31、スヴェンの過去
ハルトマン侯爵家に来てから、数日が経った。
みんな私にとてもよくしてくれるし、食事も美味しく、毎日が穏やかで満たされていた。
カイラの息子はふたり。兄のデイルは14歳、弟のリックは11歳で、幼い頃にスヴェンとよく遊んでもらったと話してくれた。
その日は午後からエレノア様とのお茶の時間が控えていた。
私がその場所へ向かっていると、リックが駆け寄ってきて私に飛びついた。
「レイラお姉様、今日は遊んでくれないの?」
困惑する私に、兄のデイルがすかさず声をかけた。
「だめだよ、リック。大人同士のお話があるんだから、ちょっと我慢して」
リックは少し不満そうに頬を膨らませたけれど、デイルの手を握って小さく頷いた。
「明日は時間があるわ」
私がそう言うと、リックは「絶対だよ」と笑顔で返した。
その様子を見て、私は自然と笑みがこぼれた。
まるで本当に弟たちができたような気持ちになれたから。
私はふたりを見送ったあと、庭園のテラスへ向かった。
庭園は色とりどりの花々が優雅に咲き誇っていた。
真紅の薔薇は燃えるような鮮やかさを放ち、淡いピンクや白の花々がやわらかく光を受けて風に揺れる。
空は澄んだ青をして、ふわっとした雲が少しばかり浮かんでいる。
世界の色を目にすると、たまらなく筆を持ちたくなる。
今すぐにでも頭の中では描けるというのに、それが叶わない切なさに、胸がぎゅっと締めつけられる。
「レイラ、こちらよ」
テラステーブルからエレノア様が手を振っていた。
私は少し速足でそちらへ向かう。
「遅くなりました」
「いいのよ。私が嬉しくて早く来てしまったの」
白いガーデンテーブルと椅子には、ケーキや焼き菓子が並べられる。
私が着席すると、傍らで侍女が香り豊かなお茶を淹れてくれた。
ひと口含むと、ジンジャーのぴりっとした刺激とシナモンの甘い香りが口の中に広がり、体の奥までほぐれるような感覚がした。
「この国のお茶は口に合うかしら?」
「ええ。とても美味しいです」
「よかったわ。健康にとてもいいのよ。おかげで私は足以外は元気なの」
エレノア様のそばにはいつも持ち歩いている杖が置かれている。
私はふとエリオスのことを思い浮かべた。
「デイルもリックも、あなたのことを本当の姉のように思っているのね」
「ふたりとも、とても優しくて可愛い子たちです。私も一緒にいて楽しいです」
彼らの話をすると、エレノア様はにっこり笑い、それから少し俯いた。
彼女は懐かしむようにぼそりと呟く。
「スヴェンも、ふたりの面倒をよく見ていたわ」
その言葉に空気が一瞬しんと静まり返った。
私は意を決して訊ねてみることにした。
「彼のことを、もっと聞かせてもらえますか?」
するとエレノア様は微笑んで、嬉しそうに語り始めた。
スヴェンは幼い頃、何が好きだったのか口にすることは少なく、穏やかで感情の起伏も少なかったという。
人と距離を置きながらも、誰よりも人の心を理解していた。
そんな人物だったらしい。
正直、スヴェンが実の父だと言われても、一度も会ったことがない私は、事実を冷静に捉えることしかできなかった。
ただ、彼が多くの人に慕われていたことだけは、確かに伝わってくる。
私は自分の話もした。
エリオスから少し事情を聞いていたようで、簡潔に話したにもかかわらず、エレノア様は真摯に耳を傾け、私の心情を理解しようと努めてくれた。
そして意外な言葉を口にした。
「あなたは過酷な状況で育ってきたのに、とてもまっすぐで聡明な子ね。きっとお母様の教育がよかったのね」
胸が熱くなり、思わず涙が滲んだ。
母は苦しみの中で亡くなり、父の暴力にも耐えながら、私を守ってくれた。
そんな母を褒めてもらえることが、心の底から嬉しかった。
「あなたのお母様のお話も聞きたいわ」
「はい」
私は母が生きていた頃の話をエレノア様に話して聞かせた。
だけど、私はスヴェンのことを母から一度も聞いたことがなかったので、ふたりについて話すことはできなかった。
それでも、エレノア様は穏やかな表情で微笑みながら、黙って耳を傾けてくれた。
◇
私は時間があればスヴェンの部屋を訪れている。
カレンと町へ出かけたり、エリオスとみんなで食事をしたり、そういった時間を除くと、ほとんどスヴェンの部屋にいた。
ある日、書棚の隅で一冊の雑記帳を見つけた。
なんとなくパラパラとめくってみると、走り書きのような字で簡単に出来事が綴ってあった。
場所の記録、出会った人のこと、訪れた国や目にした風景など。
しかし、それはスヴェンが亡くなる少し前の数年間の記録のみに限られていた。
それ以前の記述はなく、若き日の彼と私の母との出会いのことは、まったく書かれていなかった。
ところが、私はある記述を目にしてページをめくる手を止めた。
それはどこか乱雑で焦っているような字で書かれていた。
『人の心の痛みや、渇望、邪念。そういった多くの見えないものが、頭の中に広がって、それを吐き出さないと僕は壊れてしまう』




