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新しい一日の始まり

 翌朝。


 布団の中からもぞもぞと、ナイトが顔を出した。朝は弱いのである。しかし、時計を見ればもう八時。いい加減起きなければ遅刻だ。


 布団から這い出て着替えを始める。カッターシャツの袖に腕を通し、スラックスを装着すると、冴えない男子高校生がそこに誕生した。


 頭をぽりぽりとかきながら、部屋の押入れを開ける。すると、そこに寝袋があって、何故か輝鈴が寝相を悪くして寝ていた。


 ナイトの頭に一瞬、クエスチョンマークが咲き乱れた。


 輝鈴は、上半身は学校の制服のブラウスに身を包んでおり、下は薄いピンク色の布が柔らかそうなお尻を包み込んでいて、一言で言えば下着姿であった。朝からさすがにこれは刺激的過ぎだ。


 ナイトは、とりあえず確認することにした。


 押入れの扉を閉めて振り返る。すると、そこはやはり自分の部屋で、ちゃんとテレビに穴も空いているし、壁に短刀が突き刺さったままだ。


 もう一度押入れを開ける。やはりそこには輝鈴がいて、すやすやと幸せそうに寝息を立てていた。


「うーん? 何だろう。どうしよう。ここはどこ? オレは誰? いや、オレは桃山ナイトだけど」


 とりあえず、ナイトは混乱した。朝からいいモン見れたぜ! と思ってもいいが、後のことを考えると気が沈む。


 何せ、そこに寝ているのは、犬神輝鈴。目が覚めて、ナイトに気付けば発砲されるか、斬られるか、蹴り殺されるかの、人生のバッドエンドルート一直線だ。


 ふと、目線を押入れの中の壁にやると、ナイトは思わず声をあげた。


「げ! 壁に穴開いてる!」


 押入れの壁が盛大にぶち抜かれ、よく見ると隣の部屋……輝鈴の部屋の押入れと繋がっていた。


 輝鈴の周りには、壁を構成していた素材がばらばら落ちていて、彼女の体にもいくつかそれがくっ付いている。


「もしかして、寝返り打って壁をブチ破ったの?」


 ナイトは、朝から度肝を抜かれた。もう完全に目が冴えている。


「む? むう……桃山か。このベッドはなかなかいい。これだけよく眠れたのは、久しぶりだ。さて、そろそろ八時だな。学校の支度をせねばならんか」


 輝鈴は押入れの中で大きく伸びをし、ナイトの目の前をふわりと着地して、自分の部屋へと戻った。


「……」


 輝鈴は別段気にしていない様子であった。しかし、再びドアが開いて、制服に着替えた輝鈴が乗り込んできた。


 手には刀が握られていて、瞳には憎悪が宿っている。頬が真っ赤に染まっていて、凛とした雰囲気はそこにない。


「おい、何故自分がお前の部屋の押入れで寝ている? 返答次第では、打ち首獄門さらし首に処するぞ!」


 ナイトは襟首をつかまれ、刃を喉元に突きつけられた。


「ちくびをさらされるのか、なんだかわかんないけど、オレ知らないよ!? 犬神さんが押入れの壁壊して、こっちに来たんじゃないの!」


「なに……自分が……?」


 輝鈴は押入れの中をのぞきこんだ。そして、顔を出すと神妙な面持ちになる。


「これは……一生の不覚だ。かくなる上はここで腹をかっさばいて詫びよう!」


 輝鈴は床に座るとあぐらをかき、短刀を取り出した。


「いやいやいやいや!! ちょっと待って、そんなのおかしいよ!? とにかく落ち着いて! もうすぐ学校始まっちゃうし! ていうか、そんなお詫びよりも、オレは、おっぱ――いえ、なんでもありませんです、はい」


 さすがにナイトも空気を読んで、『切腹するくらいなら、お詫びにおっぱいもませて』とは言えなかった。


 その後、駆けつけたいちごと雫によって輝鈴はなだめられ、事態は終息する。


 ナイトの高校生活二日目はこうして始まった。


 ナイト達四人は、支度を終えるとそろって冥土喫茶の前から校門へ歩き出した。しかし、歩き出したと同時に校舎から予冷が鳴って、全員が一瞬足を止める。


「っと、ここのままだと遅刻じゃね? 俺の調べによると、ブルドッグが職員室から教室まで歩く時間は、五分と二十三秒。予鈴からすでに三分十六秒経過。残り二分七秒。ちょっと急ぐか」


 雫が携帯を取り出して、ディスプレイをのぞき込んだ。事態は一刻を争うというのに、三人に切迫した様子はない。


 というか、残り二分足らずで、ここから教室まで間に合うはずがない。最低でも五分はかかる距離である。


「走るぞ」


 輝鈴は駆け出した。それにいちごと雫も続く。やや遅れてナイトも走る。


 四人は校門から入り、そのまま校舎を目指す。


「あれ? 昨日あれだけみんなが暴れたのに……」


 グラウンドを見回してナイトは驚いた。昨日の夜、確かにここで繰り広げられた戦い……その痕がまったくなかった。


 輝鈴が鬼火をまとった刃を地面に付きたてて、周りの土を焦がしたはずだ。しかし、そんな物はどこにも見当たらない。キレイに整備されたグラウンドの土がそこにあった。


「そっか、雫ちゃんが言霊で直したんだ……」


 ナイトは納得すると前を見た。すると、目の前で輝鈴がバレーボールをレシーブするように、両手を組んでいる。


「きりりん、お先!」


 いちごは輝鈴の両手を足場にし、跳躍すると空高く舞い上がる。そして、一年一組の窓にたどり着き、そこから中に入った。


 お前らは忍者か! ナイトは口をあんぐりと開けたまま、固まった。


 そして、雫も同じように宙を舞い、教室の窓から中に入った。ちらっとシマ模様の何かが見えて、ナイトは、朝からいいもん見れたぜ。毎朝やってくんないかなーと思った。


「さらばだ」


 最後に輝鈴が一瞬ナイトのほうを見て、一言残すとそのまま飛び立つ。今度は何も見えなかった。ナイトは舌打ちする。


『ナイトくーん。早く走らないと遅刻だよー』


 頭上からいちごの声がして、再び教室の窓に視線を移す。すると、教室の窓から顔を出したいちごが手を振っていた。


 ナイトも試しに輝鈴のように、飛び立ってみた。ナイトの体が重力から解放され、宙を舞う……三十センチほどだが。


 そして、ナイトは遅刻した。


 教室に入ると、すでに担任のブルドッグ……古田徳子が出席を取っていて、中に入るとナイトは古田教諭と目が合った。厚化粧の顔に乗っかった分厚い唇に、ファーストキスを奪われそうなくらい、接近される。覚悟を決めたとき、廊下に連れ出され、ナイトと古田教諭は二人っきりになった。


 春の朝。少しひんやりした廊下の空気。目と目が合い、メガネの奥の瞳がギラリと輝くと、二人の距離は次第に縮まっていく。


 食われる。ナイトは本気でそう思った。このままでは自分の貞操が危ない。


 古田教諭の鼻息は荒く、飢えた獣のようで、ナイトは捕食される草食動物の気持ちを少し理解した。


「桃山くん。昨日の件といい、今日の件といい……先生をナめているザマスか!?」


「や、そんなつもりじゃ……舐めるなら、可愛い女の子がいいですし……先生はなんだかしょっぱそうです、ごめんなさい」


 ナイトはかなり失礼なことを口走った。


 その失礼なセリフを受けて、古田教諭が堪えきれず口は砲口となり、そこから説教という弾が無数に発射される。


「とにかく! 高校生にもなって時間を守れないようでは、社会に出た時に――」


 ナイトが一歩後退すると、ポケットから数枚の写真がぱらぱらとこぼれた。それを見た古田教諭の視線が写真に注がれる。


「大和……わたくしの大和おおおおおお!」


 途端に古田教諭は、廊下に落ちた柴雁大和のブロマイドに頬ずりをして、うっとりしていた。そして、血走った瞳でナイトを睨みつける。


 その様相はブルドッグどころではない。婚期を完全に逃した獲物を狩るハンター……愛のドーベルマンであった。


「も、桃山くん! 一体これをどこで!? ネットでいくら手に入れようとしても、手に入らないという、至高の一品を、どこで!?」


 どうやら、古田教諭は柴雁大和の熱狂的なファンだったらしい。ナイトはとりあえず、ポケットからブロマイドを取り出し、廊下に落ちた分も合わせて、愛のドーベルマンに手渡した。


「先生、ごめんなさい。オレ、心を入れ替えます。これからは立派な大人になれるよう努力しますので、許してください」


「ま、まあ。わかればいいザマスのよ! さあ、ホームルームの続きをしましょう。ああ……大和……これでもうずっと一緒ザマスね」


 ナイトは、コレは使える。と思った。まだブロマイドは何枚か残っている。ナイトにとって、これはまさに切り札でジョーカーであった。トランプと違い、紙面に描かれているのは、半裸になったバイト先の店長であるが、今ではその憎たらしいリア充も、頼もしい手札である。


 ナイトと古田教諭が教室に戻ると、ホームルームが再開され、くじ引きで席を替えることになった。


 とりあえず、周りが全員女の子ならいいや。ナイトはそう祈った。


 くじ引きの結果、偶然にもナイトの前は雫、右がいちご、後ろが輝鈴となっていた。背後から常に殺気のようなものを感じる。


 ナイトは、席を替えてもらうべきかどうか迷った。


「あの、よろしくね。桃山くん」


 ふと、左から声をかけられた。左の席は、確か蒼樹紫そうきゆかりという名前だった。名前からして、女の子のはずなのだが……。


 しかし、爽やかな美少年だった。少し長めの髪、高い鼻、艶やかな唇、みずみずしい頬……。まるで、女の子のような可愛らしい顔立ちに、少しドキっとしてしまいそうになる。


 しかし、爽やかな美少年だった。線の細い体、つぶらな瞳、高い声……。本当に喉仏があるのかどうか、疑わしい甲高い声をしている。


 しかし、爽やかな美少年だった。カッターシャツ、スラックス、ヘアピン……。女の子のようにヘアピンで前髪を止めている。開け放たれた教室の窓から入ってきた風が、シャンプーのいい香りを運んでくる。


 しかし、爽やかな美少年だった。そう、爽やかな美少年だったのである。


 ナイトはじーっと蒼樹紫の顔を見た。そして、閃いた。


「ねえねえ。君ってさ、もしかして、どこかのお金持ちの家に生まれたお嬢様で、卒業まで、男として振舞わないといけない掟があって、それにいやいや従っているって設定?」


 ナイトは、今日も元気にアホであった。


「そんな設定、勝手に作らないで、桃山くん」


 紫は困り顔で笑う。その横顔に周りの女子生徒はうっとりしていた。


 二日目もほぼガイダンスばかりで、午前中だけで終わった。ちなみにスーパーのバイトは五時からである。


 たっぷり五時間近く時間が余っているので、ナイトはこれからどうするかしばし考えた。


「そうだ。皆で遊びに行かない? 蒼樹くんも、よかったら一緒にどう?」


 ナイトは席を立ち、伸びをしながら周りの席のメンバーを見渡した。


「いいねー! 行こう行こう。駅前にゲーセンがあったよお」


「異議なーし。格ゲーで対戦しよーぜ」


 いちごと雫は乗り気だ。


「いいぜ、雫ちゃん! この前小学生に十三連敗したオレの腕を、見せてやるぜ!」


 あまり自慢にならないどころか、むしろ自らの汚点をナイトはさらけだした。


「ぼくもいいよ。是非参加させてよ、桃山くん」


 紫も参加することになり、残りは輝鈴のみとなる。


「駅前のゲーセン……だと? 小学生か、貴様らは」


 輝鈴は窓の外を見て、頬杖を付いたまま顔をこちらに向けようとしなかった。


 ナイトは輝鈴の気を引くため、新しい提案をする。


「じゃあ、カラオケか……ボーリングでもどう?」


「カラオケいいね! いちごちゃんはアニソンメドレーしちゃうよ!!」


「俺は雀荘でもいいぜ?」


「遊ぶことばかりだな、貴様らは。そんなヒマがあったなら、鍛錬に励め」


 相変らず輝鈴は外を見たままで、まったく興味を示さない。


 いちごは微妙な空気を感じ取ったのか、そっぽを向いたままの輝鈴を、説得しようと試みた。


「まーまー、きりりん。パンチングマシーンとか、ダーツとか、握力計測器とかもあるし、きりりんも楽しめるゲームがあると思うよー。ガンシューティングもあるけど……拳銃は使っちゃダメだからね?」


「フン。あれは桃山の所有物だから遠慮なく撃っただけだ。公共の場でそんなことができるわけなかろう。しかし……パンチングマシーンは面白そうだな。これも鍛錬と考えれば、悪くはないか。……む、そうだ! ミットに桃山の写真を貼り付けるというのはどうだ? 我ながらいいアイデアだと思うが」


「却下に決まってるでしょ! 蒼樹くんも反対してよ!」


「いいんじゃないかな。桃山くんの顔って、殴り甲斐ありそうな顔してるし」


 紫は爽やかな笑顔を浮かべて肯定した。


「決まりだ」


 そして、五人は駅前のゲームセンターで思い思いの楽しい時間を過ごした。


 ちなみに、輝鈴はパンチングマシーンにナイトの写真を貼り付け、測定不可能な数値を叩きだし、見事にマシンをぶっ壊した。


「ふん。最近のゲームセンターは軟弱だな。少し押しただけで壊れてしまったぞ。筐体の強度設計を今一度考え直すべきであろう」


 パンチングマシーンの前で人差し指を突き出したまま、輝鈴は呆れ顔で溜め息をついた。


 そして、それを見ていた店員は、粗大ゴミになったパンチングマシーンと、輝鈴を交互に見比べて、大きく口を開けたまま、失神した。


「次はモグラたたきでもやるか。ふん、このナヨナヨした面構え……目障りだ。文字通り叩き潰してやる」


 愛らしいモグラの顔を見て、輝鈴が小さなハンマーを思い切り振りかざす。それを必死になって、いちごと雫が止めにかかった。


「きりりんダメ! これ以上壊したらダメーー!」


「アホ! ちっとは手加減考えろ。ゲームセンターはモノをぶっ壊すとこじゃねーぞ! 壊すならナイトの部屋の物くらいにしとけ! ここは公共の場だ!」


 いちごと雫により、輝鈴は取り押さえられ、ゲームセンターの隅っこに追いやられる。


 ていうか、オレの物なら遠慮なくぶっ壊すんかい! 三人のやりとりを横で見ていたナイトは憤った。


 それから意識を取り戻した店員に、ナイト達は即座につまみだされ、その日はもう解散するしかなくなった。

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