を見るなんて。ねえ?」

緑柱石の指輪を口元に寄せた令嬢が、上目遣いで今日の主役である少女を見上げた。

赤みのある茶色の巻き毛を豪奢に纏め上げたマリーニエは、軸を香木で作り上げた高価な扇子を広げてゆったりと微笑む唇を隠す。

「駄目ではないわよ。今夜は素敵な男性が多くいらっしゃって下さってますもの」

朱色の絹に藍の更紗を重ねた衣装に青玉をあわせたマリーニエは、まるで王女の風格でその場の注目を集めていた。

実際、その場の同じ年頃の少女たちと比べてもマリーニエは別格の美しさを誇っている。

招待状を貰い受けた貴族たちは、彼女に気に入られようと独身の青年たちを多く送りいれていた。

多くの婚約者候補を適当にあしらって見せながらもマリーニエは、ちらちらと扉を気にしている。

まだお兄様は現れない。

来て下さるとお返事を下さったなら、初めから顔を見せてくださらないと。

不満はたまっていく一方だ。

それでも顔には表さないのは、公爵家の娘である意地と誇りだ。

数多の男性に艶やかな微笑みを返してマリーニエが、うんざりと内心ため息を吐いた時、入り口が大きくざわめいた。

ハッとして扉口を見ると、ようやく待ち人が姿を現してくれた。

あぁ、やっぱりお兄様にはあの色が良く似合うわ。

一月も前から布地を選んで、丁寧に刺繍を施したのだ。似合わないはずがない。

喜びに自負を滲ませてマリーニエは兄を出迎えるために悠然と足を運んだ。

そうして近づくに連れて、その場の雰囲気がおかしいことに気がつき始めた。

マリーニエが兄のもとに向かっているのだ。他の招待客は事前に避けるのが礼儀だろう。

それなのにほとんどの者たちが、直前になって慌てて道を譲るのだ。

まるで何かに目を奪われているかのように。

不快な思いでデイルの前に立って、マリーニエは艶やかに微笑み、口上を述べようとしてその顔を強張らせた。

最愛の兄の傍には、可憐な美姫がたおやかに寄り添っていた。




リゼイラは、扉の奥に広がるきらびやかな世界を目にして思わずデイルの背に隠れそうになった。

今までに見たことのない世界が存在していたのだ。

窓の外は夜なのに、まるでこの部屋にだけ太陽を持ち込んでしまったらしい。

キラキラと輝く室内には、それ以上に華やかで煌びやかな人たちが笑いさざめいている。

こんなに多くの人に会った事すらないリゼイラは、完全に萎縮してしまっていた。

デイルと並んで歩くことの緊張すら吹き飛ぶくらいの衝撃だった。

どうしてこんなにたくさんの人がいるのだろう。

泣きたい位の混乱に、知らず絡めていた腕に力がこもってしまった。

それに気付いたデイルだったが、リゼイラの必死な表情に離れるように言うのも躊躇われてそのままゆっくりと宴の中を歩いて進む。

あぁ、やっぱり来てはいけなかったのかもしれない。

レジーナとライドールは褒めてくれたけれど、変な格好でもしているのかもしれない。

考え始めると周り全てが怖くなる。

俯いた頭からは、囁くような声と笑い声が降りかかる。

どうしよう、どうしよう。

今すぐにでも逃げ帰りたくなったリゼイラの脳裏に、部屋に出る前のライドールの声が横切る。

『頭を下げずに微笑むことを忘れないでください』

俯かないで、微笑んで。

深く息を吸って、きゅっと顔を上げる。

途端、視界に飛び込んできた煌びやかな空間に呑まれかけたが、必死で踏みとどまって堅い表情に微笑みを登らせた。

まだ少し緊張の残る微笑みだったが、はにかむような初心な笑みはその場を一瞬で魅了した。

「まぁ、なんと可愛らしい」

ため息の様な声が所々から漏れる。

だが、そんな賛美の声を聞き分けるほどの余裕はリゼイラになかった。

ただ一生懸命、顔を上げて微笑むので精一杯だ。

稚い少女が、若き公爵の花嫁である事は既に知れ渡っている。

それが追い詰められている子爵の悪あがきである事も。

リゼイラに注目する視線には、そんな噂の証を見るような物も混じっている。

まるで高価な芸術品か、珍しい獣でも見定めるような注視は、人と接する事になれていないリゼイラにはきつい物だ。

早く部屋に戻りたい、そればかりが小さな頭を巡っている。

リゼイラの顔からは既に血の気が引いているが、施された化粧がそれを判り難くする。

何より、公爵として挨拶などを交わさなければならないデイルの注意はリゼイラまで回らない。

公爵様のお邪魔にならないようにしないと。

針のような多くの視線に耐えてリゼイラは、その場に立っていた。

すると、少しずつ人波が割れていつか出会った女性が姿を現した。

部屋に訪れてくれた事のある、そう、デイルさまの妹の…。

そこまで思い出して、そっと見上げたマリーニエの強張った表情に首を傾げた。

美しいだけに表情が一切そぎ落とされた顔は、仮面のように無機質で恐ろしくすらある。

ぞくりとした悪寒が走るが、次の瞬間には朗らかに微笑まれて気のせいだったのかとホッとする。

「まぁ、お兄様にリゼイラ様。ご出席下さって、とっても嬉しいですわ」

「たった一人の妹の誕生の祝いだ。出席しないわけがないだろう」

デイルとマリーニエ、二人が並んだ姿はとても美しかった。

どちらも華やかで堂々とした物腰が生まれながらに備わっているようだった。

遠い思いで、少し身体を離して会話する二人を見つめる。

そっと腕から力を抜いたリゼイラに気付いたデイルが、ごく自然な動作でリゼイラの肩に手をまわす。

本当なら腰に手を添えたいところだろうが、如何せん身長が足りない。

それでも、守ると言ってくれた言葉を実行してくれているのが感じられてリゼイラは嬉しかった。

心臓が痛いくらい鳴っていた。

ぎゅうっと胸の前で手を握り締めたリゼイラは、回された手をマリーニエが怒りにそまった瞳で見下ろしていることに気付けない。

「……それでは、お兄様もリゼイラ様も宴をお楽しみくださいね」

あくまでも公爵家令嬢の品格を失わずに去った妹にデイルは内心でホッとしていた。

今までなら、このままさも当然の様に纏わり付かれたのだが。

腕の中の小さな少女を見下ろして、やはり妻と言う立場には遠慮したのかと考えていた。

そこで、ようやくリゼイラの顔色があまり良くない事に気がついた。

「人混みに酔いましたか?」

優しく、あくまで紳士的に触れ合わせた手で壁際までリゼイラを案内する。

所々に置かれている椅子の一つに座らせる。

少し落ち着くことが出来たリゼイラは、膝を折って気遣ってくれるデイルに感謝の気持ちを込めて微笑んだ。

「……何か飲み物でも持って来ましょう」

酷く複雑そうな表情を浮かべてデイルが立ち上がる。

その苦しげな顔に、何か失礼な事をしてしまったのかと慌てたリゼイラだが、デイルは気付かずに宴の中に紛れていってしまう。

一人残されたリゼイラは、心細さと自己嫌悪で俯いてしまう。

どうして、ちゃんと出来ないのだろう。

いつもいつも、デイルさまのお気に障る事ばかりしてしまう。

笑っていて欲しいのに。気持ちよく過ごしてもらいたいのに。

どうして、こんなに駄目なんだろう。

「リゼイラ様?お加減でもよろしくありませんの?」

不意に掛けられた声に慌てて浮かんだ涙を拭って顔を上げると、マリーニエが取り巻きらしき少女と共にリゼイラの前に立っていた。

椅子に座っているせいで、周りの様子は一切判らない。

立とうにもマリーニエがあまりに傍にいるために、上手く立ち上がれない。

にっこりと笑っている令嬢に、何故かあまり良い気持ちにはなれなくて戸惑いながらゆるゆると首を横に振った。

「あら、でもお顔の色はすぐれませんわ」

頬を掠るように手が伸ばされて、思わず身を竦める。

身体に触れられる事にリゼイラは慣れていない。

「まぁ、失礼を。そうですわ、こちら私のお友達ですの。後でご紹介いたしますわ。今は、別のことをお聞きしたくて参りましたの」

何だろう。素直に首を傾げたリゼイラにマリーニエの後ろに立っていた少女たちが蔑むような声で口を開いた。

「それにしても、いくら公爵夫人と言えども、元を正せば落ちぶれた子爵家の娘。それなのにマリーニエ様にお声の一つもかけないのは無礼ですわよ」

「えぇ、まさかそんなご教育もされていない程、お困りではありませんわよね」

くすくすと笑う声に、胸が苦しくなる。

「お二人ともお止めなさいな。リゼイラ様はお声が出せないのですわ。お可愛そうでしょう」

「まぁ!本当ですの、それは失礼を」

「お可哀想に。お声を賜れず残念ですわ」

形ばかりの謝罪に、リゼイラは顔を俯けたままゆるゆると首を横に振る。

塞ぐ思いは、嵩を増しいつか溢れてしまいそうで恐ろしい。

「それよりも、今日のご衣裳は大変素晴らしいですわね。お兄様のお見立てでしょう。私も良く見立ててもらいますのよ」

賛辞を受けている筈なのに、マリーニエの声は酷く遠かった。

そこに気持ちが込められていないから。

「……そうだわ、ご気分が宜しくないのならお庭の方にご案内致しますわ。風に当れば気分もよろしくなると言いますものね」

え、と思う間もなく腕を取られてしまう。

あの時と同じように断る暇をマリーニエは与えてはくれない。

しかも今はご友人だと言う二人も逃げ場を封じるようにリゼイラを取り囲んでいる。

呆気に取られながら、それでも外に出られるなら嬉しかった。

ここは人がたくさんいて、少し息苦しい。

本当に風に当れれば楽になれるかもしれない。

素直にそう思ったリゼイラは、さざめくように笑う令嬢たちの真意に気付かない。

先頭を歩くマリーニエの瞳は、冷ややかに沈んでいた。




大きな広間から続く露台には、宴にあわせて飾りが施されてあった。

こんな所にまで、と驚くのはリゼイラだけだ。

「あら、ごめんくださいね。ちょっと呼ばれてしまいましたわ。本当ならお庭の方にまでご案内さしあげたかったのですけど。とっても美しい場所があるんですの。是非リゼイラ様にお見せしたくて!そうだわ、お兄様には私から伝えておきますからそちらまで足を伸ばしては如何です?そう遠くない場所ですから、大丈夫ですわ」

露台から降りて、庭園にまで降りた所で急にマリーニエは足を止めた。

リゼイラには何も聞こえなかったのだが、どうやら広間から呼ばれたらしい。

それなら、広間に戻ろうとしたところでマリーニエから一気に喋り倒されてしまう。

驚いて目を丸くしていると、いつかのように流されるように次の行動まで決められてしまった。

困惑しながらも、マリーニエの言う美しい庭園には興味があって、それに今は人ごみの中に戻るのも躊躇してしまう。

デイルさまに伝えてくださるなら、ちょっとだけ良いだろうか。

揺れ動いたリゼイラに止めを刺すようにマリーニエが言葉を足す。

「今の時期だけ咲く花がありますの。是非見ていらして下さいな」

少し考えてリゼイラはこくんと頷いた。

にっこりと笑ったマリーニエは、さらに詳しい道順をリゼイラに告げる。

「迷うような場所ではありませんから、平気ですわ」

そう最後に告げてマリーニエは、取り巻きの少女と共に輝かしい広間へと戻っていった。

一人夜の庭園に残されて、それでもリゼイラはホッと息を吐いていた。

たくさんの精霊たちが息づく気配を感じる。

太陽の下を好む彼らは、多くが夜には本体である植物や風に溶け込んで、人間で言えば眠っている。

さくっと柔らかな草の上を歩き出してリゼイラは教えてもらった場所に向けて歩き出す。

今日の靴は踵もあまり高くないものだから、足が酷く痛むことはなかった。

それでも、慣れてはいないから少しゆっくりと歩く。

涼やかな夜の空気は清華で、気持ちを穏やかにしてくれる。

凝った気持ちを吐き出すように呼吸を整えて、空を見上げた。

気付けば誕生会の宴の音色は遠くになっていた。

そろそろ言われた場所だろうかと目を凝らした時。

『……!』

とつぜん、繁みから突き出した手に引き倒された。

何が起こったか判らない。

「なんだ、まだ子どもじゃないか」

「でも、結構きれいな顔してるな。本当にヤッちゃっていいのかよ」

「馬鹿、あのお嬢様のお墨付きだろ。怖いもんなんかないだろ」

強張った身体が複数の手で拘束される。

ぼそぼそと交わされる声が、酷く気持ち悪い。

驚愕の淵から帰ると、リゼイラは必死で抵抗を試みる。

口を覆った手が汗で濡れていた。

良くわからないけれど、怖くて気持ち悪い。

レジーナやライドール、それにデイルに触れられる時とは全く違う。

触れられた場所から冷たく凍えていくような、それどころか腐っていくような嫌悪感が湧き上がる。

「こら、大人しくしてろ!」

「ちょっとジッとしてれば、気持ちいいこと教えて上げるからさ」

嫌だった。

首筋にかかる息が生暖かい。

ひゅっと息を詰めたリゼイラの胸元に、手がかかった。

両手を頭の上で拘束され、足の間には男が一人座っている。

抵抗など無意味に等しい。

「まだ胸もほとんどないな」

布地の上から弄られる感触に、リゼイラは吐き気を覚えた。

涙浮かんでは、無意味に流れ落ちる。

「あーあ、泣いちゃってるよ」

「声でないんだろ。その手、どけてやれば?」

ずっと覆われていた口が自由になる。

冷たいはずの夜風が変に生ぬるい。

「それじゃ、そろそろ中身を拝見させて頂きましょうか」

笑う声と共に、布地が裂かれる音が虚しく響いた。

そして、浅く息を注いでいた喉が悲鳴を上げた。

『……ハクラン!助けて、デイルさまっ』


空気が止まった。



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