俺の事、奪還作戦♡
ガシャン!という凄まじい破砕音と共に無数のガラスの破片が夜の闇へと飛び散った。
俺がその唐突な破壊行為に言葉を失っている暇はなかった。
小夜は割れた窓枠に足をかけると俺の脇腹を片腕でガッチリと抱え込んだ。
えっ。
俺が間抜けな声を上げるよりも早く彼女は迷うことなく校舎の外へとその身を投げ出したのだ。
「うわあああああっ!」
三階の窓からの完全な自由落下。
冷たい夜風が全身に叩きつけられ重力が俺の胃袋をフワリと持ち上げる。
パニックで手足がバタバタと虚空を掻く。
完全に俺は彼女の足手まといのただのお荷物だった。
このままコンクリートの地面に激突して肉塊になる。
俺が死を覚悟してギュッと目を閉じたその瞬間だった。
小夜は空中で全く姿勢を崩していなかった。
彼女は俺を抱えたまま空いている片手で握っていた日本刀を斜め下に振りかぶる。
そして校舎の外壁に向かって全力でその刀を投擲したのだ。
ズドォンッ!
鈍い衝撃音が夜の学校に響き渡った。
投げられた日本刀はコンクリートの分厚い壁を豆腐のように容易く貫き深々と突き刺さった。
そして小夜は落下しながらその壁に突き刺さった刀の柄へと足を伸ばした。
あり得ない。
人間の運動神経の限界を完全に無視した空中機動だ。
彼女のつま先が刀の柄に触れた瞬間そこを足場にして爆発的な脚力で壁を蹴り上げた。
俺たちの身体が重力に逆らって真上へと凄まじい速度で跳ね上がる。
夜の冷たい空気を切り裂きながら俺は完全にパニックに陥っていた。
「ちょっと待って!死ぬ死ぬ死ぬっ!」
俺は空中で手足をバタつかせながらあたふたして情けない悲鳴を上げ続ける。
すると抱えられている俺の耳元で小夜の落ち着いた声が風に乗って聞こえてきた。
「そんなことしてたら」
「舌かんじゃうよ」
「は、はい」
有無を言わさぬクールな警告だった。
俺は慌てて口を両手で塞ぎ、ガチガチと鳴る歯を食いしばった。
一回の跳躍で俺たちは校舎の三階から屋上を遥かに飛び越えた。
そしてふわりと重力が反転し屋上の冷たいコンクリートの床へと音もなく着地する。
トンッという羽毛が落ちるような信じられないほど静かな着地だった。
俺は目を白黒させながら自分が今どういう状況にあるのかをゆっくりと確認した。
気づけば俺は小夜の両腕の中にすっぽりと収まっていた。
俺の背中と膝の裏に彼女の細い腕が回されている。
完璧なフォームのお姫様抱っこだった。
男の俺が美少女剣士に夜の屋上でお姫様抱っこされている。
食事で圧倒的な敗北を喫した直後にこれである。
俺の男としての尊厳はもはや砕け散るどころか粉々の塵となって藤沢の夜風に吹き飛ばされてしまった。
俺が羞恥心で顔から火を噴きそうになっていると小夜は俺の様子を見て少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
そして傷口に響かないようにそっと俺を屋上の床に下ろしてくれる。
「……ありがとな」
俺が照れ隠しにそっぽを向きながら呟く。
しかし問題はそこからだった。
小夜は丸腰なのだ。
さっき校舎の壁を蹴り上げる足場にするため、彼女は自らの武器である日本刀を壁に突き刺したまま放置してきている。
これから骸徒と戦うかもしれないのに武器がなくてどうするんだ。
俺が心配になってフェンスから下を覗き込もうとしたその時だった。
小夜は全く焦る様子もなくスッと右手を夜の宙へと高く掲げた。
すると彼女の掲げた手の周囲の空間が不自然に歪み始めた。
月明かりがそこだけ吸い込まれるように黒く変色していく。
空中に突如として濃密な影の塊が生じポッカリと口を開けて小夜の細い腕を飲み込んだのだ。
なんだこれ。
空間が裂けたのか。
俺が息を呑んで見守っていると小夜は影の中に突っ込んだ手を勢いよく引き抜いた。
ズルリと影が後退し、虚空に溶けて消え去る。
影が完全に消え去った後彼女の手には確かな金属の輝きが握られていた。
さっき外壁に深々と突き刺したはずのあの日本刀だった。
物理法則を完全に無視した現象に俺は再び言葉を失った。
「これも……式骸の力なのか?」
俺が恐る恐る尋ねると小夜は刀を軽く振りかぶって刃の調子を確かめながら頷いた。
赫哭の力は血を変換するだけではないのだろうか。
彼女はまだまだ底知れない能力を隠し持っているようだ。
小夜は刀を構え直し、屋上のフェンス越しに暗い校舎の下を見下ろした。
その瞳には再び冷徹な剣士の光が宿っている。
屋上の冷たい風が吹き抜けた。
俺は息をついて小夜の方を再び向こうとした。
しかし次の瞬間だった。
小夜は影から取り出したばかりの日本刀の切先を真っ直ぐに俺の顔面へと向けたのだ。
え。
俺の思考が完全に停止した。
「早くその手を離して」
小夜の鋭い声が夜空に響く。
どういうことだ。
俺がその疑問を口にするよりも早かった。
小夜の細い腕が動き冷たい白刃が俺の首元めがけて横薙ぎに振られた。
殺される。
俺は思わずギュッと両目を閉じた。
しかし待てど暮らせど首が飛ぶような痛みはやってこない。
恐る恐る目を開ける。
俺の首は無事だった。
小夜の刀は俺の首の数ミリ横の空間を切り裂いていたのだ。
そして俺のすぐ横から一つの黒い影が弾かれたように後方へと飛び退いた。
十メートルほど離れた屋上のフェンスの上に誰かが立っていた。
「邪魔するなよ」
ひどく口の悪い声だった。
月明かりがその人物の姿を鮮明に照らし出す。
それは女だった。
しかしその出で立ちは小夜とはあまりにも対照的だった。
闇夜に溶け込むような長い銀髪が風に揺れている。
上半身は黒い下着のような露出の激しいインナーの上に青い上着を気怠げに羽織っていた。
下半身は深いスリットの入った黒のレザーズボンだ。
和装で刀を構える小夜とは真逆の現代的で退廃的なスタイル。
そして何より異質だったのは彼女の右手だった。
その手には鈍く光る無骨な黒い拳銃のようなものがしっかりと握られていたのだ。
俺は全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。
いつの間に俺の真横にいたんだ。
小夜が刀を振るうまで俺は誰かが近づいてきた気配すら全く感じ取れていなかった。
俺が呆然としていると小夜が刀を構えたまま静かに告げた。
「空の頭のすぐ横で銃を構えていた」
「撃たれていたら死んでいたわ」
俺の背筋が完全に凍りついた。
あと一歩遅ければ俺の頭はあの銀髪の女が持つ拳銃で輪ゴムを大量に巻いたスイカのように吹き飛ばされていたのだ。
気づかないうちに死の淵に立たされていたという事実に膝がガクガクと震え始める。
フェンスの上に立つ銀髪の女は銃口をふっと持ち上げて低い声で笑った。
女にしてはかなりドスが効いた低い声だった。
「まぁ骸徒としての固有能力みたいなものだ」
「その女が持っていた影の奴と同じさ」
気配を完全に断つ能力。
あるいは空間を跳躍する能力なのか。
骸徒の力は四骸系だけではないのだろうか。
それとも四骸系のどれかを応用した独自の式骸なのか。
俺が混乱の渦に突き落とされていると小夜が一歩前に出て刀の切先を銀髪の女へと向けた。
「あなたの目的はなに?」
小夜の問いかけに夜風がピタリと止んだ。
銀髪の女は退屈そうに首をポキリと鳴らす。
そして俺の方を真っ直ぐに見下ろして冷たく言い放った。
「その男の奪還だ」
奪還。
その言葉の響きに俺は息を呑んだ。
殺すためではなく奪うために来たというのか。
結花や理のような狂った執着を抱える女がまた一人俺の前に現れたということなのか。




