お兄様と素敵な婚約者様
その背中を見送ると、エマ様がへなへなと床に座り込んでしまう。
「あらあら、大丈夫ですか?」
「……こ、怖かったですぅ……」
「エマ様には少々刺激が強すぎたのかもしれませんね」
「わ、私どもにも強刺激です」
「ダンテ様。まぁ、皆様も?大変、椅子にお座りになって」
後ろを振り返ると、ダンテ様たちまで床に座り込んでしまっていた。その顔色は悪く、全員が胃の辺りを押さえている。
私に支えられるようにして椅子に座ったエマ様は、ふぅーっと大きく息を吐いて気持ちを整えると、キラキラとした瞳で私を見上げた。
「すごく、すごく怖かったんですけど、それ以上にウォールズ様が格好良くて痺れました!あんなに怖い騎士たちと対等に話し合いが出来るなんて、凄すぎます!」
「ありがとうございます。エマ様が隣にいてくださったから、心強かったですよ」
「私、なんにもしていません!全てウォールズ様のおかげです!」
「もしよろしければ、ウォールズではなくパトリシアと呼んでいただけますか?私とエマ様は仕事仲間ですから」
「え?そ、それは……良いのかな?」
エマ様がダンテ様を振り返って確認する。私も同じ方向を見ると、ダンテ様が駄目という意味を込めて首を横に振っていたが、両手を合わせてお願いのポーズを取ると、渋々だが許可して頂き、「パトリシア様」と「エマさん」と呼び合う仲にまで進展したのだった。
騎士様方が精算に訪れるのは、基本的に訓練前の朝一番と、解散後の夕方になるらしい。先ほど朝一番の対応が平和的に終わったので、夕方まで事務仕事を行いながら、エマさんの愚痴を聞く。
「ここ最近は本当に酷かったんですよぉー。メモの切れ端にミミズみたいな文字で金額が書かれているだけの物を領収書だって言い切られたときは、意識を失いたくなりました」
「それで?どうなされたの?」
「さすがに受理できないってなったんですけど、私では話を聞いて貰えなくて、ダンテ主任が何度も何度も足を運んで、精算不可に納得してもらったというか……納得してなかったですよね、アレは。腹いせに演習場の掃除を押しつけられたんです」
「そんなことが……上役に相談はされなかったんです?」
「しましたよ!したんですけど、上手くやってくれとしか言われませんでした」
「まぁ……」
「ですから、今回パトリシア様がいらしてくれて嬉しかったです!私たち、見捨てられていなかったんですね」
色々な苦労が脳裏を過ったのか、エマさんは拳を握りしめると、瞳を涙で潤ませる。
資料として広げられた今までの領収書の数々は、ダンテ様に教えて頂いた仕様とかけ離れているのが一目で分かる。これを力業で押しつけられ続けていたとしたら、処理も大変だっただろう。
「店によって用紙に特徴がありますので、こちらで作成した資料と照らし合わせて店名を調べます。飲食関係でしたら、金額から大体の人数を割り出して記載するんです。日付も騎士の日報を借りて、行っただろう日を予想していました」
「つまり、やりたい放題の尻拭いを皆さんで行っているのですね」
「そうなんですぅー…通常の仕事もあるのに、山のような領収書の処理に時間がとられて、残業残業の毎日でした」
エマさんは私とそう変わりない年頃のはずなのに、仕草がとてもかわいらしい。慰めようとして、つい子供にするように頭を撫でてしまったのだけど、エマさんは大きな瞳をパチリと瞬かせると、嬉しそうに頬を緩めた。
未処理の領収書の処理を手伝っていると、時間はあっという間に過ぎていく。
ランチの軽食は、ナイフとフォークを使っての食事が当たり前の私には初めての、手で食べるチーズと野菜の入ったパンケーキだった。
甘いのにしょっぱい不思議な味だ。お茶も淹れたての紅茶ではなく、作り置きのものを頂いた。
食べ慣れないけれど、普段と違う食事はとても面白い。
エマさんたちはびっくりするぐらい食べるのが速いので、一生懸命に咀嚼しなければならなかったことが大変だった。
午後も引き続き仕事をこなし、騎士様方の解散時間がやって来る。エマさんたちが緊張の面持ちで時計を睨んでいると、今朝同様に派手に扉が開かれ、新顔の私に驚いた表情を浮かべ、領収書を突き返して因縁を付けられ、名乗りを上げて鼻っ柱をたたき折るという、本当に今朝と同じ光景が繰り返される。
少し違うのは、朝より人数が多いことだろう。第一陣に入りきらなかった騎士様たちが、戦意を喪失した仲間たちを不思議そうに見ながらやって来て、同じことを繰り返し、青白い顔で部屋を出て行く。
第三陣までをこなしたところで、騒ぎが起きていることに気がついたのか、「部下たちが廊下に転がっているが、何事だ?」と言いながらお兄様が顔を出した。
「パトリシア?なんでお前がここにいるんだ?」
「本日よりこちらで働かせて頂くことになったからですよ」
「聞いていないぞ?」
「言っていませんでしたもの」
お兄様は近衛騎士の隊長の役職に就いている。騎士として恵まれた体格に、意志の強さを表すキリッとした眉毛が特徴で、ひと言で言うなれば強面の持ち主だ。
この顔に生まれたときから慣れているので、他の騎士たちに凄まれたところで、今更恐怖心など湧いてこないのである。
ひぇぇ~…とか細い悲鳴を上げるエマさんの態度が、お兄様の第一印象を物語っていた。
ズカズカと足音を響かせながら部屋に入ってくるお兄様の後ろについているのは、私のお兄様の部下であり、私の婚約者でもあるトリスタン様だ。
トリスタン様は制服に身を包んだ私の姿を視界に入れると、見事な二度見を決める。
「え?パ、パトリシア様?なっ……どうしてこちらに?」
「お前も聞いていなかったのかトリスタン」
「は、はい。存じておりません」
「どういうことだパトリシア?」
「お父様の許可はいただいております」
「俺とトリスタンへの報告がないのは何故だ?」
「驚かせてみたかったからです」
私のした返答はお兄様とトリスタン様の予想していなかったものだったようで、2人は思わずという感じでたじろいだ。
「……驚かせたかった?」
「お兄様のそのお顔が見れて満足ですわ」
ニコッと笑いながらかわいらしく小首を傾げる。
お兄様はそんな私を見下ろしながら眉根を寄せると、額に手を当てて項垂れた。
「それだけの理由ではないだろう。本当のことを言いなさい」
「あら、本音ですわよ」
「本音だが、それだけでもないはずだ」
さすがはお兄様だ。私のことをよく分かっている。
金庫番の部屋の中には小さいけれど応接用のセットがあるので、そちらの席をお借りすることにした。
エマさんが淹れてくれたお茶を飲んで一息をつくと、精算に訪れた騎士様方が、不穏な空気を撒き散らしているお兄様の存在に飛び上がって姿勢を正す。
お兄様がこの部屋に居る限り、騎士様方も経理の皆さんに無理を押しつけることはなさそうだ。
エマさんが躊躇いがちに「不受理です」とお伝えしても、なんの反発もせずにすごすごとお帰りになる。中には「どうしてだよ!」と反論する方もいたが、お兄様が殺気だった目で睨み付けると、途端に静かになるようだ。
「各金庫番の仕事部屋にお兄様の置物が必要ではないかしら」
「俺の置物?なんだそれは」
「独り言ですのでお気になさらず。それで、何から話しましょうか?」
「パトリシア様が金庫番で働いている理由をお聞かせ願いたいです」
私に対面するようにお兄様とトリスタン様が並んで座っている。膝の上に置かれた手が握られているので、トリスタン様が緊張しているのが読み取れた。
相変わらず素敵な人だ。
無骨で男らしいお兄様の隣に並んでいると、トリスタン様は線が細くなってしまい、頼りなさげに見えてしまうのだけど、騎士団に所属しているため、しっかりと鍛えられた体が服の下に隠されている。
それでいて、騎士よりも文官のような雰囲気を持ち合わせているのだ。
日に焼けづらい肌は白く、魔力を溜めるために伸ばされた銀糸の髪はきっちりとまとめられていて清潔感があり、なおかつ大変お顔が整っている。
トリスタン様を前にすればするほど、本当にこのお人が私の婚約者なのかと疑う気持ちがうまれてしまう。それほどに素敵なお人なのである。
持ち上げていたカップをソーサーに置き、自由になった手を頬に添えた。
「理由はいくつがございますが、その1つはこのままトリスタン様と結婚してしまって良いのか……そう思ってしまったからでございます」
私の言葉にトリスタン様が息を呑み、お兄様が人を殺しそうな鋭い目を隣に向ける。
「トリスタン!お前、俺の妹になにかしたのか!?」
「断じてしておりません!」
「なら、何もしなかったのか!?」
「そのようなこともありません!」
「お兄様、落ち着いてください。トリスタン様は婚約者の私をとても大切にしてくださっています。季節毎のお花も贈ってくださいますし、忙しいお仕事の合間を縫って、顔を見せに来て下さっております」
「では、何故そのようなことをお考えに?」
トリスタン様が真剣な眼差しを私に向ける。私の表情や仕草から、少しでも情報を得ようとしているのだろう。
公爵家で生まれ育った私は、感情を隠すことを骨の髄までたたき込まれているので、いつも通りの微笑みを浮かべるだけだ。




