騎士団の由々しき事態
私の視界の半分に写っているお兄様が、表情だけで「おいコラ、トリスタン。お前、俺の妹に対しての愛情表現が足りないのではないか?だから愛想を尽かされているんだろう。それもこれもお前の努力不足だ」と語っている。
同じように公爵家の教育を受けているはずなのに、お兄様は表情が豊かだ。無言の圧は私を通り越して、エマさんたちにも届いているので、隣のトリスタン様にも痛いほど伝わっているだろう。
それなのにトリスタン様は私だけをまっすぐに見てくれている。そのことがとても嬉しいのに、素直に喜べなくなったのはいつ頃だっただろうか……
ゆっくりと睫を伏せて、いつも通りに微笑んだはずなのに、トリスタン様の表情が僅かに強張ってしまったので、私は表情と取り繕うことを失敗したようだ。
「パトリシア様……私に何か不満があるのでしたら、どうか教えて下さいませんか?」
「いいえ、何もありません」
「パトリシア様がこのような行動を起こしたからには、私に不満があることは確かではないでしょうか?」
「違います。ですからお兄様、その顔芸は止めていただけませんか?トリスタン様が気の毒です」
シリアスな雰囲気のトリスタン様の真横で、お兄様が「ああん?」「いてこましてやろうか?」「俺の妹の何が不満だ?」「妹を傷つけたらタダじゃいかんぞ」と、言葉は一切使わずに、顔だけでメンチを切っているのだ。
因みに、どうして私が「メンチを切る」や「いてこましたる」などの俗語を知っているのかというと、孤児院での慈善活動で覚えたからだ。自分で使ったことはないけれど、もっと酷い言葉も知っている。
「トリスタン。もしやお前、パトリシアの手紙に返事を返さなかったことがあるのか?」
「そのようなことはありません」
「ならば、ひっそりとこっそりとどこぞの令嬢と逢瀬を?」
「そのような暇な時間が私にあると思いますか?」
「だったらパーティーでパトリシアではない令嬢の手を取ったのか?」
「テオドイル様もご存じでしょう?私がパトリシア様しかエスコートしていないことを」
「エスコートはな。だが、パーティーの最中をずっと見ていることは不可能だ。俺の知らぬうちにこっそりとという可能性はゼロではない」
「この命に誓ってそのようなことはしておりません!」
おどろおどろしい顔でトリスタン様に迫るお兄様に、トリスタン様の言うとおりだと告げる。
私が出席するパーティーでは毎回トリスタン様がエスコートを買って出てくださるし、パーティー中も放っておかれることもない。それどころか甲斐甲斐しく飲み物や料理のとりわけまで気にかけてくださるのだ。
端的に言うならば、トリスタン様は理想の婚約者だ。物腰も柔らかく、学園での成績も優秀で、若くしてお兄様の右腕として働いている将来有望株である。
私がトリスタン様と婚約をしたのは、お兄様の働きかけがあったからだ。
お兄様は王太子の近衛騎士として生涯を送ることを決めたため、私が公爵家を守っていかなければならなくなった。そのため、私を支えてくれる婿養子が必要となり、出来れば領地経営に明るい、伯爵家以上の生まれの相手を探し始めたのだ。
トリスタン様は辺境伯家の三男坊なので家を継ぐ必要は無く、幼い頃から勉強が得意だったため、帳簿などの取り扱いも得意で、なおかつ学生時代に騎士課を専攻していたので、剣の腕も立つ。まさに公爵家の入り婿として最適なお方だ。
しかも人当たりも良く、このお顔……
正直言って、私の方が釣り合っていないのだ。
「本当にトリスタン様に不満はないのです。問題があるとすれば、私の方なのです」
「まさか他に好きな男が出来たのか!?」
「そ、そうなのですか!?」
「違います。私はトリスタン様一筋です」
私の言葉にトリスタン様がカァッと頬を赤くする。
この方はこういうお顔も出来たのね……と、新鮮な気持ちで赤くなった耳を眺めようとしたけれど、その隣のお兄様が怪訝な顔で睨んでくるので、早々に胸の内を零さざるを得なくなった。
「トリスタン様との婚約は、私にとっては大変嬉しいことなのです。しかし、よくよく考えてみると、この婚約は私である必要がなく、公爵家の令嬢であれば良いのだと気がついてしまったのです」
「私は相手がパトリシア様だから婚約の話を受けたのですよ?」
「分かっております。トリスタン様が私をとても大切にして下さっていることは、節々から伝わっておりますので」
「でしたら……」
「だから、私には自信が必要なのです」
トリスタン様の言葉を遮って、私の気持ちを告げる。
「このままではずっと、トリスタン様からの愛情を歪んで受け取り続ける日々になってしまう。それが嫌だと思ったからこそ、私に出来ることで功績を挙げ、トリスタン様の伴侶として相応しいという自信を持ちたいのです」
公爵家の令嬢だから私と結婚してくれた……そうではなく、私だからこそ結婚がしたいと思って下さった。そう考えられる自信が欲しかったのだ。
特にトリスタン様は異性に人気が高い。周囲に婚約を羨ましがられる度に不安を覚えていたら、いつか心がポキリと折れてしまうだろう。
「そういう経緯を学友に相談したところ、たまたま人手不足で悩んでいる職場があると聞き、このようなことになっております」
私の説明に、お兄様が顔芸を止めて難しい顔で腕を組む。
「働きたいのなら、もっと別の場所では駄目だったのか?王女の侍女を選んでくれていたら俺たちの心配もなくなるのだが……」
「そうですパトリシア様。今からでも遅くありません。どうか私の目の届く場所に移っていただけませんか?」
「いいえ、私は誰かの職を奪うつもりはないのです。ここは私を歓迎して下さってますし、みんなで一緒に食べるパンケーキも美味しいのです。エマさんというお仕事仲間も出来たんですよ」
王女が侍女を探しているという話を耳にしていない。つまり、侍女の手は足りているのだ。公爵家の令嬢である私が名乗りを上げたら、侍女として採用するしかなくなる。そんなことをしてしまったら、公爵家と私の心象を下げるだけだ。
お兄様とトリスタン様がエマさんは誰だという顔を向けるので、エマさんがヒィッ!と肩を跳ね上げている。
トリスタン様はエマさんではなく、他の人たちが気になるようで、「男性ばかりじゃないですか」と不満げに呟いた。
「ご安心下さい。私は働きたいだけで、浮ついた気持ちを楽しむつもりはありません」
「パトリシア様のことは信じております。が、周囲がパトリシア様を放っておくとは限りません」
「こちらの部署はエマさん以外が既婚者ですし、騎士様方にはお兄様たちから注意をしてくだされば問題になりません」
「ですが……」
「それよりお兄様、トリスタン様。私、2人に苦言を言いたいのですけど宜しくて?」
私の事情の説明は終わった。完璧に納得はして貰えていないのだけど、期日までしっかり働くことだけは譲るつもりがないので、これ以上の話し合いは無意味だろう。
それよりも、せっかく騎士団の中でも上位の立場の2人がこの場にいるのだから、騎士様方の金庫番への横暴を苦言しておきたいのだ。
昼間にまとめた資料のいくつかを机に運び、エマさんが気を失いたくなった領収書も提示する。
日付無し、店名無し、商品は何なのかの記載もない。覚え書きにも満たないメモの切れ端を目にすると、お兄様の顔が強張った。
「……これはなんだ?」
「騎士様方が精算を望んで持ってくる領収書のごく一部です」
「酷いですね。これなんて、用途が全く不明ではありませんか」
「騎士様方はこのような領収書を平気でエマさんたちに突きつけて精算を迫り、不備を指摘しようものなら権力や腕力で脅すのですよ。私も今朝から体験しておりますが、それはそれは恐ろしい思いをいたしました」
悲惨さを強調するように睫を伏せると、シスコン気味のお兄様は額に青筋を浮かべる。
「パトリシアを脅したと?権力や腕力で?」
「わたくし、権力に関しては負けてはおりませんが、腕力では勝てませんでしょう?もう少しお兄様たちがいらしてくださるのが遅かったら、泣いていたかもしれません」
これっぽっちも涙ぐんでいない私を知っている経理部の皆様が僅かに視線を反らしたのが、なんとなく分かった。
どちらかと言うと、公爵令嬢を相手に暴言を吐いてしまった騎士様方の方が涙目になってしまっていたのだが、真実を説明する義務はないだろう。
「お兄様、トリスタン様。お二人は騎士団の関係者として、この件をどうお考えになりますか?騎士様方に当てられる資金はの元は税金です。その大事なお金を、このように湯水のごとくばら撒き続けることがあれば、騎士全体の存続にも関わってくるのではないでしょうか?」
騎士に当てられている予算額は他の部署よりも多い。
それは隣国との諍いが起きてしまい、領土や市民を守るために、多くの騎士を抱え込む必要があったからだ。
金で人を集め、国を守った。しかし、いつまでも同じ状況が続くはずはなかった。
冷戦の終結とともに国の危機は去ったのに、騎士様方が精算する金額は減少するどころか、年々増加の傾向にある。
その原因の一つは、申請すれば簡単に精算ができてしまう体制だろう。
もちろん、本当に必要な経費の精算はいくらでも請求してくれて構わない。しかし、素人の私でも分かる不正請求が、騎士様方のゴリ押しで通ってしまうことが問題なのだ。
「これは由々しき事態です。ですから、近衛隊隊長の妹であり、近衛隊隊長補佐の婚約者である私が率先して行わなければならない仕事なのです」
「……そのような言い回しをすれば、立場上、私やテオドイル様がパトリシア様の行動をお止めすることが出来ないと分かってやっていらっしゃいますよね?」
「いやですわトリスタン様。私はただ、この憂いをどうにかしたいだけなのです」
心外ですという意味を込めて視線を伏せるけれど、トリスタン様の読みは間違っていない。お兄様は腕を組んだまま天井を仰ぎ、トリスタン様はそんなお兄様に視線を向けつつ額に手を当てる。
最後の一押しとして、「どなたかの責任問題になる前に、解決に動きましょう」と続けると、お兄様とトリスタン様はがっくりと肩を落としたので、私の勝利を確信したのだった。
書き貯めストックがなくなったので、次の更新を目指して一生懸命執筆中です!
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