30、本当の父と出会う
挨拶を交わし、和やかな歓談のひとときを過ごしたあと、侯爵は私とエリオスをスヴェンの部屋へ案内してくれた。
カレンも同行してくれて、私は自然と彼女からスヴェンの話を聞くことになった。
スヴェンと兄のマーク、そしてカレンは、幼少の頃からお互いの家を行き来し、まるで兄妹のように育ったのだという。
カレンは遠い日の思い出をたぐり寄せるように、少し懐かしそうに微笑んだ。
「マークは明るく社交的で、みんなの中心にいるような子だったの。でも、スヴェンは正反対で……とてもおとなしくて、繊細で、優しい人だったわ」
そう話す彼女の目には、穏やかで優しい雰囲気が宿っている。
「スヴェンは子供の頃から、毎日のように絵を描いていたの。あなたと同じ聖絵師として」
人気の聖絵師だった彼は、若くして依頼に追われる日々を送っていたらしい。
彼は私よりもずっと早く、13歳から活動していたようだ。
けれど、ある日突然「旅に出たい」と言い出したという。
家族は反対したが、彼の強い決意を覆すことはできず、最終的に背中を押したのは兄のマークだったという。
「寂しかったけれど、数年に一度は帰ってきてくれたの。そのたびに数カ月は滞在して、また旅に出る。彼はそんな暮らしをずっと続けていたの。スヴェンは子供好きでね。滞在中は毎日うちの子たちと遊んでくれて……みんな、彼が帰ってくるのを楽しみにしていたわ」
カレンは目を細め、まるでその光景を思い浮かべているかのように語った。
その静かな笑顔が、とても切なく感じる。
彼の人柄を知らない私でさえ、話を聞くだけで胸が熱くなる。
きっとスヴェンは、誰からも愛された人だったのだろう。
「さあ、ここが弟の部屋だよ。そのまま残してあるんだ」
侯爵が扉の前で立ち止まり、私に振り返ってそう言った。
静かに扉が開いた瞬間、乾いた絵具と油の匂いが鼻をかすめた。
そこはまるで時間が止まったような空間だった。
机の上には筆や絵具がそのまま残され、真っ白なキャンバスもある。
今すぐにでも彼が戻ってきて続きを描き始めそうな、そんな気配すらあった。
「弟が亡くなって5年が経つのに、母がどうしてもこの部屋を片付けたくないと言うのでね」
侯爵の説明を聞きながら、私はふと足を止めた。いや、足が勝手に止まってしまったのだ。
壁にかけられた一枚の肖像画が、私をじっと見つめているような気がした。
白銀の髪に、澄んだブルーの瞳。
色白で少し痩せた顔立ちの男性。
どこか憂いを帯びた表情をしている。
「このお方が……?」
私が訊ねると、カレンが答えた。
「ええ。スヴェンよ。本当に、そっくりでしょう?」
私はただ、小さく頷くことしかできなかった。
先ほどのエレノア様の肖像画よりも、ずっと私に似ている。
というよりは、私がそこにいるかのようだった。
あまりの衝撃に私は足がふらついて、そばにいるエリオスによりかかってしまった。
エリオスはとっさに私の肩を支えてくれる。
「レイラ、大丈夫か?」
「ええ。その、とてもびっくりしてしまって」
「そんなに似ているのか。俺も見てみたいものだ」
エリオスは目線を斜め下に向けたまま、ふっと笑みを浮かべた。
侯爵はおもむろにスヴェンについて語った。
「弟は亡くなる間際に、昔の恋人の話をしてくれた。だが、君のことは語らなかった。もしかすると、君の存在を知らなかったのかもしれない」
それにはカレンが付け加えるように話す。
「もし知っていたなら、とても喜んだはずよ。彼は子供好きだったから、あなたのことを全力で愛してくれたと思うわ」
侯爵は眉を寄せて、声を落とす。
「運命は残酷だ。君が生まれた頃、この国と君の国は外交的に険悪な関係にあった。もし、そうでなければ……」
その先は、彼もそれ以上言葉にしなかった。
全員が肖像画を見つめたまま沈黙し、少し経つと侯爵が私へと向き直った。
「この部屋は、いつでも訪れて構わない。好きなだけ、ここにいるといい」
「ありがとうございます。少しだけ、ひとりでいても構いませんか?」
「ああ。晩餐の時間になる頃にまた呼びにこよう」
侯爵はそう言って、エリオスに少し別室で語らおうと提案した。
彼らとともにカレンも退室し、私は静寂の中でひとり残った。
私は椅子に腰を下ろし、手の届くところに置かれた真っ白なキャンバスをじっと見つめた。
絵具の香りに胸が熱くなる。
今すぐにでも、そこに描きたいものが浮かんでくるのに、右手は固く動かないままだ。
窓のカーテンの隙間から、夕暮れの光が部屋をわずかに染めた。
その光がやがて赤から紫へ、そして深い青へと移ろう頃、外には星が瞬き始めていた。
時間の感覚は失われていた。
私はいろいろと混乱する頭を整理しながら、ひっそりと佇むスヴェンの姿を見つめた。
疑問に思うことは山ほどある。
なぜ旅に出たのか。どんな絵を描いてきたのか。
そして、私の母と出会ったことをどう思っていたのか。
けれど、その答えは永遠に得ることはできない。
それでも、ひとつだけ、どうしても知りたいことがあった。
「どうすれば……私は、あの絵を描けるのですか?」
かつて満月の夜に描いた、光に浮かぶ奇跡の絵。
あの絵を、もう一度この手で生み出したい。
そして、エリオスに見せてあげたい。
生い立ちや血筋の真実も大切だけれど、それ以上に私の心が切望しているのはただひとつ。
再び、奇跡の絵を描く方法を知ることだった。
「どうか、教えてください」
私は静寂の中で、肖像画の中のスヴェンに向かって、そっと呟いた。
彼の憂いを帯びた瞳が、今にも答えてくれそうな気がした。




