盲目の男
ボリューニャは交通が悪く、その環境から閉鎖的で孤立した村だ。少なくともメリルはそう思っている。そして実際その通りだ、お世辞にも活発な村ではない。活気がない、寂れた、しょぼくれた、いろいろ言い方はあるがとにかく活発とは言い難い。
「おぉ久しぶりだなぁ、お嬢ちゃん。どれ、魔除けをやろう、持っていきなさい」
「ええ昨日ぶりですね、もう5つくらい貰いましたよ」
名産品もない、漁業や農業も小規模。ただただ呪術師がいるだけの村だ。果たしてこの村の経済はいかにして成り立っているのだろうか、村人はもしや霞を食って生きているのではないか……メリルはテオと関係のないことがついつい気になった。
「お爺さんって普段は何を召し上がっているんですか」
「芋」
「そうですか」
メリルはテオの行方不明に関係したと考えられる悪魔の箱について調べていた。一部お喋り好きの老人はいるが、余所者を嫌う村人には邪険にされ、メリルは珍しく情報収集に苦戦している。だからと言って体当たりで調査しようにも、滅多に使われない悪魔の箱を見張っていても仕方がない。どうしたものかと大きな溜息を吐いた。
それよりも不可解なのはテオの捜索届についてだ。20年前と5年前、合計2回。15年もの年月を空けて捜索届が提出されることは有り得ない。
ウィツィは知らないが、この国では捜索届を出して10年経過した場合死亡したことになる。つまり5年前の捜索届が受理されるなどあるはずがないのだ。仮に受理されたとして、数日もすれば確認がとれるはずだ。
いや、父親が。けどあんまり音沙汰ないから自分でもっかい出した。
「トビアス・ボボネ・イグレシアス、か……」
何度も訪ねたが追い返され、調査に応じなかったウィツィの父。だがメリルは直感で分かった。彼の顔は何かを隠していた。
20年前の捜索届は出されていなかった。父親のトビアスが出した振りをして出していなかった。
ウィツィの発言を思い出しながら、メリルが辿り着いた結論だ。実際ジャンに頼んで社会系キャラバンの記録について調べてもらったが、テオの20年前の捜索届の記録はなかった。
悪魔の箱に対するウィツィの認識と、ナナワの証言。ウィツィとテオの待遇には大きな差があったに違いない。恐らくウィツィは、テオの扱いについては知らないまま大層大切に育てられたのだろう。メリルにはウィツィに身に付いた上品な所作がそれを物語っているように思えた。
「人身売買……?」
ぽつりと呟いて、メリルは頭を振った。我ながら突飛して非現実的だと笑いたくなった。しかしテオの失踪に何かしらの思惑が絡んでいることは間違いない。しかも身内のだ。
「……帰るかあ」
メリルは確証はないが確信めいたこの推測を、ウィツィに話すことにした。少なくとも父親にやましいことがあるのは間違いないだろう。子どものような外見だがそれでもウィツィは大人なのだ。望んだ結果でないからと駄々をこねるような人間ではない。
メリルは荷物を背負って歩き出した。そして馬車鉄道までのやや長い道のりを目の前に大きな溜息を吐いた。
一方ウィツィはそんなことなどつゆ知らず、呑気に遅めの昼食を食べていた。強制指令に参加した者に支払われる報奨金を受け取ったので、たまにはいいだろうと塊の肉を注文して綺麗に平らげた。
満腹で上機嫌なウィツィは、会計のために立ち上がり店のカウンターを振り返った。そこで誰かと肩がぶつかって、ウィツィは詫びながらその人物を見上げた。
「うん? ん、うーん……」
目を閉じた大男が何かを探すように手を彷徨わせていた。薄らと開いた目蓋から覗く瞳は焦点が合っていない。
もしや盲目なのだろうかともう一度声を掛けようとして、ウィツィはそのすぐ側に杖が落ちていることに気が付いた。
「はいこれ、お兄さんのだろ」
「ああどうも、ありがとう! あれ、君……」
その手に杖を握らせると、男はウィツィの横の空間に向かって頭を下げた。その直後にすんすんと鼻を鳴らして、ぱっと後ろを振り返った。
「ロディオンさん? ロディオンさん!」
「はいはい、何すか」
「いたよ! 今俺に杖を渡してくれた人!」
「え、マジすか」
男が振り返った方向とは別の所から、細身の男が面倒臭そうに歩いてやってきた。ウィツィが不思議そうにしていると、ロディオンと呼ばれた男は途端に背筋を伸ばしてウィツィの手を取った。
「いやーどうもどうも! うちのパウロスがお世話になったみたいで!」
「いや、杖拾っただけっすから」
「是非お礼がしたいっすね、よければお名前教えていただけませんか!」
「いや別にいいっすよ、お礼されるほどのことしてないんで」
「いやいやそうおっしゃらず是非!」
「あー……すんません、仕事の集まりがあるんでもう行かなきゃ」
しつこく名前を聞き出そうとするロディオンが怪しく思えて、ウィツィは会釈して足早にカウンターに向かった。そんなことおっしゃらずぅ、と尚食い下がられたが無視だ。
「ふぅん、大地の盾の冒険者なぁ……」
ウィツィは団章に紐を通して手首につけている。名前は分からなかったが所属キャラバンが分かったなら十分だと、ロディオンは口の端を吊り上げた。
「ロディオンさん、前々から気になってたんだけど、俺は一体どんな人を探してるわけ? 不思議な匂いがする人って言うけど、その人らを探すと何かあるの?」
「いーのいーの、あんたはただ匂いが明らかに違うやつを見つけてれば」
「そうは言っても気になるんだけどなあ」
「あんま詮索しない方が良いっすよ。目の見えないあんたが、俺と言うお付きの者も付けて仕事できてんだからそれで十分じゃないすか」
「仕事……こういう仕事もあるんだから世の中不思議だなあ」
「そのめちゃくちゃ素晴らしくてとんでもなく素敵な鼻だからできる仕事っすよ。良かったすね」
ロディオンは面倒臭そうにパウロスをあしらった。任された当時は自信なさげに大きな身体を縮こめていたが、仕事を与えて外に連れ出すとすぐに活発になった。ロディオンからすればただただやかましいだけだ。
「けどさ、やっぱほら、仕事の意味を知ってた方が身が入るって言うじゃないか。少しくらい教えてくれたって」
「あーもう面倒臭いなあんた! やっぱセルゲイに押し付ければ良かった!」
「そんなこと言わないでよ。分かったよ、大人しく仕事するからさ」
「最初からそうしろってんですよ」
「厳しいなあ」
「世の中にはもっと厳しい人間と仕事がたんまり溢れてんすよ、楽に働けることに素直に感謝してくださいよ」
「してるよ! めちゃくちゃしてる!」
ロディオンはわざとらしく大きな溜息をついて地図を広げた。彼らが辿った旅路に沿って印がつけられており、コルマトンで途切れている。
「で、次はどこ行くんだっけ?」
「ラシアラン領の予定っしたけど、さっきの大地の盾の男を見つけましたからね。そいつを捕まえてからっすね」
「捕まえるって、何だよそれ。物騒だな」
「要はスカウトだよ、スカウト」
「スカウト? なんだ俺、人材探しの仕事してたのか!」
「そゆこと。随分若いみたいだったし、あんくらいの年齢ならちょっと待遇吊り上げれば興味持つっしょ」
ロディオンはコルマトンに丸印をつけて、そわそわと楽しそうに身体を揺らすパウロスを一瞥した。
「おめでたいやつ」
「え? 何か言った?」
「さあ、空耳じゃないすか」
ロディオンはパウロスに対して、内心呆れながらも哀れに思った。相手は大男だと言うのに、小さな子どもを騙しているような気分だった。ウィツィを見付けた時には笑えていたはずが、気分が冷めてしまうと口角はまるで動かなかった。