一瞬の違和感
ナイトが高校に進学し、ユメヒコでアルバイトを始めてから、二週間が経ったある日の放課後。
授業という拷問からようやく解放され、ナイトは教室の自席で魂の抜け殻になっていた。すると、背後から輝鈴に声を掛けられた。
「桃山。今日、自分は所用があってバイトを休む。すまないが、柴雁にそう伝えてくれ」
ナイトは抜け出ていた魂を自分の体に戻すと、席に座ったまま後を振り向いた。
「あれ? 今日休んじゃうの? オレが昨日会得した、ハイスピードスキャニングコンボを、犬神さんにも見せてあげようと思ってたのに……」
ナイトは雫の指導の下、輝鈴やいちごを上回るほどのレジ操作テクニックを手に入れた。もっともその分、過不足が何度も出て、雫に尻を蹴られたりしている。
「うむ。今日は大事な日でな。すまんが後は頼む」
輝鈴はそれだけ言うと、教室の窓から飛び降りて、風のように去って行った。
「さて、オレも帰ってゲームでもしようかな。バイトまでまだ時間あるし」
「ちょっとナイトくうん! 帰っちゃダメだよ! 掃除当番だよ~」
席を立ったナイトだったが、急に後からいちごにヘッドロックをかけられ、体に戻した魂が再び飛び出そうになった。激痛がナイトを襲うが、背中に柔らかくてあったかい二つの膨らみが押し付けられ、ナイトは天国と地獄を同時に味わう。そのショックで、ナイトの魂は再び肉体を離れ、教室の天井付近を遊泳した。
「はりゃ? おーい、ナイトくんてばー。おーい!」
魂の抜け殻となったナイトの体は、いちごによって上下に揺さぶられる。やがてナイトの魂が無事自分の肉体に戻ると、いちごはナイトから離れ、手を後でに組んでウインクしていた。
「おはよー、ナイトくうん。さあ、楽しいお掃除が始まるよ! がんばろーね!」
「いちごちゃん。あれ? オレは今まで一体何を……いや、そんなことはもうどうでもいいんだ。確かオレ、先週も掃除当番だったよね、なんで!?」
いちごがきょとんとした顔で、ナイトの顔をまじまじと見る。
「桃山くん。あの……三時間目の美術の……先生の似顔絵の件だよ……ほら……」
いちごの後からやってきた紫が、なんとも居心地の悪そうに苦笑いを浮べ、ナイトに説明を始めた。
「美術……三時間目……あ!」
紫の説明でナイトは思い出す。
一年一組のクラス担任古田徳子は、美術の先生である。本日三時間目は美術の時間で、授業のお題は先生の似顔絵であった。そこで、ナイトは古田教諭を怒らせてしまったのだ。
「ナイトくんが、古田先生の授業で書いた先生の似顔絵……土佐犬の絵だったからでしょ~。あれはまずいよお~」
いちごが腕組みをして、うむむとうなる。
「あれならちゃんと先生に謝ったよ? ブルドッグ書こうと思ったけど、大原さんのお家で飼ってる、土佐犬のシャーリーちゃんがぱっと頭に浮かんだんだ。芸術ってインスピレーションじゃない? 今度はちゃんとブルドッグの絵書くって反省文三千字も書いたのに。先生ったら、丸めて飲み込んじゃって……ていうか、蒼樹くんこそなんだよあれ。ぜんぜん原型とどめてなかったじゃないか。どこの美少女だあれは」
「ぼくは普通に書いたつもりなんだけど……」
怒られた原因はナイトが提出した課題であった。先生の似顔絵にこともあろうか、今にも噛み付いてきそうな土佐犬の絵を提出して、生徒からは好評を得たが、古田教諭からは余計な恨みを買った。
それに比べて紫が提出したのは、古田教諭とは似ても似つかない美少女の絵で、こちらは生徒からも古田教諭からも好評を得た。古田教諭曰く、『二十五年前のわたくし』らしい。
そして授業終了後、紫は古田教諭にベタ褒めされ、べたべたと体を触られ、掃除当番を一年免除された。それに対し、ナイトは古田教諭にワンワン怒られ、わんわん泣いた挙げ句に、掃除当番を一年固定でやらされるハメになった。それがことの顛末であり、真相だ。
切り札の柴雁大和ブロマイドも、もはや弾切れで打つべき手が見つからず、引き受けるしかなかったが、ナイトは即さぼってやろうと考えていた。
「ナイトくん、少しはいちごちゃんを見習うべきだね!」
「いちごちゃんが書いたのは、全身からミサイル発射してるロボットでしょ。いつからウチの担任は機動戦士になったのさ。いや、あれはあれでミサイル一発一発の描写は神だったし、背景の宇宙空間に漂うスペースデブリも細かくて鳥肌もんだけどさ。犬神さんは犬神さんで、浮世絵だったし……あれもすごい芸術だったけど……雫ちゃんは……抽象画だっけ?」
ナイトをはじめとして、吉備田荘の住人達は、一般的な高校生の感性から少しずれていた。
「とにかくぅ! ナイトくんは今日の掃除当番なの! ほらほらホウキ! これが終わったらゴミ捨てに行って来てね! しーちゃんはいつの間にか逃げていないし、きりりんは今日大事な用があるから見逃したけど、ナイトくんは逃がさないからね!」
「桃山くん。先生には免除って言われたけど、桃山くんがかわいそうだし、元に戻してもらうよう、ぼくから話しておくよ。でも、とりあえず今日だけは付き合ってくれないかな? 人手が足りないんだ。他のみんなは部活に行っちゃったし……」
本来今週の掃除当番は、輝鈴、いちご、雫、紫、とその他数名のクラスメイトの担当であったが、みんな様々な理由で抜けてしまい、今教室に残って戦闘態勢に入っているのはいちごと紫だけであった。
「お願い。ナイトくうん」
いちごがナイトと距離を詰める。鼻先に迫ったいちごの唇。ストロベリーキャンディーの甘い香りが、ナイトの鼻腔をくすぐる。
「手伝ってくれたらあ。今夜、ナイトくんにイイコトしてあ・げ・る」
ナイトは覚醒した。全身に掃除用具を装備し、フルアーマーナイトに変身する
と、教室のごみを相手に無双し始める。
それを見て紫がくすりと笑い、いちごは帰り支度を始めた。いちごもサボる気満々だったのである。
そして、いちごはナイトがごみ捨てに教室を出たのを見計らって、教室の窓から下校した。
それから数十分後、ナイトと紫の二人はようやく掃除を終えて、教室を後にした。教室の扉に鍵をかけ、二人で職員室に返却すると昇降口へ向う。靴を履き替えると、ようやく帰宅することができて、ナイトは大きなあくびをした。
「そうだ、桃山くん。前から言おうと思ってたんだけど……」
ナイトと紫以外に誰もいない下駄箱の前で、先に靴を履き替え、出口の前で背中を見せていた紫が、唐突にナイトへ話しかけた。
「え、何? やっぱり君はどこかのお金持ちの家に生まれたお嬢様で、卒業まで男として振舞わないといけない掟があったんだね!?」
紫は振り向く。
「封印四家にはもう、関わらないほうがいいよ」
その顔にはいつもの爽やか美少年の微笑みはなかった。そこにあるのは無。
まるで別人かと錯覚するほどの無表情。ナイトは紫の変貌振りに戸惑う。
「え?」
「じゃあね、桃山くん。また明日。ばいばい」
しかしそれは一瞬のことで、すぐ紫の顔に笑顔の花が咲き乱れる。そして、色白の手を振りその場を去った。
ナイトは急に紫が口走った単語にひっかかりを感じ、しばしその場に立ち尽くす。
「えっと、封印四家ってなんだっけ? ゲームでそんな組織名があったような、なかったような……」
ナイトはしばらく記憶の引き出しを精一杯ひっくり返したが、答えはでなかったので、とりあえず家に戻ってゲームをし、バイトまで時間を潰した。
そして、バイトの時間になると家を飛び出し、時間ギリギリでタイムカードを通すと、バックルームからユメヒコの店内に入った。
店内を歩いて自分が入るレジを目指す。やがてレジまで来るとすでに雫がおり、客がいないのをいいことに、携帯ゲームで遊んでいた。
これでいいのか、スーパーユメヒコ。ナイトは真剣に、スーパーユメヒコの社会的な信用がどうなっているのか気になった。
「よう、ナイト。掃除当番ごくろーさん。今日のレジはお前に任せるわ。俺は後ろで一狩りやってるから。てきとーに頑張って」
雫はゲーム機に視線を注いだままそう言った。
「ええ? 雫ちゃんもやってよ!」
「しょうがねえな……じゃあ」
雫はゲーム機に注いでいた視線をナイトに移す。そして、ナイトと目が合うと、いつもの如く白い歯を見せ、悪ガキのように笑ってこう言った。
「土下座して俺の靴をなめて世界中の言語で助けてくださいを言って、俺の肩を毎日もめ。したら、助けてやる……かどうか考える素振りを見せてやってもいいぜ?」
「そこまでやって考える素振りだけ!? 肩をもむのは別にいいけどさ!」
ナイトは土下座しかけていた体を起こして諦めた。
雫が完全にサボりモード全開になっているので、ナイトはそそくさとレジに入って作業を始める。現状、ナイトは研修期間中なので、五月まで雫と一緒にレジをすることになっているのだ。
だが今回に限らず、雫に助けを求めるとリスクのほうが大きすぎて、結局ナイト一人で解決するしかない。そのため、否が応でもナイトは仕事を覚えた。
「ありがとうございましたあ」
ナイトが数人の客をさばいた頃、店内になごやかなBGMが鳴り響く。そしてそのBGMを聞くとすぐにレジを抜け出して、バックルームへと向った。
今日もクリンネスタイムが、狩りの時間がやってきたのだ。




