漆黒の監査部の参入
翌日の金庫番室は、朝から物々しい雰囲気が漂っていた。
まだ事情を知らない騎士様が意気揚々と乗り込んで来るものの、扉を開けた途端に目をギョッと見開き、そのままソーッと扉を閉めて、用事を果たさずに去って行ってしまう……そんなことがかれこれ数名分繰り返されている。
原因は、朝一番から金庫番を訪ねてきた会計監査部の面々のせいだ。揃いの黒色の制服から、別名「漆黒の断罪人」と呼ばれているらしい。
「まぁ、なんとも厳かな呼び名ですのね」
「彼らの基準は法を厳守することで、違反者は王族だろうが調べ上げる権限を持っております。そんな方々が、まさかこのようなしがない部署に直々にいらっしゃるなんて……やはり打ち首でしょうか」
ダンテ様の顔色は昨日よりも悪い。胃の弱いジョンさんの顔色も悪く、青を通り越して土気色になってしまっている。
「なんの不正もしていないのですから、打ち首にはなりませんよ」
「権力と圧力に負けて領収書を受理してしまっていたので、それを不正と指摘されてしまったら、言い逃れが出来ないのですよ。こちらの遺書はウォールズ様に預けておけば無事に家族の手に渡りますでしょうか?」
「お父さん、お母さん!親不孝な娘でごめんなさい」
「ダンテ様もエマさんも、そう悲観ならさず。フラン様も祈らないで下さい。金庫番の皆様は若干灰色寄りではありますが被害者です。騎士様方に暴力を匂わされたら従う他ないのは、漆黒の断罪人様方も理解してらっしゃるはずですから」
「ですが……」
「もし断罪されそうになりましたら『貴方がたの管理が悪いのです!』と言い返してやりましょう。安心して下さい。私が先陣を切って異議を訴えます」
監査部の人たちは、「何よりも法を厳守する」という誓いを徹底するため、法律の女神の色である黒を制服に使用している。そのため、存在感が強すぎて、どこにいても視界に入り込んでしまうのだ。
またしても扉を開けた騎士様が1人、何も見なかったかのように扉を閉められる。
監査部の方々はお兄様が報告をあげた上々の人たちから使わされたのだろうが、これでは通常業務に支障が出てしまう。
「監査部の皆様。お仕事熱心なのは結構なことですが、私共にも仕事がございます。机をお返し下さいませ」
昨日の夕方にしっかりと磨き上げたはずの机は、私が使う前に監査部の荷物置きとされてしまっている。そのことが非常に不満なのだが、こちらは声には出さずに胸の内に潜めておくことにした。
私の苦言に監査部の方々が顔を上げる。その内の1人が立ち上がり、重々しい足取りで近づくと、私の正面で歩みを止めた。
座っているときは分からなかったが、かなり身長が高めのようだ。全身黒の制服に、同じ色の髪をやぼったく伸ばしているせいで、目の前に立たれただけで威圧されているような気分になる。
「こちらの部署は要調査対象と認定された。我々の調査の邪魔をしないでいただきたい」
「あら、貴方がた監査部の初対面の挨拶は、自己紹介でも握手でもなく、初対面のひ弱で庇護欲そそるご令嬢を恐喝することなのですね。素敵な慣習だこと」
「………バグドット・クラーク。監査部の班長だ」
私の嫌味は通じたようだ。眼鏡の向こう側の瞳が鋭い光りを帯びていて、エマさんが小さく「ひぇぇ…」と悲鳴を零す。私は心の中で「お兄様の方が怖いわね」と判断し、いつもの令嬢スマイルを浮かべた。
「パトリシア・ウォールズですわ。それでクラーク班長。机をお返しいただけますか?」
「君は先ほどの話を聞いていなかったのか。調査の邪魔をするな」
「貴方がたこそ、この場所がどこだかご存じで?私どもの仕事の邪魔をしないでくださる?」
「この部署は要調査対象だと言ったはずだ。この場の全ての資料を確認する権利を我々は所持している。これは家柄の権力で覆せることではないのだよ。ウォールズ公爵令嬢」
「あら嫌だ。私はこの場で一度も公爵家の権力を使ってはいなくてよ。調査が必要なのでしたら、好きなだけ資料を読み漁っていただいて構いませんけれど、私共にも仕事があるとお伝えしているでしょう?机をお返し下さい」
クラーク班長の眉間に深い皺が寄る。多分であるが、初めて仕事に対する苦言を言われたのではないだろうか。
確かクラーク家は過去に王族の姫が降嫁したことのある侯爵家だ。それなりの権力を持っているはずだし、監査部という特殊な部署に長らく在籍しているため、調査時はその部署の全員を追い出して調べ尽くすのが当たり前になってしまっているのだろう。
不正を調査するのは問題がない。しかしながら、こちらの仕事を全て止めるのであれば話は別だ。
「我々の仕事を邪魔するというのか?」
「違います。そもそも今までそのお仕事をされなかったのはそちらの責ではありませんか。ダンテ様が再三にわたって騎士様がたによる横暴な行為を報告していたはずですのに、長きに渡って見て見ぬ振りをされてきたのですから、こちらの仕事が平常に戻るまで、今まで通りに見て見ぬ振りをしてくださればよいのですよ」
どうせ近衛隊長であるお兄様が関わってきたから、慌てて行動を起こしたのでしょう?という意味を込めた視線を向ける。
一歩も引く気のない私の態度にクラーク班長のこめかみがピクリと動いた。それでも意見を変えずにいると、どんどん室内の空気が重苦しくなっていく。
「仕事を優先するというのなら、それは私共も同じです。部署内をひっくり返して調査したいのでしたら、私たちが帰った後にされてはいかがですか?」
「つまり、全面的に君たちに配慮しろと?」
「貴方かたがこのまま私どもの職場を占領するのなら、こちらも職場を取り戻すためにやれることはやると言っているだけです。もちろん、こちらへの配慮を考えて下さるのであれば、妥協は可能です」
私の令嬢スマイルはクラーク班長にはあまり効果がないようだ。なので閉じていた目を開き、真っ直ぐに相手を見上げる。
クラーク班長は私を不機嫌な顔で見下ろし、たっぷり数秒かけて思案を巡らせ、これ見よがしなため息を吐いたのだった。
「どうしろと?」
「皆様にはあちらの来客用の席をお貸し致します」
「つまり、金庫番の仕事と監査の仕事を平行して行うということか。効率が悪いし、証拠資料の隠蔽の可能性を考えると、得策ではない」
「資料の用意に関しましては、この部署の責任者のダンテ様にお任せ下さいませ。ダンテ様はすごいのですよ。全ての資料の場所を把握しておりますの。証拠の隠蔽に関しましては、こちらがダンテ様という主力戦力をお貸しするのですから、1人を見張りに立てれば宜しいのでは?」
このまま監査部の要求を全て呑み込むと、私たちはせっかく出勤したのにも関わらず、机に座ることすら出来ないまま追い出されることになる。そうなると、ただでさえ停滞している仕事が山のように増え続け、領収書の精算をしに訪れる騎士様がたとのトラブルも起きるだろうから、その対応にまた人手が取られ、謝罪や補償などを求められたら金銭的な損失へと繋がる。
実質的な損失はそれだけでは済まない。金庫番の仕事は期日が定められている案件が多々あり、その期日を厳守しようとするならば、残業が必須になる。金庫番の待遇からして、残業代の申請が全て受理されるかも危うい。最悪、連日のサービス残業が繰り広げられ、金庫番のみなさんの献身が摂取されることに繋がるのだ。
「クラーク班長が責任をもって金庫番の残業代の支払いと、受けた損失を補償を下さるのであれば、こちらとしても日中の占領を受け入れることは出来なくもありません。もちろん、特別手当も頂けるんですよね?」
両手を重ねて「さすがクラーク班長」と瞳を輝かせてみる。私のあからさまな演技を無表情で見下ろしていたクラーク班長は、颯爽と踵を返すと、「応接机に移動しろ」と部下に指示を出したので、特別手当は出してもらえないようだ。
「ではみなさん、私たちも仕事を頑張りましょう」
あらかたの荷物が移された頃合いで私も声をかける。監査部の存在感に恐れを成して壁際に張り付いていたエマさんは、「さすがパトリシア様!痺れました」と瞳を潤ませながら拳を握り、フラン様が神ではなく私に祈りを捧げ始めたので、やんわりと止める。
私はただ、昨日きっちり磨き上げた机を荷物置きにされた敵をとっただけなのである。
ようやく取り戻した机に座り、軽く髪を整え、視界の端でチラチラと動く黒の制服に顔を向けると、クラーク班長が若い男の人を連れてきた。
「見張り役にロナットをつける。文句はないな」
「ございません。ロナット様、お久しゅうございます」
「知り合いなのか?」
「はい、年齢が違うので直接の面識はございませんが、同じ時間を学園で共有した時期がございます。見かける度に分厚い本をお持ちなので、学業に力をいれられているお方なのだと思っておりましたが、監査部に就職されていたのですね」
ロナット様は学生時代とは違う黒の制服姿で、ビシッと背筋を伸ばすと、すぐに眉尻を下げて頬を赤らめる。
「貴族の末席になんとか座れているだけの私を、ウォールズ様が覚えて下さっていたなんて、光栄の極みでございます」
「公爵家の者なら当たり前のことだ。しかし、知り合いなら見張り役には不向きか……」
「判断に関してはクラーク班長にお任せ致します」
「私もどちらでも構いませんわ」
「ふむ……直接の面識はないのであれば、問題はないだろう」
こうして、監視役にはロナット様が就任された。監査部で尤も若いということが理由らしい。
金庫番もダンテ様が資料の提供役として駆り出され、応接机と資料棚を忙しく行き来し始める。
応接机の上はあっという間に資料の山が出来たので、確認作業がやりづらそうだ。だが、私も仕事に来ているので、自分の場所を譲るつもりはない。
「ロナット様、よろしければ私の隣に座りませんか?金庫番の通常業務を知ることも、監査には必要でしょう?」
「宜しいのですか?」
「もちろんです。その黒い制服は目立ちますので、私の上着を肩に掛けてくださいませ」
椅子から立ち上がって上着を脱ごうとすると、ロナット様が顔を真っ赤にして止められ、すっ飛んできたジョン様が「こちらをお貸しします!」と、置きっぱなしにしていた上着をロナット様に手渡した。
「申し訳ございません。使用している上着をお貸しするのは失礼に当たりましたね」
「いいえ、いいえ!そのようなことはございません。た、ただ、ウォールズ様の上着をお借りするのは少々……その、心臓がもたないといいますが、不相応過ぎて天罰が下ると言いますか……」
ロナット様は黒い上着を抜いて椅子の背もたれにかけると、ジョン様の上着に袖を通す。それだけであっという間に厳かな雰囲気が掻き消されたので、制服効果は想像以上に視覚に影響を与えるのかもしれない。
屋敷の使用人の制服も、色味を変えてみようかしら。
今は就業時間なので、使用人の制服の件は後回しだ。鍵の掛かった引き出しから作業マニュアルとエマさんが作った参考資料を取りだして机の上に並べる。
「私は新人なので、受付机に座っての領収書の精算が主な仕事です」
「ウォールズ様に出迎えられたら、騎士たちは飛び上がって驚きませんか?」
「ドレスを身につけていないせいでしょうか、普段の令嬢扱いはされませんでした。その代わり、耳障りの酷い罵詈雑言を浴びせられ、つい涙ぐんでしまいましたわ」
「公爵家のご令嬢にですか!?」
「ここでは公爵令嬢ではなく、金庫番として座っております。ですので、ロナット様もどうぞ普段の仕事通りに」
「善処はしますが、難しいかと」
金庫番の受付の流れを一通り説明する。まずは手渡された領収書を確認し、マニュアルと見比べ、内容の不備がないかを見る。まず日付。次に金額。店名と用途も忘れてはいけない重要な項目だ。
「金額と用途で明細が必須となる場合があります。私はまだ全ての用途を把握できていないので、エマさんの資料をお借りしているのです」
「明細は全てに必要では?」
「理想はその通りですが、騎士様がたにも、民間の店舗にも、こちらの集計作業や監査のかたがたの負担が大きいので、選別されるようになったそうですよ」
「理解しました。正確性と効率性の中間を取られたのですね」
「食事代は1名につき1000リオンまででしたら明細は必要ありません。その代わり、こちらの勤務表との照合を行います」
勤務表は半月に一度、最新に更新されたものが金庫番にも届けられる。中には休日の食事代も精算しようと企む者もいるため、この照合作業は大切だ。
ついでに領収書に書かれた店名の定休日も、エマさんの資料の中から探して確認する。これは、仲良くなった店員に日付を未記入のままの出して貰い、休日に食べた食事をあたかも勤務日に食べたように偽装する者がいたからだ。
全ての項目を確認して、不備がなければ金庫番の帳簿に記載し、金庫から現金を取り出す。領収書通りの金額かをもう1人に確認してもらい、ダブルチェックを済ませたら、ようやく現金が騎士様に手渡される。
「現金……支払いカードは利用されないのですか?」
「魔力が必須のカードはこちらでは使用が出来ません。人によって使い分けるとミスが増えるので、現金のみの扱いです」
「そうですか。それで金庫も魔道具ではないのですね。防犯面からしたら少々不安なので、これは報告致します」
「ありがとうぞんじます」
魔力を持つのは貴族だけで、平民は魔道具を使えない。そのため、平民が多数を占めているこの部署では、支払いカードでのやり取りは不可能なのである。
使えたら大変便利なのよね。金額も日付もどこでの取引かも全部資料に残るから、台帳に記載する手間が省ける。
一通りの説明が終わったその丁度良いタイミングで、扉が開いて騎士様が入ってきた。まだ見たことのない顔なので、昨日から金庫番で起きていることを知らないはずだ。
私の予想とおりに青みがかった緑の髪の騎士様が「あれ~、知らない顔の子がいる」と目をパチパチと瞬かせると、人懐っこい笑顔を浮かべ「まぁ、いいや。かわいい子ちゃんと喋れるなら役得だもんね」と白い歯を見せる。
隣に座るロナット様が、砕けまくりの騎士様の態度に唖然と口を開けたのが横目に映った。
「精算お願いしまーす!」
「畏まりました。拝見致します」
差し出された領収書を両手で丁寧に受取り、不備しかない書面を目に留めて笑顔を固める。
ロナット様にも書面が見えたようで、一目で分かる酷さに顔を顰めると、眉間を指先で押さえて俯いた。
私は机に凭れてニコニコ笑顔で精算を待っている騎士様に、完璧な令嬢スマイルを浮かべる。
「字が汚すぎて解読不明なので、不受理です」




