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蓼 風  作者: 空木弓
7/13

(七) 述懐

「田之助さんが伝右衛門親分の下っ引きに堀留町の番屋へ連れてかれやした!ちょっとの間、様子を見てたんでやすが、かなり厳しい問い質ししてやした」

 万蔵の報告に、窓際に座る真乃と布団の上に半身起こしていた源二郎は同時に頭を抱えた。

「そんなに揃って頭抱えなくても……やっぱり息合ってるなぁ」

 万蔵ののんきな突っ込みに源二郎は思わず「これが頭を抱えずにいられるか!」と叫んだ。叫ぶと肋に激痛が走った。

「見事に最悪な成り行きだな」

 真乃はあきらめた口調だ。

「……で、認めたのか、田之助は?」

 真乃の問いかけに万蔵は興奮ぎみに首肯した。

「家の造りのあらましを紙に描いて御神籤と一緒に木にくくりつけただけだって、言ってやした」

 真乃があきれ返ったからか、無表情になった。

「それじゃ、言い訳にもなっていない。最初は目的を知らなかったとしても、二度目も知らなかったは通用しない。それで、一昨日御神籤に包んで木にくくったのはどこの家だって言っていた?」

「そんなこと聞いてやせんでした」

 真乃と源二郎がまた揃って頭を抱えた。

「駄目だ。じっとしていられない。万蔵、田之助が連れて行かれたのは堀留町の番屋だと言ったな。ついてこい」

 源二郎は痛みを堪えて起き上がり、着替え始めた。

「おまえはここにいろ。私が行ってこよう」

 真乃が言った。

「真乃字、おまえは町方の者ではないんだぞ。俺は下っ端とはいえ、れっきとした北の御番所の同心で、しかも押し込み探索の掛かりだ。田之助に問い質すのは役目の一つだ」

 万蔵がどうしたらいいのかと源二郎と真乃を交互に見ていたが、下帯一つになった源二郎の姿に呻くように言った。

「旦那、無理しねぇでくだせぇ。身体中、痣で(まだら)じゃねぇですか……」

「見た目ほどひどくはなさそうだな。おまえが行くなら、私はここに残った方がいいか……万が一のために」

 真乃が顔色一つ変えずに言った。下帯姿に真乃が平然としているのも、万蔵が女と気づかない理由の一つなのかもしれない。

「ああ、そうしてくれ。田之助が番屋に連れ込まれたのが賊に知れたとしたら、奴等はお返しにここへ来るかもしれん」

 真乃は頷いた。

「それ以上、斑を増やさないようにしろよ」

「余計なお世話だ」



 源二郎は万蔵とともに清水屋を出て、北へと向かった。

 源二郎が攻撃を受けたのは主に上半身だったため、歩くこと自体に大きな支障はない。走るとさすがにあちこちに痛みが走ったので、大股に歩いた。


 堀留町の番屋まであと数間という位置で怒鳴り声が聞こえてきた。

「そいつらの居場所も知ってんだろ?さっさと吐いちまえ!」

 源二郎は一段と早足になった。

 野次馬が番屋を取り囲んでいる。

 黒羽織の源二郎が近づくと、野次馬は番屋の周辺から散った。源二郎の腫れたご面相のせいだったかもしれない。

 源二郎が番屋の上がり框から見たのは、奥の板の間で腕を振り上げている大きな目の男だった。確か、伝右衛門の手下の善六だ。

 手前の畳の間には黒羽織を着た男が板の間を向いて座っていた。黒羽織で見えないが、田之助は手を振り上げた男の足元に座らされているに違いない。

 板の間には端の方にもう一人、善六と同じく下っ引きらしい男がいる。

 板の間と畳の間の仕切りである腰高障子を開け放した間にそれらが見えた。

 その状況を瞬時に把握した源二郎は、町役人に「奥を借りるぞ」と一声かけて上がり框に飛び上がると、その男のすぐ横を、膝隠しを飛び越えてすり抜け、あっという間に板の間の入り口に立った。

 すかさず左手で入り口を邪魔している黒羽織を押し退け、善六が振り上げた手首を内側から右手で掴んだ。

 予想どおり、善六の足元に田之助が正座していた。頬は腫れ、唇は切れていた。

 がっしりと手首を捕まれた善六が「誰でい!邪魔する奴ぁ!」とわめきながら、振り向いた。振り向いた途端に口を開けたまま、動かなくなった。今のセリフは御町の旦那に下っ引きが言えるセリフではない。

「一体誰がそんな荒っぽい問い質しをしろと言ったのだ?」

 源二郎はなんとか怒りを押さえて言った。

 視界の隅では源二郎が押し退けた黒羽織が立ち上がりかけていた。顔に覚えがある。麹町伊勢屋の押込み掛かりの一人だ。名前は日向野善之助(ひがのぜんのすけ)といい、数え年では源二郎の一つ年下だ。

 髙山は日向野に田之助の取り調べを命じ、御用聞きを持たない日向野は手下として、この辺りの定町廻りである田中の下っ引き使うことになったらしい。

 ――善の字を名前にもつ二人がよりによって……

 源二郎は横目で日向野を睨みつけた。日向野の顔が青ざめ、動きが止まった。

「だ、誰って……こんな連中にゃ、これくらいやらねぇと……」

 善六の答えに、源二郎は掴んだ手首をぐいと外へ捻った。

「いててててて……」

「賊の居場所を知っているなら、わざわざ大事な書付を御神籤に包んで木に結ぶような面倒くさいことをするわけないだろう。それくらいわからんのか」

 源二郎はさらに手首を捻った。

 善六が悲鳴をあげた。

 源二郎はそのまま腕を捻りあげ、同時に足で善六の足を掬い、相手をひっくり返した。狭い番屋の中だから、善六の足は日向野にあたり、頭は仲間の男の足元に落ちていった。

 たったそれだけのことでも肋辺りに強い痛みが走ったが、なんとが源二郎には我慢できる程度の痛さだった。

 源二郎は黙って番屋にいる面々を見回した。

 日向野も善六も、板の間の奥にいた善六の仲間も、二人の町役人までも、みな怯えた顔になった。

「榊の旦那を本気で怒らせると、こんなもんじゃないっすよぉ」

 後ろから面白がっている万蔵の声がした。

「万蔵、余計なことを言うな」

 源二郎は善六とその仲間に目を向けたまま万蔵に返した。続けて言った。

「二人とも番屋から出ろ。田之助への問い質しは俺が行う」

 下っ引きの二人は「へい」と一声答え、頭も腰も低く板の間から出た。入れ替わるように源二郎は板の間へ入り、田之助の前に座った。


「榊さん、どうして……」

 ようやく日向野が口を開いた。

「本当ならば、昨日のうちに俺が田之助に問い質すつもりだった。お主には悪いが、問い質すのは俺が適任だ。お主は詳細がわかっておるまい」

 源二郎は言い終えると、改めて日向野から田之助に向いた。

「田之助だな?」

 田之助は怯えた顔で頷いた。

「私は榊源二郎。そこにいる日向野と同じく北の御番所の同心だ。お主に色々聞きたいことがある」

 田之助の顔がさらに怯えた。

 日向野は何か言いたそうだったが、怪我をおしてやってきた源二郎に気後れしたようだった。再び板の間のすぐ外に腰をおろした。善六の時同様、そこから源二郎が田之助に問い質す様を見ることにしたらしい。


 田之助はずっと俯いている。

 町役人が茶を一つ、源二郎に出してきた。

 源二郎はそれを田之助の前に置き直した。

 田之助はちらりと源二郎の顔を見た。

「これから色々しゃべってもらわなくてはならない。喉を潤しなさい」

 源二郎の言葉に田之助は湯飲みを手にとると、一気に飲み干した。

「一昨日、お主は椙杜神社で引いた御神籤に家の図面を隠して木に結んだだろう。あれはどこの家の図面だ?」

 源二郎は田之助が湯飲みを置いたところで声を落として質問した。

 田之助はまたちらりと源二郎を見た。

「どうしてわかったんです?」

 田之助も源二郎に釣られたのか、己の立場がわかったからか、小さな声で答えた。

「厚みが少し違ったからだ」

「よく気づきましたね……」

 田之助は目を丸くしていた。

「それが目印ではなかったのか………では、結ぶ場所を決めていた?」

 田之助は頷いた。

「木の上の方というだけでしたけど、決めてました」

「それで、あれはどこの商家の図面だ?」

「豊島町の駒形屋です」

「向こうから、今度はこの店の図面を教えろといった指図をしてくるのか?」

 田之助はかぶりを振った。

「向こうからは何も言ってきません。ただ、こちらから新しく内情がわかった大店が出てきたら、図面に書いて御神籤に包んで木に結んでただけです。一軒を四回くらいに分けて……」

 なるほど、だから源二郎が開いた図面は家の一部しか描かれていなかったし、店の名前もなかったのだ。

「そうやれば、向こうが礼金を払ってきた?」

 田之助は頷いた。

「どこへ、どういう風に?」

「一軒を渡し終えた二、三日後に住んでる長屋の店に放り込まれるんです」

「長屋に放り込まれるとなると、お主の母親は、お主がやっていることや礼金のことを知っているのか?」

 田之助はぶるぶると首を振った。

「母はなんにも知りません。家に放り込まれる金は友達に貸した金ってことにしてますし」

 源二郎の落ち着いた質しに田之助は素直に答えていった。


 始まりは、七年半ほど前のことだった。毎日が面白くなかった田之助は、月に一度の芝居見物だけが楽しみだった。しかし夢の世界の芝居はあっという間に終わる。

 明日からの日常に暗い気分で芝居小屋のある木挽町から堀江町に向かって歩き始めた時、肩をたたかれた。

 驚いて振り向くと、田之助と同じくらいの体格の、四十前後と見える町人の男が立っていた。

「芝居を見た直後に面白くなさそうに歩いてると目立つぜ」

 田之助は月に一度しか観れないと愚痴り、もっと良い席で観たいけど、金がないと愚痴った。

 男は田之助の愚痴に相づちをうちながら、「それじゃ、小遣い稼ぎするかい」と言ってきた。

 すぐに話に乗ったわけではないと田之助は言ったが、嘘だと源二郎は思った。深く考えずに話に乗ったのだ。

 男は田之助が舟庵に弟子入りしていることを知っていた。往診の供をしていることも知っていた。往診先の商家の造りを描いて御神籤に隠して木に結びつけるだけで良く、礼金は一軒につき一両だった。他に賊の一味らしい男を見たことはなく、その町人姿の男と話をしたのも、顔を見たのも、その一度きりだという。


 用意周到な連中だと思いながら、源二郎は尋ねた。

「最初に描いて渡したのはどこの店だ?」

「室町の高麗屋です」

「播磨屋は何枚目に渡したのだ?」

 田之助は少し考えてから答えた。

「三枚目だったと思います」

「播磨屋に押し込みがあったと知った時、どう思った?」

 源二郎の尋ね方はいたって冷静だった。

 田之助は膝に置いていた手をぐっと握りしめた。

「高麗屋にも、二つ目に渡した信濃屋にも押込みがなかったんで、たまたまだと……」

「何のために家の図面が必要か、気にならなかったのか?」

「……」

「まぁ、いい。これまでに図面を渡した商家をすべて書き出してもらう」

 今、源二郎が知りたいのは賊が次にどこへ押し込むつもりなのか、である。その手掛かりがきっと田之助が賊に渡してきた図面の中にある。というより、そこから推測するしかない。

 田之助はまた目を丸くして源二郎を見た。

「ぜ、全部は覚えてません、たぶん……」

「覚えている限り、全部だ。最近渡したのは順番どおりに書いてくれ」

 源二郎は町役人に書くものを田之助に渡してほしいと頼んだ。

 初老の町役人はすぐに墨壺、細筆、紙を田之助の前に置いた。

 田之助は震える手で筆を取り上げ、紙に書き始めた。

 その間にもう一人の町役人が申し訳なさそうに源二郎の前に湯飲みを置いてきた。

「忝ない。だが私のことは構わずにいてくれ」

 源二郎の言葉に町役人はさらに恐縮した顔つきになった。

 田之助が筆を置いて源二郎に紙を手渡してきた。

「この一年に書いたのはその五軒です」

 五番目に豊島町の駒形屋と書かれた紙の中に麹町の伊勢屋はなかった。

 田之助がまた黙々と書いていく。暫くして二枚目を渡してきた。

「去年、一昨年、先一昨年に描いた分です。忘れてるのがあるかもしれませんが……」

 その二枚目に書かれた十四軒の中に麹町の伊勢屋があった。

 三枚目には四年前から七年前に渡したと覚えている店が十五軒書かれていた。その中に播磨屋、岡﨑屋、成田屋、中屋があった。ただし、順番は異なっていた。

「この四年以上前に賊に図面を渡した順番、大体はここに書かれているとおりなのか?」

「いいえ……ですが、中屋が成田屋より早かったのは間違いないです」


 源二郎は田之助が三枚にわたって書いた店の名前と順番を暫く眺めた。

 田之助は平均一年に五軒前後の図面を賊に渡してきたが、賊は田之助が知らせてきた店の中から押し込みやすい店を選んでいたらしい。田之助の渡した図面をもとに実際にその家の下調べをし、最終的に押し込む家を決めたと考えられる。

 中屋より成田屋へ二年も早く押し入ったのは何故なのか。ひょっとしたら、そこに賊のことを知る重大な手がかりがあるのかもしれない。

 そして、田之助が書いた中に瀬戸物町の清水屋がないことに源二郎は安堵していた。確かに清水屋は大店ではなく中堅の菓子屋だが、舟庵がかかりつけ医で、過去に応診を頼んだことも何度かあったため、万が一ということがあると気になっていたのだ。


 源二郎は町役人にこれの写しを作ってくれないかと頼んだ。町役人の一人が「はい」と一声返し、すぐさま文机に向かった。

 源二郎には田之助が押し込まれた五軒の家人に会っているのだと、その場で思いついた問いがあった。

「茅場町の播磨屋、小網町の岡﨑屋、市ヶ谷田町の成田屋、佐久間町の中屋、麹町の伊勢屋と聞いて、お主に何か思い付く似通ったことはないか?」

 田之助はぎくりとしたようだった。

「何でも良い。気がついたことを言ってくれ」

 田之助が最初に挙げたのは、やはり大きな水路の近くにあることだった。源二郎は頷き、「他には」と先を促した。

「そうですね……全部じゃないんですが、播磨屋さん、中屋さんのご隠居と成田屋さんのご主人はかなり厳しいお方だったと思います」

「厳しい?奉公人に厳しかったのか?」

「あ、いや、その、なんていうか……店を大きくするのに熱心で、そのお……」

「吝嗇、ケチということか?」

「はい……金遣いに厳しいのは、商人に珍しいことではありませんが、舟庵先生へのお支払も値切ろうとするのはさほどありませんで……」

「岡﨑屋と伊勢屋はそうではなかったのか?」

「岡﨑屋のことはあまり覚えてないんです。往診のお供をしたのも二回だけで。播磨屋さんとほぼ同じ造りだったので、覚えやすく、描きやすくて……」

「麹町の伊勢屋はどうだったのだ?」

「あの伊勢屋はなんというか、ちぐはぐな感じでした。ご主人の愛想はよかったです。舟庵先生は見栄っ張りなだけだと仰ってました」

 舟庵は伊勢屋に金がないことを見抜いていたということである。押し込まれた家人の詳細は舟庵に聞くのが良さそうだった。問題はこちらに割いてもらえる時間があるかどうかだ。

 源二郎には押し込まれた家には場所や造りだけでなく、他にも共通している何か、賊が押し込むことを決める何かがあるような気がし始めていた。

 ――それがはっきりすれば、次の押込み先を数軒に絞りこめるのではないか。


 田之助にはまだ尋ねたいことが色々あったが、まもなく日が暮れる。問題は番屋へ連れ込まれたとあっては、このまま長屋へ帰すわけにいかないことだった。下手すると、口封じされかねないと源二郎は思うのだ。

 田之助が顔を見たのは声をかけてきた町人姿の男だけだが、みの同様、賊を突き止める足掛かりになるし、賊が捕まったときには証人になる。

 この時代の牢屋は刑罰の申渡しまで入っている、後の世の拘置所にあたる施設だが、身分と人別帳に記載されているかどうかで分けているだけで、罪の軽重は関係なく同じ牢に入れられる。環境が悪いため、長く牢屋に入れられると牢死するものが少なくない。牢を仕切る連中によっては、死なないまでも、恐ろしい()()()()にあったりもする。

 田之助の場合、おそらく刑が確定するのは賊を捕まえてからになる。どれくらいかかるか、この時点では全く予想がつかない。長期間牢に入れるのは酷だと源二郎は思った。どこかの預かりにできないかと考えた。

 こういう場合の預かり手一番手は住んでいる町の名主である。しかし、盗賊が口封じに来るかもしれないと考えると、一番良いのは奉行所内の仮牢に思える。普段仮牢に丸一日以上入れることはないのだが、事情が事情と、なんとか長期間入れてもらえないだろうか、その手はないものかと源二郎が考えていると、万蔵の声が聞こえた。

「旦那、田中様と舟庵先生がこっちへ歩いてきやす」

 万蔵の声に日向野が源二郎以上に驚いていた。

「舟庵先生も?」

 田中はこの辺りが受け持ちだから、番屋へ見回りにくるのは当然だが、勝手に源二郎が入り込んでいることに文句を言うかもしれない。舟庵の方は奉公人を勝手に番屋へ引っ張っていったと苦情を言いに来たのかもしれない。源二郎は双方の苦情に身構えた。


 上がり框の向こうに顔を見せた舟庵は、番屋の中を見回したところで叫んだ。

「こら、そこの病人!安静にしていろと申していたろうが!」

 どう見ても、舟庵は源二郎を見ている。

 ――病人って、俺のこと?

 そういえば礼も言っていないし、診療の支払もしていない。診療代は年末にまとめて払うとして、礼は言わねばなるまいと、源二郎が立ち上がろうとしたら、舟庵は上がり框にあがり、あっという間に源二郎の目の前へ来た。

 今しがたまで板の間の入り口に顔を見せていた日向野はどうしたのかと思ったら、舟庵の勢いに逃げたのか、突き飛ばされたのか、腰高障子に番屋の壁に張り付いているような影が見えた。

 舟庵は奥二重の四角い印象の目で源二郎を睨みつけながら言った。

「動くな」

 その勢いに気圧され、源二郎は動けなかった。そんな源二郎の額に舟庵は手を置いた。

「ほれみろ、熱があがってきておる。今は身体が怪我を治そうとしておるんじゃ。そんな時は安静にしておらんといかんのだ。家の中で動くくらいはともかく、遠出するとは何事だ」

「はぁ、しかしどうにもやり過ごせないことがありまして……あ、いや、その節は、ありがとうございました」

 源二郎はしどろもどろになりながら、ともかくも舟庵に礼を言った。

 ふと田之助を見ると、突然の師匠登場に顔色は青ざめ、善六に脅されていた時以上に怯えた顔になっていた。


 やはり舟庵の勢いに気圧されていたらしい田中が上がり框に足を置きながら、ようやく口を開いた。

「榊、なんでお前がここにいる?怪我で暫く動けないと聞いていたぞ」

 源二郎は田中へ一礼してから答えた。

「もともとは昨日の夕方、それがしが田之助に問い質すつもりだったからです。どうしても尋ねたいことがありましたので……」

「それで、聞きたいことは聞けたのか?」

 先程まで日向野が座っていた場所に田中が座って言った。

 狭い番屋だから、畳部分に人が座る余裕はもうない。

「すべてではありませんが、一番尋ねたかったことは尋ねました。今、その写しを書いてもらっております」

 源二郎の視線に田中も文机に向かっている町役人を見た。

 その町役人が筆を置いて、源二郎に言った。

「一部、写しを取りました」

「忝ない」

 町役人から田之助が書いたものと写しを受け取った源二郎は、田之助が書いた方を田中へ手渡した。

「これは?」

「田之助が賊の仲間と思われる男に家屋の図面を渡した店の名前です」

「こんなにあるのか」

「そのようです。その中からこれまでに五軒を選んで押し入ったことになります」

「……この近くの店もいくつかあるな。とうに廃業した店もあるが……」

「その廃業した店を教えてください。こちらの写しに印をつけたいと思います」

 田中は源二郎の応答の早さに少し驚いていた。

「三枚目にある堀留の小松屋と堀江町の伊豆屋だ」

 町役人が手渡してきた筆で源二郎は写しに書かれたその名の横にカタカナの「ハ」を書いた。

 他にも何軒かもう無くなっている店があるだろう。それでも二十件近く残りそうである。

「その紙は髙山様にお渡しするつもりです」

 源二郎はそう言いながら、写しを丁寧にたたんで懐へ入れた。


 田中はさらに暫く三枚の紙を順に眺めていた。

 田中は定町廻りになって十年は経つ。今年で確か五十四才である。列記された店の名前に何か気づくことがあるかもしれないと、源二郎は黙って田中を見ていた。

「押し入られた五件は、こうしてみると、場所だけでなく、商売のやり方にも似たところがあったかもしれんな……」

「田之助は播磨屋、成田屋、中屋の主か隠居には吝嗇なところがあったと申しましたが、それが商いにも出ていたのでしょうか?」

「吝嗇か。まぁそれも似ている点といえば、言えないこともないが、この五軒には後ろ楯になっていた高禄の武家がいる。もっともこの五軒だけではない。ここに書かれている店の大半がそうだ。大店となれば、大名や旗本の御得意が複数いるものだ。高禄の武家に取り入って財を成した商家のうちの五軒という言い方が正しい」

「高禄の武家に取り入って……」

 源二郎は大きな手懸かりを得た気がした。

 いったん懐に入れた紙を取り出し、また広げた。

 商家に恨みを持つ浪人。

 それぞれの店が大名や高禄の旗本に取り入ったことによって不利益を被り、浪人になったのだとしたら……

 賊の人数はおそらく五人前後である。

 五軒の押し込みは、賊の五人、それぞれの報復なのだろうか。それならば、これで終わるか、計画しているのはあと一、二件なのか。


「あんたらは田之助をどうするつもりだ?」

 舟庵が田中から源二郎に目を移しながら言ってきた。

 源二郎は田中の知恵を拝借することにした。

「田中さん、田之助を伝馬町(牢屋)に入れるのは酷だと思います。といって、名主の家では盗賊が口封じにくるかもしれません。御番所内の仮牢へ長く留め置く手はありませんでしょうか?」

 田中は顎に手をやった。

「難しい話だな……」

「田之助が逃げなければ良いのだろう?」

 舟庵が源二郎から田中へと目を移して言った。

「まぁ、そういうことです。先生に妙案がおありですか?」

 視線を受けて田中が舟庵に返した。

 舟庵は大きく頷いた。

「わしの診療所に厄介な患者を閉じ込めておくための座敷牢がある。そこに田之助を入れておくのはどうだ?簡単には抜け出せないようになっておるし、夜はわしと助手の三人が交代で近くに寝泊まりできる」

 源二郎は田中がそれならそこが良いと言ってくれることを期待した。

「髙山様に伺いをたててみろ」

 田中が源二郎に向いて言ってきた。

 源二郎は少々がっかりしながら、承知しましたと首肯した。髙山を説得できる自信がなかった。

「わしも行こう」

 舟庵が言った。



 源二郎は、舟庵、万蔵と日向野に挟まれた田之助を引き連れて奉行所へ戻った。

 安静にしていろという舟庵の指図に逆らった形の源二郎だが、舟庵は奉行所へ行くことに反対しなかった。その代わり、一度診療所に連れて行かれ、再び首と肋から腹にかけて晒巻きにされた。晒を巻かれながら、源二郎は田之助が自白したことを舟庵に話した。

 舟庵は、田之助が家の図面を描いて賊に売っていたことに全く気がついていなかった。無理もない。田之助が図面を描いたのは長屋だ。

 一方、舟庵の方は源二郎に襲われた時のことを尋ねてきた。源二郎は最初に後ろから首を絞められ、必死の思いでそれを振りほどいた詳細を話した。舟庵は感心した風をみせた。 


 一行は夕刻の集まりに少し遅れたくらいに奉行所にたどり着いた。田之助を日向野、万蔵とともに玄関脇に待たせ、舟庵と源二郎が集まりに顔を出すことにした。

 麹町伊勢屋の押込み探索には掛かりといっても大した人数が割り当てられているわけではないが、毎日、詮議部屋の一つで朝に各自のその日の活動の指図や了承を受け、夕刻に進捗を報告することになっていた。

 白井に痛めつけられたために、源二郎は昨日の夕刻の集まりにも今朝の集まりにも顔を出していないから、随分久しぶりに感じ、部屋に足を踏み入れるのに緊張した。

 一礼して部屋に後方から入ると、上座には髙山と並んで青井静馬がいた。助役の入れ替わりがあったらしい。

 静馬は首に晒を巻いて現れた源二郎を心配そうな顔で見てきた。

 髙山と静馬の視線に、上座を向いて座っていた掛かりの同心五名が一斉に後ろを向いた。その中に滝田もいた。源二郎にはそっと片手を上げてみせ、舟庵には軽く会釈した。

「医者がなんでここに?」

 不躾な髙山である。

「田之助の身柄を舟庵先生が預かりたいと申され、その許可をいただきに参りました」

 髙山は怪訝な顔で言った。

「田之助は賊の一味だろう。伝馬町で良いではないか」

「賊の一味ではありません。田之助は盗賊とは知らず、ある人物の小遣い稼ぎの話にのり、舟庵先生のお供で入った商家の造りを紙に描いて渡していただけです。合力(協力)していたことにはなりますが、賊が何者かは全く知りません」

 源二郎は田之助が図面を椙杜神社の御神籤に隠して大木に結んでいたこと、そのきっかけの町人姿の男との出会いを手際よく話した。

 その後で源二郎は田之助が三枚に書いた、これまでに図面を書いて賊に渡してきた商家の一覧を髙山と静馬が座る文机の上に置いた。

 髙山が紙を手に取った。

「次に押し込む商家はこの中にあるということか」

「おそらく」

「田之助を使って奴等を誘き寄せることができるのではないか?」

 髙山がどうだと自信ありげに源二郎を見ながら言った。

「それは無理です。……あ、いや、無理だと思います。奴等は田之助が渡した図面の中から押し込む家を選んでいるのです。田之助が次はここに押し込むような指図をすれば、それこそ奴等は警戒します。我々にできることは、その記載の中から奴等が次に押し込む商家を見つけることだと思います」

 番屋に連れ込まれた時点で、田之助に町方の手が伸びたことを賊は知っただろうと思う源二郎だったが、それをこの場で言ってしまっては、ここにいる者の大半を敵に回しかねない。榊家が町方の同心としてあり続けるために避けねばならないことだった。

「そこまで頭の回る連中なのか?」

 髙山の悪い癖が出た。

「そう思います。舟庵先生の御弟子の面々を下調べし、おそらく一番話にのってくるであろう田之助に目をつけた点といい、話を持ちかけた男も一度しか姿を見せていないことといい、用意周到かつ慎重です。かなり頭の回る連中だと思います」

 源二郎は言いきらないよう、気をつけて発言した。髙山が折れてくれることを願っていた。





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