第24話 ロザリンドの最初の帳面
ラヴィニアが帰った午後、ロザリンドが執務室へ来た。
前より淡い色のドレスで、手には何も持っていない。けれど逃げる顔ではなかった。
「私にも、できることがあるかしら」
私は少しだけ驚き、それから空いた帳面を一冊取り出した。
「客名簿を書いてください」
「名簿?」
「名前、滞在日数、食べられないもの、体調の癖。療養客には、飾りより役に立ちます」
ロザリンドは恐る恐る椅子へ座った。最初の一行を書く手が震えている。昔の彼女なら、そこで匙を投げたかもしれない。けれど今日は違った。
「……インクが滲んだわ」
「もう一度書けばいいだけです」
私は紙を差し替える。彼女は息を整え、今度はまっすぐ自分の名を書いた。
ロザリンド・エーレンベルク。
「初めてかもしれない」
彼女が小さく笑う。
「自分の名前を書いて、誰かの役に立つと思えたの」
私は帳面の端を揃えた。
「役に立つかどうかは、書き終えてから決まります」
「厳しいのね」
「帳面には優しくしません」
そう返すと、ロザリンドは肩をすくめ、またペンを取った。二行目、三行目。字はまだ不安定だ。けれど逃げない。
その日の夕方、彼女が仕上げた最初の一ページを見て、私は静かに頷いた。
「十分です」
ロザリンドは少しだけ目を丸くし、それから本当にうれしそうに笑った。
替え玉だった過去を消すことはできない。けれど、今ここで自分の名を使い直すことはできる。帳面はその最初の場所になった。




