「誰かを守るということ」①
ラヴァンドラは『ばぁばのお薬のお庭』と幼い頃から言っていた方の庭でひとり、ベルタがくれた『からくりオルゴール』をカチャカチャと音を鳴らしていた。
ラヴァンドラのお尻の下にある緑の綿敷布は、ラヴァンドラが好きな白い花の模様。そして、座るラヴァンドラの膝の前にはマナが作ってくれたお米の食べ物が陶器の器に盛られていて、匙が添えられていた。
お米を乾燥させて、油で炒めて、はちみつを絡めたもの。
大好きな『ママさま』も、好きだというもの。
そのまま食べるとさくさくしていて、牛乳をかけると、とろとろする。
手間のかかる異国のそれを、料理上手なマナが作ってくれたのだ。
マナが凸凹する地面の上に敷かれる敷布の上でも食べられるようにと、牛乳の入った白磁のポットは盆の上に載せられていた。
今日は珍しく青い空がディアトーラ上空にある、晴れの日だった。久しぶりの青、といっても灰水色に近い色の空は、ディアトーラでいう秋の青空なのだけれど。だけど、春のエリツェリで見ていた空にも似ていて、ラヴァンドラの気持ちは、どこか晴れやかだ。
ながい冬が終わりやっとやってきた春の空だと思えば、これは曇り空ではない。
「ねぇ、キミィ。キミィはどうやって食べますか?」
そう言いながらも、ラヴァンドラの視線はからくりオルゴールに向いている。これをひとりで開けることができたのならば、なんでもできる大人になれるような気がしているのだ。
きっと、これをひとりで開けられたら、キミィだって守ってあげられる。
今日ならきっと。
そんな風に。
だから、キミィの表情にも声色にも気づけなかった。
「わたしは、最初はさくさく食べて、後ほど牛乳をかけてみようと思っています」
ラヴァンドラはそう言い終わって、やっとキミィを眺め見た。キミィの瞳はわずかに茶色い色をした黒色。黒い髪はラヴァンドラと同じ色。
魔女は黒髪なの?
グレーシアにそう尋ねたこともあった。しかし、今のトーラの髪色は茶色い色をしているそうだ。今よりも少し幼かったラヴァンドラは『魔女の女王さまは、茶色の髪なんだ……』と、とても不思議な気持ちになったこと思い出しながら、それがキミィの安心につながりはしないだろうか、とそのキミィの瞳を見つめていたのだ。
しかし、キミィの瞳はラヴァンドラに向いていて、ラヴァンドラを見ていないような気がしてたまらない。
そんなキミィは、魔女狩りすら恐れていないのかもしれないし、そもそも、リディアスの魔女狩り兵が、キミィを見留められるかどうかすら分からない。だから、ラヴァンドラはお喋りをやめられない。
でも、リディアスの人間は、キミィの気配が分かるのだろうか?
セーブルが分かるように……?
ラヴァンドラは、何も答えないキミィの存在を確かにしておきたくて、ふたたびキミィに声をかけた。
「キミィ? どう食べます?」
「私は、このままでいい」
髪色は関係ない。だけど、キミィもラヴァンドラも、ルタも黒色。
魔女っていったいなんなのかしら?
ラヴァンドラの疑問は、キミィの『そのまま』に答えるために、口から発せられることはなかった。
「このまま? さくさくと食べるだけということでしょうか?」
キミィがふわっと笑うと、ラヴァンドラもつられてにっこり笑った。
「わかりましたわ。キミィ、わたし今日こそこのオルゴールを鳴らせてみせますので、楽しみに待っていてくださいね」
グレーシアは、このからくりオルゴールを作った細工師のベルタにこう言っていたのだ。
『運命のふたりで開くという、そんな風な売り込みにしておくと良いのではないかしら?』
だけど、ルカもベルタも軽く笑いながらひとりでも開くと言っていたもの。
ラヴァンドラは、だから、ひとりで開きたい。
ひとりで開くことができたら、魔女狩りだって怖くないような気がするのだ。大人になれる気がするのだ。
キミィだって守ってあげられるような、そんな不確かな希望がラヴァンドラの中にふわふわと生まれる。
だからこそ、ひとりで開きたい。ひとりでなんでもできるんだから。
だから、会話が止まるとすぐに、からくりの格子をカチャカチャさせてしまう。キミィはそんなラヴァンドラの気持ちを知ってか知らずか、ずっとラヴァンドラの指に視線を向けていた。
かちり。
からくりから音がなる。もしかしたら……。からくりの格子を中指で抑えながら、人差し指の爪をその蓋に引っ掛ける。
「あぁ、また開きません」
熱中していたラヴァンドラが、顔を上げると、わずかに紫の煙を巻き始めたキミィが見えて、息を呑んだ。
「キミィっ」
ラヴァンドラは必死にキミィを呼び止める。その声に煙がキミィの中に戻っていく。いつものふわふわなだけのキミィに戻る。
「どうしたの? お姫さま?」
どこか頼りない、キミィの声。まるで霞を紡いだような、そんな声。
キミィはラヴァンドラの名前を言ってはくれない。愛称は考えてくれると約束したが、名前を憶えてくれているのかどうかも分からない。
だって、キミィはこちらの世界よりも、あちらの世界に惹かれているから。
……だったら、こちらではお化けって言うことになるの?
――いいえ、キミィはお化けじゃないわ。だって、ここにいるもの。
「そうだわ。キミィと一緒にこれを……」
そう言ってしまったラヴァンドラは、思わず後悔して口を噤んでしまった。キミィはこちらの世界のものを、もううまく持てない。キミィの姿を見ているのは、ラヴァンドラだけになってしまっていた。キミィと初めて会った頃は、じぃじもまだ……。
それに、まだママさまがキミィを視ていてくれたから……。
背中に赤い卍模様が描かれていた蜘蛛は、セーブルにも見えていた。ときわの森に棲む蜘蛛の一種で毒はないと言ったセーブルは、その頃からキミィの姿を見ていたわけではない。ただ、気配だけを感じていたに過ぎない。
あの時、存在のある蜘蛛を追い払えたキミィは、もうなにも持てない。もう、蜘蛛を追い払うことすらできないのかもしれない。
「ごめんなさい」
慌てて謝るラヴァンドラに、キミィはほわほわ笑った。まるで気にしてないと言うように。そう、キミィはあちらの世界に戻りたいのだ。
だから、本当は、こちらに引き留めることが良いのかどうかも分からない。
だけど、キミィはラヴァンドラのそんな気持ちに寄り添うようにして、姿を留めてくれている。ほんとうは、それだけなのかもしれない。




