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蓼 風  作者: 空木弓
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(八) 絞り込み

「この中から次に押し込む商家を絞り込めるのか?」

「一つに絞りこむことは難しいと思いますが、いくつかに……五つくらいに絞りこむことはできると思います」

 髙山の顔つきは納得していない。

「どうやって絞りこむのだ?」

「まず立地で絞りこめます。大きな水路の近くにあることが第一条件です。次に、用心棒を雇っていない、町内で二、三番目程度の大店です。造りにもおそらく共通した点があると思います。それについては、田之助に描いた図面の詳細を思い出してもらう必要がありますが、先ほどその紙をご覧になった田中さんも絞りこむ手がかりになりそうなことを申されました。滝田さんもそこに書かれた商家の中から実際に押し込んだ店が選ばれた理由について、何かお気づきになることがあるのではないかと思うのですが……」

 源二郎は滝田へ振り向いた。


 滝田はすっくと立ちあがり、上座へ歩いてきた。

「拝見します」

 滝田は髙山から三枚の紙を受け取り、順番に目を通していった。

 滝田も定町廻りになって五年、その前には町会所掛りや高積見廻りと、商家との関わりは長い。

「田中さんは何て言ったんだ?」

 滝田が源二郎に尋ねてきた。

「押し込まれた五軒に限らないがと前置きしたうえで、御大名や高禄の武家の後押しで店を大きくしたと……」

「確かに。なるほどなぁ」

 滝田が大きく頷いた。

「伊勢屋の惨状に商人に恨みがある奴等だと思ったが、それとも符合するな。武家に取り入ったのが、おそらくそのやり方が気に入らないということだな。これだけの材料を得ながら、実際に押し入ったのが七年間にたった五軒ということは、相当絞りこんでいる」

 そこで滝田は髙山に向いた。

「髙山様、ここは源二郎の申す通り、この中から賊がどこへ押し込むつもりか割りだすのが肝要と存じます。五軒まで絞れれば、待ち伏せできますぞ」

 源二郎はこの日も滝田が自分を後押ししてくれたことが嬉しかった。

 しかし、やはり髙山の顔は納得していない。

「いつ押し込みがあるかわからぬのに、毎晩五軒の待ち伏せをしろというのか?それこそ無理ではないか?」

「待ち伏せにどれくらいの人手がいるかは、絞りこんだ押込み先の場所にもよると思います」


 源二郎はつい口を開いたあとで、しまったと思った。源二郎は探索の掛かりでも日向野に次いで下っ端だ。髙山の視線が冷たい。しかし今さら引き返せない。覆水盆に返らず、である。

「そもそも奴等が選ぶ第一の条件は大きな水路に近い店です。大勢の捕り方は一組、船で待機させ、見張りは一軒に四人で十分ではないかと……」

 源二郎はそう言いながら見ていた髙山の顔つきに、功を焦っていると思った。今朝、髙山が源二郎に怒鳴った「功を焦って」は、ご自身ではないかと言い返したい気分だった。

 髙山はなるべく少ない人手で短期間に結果を出したいと思っているのだ。

 ――それでは奴等に裏をかかれる……髙山様は奴等の恐ろしさがわかっていない……

 源二郎は言いたいのに言えない一言に俯いて唇を引き結び、両の拳を握りしめた。


「髙山様、ともかくも、榊と滝田さんに次に押込むのではないかと考えられる店をこの中から絞りこんでもらいましょう。当座は自身番を通じて町全体に押込みの注意を喚起して。この紙の写しが十部は必要ですね」

 穏やかな静馬の声がした。

 源二郎が顔をあげると、静馬はわずかに頷いた。源二郎の言うことに賛同しているということだろう。

「榊、それがしともう一人、小倉さんを絞りこみ役に加えていただきたい」

 滝田が名を上げた小倉忠右衛門(おぐらちゅうえもん)は、押込みの探索掛かりでは一番年上の、四十代半ばの古参同心だ。二年前から吟味方同心をしているが、それ以前には風列見廻り、本所掛かりに下馬見廻り(大名や旗本の登城日の混雑する大手門付近の警護)の役についていた。

「他の者にはここに記されている店が今どうなっているか早急に確かめてもらいたいと存じます」

 滝田の発言に源二郎はすぐさま言葉を継いだ。

「その件ならば、田中さんが二軒廃業していると教えてくださいました。堀留町の小松屋と堀江町の伊豆屋は確認不要です」

「その田之助が書いたものをわしにも見せてくれぬか」

 舟庵の声だ。それまでずっと黙ってやり取りを聞いていたのだ。

 源二郎は舟庵こそ、絞りこめる要件を知っているのではないかと「ぜひ」と言おうとした。


「それはならぬ」

 髙山の声がした。

「先ほどの田之助を預かるという話も許すことはできぬ。奉公人が犯していた罪に気づかなかったのなら、雇い主にも咎がある」

 源二郎は呆気にとられた。舟庵を知らないから言えるせりふである。

 杓子定規にはそうかもしれない。この時代の考え方は、確かにそうだ。だが、いつも杓子定規にしていると、ことが進まない。

「田之助を牢屋敷に入れるというのか?」

 舟庵の声に怒りが入った。

「田之助が受ける御裁きは、重くて江戸払いではないか?わしは何よりも医師として田之助を今のような造りの牢屋に入れることに納得できぬ。せめて重罪人と軽罪人の牢を分けろ!」

 舟庵は、まだ若く小心者の田之助が町人用の大牢に入れられれば、酷い目に遭うと思っているのだ。下手したら、殺される。源二郎もそう思い、なんとか伝馬町以外での閉じ込めにしたいのだ。

「田之助にはまだ尋ねたいことがあります。これからも尋ねたいことが出てくると思います。賊を捕まえるまで、便宜の良い当御番所内の仮牢へ入れることはできないでしょうか。それが一番だとそれがしには思えます」

 源二郎は思いきって言った。「賊を捕まえるまで」を強調するために少しゆっくりと、髙山ではなく静馬を見て言った。

 静馬は一つ頷いて言った。

「源二郎の申すことはもっともだ。御奉行に申し上げよう。髙山様、それでよろしいですね?」

 髙山はそっけなく「よかろう」と返した。言い出した以上、御奉行に申し上げるのは自分ではなく静馬になるからだ。


 翌日に現状を調べる地域の割り当てがなされ、散会した。

 髙山と静馬が部屋を出たとたん、源二郎と舟庵は同心達に囲まれた。

「榊、賊の一人に殺されそうになったんだって?」

「顔を見たのか?」

「よくつきとめたな……」

 矢継ぎ早に質問が飛んできた。

「不覚を取りました。まさか賊があの場所にいようとは想わず……」

 源二郎は恥ずかしくて仕方なかった。

「相手は相当な武芸者ですぞ」

 舟庵だ。

「榊殿だから殺されずにすんだのであって、大抵の者は最初の首締めであの世へ行っておる。皆さん、くれぐれも気をつけなされ」

 予想外の舟庵の援護だった。

「顔を見たのか?」

 滝田が誰かの問いを繰り返した。

 源二郎は嘘はつけないと思った。

「見ました。おみのが言っていた、落ち着いた低い声の男です。背丈は六尺近くある、がっちりした体格の男です」

「そいつは、おめぇの……」

 滝田はそこで口をつぐんだ。

 源二郎はだんだん頭が重たくなってきていた。熱があがってきているらしい。ずっとどこかが痛いので、痛みには慣れた気がしていたが、身体も重くなってきている。

「奴は強い。恐ろしく強い。頭も切れる……慎重に事を運ばないといけないんです……」

 そう言いながら、源二郎は思わず額に手をやった。立っているのも辛くなってきた。

 すると、誰かが脇に手を入れて源二郎を支えた。

「榊殿は今暫く安静にしておらんといかんのだ。誰か駕籠を呼んできてくれぬか。歩いて戻るのは無理だ」

 舟庵の声だった。



 奉行所から八丁堀に帰るつもりだったのに、駕籠から下りた源二郎が見たのは清水屋の裏路地に面した勝手口だった。

 万蔵だけでなく、舟庵も駕籠についていた。

 源二郎は舟庵と万蔵に両脇を支えられ、勝手口から例の六畳間に入った。大丈夫、一人で歩けると言ったが、聞いてもらえなかった。

 布団の上に横になってみると、暫く動けないと思った。身体が休息を欲している。

 すぐに清水屋の主夫婦が六畳間に顔を見せて舟庵と源二郎に挨拶し、舟庵には居間で夜食をお召し上がりくださいと言ってきた。源二郎にはすぐにここへ粥を持ってくるという。

 真乃は主夫婦の後からいつの間にか、静かに部屋に入っていた。


 主と舟庵が六畳間を去り、部屋には源二郎、万蔵、真乃、みのときくが残った。

 真乃が興味深そうに何かを見ているのに気がついた源二郎は、その視線の先を追った。みのだった。

 そのみのは、源二郎が動揺したことに、涙ぐんだ目で源二郎を見つめていた。

「榊様、ご無理なさってはいけません。今日のお昼に拝見した時よりもお顔の色がずっと悪くなっておられます」

「肋が折れているせいだ。治るのに日はかかるが、これ以上悪くなるものではない。心配するような病ではない」

 源二郎は笑おうとしたが、疲労感が強すぎた。

 改めて悔しい気持ちが膨れ上がる。気持ちは膨れ上がっても、頭は回っていなかった。睡魔がすぐに全てを押し退けていった。


 目が覚めたら、万蔵が隣に敷かれた布団で大の字になって寝ていた。深く眠り込んでいる寝息がしていたが、鼾はかいていなかった。

 鼾に起こされたのではないらしい。

 辺りは静かだった。有明行灯の灯火が揺れている。

 一体何時か、全く見当がつかなかった。

 部屋の隅には布巾をかけられた膳が置かれていた。

 それを見たとたん、源二郎は空腹感に襲われた。布団から這い出して膳に向かって座り、布巾を取った。

 昼間と同じ蓋付きの椀に小鉢に盛った膾と漬け物が添えられていた。

 源二郎は手を合わせ、椀の蓋を取った。昼に食べた卵粥に今度は三つ葉だけでなく、削り節も少しかけてあった。冷めていても美味しい味だった。

 清水屋は卵入り煎餅が人気の店なので、卵は仕入れる数が多く、その分割安で取引してはいるだろうが、商売に使う大事な卵を突如居候することになった自分にこうして食べさせているのだ。ありがたいと、源二郎はしみじみ思った。

 食べているうちに涙が出てきた。自分のふがいなさと、そんな自分を助けてくれる人々の気持ちが心に沁みたのだ。

 ――真の字に見られたら、きっと「今でも泣き虫源二郎なんだな」と揶揄される。

 源二郎は慌てて袖で涙を拭い、上を向いた。

 朝になったら、また奉行所へ行かねばならない。次に押込みが行われる店の絞りこみは、賊捕縛の成否を決める大事な仕事である。しかも、急がなくてはならない。



 翌日は現状確認を割り当てられた同心達の報告待ちということで、滝田、小倉、源二郎の絞りこみ役は、押し込まれた五軒の店について武家との関わりに重きを置いた確認を行った。その観点で調べたことはなかったことと、絞りこむ要件をひとつでも増やすためだ。

 押込みがあったときの定町廻りや臨時廻りに尋ねることから作業は始まった。

 源二郎は肋の骨折のため、あまり動き回らなくて済むよう、今も町方に同心として勤めている二人に奉行所内で尋ねる役目を言い渡され、既に到仕した元定町廻りの二人は小倉が訪ねた。滝田は担当区域である麹町十一丁目の伊勢屋について改めて武家との関わりに絞った聞き込みを行うことになった。

「武家との関わりは表向きのことしか見えねぇからなぁ……どうやって裏を覗くか……」

 朝、奉行所から出ていく時、滝田は頭をかきながらそう言った。


 源二郎が話を聞いた二人は佐久間町の中屋と市ヶ谷田町の成田屋の押込みを検視、直後の探索を行った二人だ。

 滝田が言ったとおり、武家との関わりについては、二人とも詳しいことは知らなかった。成田屋はある大名の御用達になったことが飛躍のきっかけで、中屋は四千石の旗本に気に入られたのが飛躍のきっかけではあったものの、二店ともその後順調に得意先を増やし、押し込まれる直前に関わりを持っていた高禄の武家は片手以上あった。その得意先の武家に押込みがあった以前に不穏な動きがあったかどうかとなると、少なくとも耳にすることはなかったとしか二人とも答えられなかった。

 小倉が話を聞いた播磨屋と岡崎屋に押込みがあった時の定町廻りも、特に気になることは耳にしていなかった。


 八つ(午後2時頃)過ぎに奉行所へ戻ってきた滝田と小倉から話を聞いた源二郎は、新しい紙に五軒の店の名前とそれぞれが飛躍するきっかけの大名や旗本の名前を書いた。

「いくつかのお家でちょっとしたいざこざはあったらしいが、その詳細を調べるのは大変だぞ。お家の恥になることは隠蔽するからな」

 小倉が源二郎がまとめた紙を腕組みして見ながら言った。

「ありがたいことに、俺たちでやらないといけないわけじゃない。あいつらに明日から探ってもらおうぜ」

 ちょうど割り当てられた現状確認を終えて戻ってきた押込み掛の同心二人をこっそり指差して滝田が言った。


「五つに絞れるかねぇ……」

 滝田が唸るように言った。

 夕方の報告会の後に絞りこみ役の三人は同心の詰所に場所を変え、現状確認した同心達が印をつけた地域別の地図を眺めていた。

 田之助が描いた三十四軒のうち、五軒は押込み済み。田中が教えた、とうに廃業している二軒と、大きな水路が近くにないという場所から消すことができたのが五軒。そして、その日の現状確認で七軒が消えた。残るは十五軒である。大川の西に集まってはいるが、北西は麹町、南西は芝の増上寺辺りまで印がついている。

「一度押し込んだ町にもう押し込まねぇってことはないのかね」

 滝田の言葉に小倉は首を傾げた。

「そうだと絞りこみは少し楽になるが……むしろこちらがそう読んでるだろうと、過去に押し入った町に再び押し込む気がするよ。源二郎はどう思う?」

 小倉が源二郎に振ってきた。

「それがしも小倉さんがおっしゃるように、むしろ過去に押し入った町を狙う気がします。奴等が思う条件にあった店があるならば、ですが……」

「結局はそこに戻るか」


 源二郎は朝一番に仮牢へ入っている田之助に、店の造りと主一家が使っていた部屋について、実際に押し込まれた播磨屋や成田屋と似ている店の書き出しとその店のおおよその図面を描くよう指図した。田之助はかなり困った顔をしたが、できないとは言わなかった。

 焦らなくて良いから、少しずつ描いてくれと源二郎は言ってある。

 明日は実際に可能性の残る店を見に行こうと源二郎は思っていた。現地に立てば、見えてくるものがあるのではないか。そんな思いがあった。


「源二郎、おまえ、祖父江さんに妙な頼みしたそうだな。わしは下馬廻りで奥州の御大名の家臣が起こした喧嘩騒ぎに関わり、今もその御家中との付き合いが細々と続いているものだから、祖父江さんに色々聞かれたよ」

 小倉に突然話題を変えられ、源二郎は大いに面食らった。そういえば、祖父江に内緒にしてくれとは言わなかった。内緒で調べるのは無理だと思っていたからだ。

「はぁ……ちょっと気になることがありまして……全く見当違いかもしれないのですが……」

「お前と一字違いの同じ名の男が賊の身内かもしれないというのは、どこから浮かび上がってきたんだ?」

 小倉だけでなく、滝田もじっと源二郎を見つめてきた。二人とも経験豊かな優れた町方の同心である。嘘は通用しないと源二郎は思った。覚悟を決めた。

「それがしは、どうやら賊の一人と知り合っていたらしいのです。まさかと思いましたが……」

「今も付き合いがあるのか?」

「今も付き合いがあれば、こんな苦労はしていませんよ。とうに付き合いは切れています。麹町の押込みが起こる以前に」

 源二郎は一つ息を入れた。

「その人物と知り合った時に、それがしの名前が死んだ弟と同じだと申したのです。字は違うがと……」

「そいつが六尺近い落ち着いた低い声の主ってことか?」

 滝田の勘は鋭い。

 源二郎は頷きも否定もできなかった。

「あの賊にしては、気を失ったおめぇに止めを刺さなかったのが不思議だったんだよ。息の根を止めようとした時に見つかったからかとも思ったんだが……今の話で納得はできる。おめぇがおみのから聞いた話だと、そいつはちっとは人の心が残ってる奴だ。亡くなった弟と同じ名を持ち、知り合いになったおめぇを殺すことはできなかったんだろうな……」

 源二郎も思っていたことだ。だが、賊の情けで生き延びたとなると、町方の同心としてはいたたまれなくなる。源二郎は前だけ見るように、肋を折られただけで済んだ理由は考えないようにしていた。


「住んでいる場所の手掛かりになりそうなことは、話に出なかったのか?」

 小倉が尋ねてきた。

「そんな話はなにも。何処の生まれかも話しませんでした。弟がなぶり殺しにあったということだけです。名乗った名も本当の名ではないと思いました。真実は弟の名前だけだと……ですから、祖父江さんには弟の名前だけお伝えしました」

「今度遭ったときに、そいつと本気でやりあえるのかい?」

 滝田だ。源二郎は顔を上げて滝田を見た。

「もちろんです。前にも申したとおり、これ以上犠牲者を出したくありません。この前は不覚を取りました。繋ぎの証しを見つけたことで気が緩んでいたのでしょう。すぐ後ろに立たれるまで気配に全く気づかなかったのです。二度とあのような間抜けなことはしません。相手は無腰の町人を何人も斬った賊なのです。なんとしても捕まえます」

「……因縁だな……因縁としか言いようがねぇな……」

 滝田が天井を見上げながら、呟くように言った。

「……で、小倉さんは、なぶり殺しにあった『げんじろう』ってのに心当たりはあるんですか?」

 滝田が天井から小倉の横顔に目を向けて尋ねた。

「いいや、覚えはない。ただ、北の方の御領分に詳しそうな男を何人か祖父江さんに紹介した。祖父江さんのことだから、さっそく今日あたり、その連中に話を聞きに行ったのではないかな。今日は非番だと申されていたから」

「誰です?その紹介した何人かの男というのは」

「御小人目付の面々だよ」

「なるほどね」

 小人目付は御家人の監査や旗本を監査する目付の補佐だけでなく、時には隠密行動で大名の御領分の探索もする。老中や大目付が大名の御領分に不穏な動きを感知したら、小人目付を送って確かめるのだ。

 源二郎の心に白井が何者かわかるのではないかという期待が膨らんだ。

「気になるのは次の押込みがいつなのか、だなぁ」

「あまり猶予は無いと思います」

 源二郎の頭には真乃が言った、自分をしばらく動けないようにしたのは、次の押込みが近いからだろうという言葉が浮かんでいた。

「髙山様もそう思うから囮におびき寄せようと考えたのだろうが、賊にバレないように囮の店につける餌が浮かばねぇ。この中に両替商は一つあるが、町内一の大店で用心棒つきだ。ちょっとくらい餌撒いても食いつかねぇだろう」

 餌という比喩に、源二郎の頭にはまた白井と釣りをした思い出の一つが浮かんでいた。

 源二郎からしたら、白井は釣りの名人だ。釣りの名人ということは、魚が騙されて釣られる騙しの要をよくわかっているということである。その要は人にも応用できる気がした。



 翌朝、源二郎は前日同様、仮牢にいる田之助の様子を見に行った。前日のうちに押し込まれた店と同じような造りの店の書き出しと、そうした家の図面を何枚か描いてくれていることを期待していた。

 田之助は源二郎に十の店の名前を書いた紙一枚と家屋の図面五枚を渡してきた。

 十店のうち、二店は廃業していた。八軒というのは、当初からしたら大幅に絞りこめたことになる。ただし、それは田之助の物覚えが確かであるという条件付きだ。

「もうよく覚えてない店があるんです。その十軒ははっきり覚えてる分です」

 源二郎は礼を言って、朝の集まりに向かった。


 田之助が書いた八軒の店の名前をしばらく眺めた髙山は、ひとつ頷いて言った。

「滝田、この中からならば四、五軒に絞りこむのはそう難しくないだろう。今日中に絞りこんでくれ。その中のひとつを囮にする」

 髙山は囮作戦をあきらめていなかった。


「今日中と言われてもなぁ……」

 滝田は紙に書かれた八軒の名前を眺めていた。小倉は田之助が描いた五枚の屋敷図を見ていた。

 源二郎は先に十五軒の店の場所を落としこんだ地図の中の、今朝渡された一覧に書かれた八軒の店名を赤で囲んでいった。

 作業を終えた源二郎は、しばらく地図と屋敷図を見比べた。

「田之助の覚えが確かなら、四、五軒に絞りこめそうですね」

 源二郎の言葉に滝田は人差し指を立てた。

「そこだよ。田之助の覚えが確かなら、今日中に絞りこめる。あいつ、本当に大丈夫かね?」

「それを言い出したら、時がいくらあっても足りない。ここは割りきるしかないだろう」

 小倉が滝田に返した。

 源二郎は田之助の覚えはしっかりしていると思っていた。十割でないにしても、九割くらいは当てにできるだろうと。でなければ、数度往診で入った家の図面を描くことはできない。

 小倉が屋敷図のひとつを指先ではじいた。

「こいつはたぶん消せるな」

 源二郎もそう思っていた。母屋の造り自体は成田屋と同じだが、成田屋と違って裏木戸と母屋の間に土蔵と五間四方くらいの庭がある。押し込まれた五軒はいずれも木戸から母家まで遮るものがなく、距離も最短の箇所では二間ほどなのだ。

「田之助には押し込まれた五軒と同じような造りの店の屋敷図を描くよう申し付けたのですが、母家と木戸の間が短いという要件を加えましょうか?」

 源二郎の提案に小倉はかぶりを振った。

「どれだけ開いていたら奴等が避けるのかは微妙なところだから、付け加えることはないよ。我々が判断する方が良い」

 さすがの答えである。


 田之助の覚えだけでなく、実際に八軒の店へこっそりと足を運び、周囲も確かめた上で三人で出した結論を夕刻の集まりで髙山に提出した。

 佐久間町の醤油酢問屋内田屋、本材木町の茶問屋湊屋、豊島町の下り酒問屋駒形屋、堀江町の打物問屋楢屋の五軒だった。

「この駒形屋は最近渡したばかりだな。ここを囮にしよう。定町廻りは片岡孫助だな。明日朝の集まりに片岡を呼べ」

 よくも悪くも決断は早い髙山である。



 源二郎が詮議部屋を出ると、少し先から祖父江が小さく手招きした。

 源二郎は頼んだことがもうわかったのだろうかと驚きと期待で祖父江の元へ早足で向かった。


「昨日、御小人目付から聞いたばかりの話だが、まず間違いないと思う」

 祖父江は建物の影に回り込み、囁くように言った。

「越後の牧野様御領分で五年前に黒木源次郎という、当時二十一歳の勘定方の若侍が獄死している。黒い木に次の源次郎だ。表向きは牢内での病死だが、どうやら責め殺されたらしい」

 源二郎は心の臓をぎゅっと締め付けられた気がした。

「罪状は公金の使い込みだ。罪を認めぬと相当厳しい責めを受けたらしい。それだけの話なら例え聞こえてきても御公儀は気にしなかったろうが、その者が獄死した十日後に城下有数の商人と勘定方の役人、目付方二人の計四人が死んでいる。一晩のうちに、だ。しかも勘定方の役人は獄死した若侍の上役で、目付の二人は獄死した若侍の吟味を担当していたんだ。商人は押込みの賊に斬られ、侍の役人三人は病による急死と届けられていたが、同じ日に黒木源次郎に関わる三人が急死と聞けば、何かあると思わない方がおかしい。その話がまわりまわって御公儀の誰かの耳に入り、御小人目付が真相を探りにその御領分へ忍び込んだ。調べたらすぐに仔細が判明した」

「その役人三人も商人同様、殺されていたのですね?」

 源二郎は喉に渇きを覚えながら言った。

 祖父江は頷いた。

「商人にも隠し事があってな、首を刎ねられての即死だったのだが、斬られた場所は店ではなく寮だった。寮に押し込むとは珍しい賊だろう?三人の役人はというと、無惨に何ヵ所も斬られて殺されていた。それこそ拷問にあったかのように……」

 源二郎は思わず肋を押さえた。深く息を吸い込んでも痛いのだ。落ち着けと自分に言い聞かせる。

「少し調べただけで、色々とおかしなことがわかったそうだ。公金横領というが、黒木源次郎は勘定所に勤め始めて漸く一年経つかどうかという見習いだった。そんな若い見習いがいきなり公金に手を付けるには、絶対に古参の誰かの知恵や助太刀がいる。なのに、捕らえられたのは黒木源次郎、ただ一人だった。陥れられたとしか考えられなかったが、陥れたと思われる相手はすでに死亡していたことと、殿様や御家中の重鎮は企てに関わり無しとわかったので、御公儀は調べを打ち切ったそうだ」

 あらましを聞いただけで、源二郎は怒りと疑問がこみ上げてきた。どうしてその御領分の目付方は企てを見抜けなかったのか、目付方の全員が首謀者に丸め込まれていたのだろうか、金よりも正義を重んじる人物が目付方に一人もいなかったのか、と。

 源二郎も黒木源次郎が白井般右衛門の弟に間違いないと思った。白井という偽名も大きな手掛かりを与えている。


「黒木源次郎には兄がいますね?その兄の名は?」

 祖父江は重々しく頷いた。

「父の名を受け継いで当時は黒木半右衛門。『はん』は半分の半だ。幼名は源太。字はみなもとに太いだ。源次郎の八つ年上で、殿様を始め、家中の各種武芸の指南役だったそうだ。大柄でさっぱりした気性の、家中でも頼りにされ、慕われていた男だったそうだ。獄死した弟の上役であった勘定役人はその兄の幼馴染みだった。その兄が三人の役人を斬殺したと、商人もその首を刎ねた手際からやはりその兄が斬殺したのではないかとその御家中の目付方は思い、すぐに黒木の屋敷へ人を差し向けたが、もぬけの殻。手配書が領分内にまわったが、これまでのところ捕まってはいない。また殺された役人の家族は誰一人仇討ちに出ていない。残酷な殺され方をしたにも関わらず、だよ。皆、獄死した若侍に罪はなかったと知っているからではないかね。あってはならないことだ。何も知らない者が罪を着せられ、責め殺されるなど」

 最後の方の祖父江の声は怒りに震えていた。

 源二郎も町方という、一部目付と同じ役を担う役所の同心として、責め殺してしまった目付二人を許せないと思った。無理やり自白をとろうとしたが、源次郎が我慢強すぎたのか。いや、そもそも源次郎は悪事のことを何も知らなかったから答えることができず、耐えるしかなかった……そんな気がした。

 ハンエモンのハンは般若の般だと名乗った白井こと、黒木半右衛門の顔つきを思い返した。

 黒木半右衛門が弟を死に追いやった四人の男にどれほどの怒りを感じたかは、ある程度想像できる。正しい手続きは踏んでいなくとも、四人の男を斬殺したのは弟の仇討ちだ。そこまでは理解できる。

 源二郎に理解できないのは、何故その後盗賊の仲間に入り、無腰の町人を斬殺し、金を奪い続けているのか、である。

 ――まだ弟の仇が残っているのだろうか?

「わかってはならないことだ」

 椙杜神社で対峙した時、源二郎に向かって般右衛門はそう言った。




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