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第七話 【改稿版】

お金持ちの変態おじさんに拉致された女子高生がお城で監禁生活をするお話、第七話です。完結にあたって見直してみたらシリーズ前半部分をテコいれする必要を感じ、このたび大幅に加筆修正しました。この七話はほとんど変更はありません。



 ――ブラボー! 

 演奏を終えた私は惜しみない賛辞と拍手に迎えられる。

 屋敷の住人と従業員、総勢十数名によるパーティは午後六時から一階ロビーにて催された。

 シャンデリアを彩る天使の天井画の下、グランドピアノの設置された簡易ステージには私の油絵と生け花も展示され、あたかも学芸会のような雰囲気だ。

 美濃部による開宴の挨拶に続いてオープニングを飾ったのは、ピアノ初心者である私の猛特訓の成果である『いつか王子様が』。いくら上達の早さを褒められたとはいえ、所詮素人の付け焼刃。お世辞にも上等な演奏とはいえないものの、それは聴衆も承知の上だろう、演奏会は終始和やかなムードで進行した。

 ほどなくコックが料理皿を運んでくる。ブッフェテーブルから自由に料理を取りに行ける立食スタイルであることも相まって、参加者同士の会話も弾み、あちこちから談笑が漏れはじめる。

 私がとある従業員とにこやかに語らっていると、ワイングラスを片手に美濃部がやってきた。

「いやはや、素晴らしい演奏だったよ。はじめてひと月であれだけ弾きこなせるとはたいしたものだ」

「お誉めにあずかり光栄です。紺子さんのきめ細かい指導のおかげですわ」

「絵も生け花も実に君らしい。あの気品は得難いものだ。君は将来、よい芸術家になる」

「そんなにおだてないでくださいお父様、照れてしまいますわ」 

 美濃部はしばらくわははと上機嫌に笑っていたが、

「おおそうだ、君に贈り物があるのだった。――紺子、夏姫に例の品を」

 へえ、なんだろう。

 退席する紺子さんの姿をつい目で追ってしまう私。いかに今夜の大仕事のことで頭がいっぱいだとはいえ、贈り物やプレゼントという単語には否応なしに人の心を弾ませる魔力があるようだ。ややしてから紺子さんが戻ってくる。恭しく美濃部に差し出された手にはビロードの小箱が。

「父娘の誓いを結んでひと月の記念品だ。受け取ってくれるかい」

「まあ。開けてもよろしいですか?」

「もちろんだとも」

 私は美濃部から差し渡された小箱の蓋に手をかける。

 箱の趣からして指輪やネックレスかと思ったが、結果は当たらずとも遠からず。白色金のケースにダイヤが花の形に象られた腕時計だった。シャンデリアの灯りを眩く照り返すそれに私がうっとりと言葉をなくしていると、

「君は携帯端末を時計代わりにしていたから差し障るだろうと思ってね。紺子とも相談して決めた」

 思い当たることならあった。美術室で紺子さんに美濃部からかかってきた電話。あれはプレゼントに関する相談だったのかもしれない。

「こんな素敵な品を……本当に私などがいただいてもよろしいのですか?」

「君に受け取ってほしいのだ。これはお守りだよ、夏姫。君を世の中の悪意やしがらみから守る僕の決意の象徴だ。だから片時も離さずこれを身に着けていてほしい」

 見上げた先の美濃部の目は昏く昏く澄み渡っていた。これなら、と私は思う。これなら最初の濁った目の方がまだましだ。混ざり気のない水は奥底にあるものまでをもつまびらかにしてしまう。水底には汚染された泥や、投棄されたゴミや、動物の死骸でいっぱいかもしれないのに。だから私は彼から視線を逸らし、目を伏せて、決まり文句のように、ありがとう存じますお父様とだけ呟いた。

 ゆっくりと。美濃部が私に手の平を差し向けるのが見えた。最初に出会ったときのように。ピアノの音が聴こえる。ロマンティックな旋律に一、二、三のリズム。ワルツの三拍子だ。ここひと月、刷り込まれたせいで身体が自然に反応してしまう。踊りたい、と私は思った。今夜は修羅場だ。打算も計略も抜きにして、僅かなひととき、この心地よいリズムに身を任せてもいいだろう。

 私と美濃部は手を取り向い合い、ステップを踏みはじめる。

 一、二、三で右回転。

 最初のターンが成功すると、嬉しそうに美濃部が微笑み、私も笑う。

 音楽に合わせて優雅にリードする美濃部を追い越さないよう遅れないよう気遣いながら、私はステップを刻み続ける。

 一、二、三。

 青いドレスをなびかせ、ヒールの靴を翻し。

 一、二、三。

 寄せては返す波の如く、前へ進んで後ろへ退き。

 一、二、三。

 左に右に回り巡って、偽りの父娘が笑い合う。本物の父娘のように分かち合う。

 この瞬間、音楽の鳴り続けている今だけが聖域だった。音楽が終わったら、もう私たちは相容れることはないだろう。私は彼の築きあげた綺麗な想像の世界から抜け出し、剥き出しの現実へと帰らねばならないのだから。

 



 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 

 狙い通り、美濃部には私の酌を飲めるだけ飲んでもらった。

 酔い潰れた美濃部を執事の男性が二人がかりで寝室へと連れて行く姿を見送って、私は腕時計の文字盤に目をやる。

 ――午後八時二十分。

 決行の時間は迫っていた。

 あらかじめロープを作り置くことができれば楽なのだが、執事がベッドメイキングで寝室に入るため当日の夜に一気に仕上げるほかない。したがって本番でぐずぐずしないためには短時間でワンピースを撚り結ぶ技術を習得する必要があった。ワンピースを二枚一組で撚り合わせ、もう一組とあや結びにするまでのワンセット。これをこの十日間欠かさずに練習した甲斐もあって、最初は十分かかっていたものが、今では三分で仕上げられるまでになっていた。帰部屋時間の九時から作業を始めても〇時をまわる頃には百着以上のワンピースでひとつなぎにされた脱出用ロープが出来上がるはず。住み込みの従業員たちも遅くとも十一時には仕事を終えて帰部屋するようだから、実際の就寝時間はプラス一~三時間後と見積もって、決行は午前二時頃がベストだろう。充分余裕がある。

「夏姫様、どこかお具合でも悪いのですか?」

「ひゃをぅ!?」

 煙のように現れた紺子さんの顔が私を覗きこんでいた。この人は、くの一か何かか? 私は平静を装いながら、

「いえ、別に何ともないですよ」

「それは失礼いたしました。何となく普段よりピリピリしているように思えたものですから」

 やや、いやに勘が鋭い。毎日顔を突き合せていればこんなものなのか。

「私のお酌でお父様を泥酔させてしまったことに少し責任を感じているんです」

「それにしては随分とご熱心にお酒を勧められておられるように見えたのですが」

「そんなことは全然ありません」

「はあ」

「……お父様、大丈夫かな」

「おや、ご心配なのですか」

「そりゃまあ。一応娘だし、気遣ってあげてもいいかな、みたいな?」

「…………」

 紺子さんはで無言でこちらを見下ろしている。ジト目で。いや、半眼なのはもともとだけれど、もしかして不審に思われている? 少し演出過剰だったか。紺子さんは一層きつく睥睨するように顎を傾け――

「そのことなのですが」

 え? どのこと?

「夏姫様、少々お時間をいただけますか。貴女と耀司様の件で大事なお話があります」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 

 照明のスイッチを入れると、夜の美術準備室に白熱電球が暖かな光を投げかける。

 八月とはいえ山の夜は都会のうだるような熱帯夜とは無縁の涼しさだ。窓を開ければ峰から吹き降ろす冷たい風が秋の訪れすらも感じさせてくれるだろう。

 紺子さんは脇に抱えたストールを覗かせ「お寒くありませんか」と尋ねてくる。

「平気です。それよりお話って?」

「はい、すでに夏姫様もお察しだとは存じますが――」

 彼女は準備室の奥のスペースにある収納棚から一枚の画用紙を取り出す。

 やはりそうか、という予感があった。

 ――二人の幼い少女の肖像画。

 幾枚にもわたって成長過程を描かれた少女と、彼女に面影の似た見覚えのある少女が並んで微笑んでいる。あの日、私が偶然手に取ることになった絵の最後の一枚。確かあのとき私に絵について尋ねられた紺子さんは、

「申し訳ありません。あのときは咄嗟に誤魔化してしまいました。雇い主の過去を一介の使用人が口にするのは憚られたのです」

「ならどうして……」

 彼女はしばし枕思するように目を伏せたのち、決然と言い放った。

「貴女には知る権利があると判断しました。たとえ正規の続柄ではないにせよ、夏姫様は耀司様のご息女です。そしてこの一件には夏姫様が関わっておられるからです。ただ少し込み入った内容ですので」

「今夜、なんですね」

 彼女は頷く。美濃部のいないこの機会を彼女は狙っていたのだ。どうやら宴の夜にはかりごとをしていたのは私だけではなかったらしい。

 紺子さんは話に切れ目を入れるように一呼吸すると、訥々と語りはじめた。

「いつか夏姫様は私に耀司様のご家族について尋ねられましたよね。こちらの絵は耀司様の奥様の描かれたものです」

「やっぱり、お父様のご家族の作品だったんですね。奥様は今どちらに」

「順を追ってご説明いたしますね。まずこちらの――」

 彼女は棚からキャンバスの束を抜き取る。例の画集を模写した花の絵だ。

「花の絵は耀司様のご息女の麗様がお描きになった作品です。奥様との間にお生まれになった血の繋がったご息女です。麗様。美濃部麗様。何か思うところは?」

 思うところと問われても。

 私が答えに窮するのをどう受け取ったのか、紺子さんは花の絵から二人の少女の絵に持ち替え、さらに言葉を継ぐ。

「こちらの左側の少女が麗様です。彼女が九歳の時分ですから八年前のことですね。この後も奥様は折に触れて麗様を描かれ、実に二十数枚の肖像画を残されておりますが、これが一番古い作品となります。そしてすでに薄々感づかれておられるかと存じますが、こちらの右側の少女が」

 絵の人物を示していた彼女の指先が、ゆっくりと向けられた先には――

「貴女。麗様と同じ九歳の頃の夏姫様です。すでにこのとき、耀司様は夏姫様と出会われていたのです」

「――――!」

 最初に絵を見たときから茫とした予感はあった。これは決して他人の空似なんかじゃないって。でもそこから当然思い至るべきことがすっかり抜け落ちていたことに、私は虚を突かれた思いだった。美濃部と私が、彼の話よりもっとずっと前から既知の間柄だったなんて。

「じゃあお父様が三年前に私に出会ったというのは」

「あれは事実ではありません。ご本人がどこまで自覚しておられるかはわかりかねますが、彼は、耀司様は、麗様を夏姫様で上書きしようとしているのだと思います。夏姫様との思い出に麗様を伴わせるわけにはいかないのです」

「どういう意味、ですか?」

「耀司様がかつて溺愛されていた麗様はすでにこの世におりません。ある日、命を奪われてしまったのです。突然の理不尽な暴力によって」

 紺子さんは事の経緯を語りはじめる。

 麗さんが亡くなったのは四年前、彼女が十三歳のときだった。死因は刺傷による失血死。休日に父娘二人で街を歩いていたとき、通りがかった見ず知らずの男に突然刃物で胸を刺されたのだ。男は麗さんを守ろうとした美濃部と、さらに複数の通行人にも刃を向け、死者一名、重軽傷者五名の惨事となった。亡くなったのは麗さんただひとりだった。通り魔の男は犯行の末に自害したという。

 私は驚きを隠せなかった。家族がいながら姿を現さないとしたら、別居か離婚かさもなくば……すでに亡くなっていることも考えられたが、まさかそんな悲惨な最期だったなんて。いつか浴室で見た美濃部の肩の古傷はこのとき彼女を守ろうとして負ったものなのだろう。しかも、その麗さんは……。

「あの……麗さんと私は、友達……だったのですか?」

「ええ。やはり覚えておられませんか?」

「はい……ひどい、ですよね」

「無理もありません。子供の時分の僅かな間、それも八年も昔のことなのですから。夏姫様が気に病まれることはありません」

 さりとて昔の友達が落命した事実すら一切知らなかったことに私は後ろめたさを感じてしまう。

「――話を戻します。麗様を奪われた耀司様は生きる意欲をすっかり失われてしまいました」

 美濃部は業績好調だった会社を後進に譲り、半ば隠遁生活を送るようになる。犯人の男に憎しみの矛先を向けることも叶わなかった彼はやり場のない思いを自分自身にぶつけることしかできなかった。麗さんを守りきれなかった自責の念が、やがて身近な他人に向けられるまでにそう時間はかからなかった。おしどり夫婦とまで呼ばれた奥さんと間には諍いが絶えず、ついには別居状態に。彼の守ろうとしてきた家庭は崩壊してしまった。

「そんなときでした。耀司様が奥様の私物のなかからあの絵を見つけられたのは」

 彼女は私と麗さんの絵を愛おしげに撫でる。

「おそらく耀司様は夏姫様に麗様の幻を見ていたのでしょう。絵の少女が存命ならば麗様と同い年です。彼はすぐさま私たちにこの少女を探し出すよう命じられました。失われた麗様の時間を麗様に面影の似た少女が生きている姿を一目見たかったのだと思います。絵の少女は間もなく見つかりました。奇しくも麗様が亡くなられた一年後、お二人は再会を果たされたのです。その後の顛末は耀司様のお話された通りです」

 そうか。すべてが繋がった気がした。だから美濃部は私にあれほど執着していたのだ。麗さんはもう戻ってはこないけれど、麗さんの生き写しのような私を身代わりにして、彼女が生きるはずだった時間を再現させることならできる。たくさんのワンピースも、習い事も、宴の夜も、この箱庭での生活はすべてその夢の世界を満たすための器だったのだ。一度世の悪意によって愛娘を奪われている彼からすれば、私たち母娘の確執なんてものは単なる保護の口実にすぎなかったのかもしれない。

 話をひと段落させた紺子さんは静かに息をつく。

「このひと月、耀司様は幸せそうでした。私が彼に仕えてからこれほど安らぎに満ちたお顔は見たことがありません。夏姫様はその振る舞いも含めて麗様を完璧に演じあげておりました。貴女が耀司様の欠落を埋め、彼の夢を叶えてくれたのです。そのことについて私たちはお礼の申しようもありません。ですが――」

 滅多に感情を露わにすることのない紺子さんの顔に苦悩の影がよぎる。

「どれだけ取り繕うとも夏姫様は麗様ではないのです。所詮それは一晩かぎりの儚い美に過ぎないと私は思うのです」 

 そう言って彼女は奥の棚から何かを取り出した。大判のトートバックが裸電球の下に照らし出される。

「ようやく心の安寧を取り戻された耀司様に麗様の話題できませんから、まだ彼はご覧になられていないのですが」

「これって……」

 バックから差し出されたそれを目にして、私はとある要望を口にする。

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