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第2話 赤字だらけの離宮

薔薇離宮は、美しい名前に反してひどく寒々しい場所だった。


 夜明け前に着いた石造りの館は、外壁の蔦が枯れ、噴水は止まり、門扉の薔薇紋章だけが妙に立派だった。迎えに出た老女が、深く一礼する。


「離宮家政長のマルグリットでございます」


 六十代半ばの彼女は、私を見て一瞬だけ目を細めた。替え玉だと知っている顔だった。


「ご事情には触れません。ただ、食糧庫は触れていただかないと困ります」


「歓迎の言葉としては正直で助かります」


「余裕がありませんので」


 案内された食糧庫を見て、私は思わず額を押さえた。


 小麦粉は残り三袋。砂糖は空。乾燥肉は湿気て変色し、ワイン樽の半分は水増し済み。これで王家ゆかりの離宮を名乗るつもりなのだから、むしろ図太い。


「今月の使用人は何人ですか」


「常駐十一名、警護六名」


「収入は」


「王都からの定額送金だけです」


 その送金額を帳簿で見る。少ないわけではない。問題は、届く前に消えていることだった。


「花卉整備費、香料調達費、茶会特別費……」


 どれも高額なのに、現物がない。


「差額の説明は?」


「前任の家令は『公爵家のご意向です』の一点張りでした」


 なるほど。都合の悪い言葉を全部“ご意向”で包んできたのだ。


 私は奥のページをめくる。すると、先月分だけ不自然に筆跡が違った。


「この追記は誰が」


「王都から来た会計補佐官だと聞いています。名前はバスティアン」


 その名に覚えがあった。公爵家出入りの事務官で、請求書の裏に飾り罫を引くのが好きな男だ。無駄な癖は隠しきれない。


 そのとき、背後で靴音が止まった。


「失礼」


 低い男の声に振り返る。長身の騎士が、戸口に立っていた。濃紺の外套、灰色の目、無駄のない所作。三十五歳前後。名を聞く前から、現場の責任者だと分かる。


「近衛騎士団第三隊長、ユリウス・ハルトングです。離宮警護を任されています」


「宮廷会計官、エルマ・セヴランです」


 私が本名を名乗ると、ユリウスの眉がわずかに動いた。


「本名を使うのですね」


「数字の前で嘘は不便です」


「同感です」


 短い返答だったが、皮肉はない。彼は食糧庫を見回して言った。


「三週間で尽きます」


「私もそう見ました」


「補充申請は四度却下されました。理由は“ロザリンド様の静養には過分”」


 静養どころか、飢えさせる気らしい。


 私は帳簿を閉じた。


「では三週間で立て直します」


 マルグリットが目を見開き、ユリウスは一拍おいて頷いた。


「必要な鍵は」


「全部貸してください。使うべきところにだけ使います」


 替え玉令嬢として捨てられた朝だった。


 けれどこの離宮では、ようやく私の仕事が始まる気がした。


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