第18話:剥がれ落ちた偶像
奪われた「徳」、奪われた「若さ」、奪われた「光」。
偽聖女エルザが積み上げた偽りの栄光は、アガサの杖が一突きされるたびに、剥がれかけの白粉のように無惨に散っていきました。
群衆の怒号と絶望の淵で、少女が最後に出した「音」とは。
そして、かつて自分を不用品として捨て去った、聖なる組織の「正体」とは。
一人の老婆が、神の代理人と謳われた男の喉元に死の宣告を突きつける――。
帝都編、最大級の浄化(あるいは崩壊)をどうぞお楽しみください。
エルザが這いつくばる石畳には、彼女の顔から剥がれ落ちた厚い白粉と、濁った涙が混じり合って汚泥を作っている。
アガサの鼻を突くのは、若さを失い、急激に代謝が止まった肉体が放つ、古びた蔵のような埃っぽい臭いだ。
「……アガ、サ……。私の……私の顔を……返して……!」
「返して? 泥棒が随分と図々しいことを言うのね。それは私が、長い年月をかけて神への祈りと魔力で磨き上げた『徳』。あなたのような空っぽの器には、一生かかっても手に入らないものよ」
アガサの耳には、エルザの指先が自分自身の干からびた肌を掻きむしる、乾いた音が届く。
口内に広がるのは、他人の人生を演じ続けた代償、腐った果実を無理やり飲み込まされたような不快な渋味だ。
「アガサ様。見てください、彼女が必死に隠していた『聖印』さえ、今はただの痣のように赤黒く変色しておりますわ」
プリシラが影の指で、エルザの胸元に刻まれた偽りの聖印をなぞる。
アガサの掌には、杖を通じて、エルザの中に溜め込まれた他人の魔力が、持ち主を求めて激しく暴走する振動が伝わる。
「エルザ。あなたが人々に与えた偽りの救い……。その『毒』が、今度はあなたの細胞一つ一つを、内側から喰い破っていくわ」
アガサが杖をエルザの眉間に突き立てると、彼女の体内から魔力が逆流し、目や耳から黒い体液が噴き出した。
耳に届くのは、視力を失い、光の世界から永久に追放された少女の、魂が千切れるような絶叫だ。
「さあ、見なさい。これがあなたの真実の姿。
若さも、名声も、光も失い、ただ泥を啜って生きる、惨めな抜け殻よ」
エルザの爪が石畳を激しく掻き、指先から生爪が剥がれる「パキリ」という乾いた音が響く。
アガサの鼻を突くのは、失明した恐怖でエルザが垂れ流した失禁の臭いと、焦げ付いた魔力の混ざり合った異臭だ。
「……暗い、何も見えない……っ! 誰か、誰か光を……!」
「光? あなたが私を暗い地下牢へ突き落とした時、そんな慈悲があったかしら?その暗闇こそが、あなたが奪ってきた数多の命が見ていた景色よ」
アガサの耳には、エルザの眼球が内側から濁り、硝子体が崩壊していく「ピチピチ」という微小な破壊音が届く。
口内に広がるのは、他人の光を喰らって肥えた寄生虫を噛み潰したような、吐き気を催す苦味だ。
「アガサ様。集まってきた民衆たちが、彼女を『魔女』と呼び、石を拾い始めておりますわ」
プリシラが影を少しだけ緩めると、怒り狂った群衆がエルザの周囲に殺到する。
アガサの掌には、飛来した石がエルザの痩せ細った体にめり込む、鈍い衝撃が杖を介して伝わった。
「あの日、私に浴びせられた罵声。今度はすべて、あなたの乏しい脳髄に刻み込まれなさい」
アガサが杖を地面に一突きすると、石畳から黒い棘が噴き出し、逃げ惑うエルザの四肢を無慈悲に縫い止めた。
耳に届くのは、視覚を失った恐怖の中で、逃げ場もなく民衆の憎悪に晒される少女の、獣のような断末魔。
「……さあ、見届けなさい、プリシラ。偶像が崩れ、ただの『動く標的』に変わる瞬間を」
エルザの焼け焦げた肌から、脂の爆ぜる「パチパチ」という音が虚しく響く。
アガサの鼻腔を突くのは、高価な法衣が燃える異臭と、かつて自分を裏切った女が炭化していく無惨な死の臭いだ。
「アガサ様。彼女の指先、もう石を掴む力すら残っておりませんわ。ただ、熱さに悶えて、地面をのたうち回るだけの芋虫のようです」
プリシラが影の足で、エルザの顔を無慈悲に踏みにじる。
アガサの耳には、エルザの顎の骨が「ミシリ」と砕け、最後の悲鳴さえ上げられなくなった絶望の音が届いた。
「エルザ。あなたが夢見た天国は、こんなにも熱くて苦しい場所だったのね。私の『荷物』を重いと笑ったあなた。今、自分の肉体の重みに、耐えかねている気分はどうかしら?」
アガサの掌には、杖を通じてエルザの生命活動が停止していく「スウッ」という冷たい引き潮のような感覚が伝わる。
口内に広がるのは、長年の怨恨を燃やし尽くした後の、ひどく乾燥した灰の味だ。
「……さあ、終わりよ。民衆に踏まれ、石を投げられ、誰にも看取られずに朽ち果てなさい。あなたが愛したこの帝都が、そのままあなたの、名もなき墓標になるのだから」
アガサが杖を引き抜くと、エルザの体はピクリとも動かなくなった。
耳に届くのは、怒り狂った民衆が死体さえも引き裂こうと群がる、狂気じみた怒号の渦。
「アガサ様。偶像は完全に砕け散りました。……次は、この茶番を裏で操っていた『教皇』の髭を、一本ずつ引き抜いて差し上げましょう」
アガサは、群衆が発する熱狂と憎悪の渦を切り裂くように、ゆっくりと教皇庁への参道を歩き出した。
鼻腔を突くのは、焼き尽くされた偶像の残り香と、古びた大聖堂が放つ冷徹な石の匂いだ。
「アガサ様。エルザの最期の表情、まるで壊れた人形のようでございましたわ。あれほど他人の人生を演じることに執着していたのに、最後は自分自身の痛みすら、誰にも理解してもらえなかったのですから」
プリシラが影を翻し、アガサの歩みに寄り添う。
アガサの掌には、杖を通じて伝わっていたエルザの怨念が消え、代わりに教皇庁の結界が放つ「ビリビリ」とした拒絶の震動が響いていた。
「理解なんて必要ないわ。彼女には、私が味わった『孤独』を、その冷たい亡骸に刻み込んでやったのだから」
アガサの耳には、遠くで鳴り響く教会の警鐘が届く。
口内に広がるのは、他人の功績で着飾った偽善を噛み潰した後の、砂を噛むような虚無的な後味だ。
「さあ、見なさいプリシラ。あの高い尖塔を。
あの中に、私を『不用品』として捨てた臆病な老人たちが、震えながら閉じこもっているわ」
アガサが杖の先で教皇庁の巨大な門を指し示すと、漆黒の雷鳴が夜空を割り、白亜の壁を不吉に照らし出した。
耳に届くのは、重厚な扉の奥で、武装した衛兵たちが盾を鳴らす「ガシャン、ガシャン」という怯えた音。
「アガサ様。門の鍵を、内側から溶かして差し上げましょうか?」
「いいえ、必要ないわ。彼らが信じる『聖なる盾』が、どれほど脆く、無意味なものか……その身をもって分からせてあげる」
粉々に砕け散った門の破片が、教皇庁の広間に「ガラガラ」と乾いた音を立てて転がる。
鼻腔を突くのは、祈りの場で焚き続けられた香炉の煙と、そこに混じった衛兵たちの怯えた汗の臭いだ。
「アガサ様。見てください、あんなに並んでいた精鋭たちが、貴女の一歩にたじろいでおりますわ。まるで、死神の鎌が首筋に触れるのを待っている、哀れな羊の群れのようです」
プリシラが影の糸を床に這わせると、衛兵たちの足元から「スウッ」と体温が奪われていく。
アガサの掌には、杖を介して、教皇庁の奥深くに眠る膨大な魔力が、主を失って暴走し始めている予兆が伝わった。
「道を空けなさい。私の目的は、奥の椅子にふんぞり返っている、あの欲深い豚一匹だけよ」
アガサの耳には、衛兵たちの鎧がガチガチと震える金属音が届く。
口内に広がるのは、神聖を装いながら裏で私腹を肥やしてきた組織の、ドロリとした脂のような不快な後味だ。
「……あ、アガサ! お前は、異端として処刑されたはずだ! 寄るな、不浄な者が!」
最前列の隊長が声を荒らげるが、その瞳は恐怖で泳いでいる。アガサは薄く笑い、杖の先で彼が掲げる聖なる盾を、慈しむように撫でた。
「不浄……?私を捨てて、偽りの聖女を担ぎ上げたあなたたちが、どの口でそれを言うのかしら?」
アガサが杖に力を込めると、聖なる盾は一瞬で「メキメキ」とひび割れ、真っ黒な煤となって崩れ落ちた。
耳に届くのは、心の支えを失った衛兵たちが、武器を捨てて逃げ惑う情けない足音だ。
逃げ遅れた衛兵が床に這いつくばり、アガサの法衣の裾を掴もうとする。
鼻腔を突くのは、かつて自分が献身的に浄化したはずのこの場所が、今や権力闘争と恐怖の汁で汚れ果てた、饐えた生ゴミのような臭いだ。
「アガサ様。この者たちの目を見てください。許しを乞うているのではありません、ただ『自分だけは助かりたい』という醜い生存本能が、泥のように溢れ出しておりますわ」
プリシラが影の触手で、衛兵たちの喉元を「ミシリ」と締め上げる。
アガサの掌には、杖を通じて、教皇庁の結界が最後の断末魔を上げ、パリンと音を立てて霧散する確かな感触が伝わった。
「かつて私は、この祈りの声が世界を救うと信じていたわ。けれど、今聞こえるのは自分の命を惜しむ、卑しい豚の鳴き声だけ。……ああ、なんて滑稽なのかしら」
アガサの耳には、回廊の奥から聞こえる、教皇たちが慌てて宝物を詰め込む「カチャカチャ」という浅ましい金属音が届く。
口内に広がるのは、神に仕える者が最後に吐き出す、裏切りの毒を含んだ唾液のような苦い味だ。
「どきなさい。あなたがたの祈りなど、もうこの建物の天井すら突き抜けないわ」
アガサが杖を一閃させると、影の波が回廊を飲み込み、重厚な石柱を「パキパキ」とへし折っていく。
耳に届くのは、聖職者たちの虚飾を剥ぎ取るような、漆黒の魔力が建物を侵食していく不気味な咀嚼音だ。
「さあ、プリシラ。玉座で震えている『神の代理人』に、地獄の門番が迎えに来たと伝えてあげて」
最奥の扉が、アガサの魔力に耐えかねて「ボロボロ」と砂のように崩れ落ちる。
鼻腔を突くのは、最高級の白檀の香りと、それを台無しにする教皇の「死の恐怖」が混じった、酸っぱい体臭だ。
「アガサ様。見てください、あんなに威厳を語っていた教皇が、今は玉座の影で、自分の爪を噛み切りながら震えておりますわ」
プリシラが影の触手を教皇の足元に滑り込ませ、逃げ道を完全に断つ。
アガサの掌には、杖を通じて、教皇が隠し持っていた秘蔵の聖遺物が、彼女の圧倒的な闇に呑まれて「パキリ」と砕ける感触が伝わった。
「……ア、アガサ……。これは誤解だ……。すべては帝国の、清き秩序を守るための苦渋の決断だったのだ!」
「苦渋? 私一人の尊厳を削り、泥を啜らせて得た秩序に、一体どれほどの価値があるというの?」
アガサの耳には、教皇の震える顎がカチカチと鳴る、惨めなリズムが届く。
口内に広がるのは、長年この男の嘘を飲み込み続けてきた、ドロドロに腐ったヘドロのような怒りの味だ。
「あなたが神に祈った時間は、私が地下牢で呪った時間の半分にも満たない。さあ、その信心で、
この『無能』が放つ漆黒を止めてみなさいな」
アガサが杖を教皇の喉元に突きつけると、漆黒の雷鳴が玉座の間を真っ白に染め上げた。
耳に届いたのは、教皇の喉から漏れた引き攣った悲鳴と、教皇庁の栄華が音を立てて崩れ去る、終焉のファンファーレだった。
第18話をお読みいただき、ありがとうございました。
エルザの最期は、彼女がアガサに強いた「孤独」と「暗闇」をそのまま鏡で照らし返したような、因果応報の結末となりました。しかし、アガサの歩みは止まりません。
「あなたの信心で、この『無能』が放つ漆黒を止めてみなさいな」
かつて自分を「不浄」と呼んだ者たちが、恐怖で失禁し、命乞いをする。その惨めな姿を冷徹に描写するアガサの五感は、もはや人間のそれではなく、真理を見通す審判者のようです。
次なる標的は、帝都の頂点に君臨する教皇。
果たして教皇庁が隠し持っていた「不都合な真実」とは何なのか。




