ギャップは良きかな
朝の修羅場は担任の教師が偶然通りかかったことで物理的な流血沙汰を免れた。
しかしその代償は高くついた。
結花の機嫌を直すための放課後デート。
断れるはずがなかった。
断れば俺の首が飛ぶか理の白衣が血に染まるかの二択だったからだ。
放課後のチャイムが鳴ると同時に結花は俺の腕にピッタリと自分の腕を絡ませた。
そして駅近くの大型ショッピングモールへと俺を連行したのだ。
「空くんこっちの服も見てみようよ」
「これなんか絶対に似合うと思うな」
結花は満面の笑みでメンズ服のショップを物色している。
その横顔はどこからどう見ても彼氏とのデートを楽しむ普通の可愛い女子高生だ。
すれ違う男たちが皆羨ましそうに俺たちを見ていく。
俺の股の間に生首となって転がっていた化け物と同一人物だとは誰も思わないだろう。
「結花、そんなに服ばっかり見なくてもいいだろ。俺は今の服で十分だし」
俺が遠慮がちに言うと結花は少しだけ頬を膨らませた。
「だめだよ」
「空くんは素材がいいんだからもっとカッコよくしないと」
「それに他の女の匂いがついた服なんて今すぐハサミで切り刻んで燃やしたいの」
「私が選んだ服で空くんの全身を包み込みたいんだから」
ニコニコしながら物騒なことを言う。
理の研究室にいた時の匂いをまだ根に持っているらしい。
俺は逆らうことを諦めて結花にされるがまま試着室へと押し込まれた。
渡されたのは黒を基調とした少し大人っぽいジャケットとワイドパンツだ。
着替えて試着室のカーテンを開けると結花の目がハートの形に変わったように見えた。
「……っ」
「すごくかっこいい」
「やっぱり私の目に狂いはなかったわ」
「このまま誰にも見せないで私の部屋のガラスケースに飾っておきたいくらい」
声が震えていた。
俺の姿を見た結花の執着メーターが明らかに振り切れている。
よくある主人公が無自覚にヒロインを惚れ直させるアレだ。
周囲の女性客がチラチラと俺の方を見ていることに結花が気づいた。
途端に彼女の目からハイライトが消え周囲の客に絶対零度の殺気を放つ。
睨まれた女性客たちは怯えたように足早に店を出て行った。
「これ全部買おうか」
「カード、一括でお願いします」
結花は店員に怪しげなブラックカードを差し出した。
高校生が持てるようなカードじゃない。
一体どこからそんなお金が出ているんだ。
俺は止める間もなく数万円は下らないであろう服を買ってもらってしまった。
これもよくある圧倒的な財力を持つヒロインからの貢ぎイベントなのだろうか。
しかし相手が重いとなるとただの借金よりも重い命の担保にしか思えなかった。
「次はカフェに行こうか」
「甘いもの食べさせてあげるね」
結花は俺の新しい服の袖を嬉しそうに引っ張りながら歩き出す。
ショッピングモールの最上階にあるおしゃれなカフェに入った。
店内はカップルや女子高生で賑わっている。
案内されたのは見晴らしの良い窓際のソファ席だった。
向かい合わせに座るのかと思いきや結花は当然のように俺の隣にピタリと密着して座ってきた。
腕と腕が完全に触れ合っている。
周囲の客が美少女と並んで座る俺を見てヒソヒソと羨ましそうに囁き合っているのが分かった。
『超絶美少女と一緒にいて周囲から嫉妬される主人公』という王道のシチュエーションだ。
だが俺の心境は針の筵に座らされている気分だった。
テーブルに運ばれてきたのは季節のフルーツが山盛りになった巨大なパフェと俺が頼んだアイスコーヒーだ。
結花は目を輝かせてパフェの頂上にある真っ赤なイチゴをスプーンですくい上げた。
「空くんこれすごく甘そうだよ」
「はいあーん」
「恥ずかしがらないで口を開けて」
結花が俺の口元にイチゴを乗せたスプーンを突きつけてくる。
いやいや。
流石に高校生にもなって人前であーんはきつい。
周囲の視線が痛いほどこちらに突き刺さっているのだ。
「いや、自分で食べるから。結花食べなよ」
俺が顔を引きつらせて断ろうとすると結花の笑顔がスッと消えかけた。
パフェを持つ手が僅かに震えスプーンの銀色が鈍く光る。
「だめだよ」
「私が食べさせたいの」
「空くんは私の言うことだけ聞いていればいいんだから」
「ほら早くあーんして」
逆らえばこのスプーンが俺の眼球に突き刺さるかもしれない。
俺は恐怖に屈して観念したようにゆっくりと口を開けた。
結花が満面の笑みに戻り俺の口の中に甘いイチゴと生クリームを放り込んでくる。
甘い。
脳が痺れるほどの甘さだ。
しかし結花の異常な愛情の重さのせいで胃の奥がヒリヒリと痛んだ。
周囲のモブ男子たちが「あいつマジかよ」「あんな可愛い子に……」とギリギリと歯を鳴らしているのが聞こえる。
完全に俺に対する殺意の波動が店内に充満していた。
俺は口の中の甘さを誤魔化すように自分のアイスコーヒーに手を伸ばした。
ストローを咥えて冷たい液体を喉に流し込む。
少しだけ落ち着きを取り戻せた気がした。
俺がグラスをテーブルに置いた直後だった。
結花が唐突に俺のアイスコーヒーのグラスを手に取った。
そして俺が今さっきまで口をつけていたストローを何の躊躇いもなく自分の桜色の唇で咥え込んだのだ。
「なっ……!?」
俺は目玉が飛び出るほど驚いた。
結花は俺のストローからアイスコーヒーをチューっと音を立てて吸い上げる。
そして喉を鳴らして飲み込むと艶やかな舌で自分の唇をペロリと舐めた。
「空くんの味がする」
「これですごく深い間接キスになっちゃったね」
「空くんの唇の感触がストローにまだ残ってるよ」
「甘いパフェの後に飲むと空くんの苦みが際立って最高に美味しいな」
平然ととんでもないことを言い放つ。
王道のイチャイチャ展開に見せかけた強烈なマーキング行為だ。
俺の使ったストローを共有することで周囲の客に見せつけているのだ。
この男は私のものだと。
誰にも渡さないという絶対的な独占欲の顕現。
俺は顔から火が出るほど赤くなり周囲の視線から逃げるように顔を伏せた。
結花は俺のそんな反応を見てクスクスと嬉しそうに笑っている。
彼女の細い指がテーブルの下で俺の太ももをそっと撫で回してきた。
───
カフェを出てショッピングモールのエスカレーターを下りた。
少し人通りの少ない裏口の通路へ向かった時。
嫌な笑い声と共に柄の悪い三人組の男たちが俺たちの行く手を塞いだ。
金髪にピアス。
破れたジーンズに派手なシャツ。
序盤で主人公に成敗されるためだけに存在しているような典型的な不良モブだ。
「ねえそこの彼女」
「そんな冴えない男と一緒にいてもつまらないでしょ」
「俺たちとカラオケでも行かない?」
下品な笑い声を上げながら先頭の男が結花に顔を近づけてくる。
そして結花の細い腕を強引に掴もうと手を伸ばしてきた。
俺の背筋が一瞬で凍りついた。
やばい。
不良たちがやばいのではない。
結花がやばいのだ。
この男たちは相手が誰なのか全く分かっていない。
この美少女は俺を独占するためなら刃物を振り回すのも辞さない異常なヤンデレヒロインだ。
こんな不良たち結花がスクールバッグから凶器を取り出して一瞬で血の海に変えてしまうんじゃないか。
それか狂気を孕んだ一言で不良たちを恐怖のどん底に陥れて泣いて謝らせるはずだ。
俺は少し後ずさりして結花がどんな凄惨な反撃に出るのかを盗み見た。
だが俺の予想は完全に裏切られた。
結花は顔を真っ青にしてガタガタと震えていたのだ。
不良の伸ばしてきた手から逃れるようにビクッと肩を揺らして後ずさりする。
その瞳には明確な怯えと戸惑いが浮かんでいた。
狂気に満ちたヤンデレの気迫なんてどこにもない。
ただの弱い女子高生として粗暴な男たちの暴力的な気配に完全に萎縮してしまっていたのだ。
「ほら無視しないでさ」
「絶対楽しませてやるから」
男の汚い手が結花の制服の肩に触れそうになった。
その瞬間だった。
俺の身体が勝手に動いていた。
気付けば俺は結花の前に飛び出し不良たちの前に立ちはだかっていたのだ。
「やめろよ」
俺は震える声を必死に押し殺して結花に伸びてきた男の腕を力強く払いのけた。
「彼女、嫌がってるだろ」
「俺の、クラスメイトに気安く触るな」
不良たちが一瞬だけきょとんとした顔をした。
そしてすぐに苛立ったように舌打ちをして俺を睨みつけてくる。
自分で言っていて顔から火が出そうだった。
今までずっとヒロインたちに守られっぱなしで力も弱くて情けない男の俺が。
こんな漫画の主人公みたいな男前なセリフを吐いて不良の前に立っているのだ。
「あぁ?お前みたいなヒョロガリが何粋がってんだよ」
「彼女の前でいい格好したいのか」
「痛い目見ないと分かんねえみたいだな」
男の一人が俺の新しいジャケットの胸ぐらを乱暴に掴み上げてきた。
首が絞まり息が詰まる。
脇腹の傷が激しく痛んで顔が歪んだ。
でも俺は結花の盾になるため絶対に後ろへは引かなかった。
男の太い腕が振り上げられる。
殴られる。
俺は痛みを覚悟してギュッと目を閉じた。
だが男の拳が俺の顔面に届く直前だった。
俺の背中越しに結花の息を呑む音が聞こえた。
「空くん」
「私のために」
「そんなに怒ってくれるの」
「私を守るために体を張ってくれるんだね」
その声はさっきまでの怯えた震え声ではなかった。
歓喜。
恍惚。
そして狂おしいほどの愛の熱情がその声にドロドロと溶け込んでいた。
俺が男を見せて結花を守ろうとした行動が彼女のヤンデレという爆薬に致死量の火を点けてしまったのだ。
背中から凄まじいプレッシャーが膨れ上がるのを感じた。
「あのね」
「空くんは私の神様なの」
「私に触れていいのは空くんだけ」
「空くんの綺麗な顔を殴ろうとするゴミは私が全部生きたまま切り刻んであげる」
不良たちの動きがピタリと止まった。
俺の胸ぐらを掴んでいた男の顔からサッと血の気が引いていくのが分かった。
俺の後ろから立ち上る結花の異様な殺気に本能的な恐怖を感じ取ったのだ。
俺は殴られる覚悟のまま結花の愛が限界突破したこの絶望的な修羅場をどうやって切り抜けるべきか完全に思考を停止させていた。
俺の胸ぐらを掴んでいた不良の手がパッと離れた。
男たちの顔は完全に青ざめていた。
結花から放たれる常軌を逸した殺気。
それに本能的な死の恐怖を感じ取ったのだろう。
ガタガタと震える足で男たちは後ずさりをする。
「き、気味が悪りぃ女だな……」
「おい行くぞ!」
「関わらねえ方がいい!」
不良たちは捨て台詞を吐く余裕すらなく逃げるように裏口の通路を走り去っていった。
ドタドタという足音が遠ざかり、静寂が戻る。
俺は全身から力が抜けてその場にへたり込みそうになった。
終わった。
殴られずに済んだし、結花が殺人犯になる最悪の事態も回避できたのだ。
俺が深く安堵の息を吐き出したその時だった。
「ふぅ……」
俺の背後から結花の深い深呼吸の音が聞こえた。
直後。
俺の背中に柔らかな重みがのしかかってきた。
結花が俺の背中にピッタリともたれかかってきたのだ。
彼女の細い両腕が俺の新しいジャケット越しに腰へと回され強く抱きしめられる。
「結花?」
俺が戸惑って声をかける。
すると背中に押し付けられた結花の顔からくぐもった声が聞こえてきた。
「しばらくこのままにさせて」
その声は微かに震えていた。
さっき不良たちを威圧したあの氷のように冷たい狂気は微塵もない。
俺の背中に伝わってくる結花の体温は熱く心臓の鼓動は俺と同じくらい早鐘を打っていた。
シャンプーの甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。
背中に押し付けられた柔らかい感触に俺は顔が熱くなるのを感じた。
よくあるヒロインが主人公にだけ見せる無防備なギャップ萌えの瞬間だ。
狂気に満ちた圧倒的な強者が見せるか弱い一面。
周囲から見れば美少女に背中から抱きつかれているただの勝ち組の男にしか見えないだろう。
俺は何も言わずに腰に回された結花の細い腕の上に自分の手をそっと重ねた。
彼女の震えが少しずつ収まっていくのが分かる。
狂気と純愛が入り混じるこの愛は重すぎて時々息が詰まりそうになる。
それでも俺のためにここまで必死になってくれる彼女を無下に突き放すことなんて到底できなかった。
夕暮れのショッピングモールの裏通路。
オレンジ色の西日が差し込む中で俺たちはしばらくの間二人きりの静かで甘い時間を共有していた。




