14* 駆除
裏方の仕事がひと段落ついて、ライドールは邪魔にならないように静かに宴の中に滑り込んだ。
盛況な宴の中では、ライドールが一人潜り込んでいても誰も気に止めない。
流行の並び市のような衣装の中で、ライドールの傍仕えの格好は粗末ではあったが堂々とした立ち振る舞いに咎められることはなかった。
人よりも高い背を活かして捜すのは、小さなご主人様だ。
きらびやかな中にあっても、あの可憐な姿を見つけ出す自信はあった。
だが、華やかな宴の中でもその姿を見つけることは出来ない。
眉をひそめたライドールは代わりに、何やら招待客に捕まっている主人を見つけた。
両手には色硝子の杯が握られている。
その周りにリゼイラがいないかと確認するが、それらしい姿は見つからない。
嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
振り払うようにもう一度室内を確認して、奥の露台へとつづく窓が開いている事がやけに視線に引っかかった。
焦りを覚えながら足を踏み出した所で、後ろから腕を引かれた。
驚いて振り返るとデイルが真剣な表情をしてライドールを見ていた。
「公爵様……」
「どうした?お前には彼女についてもらうように言った筈だが」
咎める訳ではなく、戸惑うように尋ねられてライドールも言葉に詰まる。
「いらっしゃいません」
ゆっくりと首を振って言う従者に、デイルは一瞬意味を取り損ねた。
「何だって?」
「先程から探しているのですが、お姿が見えません」
「そんな馬鹿な。あの隅に…」
指差した先の椅子は、座るものなく据えられている。
二人の表情が途端に険しくなる。
あれほど人に対して怯えていたリゼイラが一人で何処かに移動したとは考え難い。
考え込んだデイルに、ライドールは先程から気になっていた窓辺に視線を寄せて、その近くに居た令嬢たちに目が吸い寄せられた。
目立たない場所に立っていたのは、今日の主役であるマリーニエとその取り巻きである少女たち。
奇妙しい。マリーニエは自己主張が強い少女だ。こんな何よりも己を誇れる場で奥に引っ込んでいるなどらしくない。
いや、むしろ不穏さすら感じる。
「すみません、近くを探して来ます」
「あぁ、いや私も行く」
持っていた酒杯を巡回していた侍女に渡して、デイルとライドールは招待客の視線を集めないように室内を通り抜ける。
マリーニエたちの傍を通り過ぎて露台へと出る。
「お兄様!どうなさったの?」
パッと顔を輝かせた義妹に、かすかに顔をしかめたデイルだったがさすがに無視するわけにはいかない。
「いや、何でも…。そうだ、リゼイラを見ていないか?」
「リゼイラ様?あぁ、そう言えば先程お庭の方に出て行かれたのを見ましたわ」
にっこりと笑って告げられた言葉をデイルは素直に受け止めた。
「庭に?」
デイルが訝しげに呟いている間に、ライドールは駆け出していた。
追いかけるようにデイルが後に続く。
暗い夜闇に広大な庭が沈んでいる。
こんな所にリゼイラが一人で出て行くだろうか。
部屋の中で陽だまりに目を細めているリゼイラしか知らないライドールには、伸し掛かるような闇に怯えている姿が浮かんで消えなかった。
深々とした庭園を走り抜け、奇妙な悲鳴の様な物音を耳に拾った。
「何だ?」
足を止めたライドールの横で、追いついたデイルも同じように耳を澄ます。
音がしたのは昼間でも人気のない花園の方だ。
駆け出したのは次はデイルが先だった。
二人、必死な面持ちで走りながら、不穏な予感に歯を食いしばっていた。
嫌悪と恐怖で、助けを求めたのは幼い頃から傍に居てくれた精霊とまだ出会ったばかりの公爵様。
どうしてだろう。
どうして、助けて欲しいと願ったのだろう。まだ、数度しか会っていない人なのに。
荒く息を乱しながら、リゼイラは引き裂かれた胸元を掻き合わせていた。
顔も見えない男たちはリゼイラから離れて、引きつった面立ちでその場に座り込んでいる。
『ハクラン……』
ほつれた髪が幼い顔に乱れかかり、色褪せた唇から安堵の声が落ちる。
蒼白な頬には止まらない涙が幾筋もこぼれ落ちて、膝の上に染みを作り出す。
『遅くなってしまった。怖い目にあわせてしまったね』
伸ばされた淡い指先が、流れる涙を掬う。
来てくれて嬉しい、そう首を振る幼い子にハクランは優しい瞳を向ける。
そして、後ろで突然の風に襲われた人間たちを冷淡に睥睨した。
呼吸も儘ならない程の力で押さえつけられた男たちは、恐怖と苦しさに血走った目を宙に向ける。
『よくも汚いその手で、至尊の身に触れられたものだ』
リゼイラには一度として見せた事のない冴え冴えとした怒りを醸し出して、ハクランは普段は見せないその姿をあえぐ男たちの前にさらす。
「ひっ」
満足に悲鳴も上げれない彼らが見たのは、髪も目も肌も、全てが白一色の凄絶な美貌の異形の者。
白は、この世界では死を意味する色でもある。
「し、死神…」
ガクガクと震える顎から涎が垂れ、だらしなく顔を汚す。
無様な醜態を見せる男たちにハクランは冷然とした笑みを浮かべ見下ろす。
『我が愛し子に触れた罪、その生涯掛けて償ってもらおう。これより先、清めの風の加護はないと心得るが良い。澱み沈む大気の中でその罪を悔いて嘆け』
朗々と伸べられたのは、呪いの言葉。
ハクランの言葉が終わると同時に男たちを戒めていた風の捕縛が解ける。
我先にと逃げ出した人間たちに、ハクランは冷笑で見送る。
風の加護を失ったと言う意味を彼らが思い知るのはまだ先であろう。
だが、愚かな人間の男たちなどどうでも良い。
心配なのは蹲るリゼイラの事だ。
『大丈夫かい、愛しい子。傍にいてやれずにすまなかったね』
『ううん、助けてくれてありがとう』
蒼褪めた顔でそれでも微笑むリゼイラの頬をハクランはそっと包む。
『無理をすることはない。お泣きなさい。誰も居はしない。怖いのなら、泣いても良い』
優しく促す声に、リゼイラの顔がくしゃりと歪んだ。
怖かった。
気持ち悪かった。
どうして良いかわからなかった。
助けて、欲しかった。
ふうぅっと息を押し出すようにして泣き出したリゼイラを抱きしめるようにハクランが腕を広げる。
確かな温もりはない。
それでも、ハクランが包んでくれる、その安心感が嬉しくてリゼイラは泣いた。
今までこんなに泣いた事はなかった。
喜怒哀楽の感情が希薄なリゼイラは、泣き方も上手く出来ずに苦しそうにしゃくり上げる。
「……リゼイラ様!」
泣き濡れた顔を上げたリゼイラの目に飛び込んできたのは、肩を上下させるライドールと、髪を振り乱して駆け寄ってきたデイルの姿。
「大丈夫か?」
労わるように伸ばされた手に、リゼイラの身体は無意識に跳ねた。
身体が、先程の恐怖を引き摺っている。
震えだしたリゼイラの格好にデイルの顔が引きつる。
胸元が酷く破れている上に、裾の辺りが捲れて細く白い足が剥き出しになっている。
どう見ても何か大変な事があったのは明らかだ。
デイルは着ていた外套を脱いでリゼイラに着せ掛けた。
華奢な身体が幸いしてか、デイルの服はリゼイラの身体をすっぽりと覆い隠してくれる。
「申し訳ない、守ると言っていたのに」
苦渋の表情で頭を下げたデイルの顔におずおずと小さな手が伸ばされた。
ひんやりとした手が俯いた顔に添えられて上を向けさせる。
泣き濡れた瞳が戸惑うように揺れていた。
困っているのは、デイルさまに謝ってもらうようなことはないから。
助けてもらいたいと願ったのは、ただのわがままで、叶う筈もないことだから。
そっと睫毛を伏せたリゼイラの目には、潤むような悲しみが満ちていた。
「……リゼイラ殿」
触れている手を包んで見つめると、リゼイラは一瞬驚いたように目を丸くした後でふわっと微笑んだ。
名前、初めて呼んでくれた。
嬉しい。名前を呼んでくれた。
リゼイラにとって名前を呼んでもらえることは、自分を認めてもらえることだから。
本当に嬉しかった。
笑った時に弾けた涙が風に散る。
ハクランはまだ傍に居てくれている。それも安心できて嬉しい。
「公爵様、リゼイラ様をお部屋にお連れしたいのですが…」
一歩後ろに控えていたライドールが、そっと声を掛ける。
「あぁ、そうだな」
立ち上がろうとするデイルにあわせてリゼイラも立とうとするが、その前に身体が宙に浮いた。
ハクランが風を操ってくれたのかと思ったが、自分のものとは違う温もりがあまりに近くにあって身体が固まってしまった。
「ライドール、私が部屋まで連れて行く。先に、部屋の仕度を」
「はい、判りました」
一礼したライドールが足早にその場を去る。
デイルに抱き上げられたリゼイラは、瞬きすら出来ずに着せ掛けられた外套をぎゅっと抱きしめた。
ど、どうすれば良いのかな。
こうやって抱き上げられたのはライドールの時から二度目だ。
やはり慣れないリゼイラは呼吸まで止めてしまいそうなほどガチガチになっている。
『ハクラン……』
不安げに精霊の名前を呼ぶと優しい笑顔がすぐ近くに来てくれる。
ホッとして指を差し伸べると白い指先に口付けが落とされる。
『大丈夫だよ、優しい子。私は傍にいるよ。安心してお休み』
穏やかな声はリゼイラを無条件に安らがせてくれる。
「あんな事のあった後で、お嫌かもしれませんが少しの間我慢してください」
硬直したリゼイラをどう思ったのか、申し訳なさそうに言葉が添えられる。
ゆっくり身体から力を抜く。
もたれるように頭を添えるとデイルの心臓の鼓動が聞こえてくる。
安心すると精神的な疲労から、目を閉じるだけで眠ってしまいそうになる。
「本当に申し訳ない」
遠くなる現実から、かすかな謝罪の声を聞いたような気がした。
ただ、微笑んだ顔があの方と重なってしまった事に動揺したのだ。
そんな自分の頭を冷やそうと離れたのが、こんな事になってしまうとは。
リゼイラが一人で庭に出たと聞いた時は一人で心細く思っていないか心配だった。
一度だけしか会った事がないとは言え、あまりに繊細な容貌は広い庭園で迷う姿を想像させるには十分だ。
少しでも早く見つけなければと思ってはいたが、実際は想像以上の事が起こっていた。
荒れた庭園で、繁みの傍らに泣きながら呆然と蹲っていた令嬢に言葉もなかった。
まるで咲き初めを散らされた花のような姿は痛ましい。
涙で濡れた顔で、差し出した手にすら怯えていたリゼイラに己の不甲斐なさを突きつけられた。
確かに、最初の印象は良くないものだった。
はっきり悪いと言っても良い。
けれど、その時でもこんな風に傷つけることなんて考えもしなかった。
自分の目の届く範囲なら全て守れると思っていた。
そんなのは慢心だと思い知らされてしまった。
腕の中で気を失うように眠ったリゼイラを見つめて、苦い笑みを浮かべる。
謝って済むようなことではない。
見た限りでは、最悪な事は免れたようだが実際、何があったのかは判らない。
事実を知っているのはリゼイラだけだが、こんな事を少女に聞けるわけもないし、それに何よりリゼイラは話せない。
名前を呼んだ時のあまりに無邪気な微笑みを思い出して罪悪感が膨れ上がる。
どうして酷い目に会わされた直後に、あんな笑みを浮かべる事が出来るのだろうか。
傷を受けたのはリゼイラの方なのに、労わるような眼差しと素直な喜びの表情。
人を疑う事など知らない環境で育ったからだろうか。
周りに愛されて育ったから、あんなにも素直に周りを愛せるのだろうか。
安穏と幸せに暮らしてきた令嬢を軽侮していた。
けれど、もしリゼイラのように無邪気でいられるのなら安穏と暮らしてきたと言う事は問題ではないのかもしれない。
まだまだだ。そうため息を吐くデイルは、己の考えの根本的な間違いを知らない。
知らないから、間違う。
少しずつ違えていった答えの先は、暗く深い闇の底だ。
そんな事など知らぬデイルは、まっすぐに歩んでいく。
足元に咲く小さな雑草を踏み潰した事にも気がつかずに。
ただ、前だけを見据えて、真っ直ぐに。
歩いていった。




