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聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜  作者: 雪月黒椿
4章 ボリューニャ・チェルトラ編
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自覚のない子ども

「というか、お前の秘策ってもしかしてあの袋か」


「そうだよ? いつか赤蛇退治した時に、蛇は鼻がいいんだっておじいさんに教えて貰ったよね、懐かしいなあ」


「しょぼ……」


「え、なんだって?」


「いやなんでも」


緊張の解けた冒険者たちがそれぞれ反省などを口にする中、ベルナルドはよろめくファウストの脇に手を差し入れ、まるで子どもを立たせるように支えた。秘術のおかげで怪我は火傷と腕の切り傷くらいだが、いかんせんファウストは頭と精神が非常に疲れていた。雷神象に踏まれた時のように一瞬で通り過ぎる衝撃ならばともかく、何度も攻撃を受けたためにすっかり摩耗していた。


「もうこのまま倒れて寝たい」


「はいはい、そこに座ってぼーっとしてていいですから。ちょっと休憩しててください」


製錬所の中にあった椅子に腰掛けたファウストがひたすら虚空を見つめているのを、冒険者たちは珍しいものを見るような目で見ていた。ただアルヴィンとウィツィだけは居心地が悪そうにチラチラと視線を投げている。


「あのー、ファウストさん……?」


「ん?」


「あの、すいません、俺ちゃんと秘術かけてたと思ってたんですけど、その……」


「ええと俺も、秘術があると思って……その、まさか火傷させてしまうなんて思ってなくて」


「ん、ああうん、別に怒ってない」


背中も曲がっていて覇気がない、ファウストはそんな姿を部下に見せたことはない。余程疲れたのか、あまり開いていない唇から出てくる返事も投げやりだ。舌も微妙に回っていない。


「団長、背中大丈夫ですか」


「多分平気」


「結構広範囲ですね。痛みは結構ありますか?」


「キレそう」


「これ触って大丈夫かな……」


いつも小さな傷であれば手当をしてくれる部下が判断に困っているのを見て、ベルナルドは地図を取り出して唸った。たった10年前は怪我をすればすぐに霊薬や霊水を持ち出していたため、適切な処置が分からなかったり、下手に触って悪化させたりと手探りだ。


「ユージーン、先に戻っててくれるか? 俺はファウストさんをチェルトラに送っていくから」


「ああ、了解」


「ほら団長。久々のチェルトラですよ、元気出して。何をそんなしょぼくれてるんですか」


どういうわけかファウストは落ち込んで項垂れ始めた。ファウストと直接話す機会の少ない若手たちが見れば戸惑っていただろうが、幸い大地の盾から来ているのはある程度経験のある実力者だけだ。


「いや……キレて突っ走ってしまったから……」


「大丈夫ですよ、どうせみんな歯が立たなかったんですから!」


「と言うより、ひとりで勝手に盛り上がったのが恥ずかしくて……」


「誰も気にしてませんから! ほら、聖火の鏡の若い子たち見てますよ!」


ファウストがベルナルドに言われてはっと顔を上げた先にはアルヴィン。ばっちり視線が合ってしまったのが気まずくて、アルヴィンは曖昧に笑っておいた。


「チェルトラって、たしかエルヴィスも小さい頃住んでたんだよな」


「うん、綺麗な場所だよ。時間によって色が変わって見える湖があって、街中に植物が多くてすっきりした感じの街並みだったかなあ。あっ、そうだ」


「ん?」


「僕らもこのままチェルトラに行かない?」


「えっ」


エルヴィスが突拍子もないことを言い出すのは珍しくない。とは言え何年経ってもそれに順応できているわけでもなく、アルヴィンは目を瞬かせて固まった。


「ルクフェルさーん、僕らこのまま別行動してもいいでしょ?」


「え? いやそれは……」


「アルヴィンもファウストさんに火傷させちゃったの気にしてるし、荷物持ちと護衛で付き添いたくてさ。ね?」


「そう言われるとな……そうだな、うん、ファウストがいいと言うなら」


大地の盾と合同で指令にあたっているため集団で行動していたが、元々聖火の鏡には統率という考え方はなく非常に自由度が高い。加えて皆エルヴィスの気まぐれにすっかり慣れてしまっていた。


「そういう訳でファウストさん、僕らもチェルトラまで行くけど、一緒に行っていい?」


「どっちでもいい」


「いぇーい」


「いやいやいやちょっと待てお前、急にもほどがあるだろ」


「えっ、いいじゃん。着替えとかも向こうで買えばいいしさ。ダメなの?」


「いやダメではないけども」


ああだこうだと反対意見を並べ立てようとして、結局アルヴィンは簡単に押し切られた。アルヴィン自身、こういった突然の冒険に対する抵抗が以前よりも小さくなっている。仕事で多くの場所に足を運ぶことが増えたためだ。


「そしたらライアン、私たちもデートでもして帰る?」


「そうだな……ああ、だったらファレーゼに寄りたいな。久々にあそこの大図書館に行きたいんだ」


「えっ、ライアンがいなければ誰が俺の書類仕事をしてくれるんだ」


「難しいって思ってるだけでやってみれば簡単ですよ。俺だっていつまでも酒や食べ物で釣れるとは限りませんし、ルクフェルさん仮にも団長なんだからやりましょうよ」


「仮にも!?」


すっかり朗らかな雰囲気だが、その中でも機嫌の良くない者がひとり。アルヴィンは組んだ腕を中指で叩くカサネを一瞥した。笑顔を保ってはいるがどこかぎこちなく、以前よりも苛立ちを隠せなくなっているように見えた。


「アルヴィン、カサネが気になるかい」


「まあ、ちょっと……」


「へそを曲げてるよな」


ルクフェルもカサネの様子がいつもと違うことには気付いている。カサネが小さな子どもの頃からの付き合いで、兄貴分と言っても差し支えない。他人の感情の機敏には鈍いルクフェルだが、カサネの不機嫌の理由くらいは分かっている。


「カサネは君たちと違って自覚のない子どもだからね。君とエルヴィスの方がずっと大人だよ」


「いやそんなことは……というか自覚? それってどういうことです?」


「そうだな……うまく伝えようとすると難しいものだね。続きはコルマトンに戻ってからにしよう。折角飲める年齢になったんだから、酒を飲みながら話そうじゃないか」


「はあ」


そこで点呼と怪我人の確認を終えたベルナルドが団員たちに号令をかけたので、アルヴィンも釣られて背筋を伸ばした。その際にファウストへの同行を断られたウィツィが背中を丸めて落ち込んでいるのが見えた。大地の盾の団員は集団行動が基本だ、さすがに許されなかったらしい。


途中までは同じ道筋だが、チェルトラに行くには別の列車に乗り換えることになる。口では反対したものの、アルヴィンは実は心躍っている。エルヴィスの言う美しい街を想像してそわそわと指先を遊ばせた。


ヴァプトンからまた4つ隣の町を目指す道中、アルヴィンはファウストの背中に冷気を当てながら、エルヴィスとの約束を思い出した。強制指令が終わったら聞く秘密の話は果たしていつされることになるのだろうと、自分より前を歩く相棒の金髪が揺られるのを眺めていた。

ファウストさんは魂が抜けている模様……

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