第四話「心なき敵、胸弾ける覚悟 第五回」
【〇〇四 〇五 運動】
宇宙生活の低重力は体への負荷が軽減される一方、それによる筋力の衰えが懸念される。
そのため星間輸送船では船内の重力区画にトレーニング用のジムが設けられており、そこでの運動が義務づけられている。
宇宙での生活はなかなか大変なのだ。
【第四話 心なき敵、胸弾ける覚悟 第五回】
ミオさんの用意してくれた朝食は焼き魚と味噌汁の和食だった。素朴な味わいで栄養価もあり、人気とのことだった。食べ終えた俺はというと、ひとりで部屋に戻ってきた。
「少し休んだらどこかで体を動かしておくか」
体力はつけておかないといけない。重力の弱い場所にいては、筋肉の衰えも早いと聞くし。
携帯端末で船内の案内を見ると、どうやらジムがあるらしい。リリアムたちは紹介してくれなかったが、言っておいて欲しかったなと思う。
「ん、そういえば」
起きた時、リリアムのメッセージがあったことを思い出した。風呂でリリアムはそのことを言っていなかったが、忘れていたのだろうか。なんとなく、微笑ましく思えた。
「ICOでも忘れることはあるのか」
そうつぶやき、リリアムにメッセージを送る。
「そう言えば届けたいものってなんだったんだ? と」
返信はすぐにきた。
『とっても大事なものですわ。すぐにお届けします』
そんな大事なものなら起こしてくれてもよかったのだが……と思うも、リリアムのことなのでまたなにか企んでいるかもしれない。
よし、今度なにかされたらちょっと仕返しをしてやるか。やられっぱなしというのも俺の威厳に関わる。まぁ、威厳なんて気にしていないが。
椅子に座っていると、ほどなくして扉がノックされる。
『大尉、いらっしゃいますか? リリアムですわ』
「開いてるぞ」
リリアムが部屋の前に立つ。両手で大きな枕を抱えていた。
「失礼します」
そう言って部屋に入る。
「なんだそれは?」
「枕ですわ。大尉のお部屋を確認したのはわたしなのですが、枕を忘れていたんです。大尉、夕べは枕なしでお眠りに?」
「あ、あぁ。ないとは思ったけど別になんてことはなかったな」
「そうでしたか。でも、お持ちしたのでご安心を。これで快適にお休みいただけますわ」
「ありがとう、助かる」
「ふふふ」
枕をベッドに置きつつ、リリアムはすとんとベッドに座る。そしてにこにこしながら俺を見る。
「枕がなかったら言ってくれればよかったのに」
「そんなことでいちいち呼び出せないだろ」
「いえ。わたしに言ってくれれば、わたしが枕になりましたのに」
「…………」
そう言いながらリリアムは自分のでかい胸の上に手を置く。
「こちらと――」
そして次は腿をぽんぽん叩く。
「こちら、どちらがよろしかったですか?」
こいつは本当に……。これはちょっとお仕置きが必要だ。
俺は椅子から立ち上がる。
「そうだな。ICOの体がちゃんと柔らかいかどうか、確認しておく必要がありそうだ」
「え、た、大尉……? ひゃっ」
ベッドのそばまで行き、リリアムに近づく。押したわけではないが、リリアムはパタッと後に倒れてしまった。俺はそのリリアムの上からのぞき込む。そして、リリアムの耳元でささやく。
「リリアムも……俺の体を確認しておいた方がいいんじゃないか?」
「そ、そ、それは……っ!」
ふとリリアムを見ると、リリアムは真っ赤になっていた。
そんなリリアムはぎゅっと目を閉じて、
「ぽ」
とつぶやいた。
「ぽ?」
「ぽひゃぁああああーっ!!」
リリアムは横転してベッドから転げ落ちると、耳まで真っ赤な顔のまま脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
「ひーーーん!! 大尉はいじわるですわーっ!」
「ふははは! さっきの仕返しだーっ!」
リリアムの捨て台詞に言葉を返すと、俺はベッドに寝転んだ。
「……はぁ、なんだか……楽しんでるんじゃないか、俺は」
農業シリンダーの生活に不満があったわけじゃない。不満はなかったが、張り合いもなかった。喜びがなかったわけじゃない、楽しみもあった、それなりには。けど、なんとなく……。
「こういうのは久しぶりだな」
もっと、熱のようなものを感じた。平穏さの中にはなかった、騒々しさの中にあるものの感触だった。
「…………」
意図して遠ざけていたようにも思えた『それ』との邂逅は俺を戸惑わせた。この気持ちを受け入れることはいいことなのか、それとも……。
「まぁ――」
今は結論を出さなくてもいいことかもしれない。
「考えないでおこう」
ふと、ベッドからはいい香りがする。リリアムの香りだ。
厄介なやつだなと思っていると、携帯端末がメッセージの着信を伝えた。ベッドから起きて見てみると、アテナ司令からだった。
『手が空いていたら艦橋まで来て欲しい』
メッセージは簡潔だった。なんの用事か気になったが緊急性はないと思えた。しかし、特にやることもないのですぐに向かうと返信する。
「行ってくるか」
端末をポケットに突っ込み、部屋を出る。
艦橋に向かうまで、誰かと会うことはなかった。お使いロボットも走っていなかった。
静かな午前、というところだろうか。
艦橋につく。携帯端末をかざし、艦橋の扉のロックを解除する。
「失礼します」
「来てくれたな大尉」
アテナ司令がいる。
「なにか用が?」
「あぁ。実は三時間後に月軌道基地から発したシャトルと合流の予定だったのだが、そのシャトルが宇宙遭難のコールを受信したらしい」
「宇宙遭難の?」
たいしたことない用事かと思っていたが、思いのほか重そうな気配がする。
ミシロ船長が俺を見る。
「航行ルールはご存じかしら?」
「いえ、地上部隊だったもので、詳しくは」
「覚えておくといいわ。宇宙遭難のコールを受信した船舶は必ず救援に向かわないといけないという航海ルールがあるの」
「じゃあ、俺たちと合流予定だったシャトルはその救援に向かった、と?」
「あぁ。それは問題ない。多少合流が遅れるくらいは問題がない。だが――そのシャトルから最後に送られた来た通信を聞いてほしい。メリー、出せるか?」
「はい、今流します」
すると、艦橋のスピーカーからノイズが聞こえる。
『……こえ……ローズ……こちらマリアル……』
音声はじょじょに鮮明になった。
『聞こえますかローズリンク。こちらマリアルス三号シャトル、ヘレンです。宇宙遭難のコールを受けて立ち寄ったのは修理ドックでした。しかしドックは無人で……シャトルがアルヴァトラの部隊に捕らえられてしまい、動けなくなりました。どうか……救助をお願いします。ローズリンク、聞こえますか? お願いします』
「こ、これは……!?」
アテナ司令を見ると、司令は目を閉じて首を振った。
「行かないのか!?」
「聞いてわからないか。この音声は合成音声だ。AIの、アルヴァトラが作って発信したものだ」
「な、なんだって!? じゃあ、シャトルは無事で、これは罠だっていうことか?」
「それが、そう単純な話でもないんだ。フォアン航海長、信号を出してくれ」
「了解」
中央モニターを見ると、現在地と月の位置、そして、その中間に光る青いマーカーがあった。
「その青いマーカーが合流予定のシャトルだ。この通信があった三十分後から、動きがない。このマーカーの場所には修理ドックが確かにあるのだ」
「……ということは、シャトルは実際に捕らえられていると?」
「わたしもそう考えている。大尉もそう思うのだな?」
「そうだけど……名乗っていたヘレンという人は実際にいるのか?」
「もちろんだ。合流予定のスタッフだ」
「本人なのか、なりすましているのか……。ローズリンクの通信を知っているのはどういうことだ?」
「おそらく、意変に気づいた本物のヘレンがローズリンクへ通信を行ったのだろう。アルヴァトラはそれを傍受し、遮断し、ヘレンの音声を解析して我々に偽のメッセージを送っておびき出そうとしているのだとわたしは考える」
「仲間を見捨てるのか?」
「まさか」
アテナ司令は帽子を取った。
「実際にシャトルは身動きが取れなくなっている。たとえ罠とわかっていても、無事を確認し、必要があれば救助活動、戦闘も行う。仲間を見捨てたりなどは断じてしない」
アテナ司令の言葉は強く、目つきも鋭い。俺はその圧力に安心した。
「よかった。じゃあすぐに行こう」
「大尉もそのつもりか?」
「もちろんだ。いろいろ錆び付いているかもしれないが、仲間を見捨てるほどに鈍っちゃいない」
「それを聞いて安心した。だが、アルヴァトラは我々を誘い出そうとしている以上、なにか策があるはずだ。そこに無策で行くほど我々は浅はかではない」
アテナ司令はにやりとして帽子を被り直した。
「メリー、ICOたちを呼び出してくれ。作戦を立てる」
「わかりました」
「大尉も、会議室へ移動する。フォアン航海長、会議室に修理ドックの情報を送っておいてほしい」
「了解です。しばらく使われていなかったドックシリンダーのようですがデータは残っています。最新のものを送っておきます」
「頼む。では大尉、移動しよう」
「ちょっとアテナ司令、ひとつ」
「うん? なんだ?」
「自分を呼んだ理由って助けに行くか行かないかの判断だったのか?」
「いや、助けに行くことは決まっていた。それに大尉が同意してくれるか聞きたかった」
「それは……緊急を要することだったのでは?」
するとアテナ司令はふふっと笑みをこぼした。
「これは『できれば』の確認だったよ大尉」
「それはどういう?」
「大尉なら助けに行くことに同意してくれると思っていた。もし断るようなことがあっても、その時はわたしの権限で向かうまでのことだったが、それはしたくなくてね。だが、これは個人的な問題でもある。そう容易く強制はできない。重い雰囲気で呼び出して、同意の雰囲気を作ってしまうようなことはしたくなかった」
「それは――」
少しの憤りを覚えた。顔に出たのか、アテナ司令の目に鋭さが浮かぶ。
「俺はそんな薄情じゃない。さっきも言ったが、仲間を見捨てるほどに鈍っちゃいない」
「わたしは大尉の経歴を知っている。従事した作戦すべての顛末も知っている。だから、わたしはこの作戦に大尉を選び、ICOを任せている。それは、キミが……かつてどんな状況になろうとも、ただひとりの仲間も見捨てることをしなかったからだ」
俺は言葉に詰まる。この人は、俺のことを知っていた。
「ICOは貴重な存在なんだ。決して、失うわけにはいかない。仲間を見捨てなかった大尉だからこそ、ICOを任せられる。わたしはそう思って大尉を選んだということだ。おっと、そこへの反論はなしだ。そろそろICOたちが来る。行くぞ大尉」
そう言うとアテナ司令はさっさと艦橋を出ていった。
俺は言いたいことを喉元までこみ上げていたので、それを吐き出せずに変な顔になっていたと思う。
だからか、ミシロ船長がふふっと笑った。
「船長?」
「信頼されているのですよ、あなたは。司令が試すようなことをしてしまってごめんなさい。でも、あの人は順番にこだわるのよ。あなたから助けに行かないのかって言ってくれて、ありがとう。アテナ司令も安心したと思うわ」
「それは……」
なんとなく気恥ずかしく、頭を掻く。
「さぁ、あなたも行って。こちらも速力を上げて修理ドックに向かいます」
「わかりました。気遣いありがとうございます、船長」
「いえいえ」
俺も艦橋をあとにして、アテナ司令が向かった作戦会議室に向かう。すると、アイリスに出会った。
「あ、大尉」
「呼び出されたな」
「はい。緊急事態ということで」
「そうだな。中に司令が待ってる」
「わたしで最後です。ちょっと遅れちゃって」
「ん? なにかしていたのか?」
「い、いえ、その……」
アイリスはなにか言いにくそうにもじもじしはじめる。
「どうした?」
「お、お風呂ですっ」
「あ、あぁ、すまない」
デリカシーに欠けたことを聞いてしまった。よく見ると、アイリスの髪は濡れたままになっていた。
しかしアイリスも午前中に風呂にいたのか。これはよく時間を把握するなりして調整しなければ、今朝のリリアムみたいなことがまた起こってしまう。
この任務を終えたら、よく話し合う必要がある。そう思いながら、俺は会議室に入る。




