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まどろみの脳筋剣士

 食後の凄まじい惨状を片付けると俺は理に促されてシャワールームへと向かった。

 学校の地下だというのにそこにはやたらと設備の整った綺麗なバスルームが完備されている。

 理が普段からここで生活しているという狂った事実を裏付けるような空間だ。


 俺は脇腹の傷を庇いながら慎重にシャワーを浴びた。

 医療用のホッチキスで塞がれた傷口はお湯をかけてもそれほど痛まなかった。

 理の処置が完璧だったということだ。


 鏡に映る自分の情けない体つきを見て俺はまた一つ深いため息をついた。

 ラッキースケベのような都合の良いハプニングが起きるわけでもなくただひたすらに自分の無力さを突きつけられるだけの味気ない入浴だった。


 俺が理から借りた大きめのスウェットに着替えてリビングに戻ると、すでに部屋の中央には布団が敷かれていた。

 それもご丁寧に二組がピッタリとくっつけて並べられている。


「さあ空」

「約束通り今夜は彼女に添い寝の権利を譲ろう」

「私のベッドの隣に君たちの布団を並べておいたよ」

「存分に彼女の体温と寝息を観測するといい」


 理は自分のベッドに腰掛けながら偉そうに腕を組んで言った。

 解剖室でのあの密約が本当に実行されるらしい。

 俺が戸惑っていると、風呂上がりで少し髪が濡れた小夜がトコトコと歩いてきた。

 そして何の躊躇いもなく俺の隣の布団に潜り込む。


「早く横になって」

「怪我人はしっかり睡眠をとらないと治らないよ」


 小夜に布団の端をポンポンと叩かれ、俺は緊張しながらも大人しくその隣に横になった。

 天井の照明が落とされ部屋の隅の小さな間接照明だけがぼんやりと周囲を照らしている。

 すぐ隣から小夜のシャンプーの甘い香りと柔らかな体温が伝わってきた。


「おやすみなさい空」

「なんだかすごく眠いわ」

「お腹がいっぱいになったからかしら」


 小夜の声はすでに微睡みの中に溶けかかっていた。

 彼女は布団に顔を半分埋めるようにしてゆっくりと瞬きを繰り返している。

 あの病院の地下で生首を斬り飛ばした凄惨な剣士の面影はどこにもない。

 夜の廊下で化け物を両断した赫き閃光の圧倒的な暴力の気配すら全く感じられない。

 今の彼女はただの無防備で可愛らしい普通の女の子だった。


 少しはだけた首元からあの痛々しい乱雑な線が暗闇の中でぼんやりと見えた。

 式骸の呪い。

 赫哭を使うたびに彼女の体を侵食していくその黒いひび割れ。

 俺はその線を見つめながら胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じていた。


 俺の視線の先で小夜の長いまつ毛がゆっくりと伏せられる。

 スースーという規則正しい静かな寝息が聞こえ始めた。

 限界を超えた戦闘と限界を超えた暴食の果てに彼女は完全に意識を手放したのだ。


 現実を見れば俺は完全に彼女に守られている弱者だ。

 理には力でねじ伏せられ小夜には食事の量すら勝てない。

 化け物が現れれば足をもつれさせてただ逃げ惑い背中に隠れて震えているだけの存在。


 俺が彼女に与えられるものなんて何一つない。

 戦闘力もサバイバル能力もヒロインたちの足元にも及ばないのだから。


 だけど。

 この無防備な寝顔を見ているとどうしようもなく俺の胸の奥から熱い感情が湧き上がってくる。


 守ってやりたい。


 彼女がこれ以上あの痛々しい赫哭の力を解放しなくて済むように。

 これ以上彼女の白い肌に呪いの線が刻まれることがないように。

 俺が盾になって彼女のこの穏やかな寝顔を守り抜きたいと強く願ってしまうのだ。

 男としてのちっぽけなプライドなんかじゃない。

 ただ純粋に彼女に普通の平和な夜を過ごしてほしいという切実な思いだった。


「俺が守ってやれたらいいのにな」


 俺は無意識のうちに暗い天井を見つめながらポツリと呟いていた。

 自分の無力さを噛み締めるような情けない声だった。

 すると少し離れたベッドの上から冷ややかな声が降ってきた。


「ひどく非論理的な譫言(うわごと)を言うね」

「君のその貧弱な筋繊維と絶望的な運動神経でこの殺戮兵器を守るというのかい」

「それはオスとしての保護欲求を満たしたいだけのただの滑稽なエゴだよ」

「君は大人しく私たちに庇護される無力なお姫様でいればいいんだ」

「そもそも君が盾になったところで一秒も時間稼ぎにならないという現実を直視したまえ」


 理の容赦のないツッコミが静かな部屋に木霊した。

 相変わらず人の心をへし折る天才だ。

 俺の純粋でエモーショナルな決意が彼女の冷徹な事実陳列によって一瞬で粉砕されてしまった。


「うるさいな、心の中でくらいかっこつけさせてくれよ。俺だって男なんだから好きな女の子くらい守りたいって思うのは普通だろ」


 俺が少しむくれて言い返すと理は暗闇の中でフッと鼻で笑った。


「好きな女の子ね」

「私の目の前でずいぶんと大胆な告白をするじゃないか」

「その心拍数の上昇データはしっかりと私のクラウドに保存しておいてあげるよ」


 理にからかわれ、俺は一気に顔が熱くなるのを感じた。

 隣でスースーと眠る小夜の寝顔がさらに愛おしく思えてくる。

 俺は理の嫌味を無視して布団を引き上げ小夜の温もりを感じながらそっと目を閉じた。

 狂気に満ちた一日はこうして静寂と少しの温かさの中で終わりを告げようとしていた。


 俺が深い眠りの底に沈んでいた時のことだ。

 急に体を乱暴に揺すられて意識が水面へと引き上げられた。


「……んん」


 重い瞼をこすりながらゆっくりと身を起こす。

 薄暗い間接照明の中で小夜の顔がすぐ目の前にあった。

 俺は少し驚いて慌てて声を潜めた。


「どうしたんだ?」


 小夜の表情は真剣そのものだった。

 彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめ返して静かに口を開く。


「骸徒の匂いがするわ」


「え?」


 俺は寝ぼけた頭で間抜けな声を漏らした。

 さっきあの骸骨の化け物を倒したばかりじゃないか。

 いくらなんでもエンカウント率が高すぎやしないか。

 ここはモンスターハウスか何かなのか。


「本当か?」


 俺がどうしても疑いきれずに尋ねると小夜の瞳がスッと細められた。


「私はあなたに対しては嘘はつかない」

「絶対によ」


 その声には有無を言わさぬ迫力があった。

 真っ直ぐで強い剣幕に俺は完全に圧倒されてしまった。


「わ、わかったよ、信じるよ」


 俺は急いで理から借りたスウェットのまま布団から抜け出した。

 隣のベッドを見ると理は規則正しい寝息を立てて熟睡している。

 こいつを起こすとまた面倒な理屈をこね回されて時間をロスしそうだから二人で行くことにしよう。


 俺は研究室の棚に置いてあった業務用の強力な懐中電灯を手に取り、小夜と一緒に静かに分厚い鉄の扉を開けた。


 再び夜の学校の廊下に戻ってきた。

 昼間の賑やかさが嘘のように冷たい空気が張り詰めている。

 懐中電灯の細い光の束が前方の暗闇を丸く切り取っていた。


 俺たちは足音を殺しながら慎重に歩き回る。

 一階から二階へそして三階へと階段を上る。

 教室の前を一つ一つ通り過ぎていく。

 しかし音も何もしない。


 風の音すら聞こえない不気味なほどの静寂が校舎を支配している。

 歩き回って歩き回る。

 俺の脇腹の傷が少しだけズキズキと痛み始めた。


「なあ小夜。本当にいるのか?」


 俺が不安になって隣を歩く小夜の方を見た。

 すると彼女の横顔はなぜか少しだけ緩んでいたのだ。

 唇の端が微かに上がり目元が柔らかくなっている。


 なんだこいつ。


 化け物が潜んでいるかもしれない異常事態だっていうのに。

 どこかこの張り詰めた状況さえも楽しんでいるかのようだった。


 もしかして夜の学校で俺と二人きりで探索しているのが楽しいのか。

 それとも戦闘狂としての血が騒いでワクワクしているのか。


 いずれにしてもその得体の知れない余裕に俺は少しだけ呆れてしまった。

 だが同時に彼女の堂々とした姿に救われて恐怖が薄れていくのも事実だった。

 俺が小夜の横顔に見惚れていたその時だった。


 ドン。


 重く鈍い音が夜の校舎に突然響き渡った。

 俺の心臓がビクッと跳ね上がる。

 さっきの骸骨の化け物が出した音と似ている。


 階下からなのか上からなのか音の出所がはっきりとしない。

 俺が懐中電灯を握る手に力を込め息を呑んだその瞬間だった。


「やっと現したね」


 小夜が最高にかっこいい表情でそう呟いた。

 月明かりに照らされた彼女の凛々しい横顔は凄絶な美しさを放っていた。


 さっきまでの楽しそうな表情は消え去り完全に一流の剣士の顔つきになっている。

 頼もしい。

 俺の胸が高鳴った。


 だが彼女の次の行動は俺の想像を遥かに超えた非論理的なものだった。

 小夜は迷うことなく腰の日本刀を抜き放つ。

 チャキッという澄んだ音が鳴る。

 そして何の躊躇いもなく俺たちのすぐ横にあった廊下の窓ガラスに向かって全力で刀を振り抜いたのだ。


 ガシャンッ!!


 凄まじい破砕音と共に無数のガラスの破片が夜の闇へと飛び散った。

 冷たい夜風が割れた窓から一気に吹き込んでくる。


「なっ!?」


 俺は突然の暴挙に声も出せずに立ち尽くした。

 骸徒が現れたのは分かる。

 だがなぜ外に向かって何の脈絡もなく窓ガラスを粉砕したんだ。

 敵は廊下にいるんじゃないのか。

 俺は完全にパニックになりながら割れた窓とその前に立つ小夜の背中を交互に見つめるしかなかった。

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