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蓼 風  作者: 空木弓
10/13

(十) 転回

 翌朝、麹町押込みの詮議部屋に現れた片岡孫助の顔は明らかに困惑していた。

 柳原から柳橋辺りを受け持つ片岡はこの時の定町廻りでは一番若く、まだ三十三歳である。破格の出世だ。確かに片岡は真面目で洞察力のある同心だが、三十代での定町廻り拝命は頼りになる御用聞きを使っていることも大きい。嘉兵衛親分という、表稼業は船宿兼芸妓、芸者の置屋の主だ。表の世界にも裏の世界にも顔が広く、動かせる手下、下っ引きも多い。

 髙山の前に座った片岡は助けを求めていた。察した滝田が片岡の隣に座った。

「髙山様、どのように賊を駒形屋に誘き寄せるのですか?」

「駒形屋が支払いのために小判を店内に積んだという噂を流すのはどうだろう」

 駒形屋は摂州から酒を仕入れている下り酒の問屋である。支払いは通常為替を使う。小判を店内に積み上げる必要はない。

「恐れながら、賊が納得するとは思えんのですが……」

 滝田が髙山の顔色を見ながら言った。

「では、そこもとが誘き寄せられる手を考えろ」

 滝田の顔がそりゃないだろうと言っていた。口に出さなかったのは見事である。自分だったらポロリと「それがしが?」とかなんとか、一言返してしまっただろうと、源二郎は思った。

 そんなことを思いながら、源二郎の頭に引っ掛かるものがあった。

 ――田之助が町方に捕まった今、奴等は町方の考えの裏をかこうとするはずだ。奴等が考える町方の裏とは、何になるだろう?


 滝田が頭を抱えているのを横目に、源二郎は再度、絞り込んだ五軒の店へ行ってみることにした。囮とする駒形屋以外の四軒にも見張りはつく。

 三人で検討しただけあって、選んだ根拠、理由は明確だ。

 町方が割ける人数も限界がある。

 完璧ではないまでも、かなり賊を捕まえるのに有効な策を作り上げている。そう思う先から、源二郎に別の可能性が頭をもたげる。口にするのが憚られるようなことだ。

 これまでの検討が決して無駄な訳ではないが、今、動き出している策を全てひっくり返してしまうことになる。

 しかし、気になる。

 自分ならどうするかと考えた時に、どうしても浮かぶ考えなのだ。

 町方の同僚には迂闊に話せない。

 源二郎は一人で逡巡するのを止め、真乃に話を聞いてもらうことにした。


 早めの中食を言い訳に源二郎は清水屋に戻り、例の六畳間で、声を落として気になって仕方のないことを真乃に打ち明けた。

 真乃が考えすぎだといえば、このまま黙っているつもりだった。

 それほどに真乃の観察眼、それに基づく推理力と勘を源二郎は信頼していた。これまでに何度も真乃の勘や読みが当たるのを目撃してきたからだ。

 話し終えた源二郎に、真乃は真顔で言った。

「その読みは正しいと思う。問題は、奴等が新たに目をつけた店の見当がつくかどうかだよ。大川の東も広いからなぁ」

「深川ではないかと思う。深川の佐賀町の辺りではないかと」

「根拠は?」

「以前、白井殿が知り合いだという蕎麦の屋台に連れて行かれたことがある。たった一度だ。場所は深川の佐賀町だった。屋台の主はいかにも人の良さそうな男で、その時には何も思わなかったんだが、数日前に白井殿のことを尋ねようと探しに行ったら、見あたらなかった。その屋台は前日まで付近で見かけていたと干鰯屋の丁稚に聞いた。白井殿が深川に何度か行っていたのは間違いないんだ」

 真乃は暫く路地の先を見て黙っていたが、ふいと源二郎に向いた。

「気になるなら調べるといい。町方の同心なんだから、伝手(つて)はあるのだし。佐賀町に奴等好みの店があれば、そこに押し込むことは大いにあり得る。この度に限ってはね」


 源二郎は清水屋を出ると、その足で深川へ向かった。

 本所、深川には事務方の専門的な掛かりがいる。本所方と呼ばれる、与力二人と同心四人だ。

 深川の西部は安藤茂兵衛(あんどうもへえ)という、田中と同世代の同心がこの二年ほど掛かりを担当している。その前は本所を十年近く担当していたのだが、そのもうひとつ前も深川と、本所掛かり同心としての勤務は二十年近くにもなる。それだけ長い間ひとつの掛かりについている同心はあまりいない。

 本所方の面々は本所の通称「鞘番所」と呼んでいる大番屋を拠点にしていて、めったに奉行所に顔を見せない。南北奉行所から遠いことと、享保まで本所に奉行所があった名残だろう。


 源二郎が安藤を探しながら佐賀町を歩いていると、ちょうど下の橋傍の自身番近くで見つけた。

 源二郎に気づいた途端、安藤は目を見開いた。

「男前が台無しじゃねぇか。噂には聞いていたが、例の賊は恐ろしい奴なんだな」

 頬の辺りの腫れはかなりひいていたから、まさかそんな挨拶をされるとは思っていなかった源二郎である。

 源二郎が内密に伺いたいことがありますと言うと、安藤は下の橋近くの飯屋へ源二郎を連れて行った。そこで源二郎は声を落として尋ねた。

「この辺りに、裏木戸から母屋まで三間程度の、そこそこ大きな商家はありますか?」

 佐賀町を含む、通称猟師町や元木場と呼ばれる辺りはどこも水路に近い立地になる。源二郎の出した要件はずいぶん漠然としたものになってしまった。

 安藤は一瞬怪訝な顔をしたが、少し考えただけで六軒の店を教えてくれた。ただし、実際に奥まで入ったことはないという断りがついた。

 実際に確かめるにはどうすれば良いのか。どこに賊が潜んでいるかわからないことを考えると、使える手はひとつと、源二郎は安藤に六軒の店へ先触れを頼んだ。

 安藤はそれくらい容易いことだ、夕方までにやっておくよと返してくれた。


 源二郎が考えた、六店の造りや内情を確かめる手とは、まさに賊が考えたことである。

 医者の往診を利用するのだ。

 榊家が営む長屋の住人兼家守の医師、道謙(どうけん)が往診に行く振りをし、その薬箱持ちの振りをして源二郎が店へ入り込むという手だ。

 十八年も榊長屋に住み続けている五十になったばかりの漢方医、道謙は、大家兼町方の同心である源二郎の急な頼みを快く引き受けた。確かめたい六店とは関わりがない道謙だったが、元々深川に往診に行くことはあったし、ひょっとしたら患者を増やすきっかけになるかもしれず、そのうえ盗賊を捕まえる手助けということで、楽しそうですらあった。

 源二郎はこの時、初めて祖父が拝領地に長屋を建ててくれたことに感謝した。


 その日の夕刻、さっそく道謙と薬箱持ちに扮した源二郎は深川の佐賀町へ向かった。

 永代橋を渡ったところにある下佐賀町から始めて、中佐賀町、その東隣の中川町、上佐賀町、その東にある今川町と北の方へと、安藤が教えてくれた六店を順に訪問していった。

 二軒では本当に道謙が病人を診察したが、六軒に共通して中に入って道謙と源二郎がやったことは、裏木戸近くの母屋の立地、住人の部屋の使い方および武家との関わりの確認である。

 六軒の主は皆心配顔で源二郎の質しに答え、最後には同じことを訊いてきた。

「うちは狙われそうな造りになっておりますか?」

「これから検討するので、今の時点では五分五分と答えることしかできぬ。残念ながら、賊はひとつでも一人でもないから、常に用心はなさるよう」

 源二郎もまた似たような答えをした。

 訪れた時に店にいた奉公人全員とも話をした。

 例の蕎麦の屋台は以前よく見かけたが、最近は見ていない、大柄な浪人も以前に何度か見かけたような気がするが、少なくとも最近は見かけていない。それが共通した答えだった。


 一息つくことなく六軒の訪問を終えて外へ出たとき、思いのほかの明るさに源二郎は空を見上げた。満月が輝いていた。

 満月を見たとき、源二郎は賊が押し込む要件のひとつにはたと気づいた。

 ――そういえば、押し込まれた日は十日前後か二十日前後だ。満月の十五日前後は無かった……明るすぎるからだろう。ということは、まだ一日二日、余裕がある。そうすると、押込みがあるのは、三日後から八日後くらいの間か……


 深川から清水屋に戻った源二郎は、確認したことを真乃と話し合った。

 源二郎が見たところ、六店中三店が田之助の一覧で絞った要件を見事に備えていて、それ以上絞り込めなかった。できれば三店とも見張りたい。

 源二郎のその考えに真乃もそれが間違いないと首肯した。

 問題は麹町押込み探索掛かりの頭である高山だ。高山に内緒で安藤とその御用聞きの力を借り、三店を見張れないものか。

「押込みがあったときの捕り方はおまえと私の二人でなんとかなるとして、見張りは交代する必要があるから、十二人ほしいな」

 真乃が深川の地図を見ながら言った。

「賊を片付けるのに二人でなんとかなると思うのか?」

 源二郎は真乃の自信に驚いた。

「なると思うね。刀差してるのは三人だろう?おまえが白井さんを仕留め、残りの二人は私が片付ける。おまえが白井さんを引き受けて仕留めるのが要件だよ」

 思わず源二郎は折れた肋の辺りに手をやった。こんな状態であの白井と対決できるだろうか。

 今度は相手が刀を抜こうが抜くまいが、源二郎は刀を抜くつもりではいる。


「町人姿の男もかなり腕はたつと思うぞ。数は、二人はいると思う。もっといるかもしれない」

「うちの新入りがなかなかの武芸者だから、そいつを連れていく。そいつと万蔵である程度防げる」

 おしゃべりで、一見では争いごとから真っ先に逃げそうにも見える万蔵だが、実は喧嘩馴れしている。いざ捕物となると、結構戦力になる。

「新入りって、最近人足寄場を出たという、あの小者か?」

 真乃は頷いた。

「名は直助(なおすけ)。素直のなおに助太刀のすけ……と、本人は名乗っている。昔のことは何も話さないが、どうやらかなり鍛えているし、木刀の使い方もしっかりしている。礼儀もわきまえている。父上は浪人の子ではないかと考えておられる」

「浪人の息子……」

「何があったかは知らないが、浪人の格好よりも町人姿の方を選んだらしい」

 武芸の腕前については辛口の真乃がなかなかの武芸者というのだから、直助というあの若者は相当できるらしい。源二郎の印象は、若者というよりも少年と呼びたくなる面差しだった。

「年はいくつなんだ?」

「万蔵と一緒で『今年で二十歳くれぇ』と本人は言っている」

「……とりあえず、万蔵と気は合いそうだな」

「安藤さんとこの勘六親分の下っ引きにそこそこ腕っぷしの強いのがいたろう?あと、嘉兵衛親分のところのそんな手合いを二、三人借りれたら、言うことなしだね」

 簡単に言う真乃に、思わず源二郎は天井を見上げた。


 昨日までなら嘉兵衛親分に頼めば手下を回してくれただろう。手札を渡している片岡も物わかりのいい人物だ。

 だが今日、二人は駒形屋の見張りを言いつけられたはずだ。

 嘉兵衛親分はそちらに頼りになる腕利きの下っ引きを当てないわけにいかない。

 それを高山に内緒でこちらに数人回してくれと頼んでは、断られるのが目に見えている。

 囮作戦が田中の受け持ち区域であったなら……今さら考えても仕方のないことをつい源二郎は考えた。


「俺は相手を説得するのが苦手なんだぞ」

「滝田さんに頼めばいいじゃないか」

「滝田さんを説得するのも大変だよ」

「そうかな。高山様と話すよりは遥かにマシだと思うがね」

 それはそうである。滝田は源二郎が賊の一人と知り合っていたことも知っている。だが、今、源二郎が持っている情報で説得できるとは思えなかった。

 そもそも田之助に一覧を書かせ、おそらくその中に次の押込み先があると考えていたのは、誰あろう、源二郎だ。それをここへきてひっくり返すのである。気になるから、念のため……という言い種では一喝されて終わりだ。人手に限りがあり、府内全体に注意喚起はしているのだから、何を今さら、である。

 源二郎はため息が出た。真乃の言うような人の手配を実現するのは、押込みと対峙するよりも難しく大変だと思った。

「おまえにはここでおみのの用心棒を続けてもらいたいんだがな……」

 源二郎の呟きに、真乃は用心棒仲間に代わりを頼むと返してきた。ちょうど良い人物がいるという。

「おみのさんのことは心配しなくて良い」

 そう言った真乃は面白がっている目だった。



 翌朝、源二郎は決死の覚悟で滝田に佐賀町の下調べの結果を話し、高山の説得を頼んだ。

「源二郎、おめぇが一番賊のことをわかっているのは間違いねぇ。だがな、同じような店というだけで、三店見張る店を増やせじゃあ、上を説得できねえよ」

 そう返してきた滝田は真顔だった。呆れられるのではないかと思っていた源二郎はいくぶんは安堵した。

「難しいのはわかっております。捕り方はそれがし一人で構いません。見張りとして、安藤さんの御用聞きである勘六親分の手下とあと何人か、嘉兵衛親分の手下を貸してもらえればと……」

「捕り方はおめぇ一人でいいったって、怪我人のおめぇ一人に任せられるかよ」

「あくまでも念のため、です。念のためということで……奉行所の要員はそれがし一人だけなのですから、囮作戦に支障はありません。怪我人ということで、捕り方に加わることはないでしょうし」

「それがそうでもねぇぜ。おめぇは賊の一人の顔を知ってるからな。剣術の腕は確かだし、高山様はおめぇを捕り方に入れるつもりだぜ」

 源二郎は頭をかきむしりたい気分だった。

「まぁ、舟庵先生は反対するだろうけどな」

 源二郎は舟庵の反対で囮作戦の捕り方を免れることを願った。


「ところで、駒形屋の餌はどうなったんですか?」

 源二郎の問いに滝田は渋い顔になった。

「嫁入りの支度金を二百両用意したことにした。食いつくかどうかわからねぇけどな。本当はまだちょいと先の嫁入りが早まったことにして。その噂を剛蔵の手下や嘉兵衛親分の手下が、それらしく()()()()()でばらまいてる」

「さすがですね。下り酒の支払いに小判と聞いた時は目眩がしましたが……」

「若様は支払いどころか、銭を持ったこともねぇんだろうな。ちっとは商いのことがわかってきてるかと思ってたんだが……そうそう人は変わらねぇや」


 源二郎の方はこうなったら、安藤の説得しかない。何人か人手が足りないのも、長く本所、深川を見てきた安藤は解決できるかもしれない。

 源二郎はこの日もひとりで深川へと向かった。待ち合わせ番所は賊の目をごまかすため、佐賀町のもっと東にある富ケ丘八幡傍の茶屋だ。黒羽織も着なかった。


 源二郎は待ち合わせの茶屋で安藤に会うなり、まず前日の先触れの礼を言った。それから六店中三店がこれまで押し込まれた店と同じ立地に母屋の造り、武家との関わりも似たり寄ったりだったと告げた。

 問題の三店とは、今川町の明樽問屋越後屋、中佐賀町の書物問屋村田屋と鰯魚〆粕魚油(魚油、その搾り粕と干鰯)問屋宮嶋屋である。

「自分の担当区域で押込みがあるかもしれねぇと聞けば、放っておけねぇが、本当にその読みは確かかい?」

 当然の質問だ。

「絶対ではありません。ですが、町方の裏をかこうとすれば、舟庵先生が往診していない店を襲うことほど、今の町方の裏をかく手はありません。しかも賊の一人がこの辺りに何度か来ていたのは間違いないのです。そのうえ、奴等か押し込んできた店とよく似た店がある。これだけ揃っているのに、何もせず、もしも本当に押込みがあったら、どうなさいますか?さらには、これまでの傾向から、賊が押込むのは、ほどほどの明るさがある夜、十日頃と二十日頃です。ずっと見張る必要はありません。明日から二十日過ぎまでの、七日前後の見張りできっと決着がつきます」

 奉行所内では避けている言いきりを源二郎はあえて選んだ。心のうちでは安藤が納得してくれることを祈っていた。

「三軒の見張りね……七日間くれぇの」

 それぎり安藤は黙った。源二郎には安藤の沈黙が長く感じられた。

「勘六と話し合ってみるよ。繰り返すが、捕り方はそっちで賄えるんだよな?」

 源二郎は力強く、大きく頷いた。


 以前は嘘はつけず、はったりもできなかった源二郎だが、奉行所に勤め始めてからは先輩の言動を手本に、清濁併せ呑むことが時には必要だということも学んだ。相手の利のためということが絶対条件だが、先例を尊びつつも、町方は何事も臨機応変に対応しないと事は収まらないのだ。江戸の町を往来するのは多様な人々なのだから。そこが武家のみを対象にする目付と大きく違う。

 問題は、旗本の庶子として、武家中心に考える人々の中で育ってきた高山を説得することができるかどうかだ。


 滝田の言ったとおり、夕方の集まりで高山に源二郎は捕り方に加わるよう命じられた。怪我をしているとはいえ、賊のひとりの顔を知り、剣術の腕も確かな源二郎は捕り方の一員として必要だというのだ。

 源二郎は怒鳴られるのを覚悟で床に額がつきそうなくらい頭を下げて言った。

「捕り方に加えていただけるのは、誠に光栄なことでございますが、今回につきましては、それがしを万が一の備えに、捕り方とは別に動かせていただきたいと存じます」

「万が一の備えとは何だ?どう別に動くのだ」

「今回の手配で全く手薄になる場所があります。もしも、そこへ……万が一にもその辺りへ賊が押し入ったら……あの賊とは限りませぬ、町方の動きに急遽、押込みを行う賊があったとしたら……そのような場合に備え、それがしを遊撃的な要員にしてもらえたらと……」

 自分でも言いながら、説得力はないと思った。

「府内全部を我々で警戒するなど不可能だ。なんのための自身番と木戸番だ。それにだ、例の賊の押込み先については、そこもとが言い出したことを下敷きに行う手配だぞ」

 全くもってそのとおりである。

 ここはもう卑屈に行くしかない。源二郎は悔しさを噛みしめた。


「情けないことながら、それがしは、今、あの賊とやりあえる気がいたしませぬ。この前は赤子の手をひねるようにやられました。殺されなかったのが不思議です。あの賊を目の前にしたときに怖じ気づくと思います。そうなったら、足手まといです。といって、何もしないではいられませぬ。万が一の備えとして、警戒の役にはつきたいのです。身勝手なことを申しているのは、百も承知しております。しかし、これもまたあの賊を今度こそ捕まえるための、万全の備えのためとお考えください」

「手薄の箇所を見回るつもりといったな。どこを見回るつもりなのだ?一人でのべつまくなしには見回れまい」

 静馬の声だ。

 源二郎は迷った。決めていないというべきか、言ってしまうべきか。

「榊が気にしているのは、大川の東側です」

 滝田の声だ。

「もっともな心配だとそれがしは思います。荒くれ者の多い土地ですからな。大川を渡ってすぐの辺りなら、今回我々が挙げた押込み先候補の五軒はどれも御城と大川の間だから、わりと近い。ひょっとしたら、大川の方から賊がやって来るかもしれません。賊のひとりの顔を知る榊だからこそ、見回りで賊を見つけることができます。榊を大川周辺の見廻り役にすることは良策だとそれがしは思います」

 滝田の援護に源二郎は胸が熱くなった。

「それがしも榊を大川の東側に配置するのは、悪くない手配と思います」

 今度は小倉の声だ。

「これまでの押込み先はすべて大川の西ですが、賊が大川の西側を拠点にしているとは限りません。案外、大川の東に拠点があるからこその西側への押込みかもしれません。滝田も申したように、賊の一人の顔を知る榊だからこそ、任せられる役目です」

 二人の先輩同心の援護に源二郎は目頭も熱くなった。

 源二郎は賊の一人の顔を知っているだけではない。二月弱の間、ほぼ三日に一度会っていたのだ。

 出会いからおおよその出来事を滝田と小倉に打ち明けていたが、そのことに触れることなく、高山が納得しそうなことを言ってくれた二人の先輩の機転と心遣いが源二郎は嬉しかった。

 今頃になって高山の耳に入れば、下手したら賊と通じていると疑いをもたれかねないし、そうでなくても、謹慎など、何らかの処分を受けるだろう。

 源二郎は頭をあげることができず、頭を下げ続けた。

「兄の仇討ちをさせようという考えもあっての捕り方だが、そうまで言うなら、大川周辺の見廻りをするが良い。本所方と話はつけておくように」

 高山の言い方は冷たかった。

「ありがとう存じます」

 源二郎はそれだけ言って、今暫く頭を下げ続けた。


「おめぇは嘘つくのが下手だなぁ」

 高山と静馬が詮議部屋を出るやいなや、源二郎が礼を言おうと滝田と小倉に急いで近づいた時の、滝田の第一声だ。

「何が怖じ気づいてる、だ。賊を怖がってるようにはちっとも見えなかったぞ。むしろ不退転の覚悟を決めているという、凄みを感じるくれぇの気を放ってたぜ。間近にいた高山様はびびったろうよ」

「あれは確かにびびっていたな」

 小倉は笑っていた。

 滝田も笑顔で源二郎の肩に手をおき、一緒に同心の詰所へ戻ろうと言ってきた。

「滝田さんと小倉さんには本当に感謝しています。それがしは町方を首になっても文句は言えないことをしているのですから」

「おめぇの肩をもったのは、情けとかじゃねぇぜ。おめぇの言うことが当たってる気がするからさ。今のままじゃ、いくら自身番に気を付けろっていったって、その程度じゃ、大川の東は無防備だ。盗人にとっちゃ、確かに美味しい場所になる」

「しかし、手負いのおまえ一人が賊とやりあうのは無理だろう。ましてやあの男がいる。どうするのだ?」

 小倉が笑みを消して聞いてきた。

「賊の捕縛には幼馴染みに加勢してもらうつもりです。もう了承はとっています」

「おめぇの幼馴染み……青井静馬様の妹御だな。噂は聞いてるよ。おめぇが立ち合いで負けたことのある唯一の人物だと。二人が組んだら一騎当千ならぬ、二騎当三千なんて言われてるそうじゃねぇか」

 源二郎は苦笑いした。

「大袈裟です。剣術の師匠には最後まで勝てませんでした。真の字……昔からそう呼んでいるんですが……真の字とは同じ師匠に習ったこともあり、組んで戦うのが一番やりやすいのは確かです」

「おめぇが見回ると高山様には言ったが、ほんとのところはおめぇと真の字様が捕り方としてある場所に控え、三店の見張りは勘六親分の手下にやってもらうってことだな?」

 滝田の「真の字様」に源二郎はつい吹き出してしまった。折れた肋に軽く響いた。

「はい。見張りは勘六親分の手下と万蔵、青井家の小者で回そうと考えています」

 笑ったことが肋に響いたのを見逃さなかった小倉が心配そうに言った。

「笑っても痛いのか……そんな身体で刀を振るえるのか?」

 源二郎も不安に感じていることだ。心の迷いを吹っ切れているわけでもない。だがこうなったら、振るえるかどうかではない。迷っていてはいけない。

「できるかどうかではなく、やらないといけないことです」

 なんとしても、白井般右衛門を捕らえなくてはいけない。捕らえられないならば、刺し違えてもその凶状を止める。源二郎はその覚悟でいた。


 顔つきに源二郎の覚悟を読み取ったらしい小倉は、ひとつ頷いて言った。

「見張りが足りないようなら、嘉兵衛親分に頼むといい。孫助にざっくりと話はしておいた」

「えっ?小倉さんが片岡さんに?しかし嘉兵衛親分は駒形屋の見張りを任されたでしょう?」

「嘉兵衛が動かせる手下の総数は孫助も把握していないそうだ。三、四人くらいなら、問題ないと言っていたよ」

「片岡は小倉さんに頭が上がらないからな」

 滝田が愉しそうに口を挟んできた。

 源二郎は思い出した。片岡孫助と小倉忠右衛門は従兄弟だ。そのうえ、小倉は自身も候補に上がっていた定町廻り就任を辞退し、片岡を推したと噂されている。

「本当に……なんとお礼を言ったら良いのか……」

 源二郎は深く頭を下げた。

「極悪非道な賊を捕まえるためだ。町方として最善を尽くすのは当然のことだよ」

 頭を上げた源二郎に滝田が真顔で続けた。

「俺も奴等はどうにも許せねぇんだ」



 清水屋に居候し続けていることに源二郎は引け目を感じていたが、真乃はこの捕物が決着するまで清水屋を拠点にするのがいいと言い、万蔵もそれに同調している。やはり二人はなにかと手を組んで、源二郎を説得にくる。

 さち婆さんには怪我のことを内緒にしているから、確かにもう少し痣が消えてから榊家に戻るほうが無難ではある。

 そんなことを思いながら、源二郎が清水屋の勝手口を開けると、富三がいた。

 榊家に何かあったのかと思ったら、榊家にある具足、鎧を持ってきて、ちょうど帰るところだという。

「具足?何のために?」

 土間で刀をはずしながら尋ねた源二郎に富三はそっけなく「真之助様の御指示です」と答えた。


 例の六畳間に入ると、真乃と万蔵が胴丸を畳の上に置いて眺めていた。

「格好いいなぁ」

 万蔵だ。

「重たいし、動きやすいとは言えないな」

 真乃が腰を覆う草摺を手に取った。じっくりと作りを見ている。

「おい、真の字、何で具足を富三に持って来させたんだ?」

 源二郎の問いかけに、万蔵は飛び上がって「お帰りなさいやし」と振り向いたが、真乃の方は驚きも振り向きもせず、答えた。

「舟庵先生の御指示だよ。これを着けないなら捕物はもちろん、見廻りも許さん!と、仰るんでね」

 源二郎はがっくりとそこに座り込んだ。

「そんなもの、今時恥ずかしくて着れるか。……あ、道場でつける防具の胴で良いではないか」

「あれは木だ。刀相手では役に立たない。これは鉄だ。刀を通さない。作りもしっかりしている。富三がちゃんと手入れしてくれていたんだ。ありがたく身につけろ」

「本気か?」

「当たり前だ。しかし、こいつの下には何着るのがいいんだろね?半襦袢に股引かな」

「下は素足に脛当(すねあて)が格好いいでやすよ」

「足は草鞋(わらじ)だよな」

「素足に草鞋でやすよ、やっぱ」

「たっつけ袴でいけるか」

「たっつけ袴ってのは、あの膝下を絞った袴でやすね。それもいいでやすが、足は脛当と草鞋だけってのがいいと思いやすねぇ」

佩楯(はいだて)とかいうのが見あたらないな……」

「は、はいだて?なんすか、それ?」

「腿の防具だよ。ま、いらないか」

「兜を持ってきてないのが残念だなあ。全部着けて夜中に待ち受けてたら、盗っ人は腰抜かしやすよ」

 持ち主を無視して真乃と万蔵がどこか愉しげに繰り広げる胴丸話に源二郎は言わずにいられなかった。

「万蔵、そんなに気に入ったなら、おまえが着ろ」


「大きさ、大丈夫かな……源二郎、身につけてみろ。舟庵先生の命だからな。折れている肋を守るための」と真乃に言われ、仕方なく源二郎は胴丸を身につけた。

 考えてみたら、正月に飾っているのを見ていただけで、初めて身につける。まさか身につけることになろうとは全く考えていなかった。万が一、軍役につくとなれば、奉行所は同心のための足軽用具足を用意しているのだ。


 榊家が所蔵している具足がいつ作られたものなのか、源二郎は知らない。

 その胴丸は、横から身体を入れるようになっている、腰のくびれが少ない、体型をあまり選ばない型だ。前後の身頃をそれぞれ一枚の鉄板で作ってある。当然、重い。

 着けてみると、胴回りは問題なかったが、丈が少々短い。草摺が腰の一寸くらい(約3cm)上から始まっている。


「榊の旦那は上背がありやすもんね……なんかかわいく見える……」

 ぷっと万蔵は吹き出した。ぎろりと源二郎が睨んだから、慌てて笑いを消した。

「その程度の短さで済むなら、いけるな……その感じだと下はたっつけ袴だな。そういうこともあるだろうと、富三に袴も持ってきてもらってるんだ」

 真乃は横に置いてあった茶色の布を手に取り、広げた。

 真乃が手にしているのは、久しぶりに見るたっつけ袴だ。山での修行中によく履いていた。妙に用意周到である。

 源二郎はこれ以上二人の笑いの種にされるのは御免だと、胴丸を脱いだ。

「もう脱いじゃうんですか?袴も履いて、脛当つけてみた方が……」

 万蔵が残念そうに言うのを無視して源二郎は胴丸を部屋の隅に置いた。

 ふと視線を感じて入り口を見ると、みのと膳を持ったきくが立っていた。

 みのの目は源二郎を見ていた。心配だと訴える目だった。

「お夜食の準備ができました。青井様と万蔵さんは台所へどうぞ」

 きくの声に真乃と万蔵はさっさと立ち上がり、部屋を出ていった。


 源二郎は礼を言い、きくから膳を受け取ろうとしながら言った。

「もうこのように元気になったから、明日の朝からはそれがしも台所で食べる。このようにわざわざ膳を持ってきてもらうには及ばない」

 するときくは膳を渡そうとはせず、微笑んで源二郎に言葉を返した。

「台所の板の間もいっぱいでございます。榊様がお召し上がりになるのは朝と夜だけですし、お気になさらず、こちらでお召し上がりくださいませ。手前どもの手数にはなっておりませんよ」

 そういってきくは源二郎の横を抜けて部屋のほぼ真ん中に膳を置いた。

 源二郎は仕方なく膳の前に座った。

 出てくる料理は昨日から粥ではなく白飯に味噌汁、干物や焼き魚と小鉢という通常食になっている。

 珍しくきくが膳を置くと、部屋を出て障子を閉め、そこに腰を下ろした。

 源二郎が不思議に思っていると、思い詰めた風のみのが口を開いた。

「榊様、お怪我が治らないのに、あの盗賊を捕まえるために明日から毎夜見張りをなさるとお聞きしました。本当なのですか?」

 話している間にみのの目が潤んできた。その目に源二郎は嘘がつけなかった。

「もちろん、そのつもりだ。奴等を捕らえるには、考えられる万全の体制を取る必要がある。それがしは賊の一人の顔を知っているのだから、見張りに加わらないわけにいかない」

 実際には見張りではなく、捕り方として潜むのだが、そこだけは話をあわせておいた。真乃が意図的にごまかしたと思うからだ。

「それは、それは……お元気ならば、わかりますけれども、今の傷ついたお身体でもやらないといけないことなのですか?北の御番所には百人もの同心の方々がいらっしゃると聞いております。榊様が稀に見る剣客でいらっしゃることもお聞きしました。ですが、怪我をおしてまでやらないといけないことなのですか?あ……あ、兄上様の二の舞になったら……そ、そのようなことがもしも起こったら……そんな……そのようなことはなさらないでください!兄上様もそんなことは望んでらっしゃらないはずです!」

 みのは言い終えるや否や、顔を覆って泣き出した。嗚咽が指の間から溢れた。





 

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