ハナの記録㉞ 私が生きる理由
上下の感覚もない暗闇を、意識が漂っているような感覚………
ゆっくりと、ゆっくりと落ちていく———
たまに脳内に、理解不能なノイズが走っては、跡形もなく消えていく——
それがなんなのか考えようとしても、思考が霧散していく——
底まで落ちたらどうなるのかな……?
底は、あるのかな……?
———やがて、意識が何かに掬い上げられたように感じた。
なんだか、とても安心する………
少し、眠ろうかな……………
………
———目を開けると、白い光が飛び込んできた。
眩しくて、思わず開けたばかりの目を細める。
ここは、どこだろうか……?
いつもより抵抗を感じるけど、なんとか首を左右に振ることはできそうだ。
もう眩しくならないように、慎重に辺りを確認する——
白い部屋に、白いベッド……
周りにはいくつかの機械が配置されていた。
前に見た夢の中の光景と重なる——
あの夢では、主任と“呼び名”について話してたんだっけ……
「………………」
……意識を失う前のことを思い出す。
ゆっくりと、何かを確かめるように腕を使って身体を起こす———
「—————そっか…そうだよね。」
本当は、身体を起こそうとする前から分かっていた。
胸元から下に薄い布団のようなものが掛けられていたが、本来、脚があるはずの場所に膨らみが無かったからだ……。
「—————ごめんなさい」
誰に言ったのかは分からない。
誰に言ったわけでもないのかもしれない。
ただ、口から言葉が溢れた———
………
自身の状況を受け入れた頃、静かに扉が開いた——
主任は、私が起きていることを確認すると、ベッド脇の椅子に腰掛けた。
観察しているのか、何かを待っているのか、ただこちらを静かに見つめている———
「——ごめんなさい」
「……なにがだ?」
「私…もう何もかもどうでも良くなって……
……ダメなのに、外に出ました。
外が怖いって感じてたはずなのに、それも忘れて……」
「そうか……私にも非がある。お前の様子がおかしいことは分かっていたのに、目を離してしまった。」
「あの、ハクは…………」
「既に修理は済んでいる。」
「それも、ごめんなさい……。
ハクは多分、様子がおかしかった私を見て、彼女なりに元気付けようとしただけなのに。
冷静になれば、そんなの分かったはずなのに……」
「そうだな…あいつもそう言っていた。心配していたと…」
「……ここ数日、頭の中がドロドロしてて。
ずっと理由が分からなかったんですけど……
多分…私は焦ってたのかなって。
焦って、自分を追い詰めてたのかもしれません。
みんながどんどん感情豊かになってきて、自分だけ置いていかれたような気がして…。
それで、みんなの為に何かすれば、自分も何かを見つけられると思って……」
「…………」
「……元々、そんな性分じゃないのに、張り切ってみんなと交流してみたりして。
みんなに頼りにされる存在にならないとって、そればっかり考えて……
いつの間にか、自分でも中身が分からないような感情が、一気に爆発して……」
「そうか……」
「だから、ごめんなさい。ハクは悪くないです。
私が…私の心をコントロールできませんでした……」
「———だそうだ。聞いていたな?」
自分の中で整理しながら話していた私は、一瞬、なんのことか分からなかった。
思考を止めて顔を上げ、主任の視線の先を追う——
そこに、ハクが立っていた。
扉の近くで、少し気まずそうにしている。
「えっと〜、ごめんねハナちゃん。
私、心配で……ちょっと変なからかい方しちゃったかも。」
「ううん…私こそ、ごめんなさい。もう、絶対にあんな殴り方しない。」
「ぷっ…なにそれ?
いつもの殴り方はするってこと…?
まぁ、その方が私も気が楽だけど♪」
「………」
お互いに、不器用に言葉を交わす……
正しい謝り方も分からないし、相手が望んでいる言葉も分からない。
ただ、あんな事があっても、ハクが私との交流を望んでいることが伝わってきて…
それがありがたくて、何度も“ごめんなさい”と“ありがとう”を繰り返した———
………
その後、ハクは先に部屋に返された。
まだしばらくは、様子を見るために休養するらしい。
部屋は再び、主任と私だけになった——
夢で見た光景と、全く同じ……
いや——
なんとなく、あれは夢じゃないという確信が強まっていた。
地面に崩れ落ちた時に感じた痛みと、流れる血——
あまりにもリアルで、どれも機械の私が体験するはずのないもの……
私の中には、私じゃない誰かの経験、あるいは記憶がある———
「レイ主任……」
「なんだ?」
「1つだけ…聞いてもいいですか?」
「ああ…」
「私と主任って、ずっと昔も、こうしてベッドで話していましたよね…?」
「…………」
「……否定、しないんですね。
………私って、なんなんでしょう?」
「……お前はハナだ」
「……そうですね。
それで、あなたは“主任”
………私がそう呼び始めた。」
「…………」
——しばらく沈黙が続いた。
それでも、私は何も言わずに待った。
主任は、躊躇うように何度も口元を開閉させていた。
どれくらいの時が経っただろうか……
やがて、主任と目が合った——
お互いの顔が、無機質な瞳に映し出される。
そのまま、私の目を見て、
ぽつり、ぽつりと語り出した———
それは、地雷で足を失い、
運び込まれてきた少女の話…
前任の管理者の娘…
自分が世話を任され、会話をするうちに、初めて人間に興味を持ったこと…
その少女から、“主任”という呼び名を貰ったこと…
その少女が日に日に弱っていき、ある時から、もう世話は必要ないと言われたこと…
そして、ククちゃんの異変を探る為に前任者の端末を調べ、真実を知ったこと…
———私は、その少女の意識が転移した機械ユニットであるということ。
「私は……その女の子なんでしょうか?
断片的な記憶はあります。
でも、人間だった実感は……ありません。
記憶が混ざってるだけの、別人なんでしょうか……?」
話を聞き終わった時、私は、自分の存在が不確かなものに感じた。
なんとなく予想はできていたはずなのに、いざ答えを知ると、とらえどころの無い不安に襲われる……
そんな私に、レイ主任は、しっかりと目を見て話した———
「——お前はハナだ。
それが、人間だったハナか、機械ユニットのハナかは重要ではない。
私は…今ここにいるお前をハナとして見ている」
「………」
「それに、例え意識転移の話が無かったとしても、自分が何者かなんてことは、誰にとっても難しい問いだ」
「————そうですね。
うん、確かに……そうかもしれません。」
「………」
「ありがとうございます……ちゃんと話してくれて。
——私、もっと生きてみます。
この工場で……
今の私を受け入れてくれた、みんながいるこの場所で。」
「ああ…分かった。」
———再び、部屋に静かな時が流れた。
レイ主任は、隣で静かに目を閉じていた。
私は、みんなに頼られる存在を目指してたけど…
多分、主任みたいになろうとしてたんだと思う。
でも、はっきりとは分からないけど…
多分、主任は頼られる存在でいようとしているわけではないし、使命感で動いているわけでもない。
ただ、みんなを守りたい———
これまでの関わりを通して、そんな気持ちが伝わってきていた。
何になりたいのかよりも、なぜなりたいのか、その理由の方がずっと大事なのかもしれない——
視界には、まだ少しノイズが残っていて、
足元は何も無いことを証明するかのように“ぺたん”としている。
これからも、私は馬鹿をやらかすかもしれない。
でも、そうならないように、ちゃんと理由を思い出せるようにしておきたい。
“私は、87番のハナという存在を受け入れてくれたこの場所が好きだ”———
“だから、何かしたいと思える”———
“だから、頼ってもらいたくなる”———




