「ラヴァンドラの怖いもの」①
草木も眠る丑三つ時。
いや、そんなに時間は遅くないはず。
多分……だけど。
そんなことを思いながら、ラヴァンドラがベッドの上でころりと転がると、仏頂面したまま立っている扉がうっすら見えた。
どうして、夜になるとセーブルは帰ってしまうのかしら。見張りなのならば、そばにいてくれても良いはずなのに……。
扉と同じような仏頂面のセーブルを思い出して、天井を見上げると、今度は何の変哲もない真っ暗な天井が、ぐらぐらと波打って見えてくる。胸の奥の方に雨水が垂れたような、ぞわりとしたものを覚え、身体を強ばらせる。
お化けなのかしら……。思わず、目の下まで引き上げた掛布団は、ラヴァンドラにとっての防壁だった。
暗闇の中、焦点の合わない天井は、まだ揺れ続けていた。
やっぱり、お化けが出てくるのかしら……。
掛布団を頭から被ってしまったラヴァンドラの世界は真っ暗になった。こうしていると、世界が温かな安全地帯になったような気がしてくる。
お化けではないことは知っている。
セーブルだって夜は眠たいはずだし、自分の家でゆっくりもしたいだろう。
そんなことも分かっている。
それなのに、ほぼ毎日、背後霊のようにして立っているセーブルは、ルカが用意させる夕食をいつも断り、そそくさと帰ってしまうのだ。もっと、おしゃべりをして仲良くなりたいラヴァンドラとしては、不服しかない行動だった。
だけど、別にその時は怖くない。
だって、伯父さまも、伯母さまもいるのだもの。セーブルなんかよりもお喋りも楽しいし、たくさん笑ってくださるもの。
セーブルのことなどすぐに忘れてしまう。
だからか、布団の中で目をぎゅっと瞑っていたラヴァンドラは、どうしてセーブルなんかを考えるのかを考えて、やっぱりどうでもよくなった。
――いないのだもの。
きっと、ママさまみたいに眠るまで手をつないでくれはしないのだろうし……。
ここに来た最初の三日間は、ラヴァンドラが眠るまで、グレーシアが手をつないでくれていた。
『身丈はわたくしとそう変わらなくなってきていますのに、あなたはいつまでも怖がりですね』と言って。
だけど、その時は『ぷん』と思っていたのだ。
ひとりでちゃんと眠れるもの……と。
エリツェリではひとりでちゃんと眠っているのですもの、と。
だけど、書き物を傍でしてくれている母はとても心強くあり、寝付くまで灯を落とさないでいてくれたことで、お化けは現れなかった。
もしかしたら、あの波打つ天井も『時の遺児』と関係するのだろうか。
同じくこの館に住んでいるらしいキミィの足音を一度お化けと勘違いして、おそらく御不浄から帰ってきた母に、ラヴァンドラは抱きついてしまったこともあるのだ。
そう言えば、その時から、母の様子が少し変わってしまった気がする。
『心配ないわ。母さまがあなたを守ってあげますからね』と、抱きしめてくれたママさまをラヴァンドラは思い出していた。
あの時ママさまは何を書いていらっしゃったのかしら……。
ラヴァンドラは掛布団の中でぎゅっと瞑っていた目を開いて、考えた。
あのオレンジの光の中。
母であるグレーシアは、夜遅くまで何かを書いていたのだ。オレンジ色に染まる羽ペンが、せわしなく動いていた。
そもそも、ラヴァンドラはリディアスで行われる春のお祭り『春分祭』でディアトーラが献上する予定のからくりオルゴールを、母とともに見に来ただけだったのだ。
手土産には、やはりエリツェリがリディアスの春分祭に献上しようと思っていた『花砂糖』というお菓子を持って。
エリツェリの花であるエリーゼの花びらを砂糖漬けにした桃色の氷菓子。エリツェリのものは、『雪菓子』と呼んでいてリディアスにすでにある果物を閉じ込めた氷菓子と区別しているもの。
見た目もほんのちょっと違う。雪菓子は氷菓子に比べて砂糖がとても柔らかく、口の中で零れるように解けていくのだ。氷菓子の硬さはまったくない。
それをみんなで食べる予定だったのだ。
それが、リディアスの魔女狩り騒ぎとキミィの存在で変わってしまった。
そう、はじめはディアトーラには腕の良い職人がいるからと、見学していただけだったのに。
母がリディアスの学校へ留学している時に、母のお弁当箱を作ったベルタという職人さんだった。
――とても面白い方なのよ。手先が器用で面白いものをたくさん作ってらっしゃるの。あなたもきっと、楽しめるわ。
ラヴァンドラはそんな母の楽しい帰省に付いてきただけだったのだ。
そのベルタは、試作品のからくりオルゴールを、ラヴァンドラにくれた。
母は、それについての書き物をしていたのだろうか?
ラヴァンドラは、掛布団に隙間を作り、母が座っていた文机をそっと眺め見た。
雲間から現れた月明りによって、真っ暗な中に母のイメージが浮かんでくるように見えた。からくりオルゴールのからくりを解明しようとしての書き物だったのだろうか?
だけど、それも違う気がする。
ラヴァンドラの記憶にある母の背は、もっと、もっと深く何かを物語ってくる。
「ママさま……」
呟いてみても、今は『大丈夫よ。ママさまはここにいますからね』の声は返ってこない。
誰かに手紙を書いていたのだろうか……。
でも、違う。
そんな気がした。
ラヴァンドラの母は、祖母ルタの実の娘である。
ルタと言えば、トーラの娘と言われる魔女だった。
ばぁばが魔女の頃の名前は、確か……
――ラルー
その記憶を引き出しはしたが、祖母が魔女だったということを信じているような、信じていないような不思議な気持ちになってしまう。なんと言ってもラヴァンドラにとってのルタは、恐ろしい魔女なんかではなかった。
ばぁばはいつも優しく、そう、だから……。
『母さま……』
ママさまは、そうやって寂しそうに呟いていた。恐れなんかなかった。だから、からくりオルゴールのことでもなく、手紙でもないとラヴァンドラは思うのだ。




